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Water Sprouts

 

 

EP1‐4 砂漠の異邦人-Étranger- 後編

 

 

「――メルッ!」

「おのれ! ぬかった!」

 その触手を辿ると、事切れていたはずのヴィクロスの手に繋がっていた。

「ざまぁ、みろ……」

 わずかに残った力で右手を変化させたのだろうか。

 触手はあたしを狙い、それをメルが庇ってしまった。

 ヴィクロスに向かってイナさんが剣を振り上げて駆け込む。

「このっ、ゲスがぁああああ!!」

 イナさんの鬼神斬巌刀がヴィクロスの体を頭から両断すると、ヴィクロスは薄気味悪い笑みをあたしに向けて地に伏せた。

「メルッ!」

 あたしはすぐにメルへと駆け込んだ。

 ヴィクロスが生き絶えたことで触手が消え、代わりに体に穴が開いていた。

 そこから止めどなくメルの血が流れる。

 助からない――。そんな思考を振り払って腰のバッグからタオルを取り出してメルの傷口にあてがった。

 色の無いタオルが瞬く間に紅く染まっていく。

「それでは足りぬぞ」

 ビリビリと自身の服を破いて傷口を縛るイナさん。

 血は止まった。けど、メルの顔から熱が失せ、どんどん青白くなっていく。

 メルの手を取ると徐々に体温が奪われていくのが分かった。

「……シノ、ちゃん。大丈夫、ね……?」

 こんな時にあたしの心配なんかして。

 どうしてメルはあたしなんかを庇ってしまったんだろう。

 あたしなんかより、これからのメルの方がずっと重い役目を背負って生きていかなくちゃならないはずなのに……。

「ダメだよメル! キミは死んじゃダメだ!」

 メルがあたしの言葉に返答しようと口を動かすと、口の端から血が溢れ出した。

「シノ、ちゃん……ウチは……」

「これが終わったらアンリミテッドの長になるんでしょう? ダメだよ! あたしは……砂漠のアメフラシはアンリミテッドにとって敵だったはずなのに……」

 砂漠は世界の終わりを望んでいる。

 雨を降らせるあたしは正に砂漠の天敵なんだ。

 アンリミテッドが砂漠の意志を尊重して世界の終わりを見届ける方針だというのなら、あたしとは相容れない。

 メルがアンリミテッドの長を継ぐというのなら、メルが身を挺してまであたしをかばっちゃいけなかったんだ。

 こうして一緒にいるけれど、メルだってその考えを変えたわけじゃないってあたしも分かっていたんだ。

「違う、ね……」 

 力無く首を振るメルにあたしは涙が出てきて止められない。

 メルに死んで欲しくなんてないから……。

「砂漠の、アメ、フラシは……ただの人、ね……」

 それはあたしがメルに言った言葉だった。

 その言葉をメルから言われたあたしは、どう答えていいか分からなかった。

「ウチは、ずっと、シノちゃんを……見て、きたね。アンリミテッドの敵になるなら……殺すことも、いとわない。そう、思ってたね」

 途切れ途切れに言葉を連ねるメル。

 ふいにあたしの肩に手が置かれ、振り向くとイナさんが横に立っていた。視線はメルに向けたままだ。

 イナさんはまっすぐとメルを見て話を聞いていた。

 まるでこれが最後の言葉になると言わんばかりに……。

「……でも、ね。シノちゃんと、いるうちにね。そんなこと、忘れてしまったね。短い間だったけど……ね。ウチ、シノちゃんのこと、大好きね……。シノちゃんは、ウチの友達、ね……」

「あたしも、同じだよ! メル……」

 メルの手をぎゅっと握った。

 奪われていく体温と、メルの命をつなぎ止めるかのように。

「だから、ウチ、は……がぷっ!」

 メルが話を続けようと口を開くと大量の血が溢れ出した。

 イナさんは自らの袖でメルの口を拭うと優しい眼差しでメルに語りかけた。

「だから、おぬしはシノを守りたかったのじゃな。砂漠のアメフラシではなく、シノ=カズヒという大切な友を」

 イナさんの言葉にこくんと静かに頷くメル。

 そんなメルにイナさんは少しも悲しい顔をしないで、いつものように笑いかけていた。

「見事じゃぞ、メル。おぬしはちゃんとシノを守り抜くことができた。私からも礼を言わせてくれ。よくぞ我が友を守ってくれた。ありがとう」

 メルは目を細めて笑った。

 あたしは笑えなかった。そのせいでメルの命が無くなろうとしているのだから。

「シノちゃん、も。笑う、ね……」

「無理だよぉ。メルぅ……」

 あたしは余計に泣いてしまった。

 そんなの、できるはずない。目の前でメルの命が無くなろうとしているのに……。

 メルはきゅっとあたしの手を握り返してきた。

「イナちゃんが言ってたこと、わかるね。……砂漠は、終わりを見ようとしてるね。けど――」

 徐々にメルの手に力が無くなっていくのを感じる。

「メル! まだ、ダメだよ!」

「砂漠以外は、きっと、生きたいと、思ってるね……。だっ、て、ね……。ウチ、も……生き、た、い、って…………」

 スルリとメルの手があたしから落ちる。

 メルはもう一言も喋ろうとはしなかった。

「メル! メル!!」

 さっきまで喋っていたメルが。

 あんなに元気だったメルが。

 あたしのこと友達だって……大好きだって言ってくれたメルが…………動かない。

「メル! ねぇ、目を開けてよ! メル!!」

 何度呼びかけてもメルは答えない。

 あのあどけない笑顔は、もう二度と見られないんだ。

「すまぬ。私の不注意じゃった……」

 さっきまで悠然としていたイナさんが辛そうな顔であたしに謝る。

 ヴィクロスが生きていたなんてここにいる誰もが予想だにしなかったことだ。イナさんのせいなんかじゃない。

 イナさんにそんな顔をさせるのも、謝らせてしまうのも、全部あたしのせいなんだ。

 そんな風に思うことを止められない。

「イナさんのせいじゃない! あたしが! あたしが!!」

 あたしは失ってしまった。メルという二人といない存在を。あたしの大切な友達を……。

「シノ……」

「あたしなんかを、庇わなきゃ……こんなことには……」

「それは……メルが選んだことじゃ」

「でも、もしあたしがヴィクロスが生きていることに気付いていたら? あの攻撃にも対処できていたら? こんなことにはならなかったはず……」

「戦いの結果に『もし』などない。それが総てなのじゃ」

 じゃあ、やっぱりあたしのせいなんだ。

 あたしが未熟者だったから。この運命に抗う力を持ち得なかったから……。

「あたしが未熟だから、メルを……」

「そうではない。未熟が招いたことなら私にも言える」

「やっぱりあたしはイナさんのように誰かを守れる剣(つるぎ)には成れないんですよ。ロメリアだって、メルのようにさせてしまうかもしれない……」

「………………」

「あたしなんかのために、メルは死ぬことなかったんだ」

 

 バチンッ!

 

 イナさんの平手があたしの頬を叩いた。

 じんじんと痛む頬。それ以上に、何かが胸にくる痛みだった。

「メルが命を懸けて守ったのがおぬしじゃ! そんなメルは立派におぬしの剣と成れたと言える。おぬしがそんなでは、メルがうかばれぬぞ!」

 あたしの胸倉を掴むと、自身の顔へ近づけるイナさん。

 間近にあるイナさんから、呼吸の荒さが分かる。

 怒っているんだ。イナさんは。すごく。すごく……。

「この世界で、どれだけの人間が自分のために命を懸けてくれると思っておるのじゃ? メルにとっておぬしは命を懸けるだけの価値があったのじゃ。それは私とて変わらぬ!」

「やめてください! イナさんがあたしのために死んだら嫌ですよ! イナさんはこれからも多くの人の力に成れる人だから。あたしが生きてその代わりをすることはできません!」

「誰がそんなことを頼んだ? 逆に、おぬしが私を庇って死んでもおぬしの代わりなどできぬぞ。この斬巌刀は水など出せぬからのう」

「じゃあ、あたしはどうしたら……?」

 あたしもメルの代わりには成れない。

 死んだメルが成そうとしていたこともきっと果たせない。

 どうしたらいいか分からない。

 あたしは守ってもらうことに慣れていないから。

 そんな風に人から見られたことなんて一度も無かったから。

 だってあたしは、水を操る異能者だから……。

「メルが命を懸けて守ったのじゃ。おぬしの命は今まで以上に価値がある。よいか? 二度と『あたしなんか』と口にするな」

 イナさんは掴んだあたしの胸倉を整えると、そっとあたしの頭を抱いてくれた。

「メルは言ったであろう? シノも笑え、と。そうやって生きていくのじゃ。今は悲しくとも、おぬしならきっとできる。私もそう願っておるぞ」

「……はい」

「よしよし」

 あたしの頭を優しく撫でるイナさん。

 それだけで重く圧し掛かっていたあたしの心の重みが少し軽くなるようだった。

 

「――おねえちゃんたち……」

 

 ふいに声をかけられる。

 ゆっくりと声の先へ頭を上げると、ヘリオくんがいた。

 足を引きずりながらメルのところへ来ると、かがんでメルの胸に手をやった。

「……まだ、助けられるよ」

「え……?」

「あきらめちゃダメだよ」

 ヘリオくんの体が光に包まれる。

 かと思うと、その腕を伝ってメルも光に包まれた。

 原種と言われる万物に干渉する能力。その力でメルを助けようとしている。

 ――でも、どうやって……?

「残った力を使ってこのおねえちゃんに吹き込むんだ」

 まるであたしの心を読み取ったかのように答えるヘリオくん。

 ヘリオくんとメルを包む光が更に輝きを増した。

 優しげで温かな光。その力はやっぱり本物だ。

 でも、ヘリオくんの顔にも精気がない。

 たぶんヴィクロスによって振り絞れられた力の、僅かな力を使っているんだ。

「けど、ぼくだけじゃ足りない。ここにいる誰でもいいから、異能者と呼ばれる人の力が必要なんだ。異能者なら誰でもいい。僕の体に触れて。そうしたらその力を使って僕がこのおねえちゃんを助けるから」

「ふぅむ。こういう時はなんでもない私にはどうすることもできぬな」

 残念そうに呟くイナさん。

 でも、イナさんは今まで充分に力になってくれた。今度はあたしの番だ!

「わかった! あたしも異能者だからね!」

 ヘリオくんの肩に触れると、あたしの体が揺らぐような錯覚が起こった。

 けれど、それ以上の変化は感じられなかった。

「……ごめん。お姉ちゃんのは、ほとんどがその武器に力を吸われているみたいなんだ」

「水御華に?」

「うん。お姉ちゃんの力の源。そのすべてが向けられているみたい。だから僕の方へあまり来てくれないみたいなんだ」

 そんなこと思いもしなかった。

 あたしは水御華から水を出す異能者だと思っていたから。こうしている間にも水御華に吸われ続けているということなのか。

 それよりも、今はヘリオくんに力を与えなくちゃ!

 幸いにもこの牢屋の中には捕らえられた異能者でいっぱいだ。これだけいれば充分事足りるはず。

 あたしは地下牢の入り口まで届くくらいの気持ちで声を出した。

「ここに異能者さんたちにお願いがあります! ここで横たわる女の子を助けるために、その力を貸してください!」

 この広い地下の中で、その全てに響くくらいの声で、あたしは叫び続けた。

「この男の子に触れるだけでいいんです! お願いします!」

 言い終えると、シンッと静寂が辺りを包み込んだ。

 誰からも返事が無い。

 近くの牢を見るとあたしと目があった人はビクッと体を振るわせた。

 ――どうして誰も応えてくれないんだろう。このままじゃ、メルの命が……。

「諸悪の根源であるヴィクロスを討ち果たしても、私たちが味方である保証がないからのう。ここは一つ、後押しするか!」

 そう言って鬼神斬巌刀を振り回すイナさん。

「イナさん?!」

 次の瞬間にはもういない。

 あたしから見て右側。横に連なる牢屋の前を通り過ぎてはその鍵の部分を剣で両断していくイナさん。

 鍵が壊されたことにより、自然と開かれる牢屋もある。

 イナさんが入り口まで辿り着くと、そのままこちらに戻るように今度は左側の牢の鍵を次々に両断していった。

 こんな時、真っ先に動いてくれるイナさんが本当に頼もしかった。

 あたしもそれに負けないように、異能者の人たちに呼びかけ続けた。

 メルを助けるためなら。なんだってできる!

「お願いします! その力が必要なんです! この子を助けてください! 異能の力で、この子を!!」

 しかし、何度訴えてもあたしの言葉は虚しくも地下に響くだけだった。

 そうこうしているうちにイナさんが帰ってきた。

 ここにいるのはあたしとイナさんだけ。

 誰一人、手を貸そうとここに来てくれない。

「どうして? どうしてなの?!」

「ふぅむ。ここにおる者たち。そのすべての目には怯えと恐怖しか無い。幽閉されていたのじゃ。当然と言えば当然のことかもしれぬが……」

 腕を組んでふぅと息を吐くイナさん。

 それじゃあダメだ。それじゃメルを助けられない。

「どうして?! メルは、この子はあなたたちを助けに来たんだよ!!」

 後ろからギィィ。と牢屋の扉が開く音がした。

 見ると中年の男が力無く立っていた。

「……助けるって、なんだ……?」

 その目にあるのは怯えと恐怖じゃない。

 ただ怒りがそこにあるように感じた。

「こんな世界で、人間が生きていけるもんか! 異能者ってだけで命が狙われる。まだヴィクロスに従っていた方がよかった! お前たちは余計なことをしたんだ!」

「そんな! アンリミテッドを筆頭にした反組織たちが迎えてくれます。だから――」

「バカを言うな! インフィニットに敵対したらそれこそ命が無い! 俺は異能者じゃない。普通の人間として暮らす!」

 男の言葉に、これまで押し黙っていた周りの異能者たちも賛同の声を上げ始めた。

「そうだそうだ! 俺たちは関係ない!」

「俺たちは異能者なんかじゃないぞ!」

「ただの人間だ! 能力なんかこれっぽちもないんだ!」

 助けに来たはずのあたしたちが、助けようとした人たちに非難される形になってしまった。

 まさかここにいる人たちがそんな考えを持っていたなんて思いもしなかった。

 ……けど、このままじゃメルが……。

「普通に暮らしていた結果がこれでは無いのか? またインフィニットに命を狙われることになるぞ?」

 中年の男に語りかけるイナさん。

 男はイナさんの鋭い目に少し間押し黙ってしまった。

「そ、そんなもの! お前たちがここに来さえしなければ!」

 男の変わりに他の牢屋の人が答えた。

 それに対して男は無言で頷く。

「愚か者め! それが命を懸けて助けに来た者への言葉か!」 

「………………」

「もういい。力ずくでも従わせてくれるわ。おぬしに触れさえすればいいのじゃろう?」

 イナさんはこれでもかという程に鬼神斬巌刀を振り回し、ヘリオくんに語りかける。

 ヘリオくんとメルを包む光がさっきよりも弱くなっているのが分かった。

 イナさんも焦っているんだ。だからあんな強引なことを……。

「うん。でも、ここにいる人たちは自分以外の人に干渉する能力を持っているよ。お姉ちゃんは普通の人間だから、あっという間に行動不能にさせられるよ」

「構わぬ。それに易々とそんなものを受けてやるつもりもないのでな。数百の異能者を相手に、ただ剣を振るうのみじゃ!」

 鬼神斬巌刀を片手にイナさんはまず、牢から出てきた男を見据えた。

 男はイナさんから発する気迫に尻餅を着くと、慌てて能力を発するように目でイナさんを追った。

 が、イナさんは既に男の視界の外。男の真後ろで剣を振り上げていた。

 あたしは水御華を握ったまま、男の方に走り出した。

 

 ガンッ!

 

「シノ?」

「ハァ、ハァ……」

 あたしはイナさんの重たい一撃をなんとか刀で受け止めることができた。右手の痺れが尋常じゃない。

 イナさんが寸前での所で加減してくれたのもあるだろう。

 そうでなきゃ、今頃は刀ごと真っ二つだ。

「時間がない。このままではメルの命に関わるぞ」

「メルは、あたしを守ってくれたんです。そして、ここにいる人たちも守ろうとしてここまで来た。その想いは最後まで変わらなかったはず。だからどんな理由があろうとも、ここにいる人たちを傷つけることだけはしたくありません!」

 まっすぐにイナさんを見つめるあたし。

 男はあわあわと震えた声を出していた。

 じっとあたしに視線を返すイナさん。

 その目も真剣だ。メルの命に関わることだから、当然か。

「……ふむ。道理ではあるな」

 イナさんは力を抜くと剣を引いてくれた。

 あたしも同じように刀を引く。

「しかし、それでメルが助かるのか?」

 あたしは牢屋を挟む長い廊下に向き直ると袖で涙を拭った。

 そして呼吸を整え、ここにいる人たちを前に深く頭を下げる。

「ここに横たわる女の子を助けるには、異能者がこの男の子へ触れて力を貸す以外にありません。どうかその力を貸してください!」

 牢屋の中でざわめきが起こり始め、そのざわめきが地下全体を覆った。

 しかし、誰かが名乗りを上げることはなかった。

 鍵が開けられたはずの牢はしきりに閉じたまま。

 それがそのまま拒絶を意味していた。

「どうして……どうして助けてくれないの……?」

 あたしの言葉に近くの牢屋のお爺さんが答えた。

「ワシらは普通の人間じゃ。異能者などと言って命を狙われる側の人間になりとうない」

「ここにはインフィニットの人間なんていません!」

「分からん。誰が裏切るか……。そうやってワシはここに連れてこられたのじゃ。他にもおるはずじゃて。他人に騙されて、捕まった者がな」

 お爺さんの言葉に賛同する人たちが「そうだそうだ」と声を上げた。

「助ける力を持っていながら、こんな小さな女の子を見殺しにしておきながら、『普通の人間』を語るとはのう」

 イナさんの言葉にお爺さんは顔を背ける。

 そしてボソッと言葉を吐いた。

「お前たちには分からんのだ」

 あたしはインフィニットがどうやって異能者を見分けているのか、ずっと疑問だった。それは人伝に知られたり、密告する者がいたからだ。

 ここに捕らわれた人たちはみんなそれを経験している。

 だから名乗らない。

 自分が異能者であることをひた隠しにしたいんだ。

 いつの間にか、ここの異能者たちは全員あたしたちの敵になってしまったみたいだった。

 誰も異能者であることを名乗ることはせず、誰もメルを助けようとはしなかった。

「お姉ちゃん。早くしないと、もう……!」

 そんな中、ヘリオくんが苦しそうに声をあげた。

 その体を包む光が徐々に失われていくのが目に見えたわかる。

 ヘリオくんの状態も良くない。額に汗を浮かべて苦しそうだ。

 このままじゃメルだって危ない。

 でも、あたしじゃメルを救えない。それが悔しくてたまらなかった。

「お願いです! 力を貸してください!!」

 あたしはイナさんに斬られかけた男にすがった。

 しかし、男はそっぽを向いてこう言った。

 『俺は異能者じゃない』……と。

 このままじゃメルを失ってしまう。

 助けようとした人たちがメルを見殺しにするなんて、そんなの絶対おかしいよ!

 怒りのままに水御華を振り下ろした。微かにリィンと鳴った気がしたが、今はそんなの構っていられない。

「あたしは! 異能者だ!!」

 振り下ろした剣の先から膨大な水が吹き荒れ、長い廊下を一直線に水が走り抜ける。

 水飛沫が左右の牢屋に向かって飛び散り、異能者たちを濡らした。

 そしてあたしは、力の限り大声を上げていた。

「異能者だからって何?! それがなんだっていうのさ?! 人と違うってそんなにいけないことなの?!」

 あたしの言葉に辺りが静まり返る。

 異能者たちの視線があたしに集まる。その視線は知っている。

 あたしのことを異能者だと知った普通の人のそれと同じ。

 でも、そんなの構わない。メルを助けられるなら、周りからオカシイ人間のように見られたって構わない。

 この静寂の中で、あたしは続けざまに言い放った。

「あたしは異能者だ! だから異能者だからって見る目を変えたりしない。自分が異能者であることにも負い目はない。だってあたしは大好きな両親から生まれたんだもん! ここにいる異能者のメルも、そうじゃないイナさんも、あたしの大切な仲間だから。誰が何と言おうと、それは変わらない事だもん!」

 あたしは力なくペタンと座り込んだ。

 疲労している中、限界まで水を操ったせいだろう。

 でも、あたしは喋ることを止めない。訴えることを止めない。

 そうしなきゃ、メルを守れないから……。

「異能者とか、そうじゃないとか、関係ない! 人と違ったって、いいじゃないか! この世に同じ人なんていやしないよ!

――だから……、だから!!」

「シノ……」

 必死に訴えてみたけれど、相変わらず反応は返ってこない。

 ごめんねメル。キミはあたしを守ってくれたのに。

 あたしはキミを守れない。本当に、ごめん……。

 悔しさに涙が溢れて止まらない。

 助けられるはずの命なのに。

 あたしじゃどうにもできないんだ。

 悔しくて悔しくて……たまらなかった。

 やっぱり砂漠のアメフラシはただの人だ。

 本当にその通りじゃないか。

 水を操ることや雨を降らすことができても、大切な人を守れない。そんなの……なんの意味もないよ。

「シノ……」

 イナさんの手があたしの肩に触れる。

「イナさぁん……」

「見よ」

「えっ――」

 顔を上げると、あたしのすぐそばに小さな女の子が立っていた。

 メルやロメリアよりも幼い、ホントに小さな女の子だ。

「キミ、は……?」

 女の子はもじもじと体を揺らした後、上目遣いであたしを見た。

「あのね。うんとね。だれにもいっちゃいけませんってパパとね、ママがね、いうの。でもね……」

「でも?」

「あのね、あのね。サリスちゃんね。このおねえちゃんをたすけたいの。いのーしゃなら、いいんでしょ?」

 目の前がパァっと明るくなったみたいだ。

 その言葉だけでどれだけ救われたか分からない。

 あたしは両手で目をこすって涙を拭うと、サリスちゃんの肩に手を置いた。

「サリスちゃんって言うんだ。サリスちゃんは優しいね」

「うん。でもね、うんとね。いのーしゃってだれにもいっちゃダメなんだよ? おねえちゃんだけ。とくべつなんだよ?」

「うん。……うん!」

 そう言って微笑むサリスちゃんはあたしにも特別なんだと思った。

 嬉しくて嬉しくて……たまらなくなってサリスちゃんを抱きしめてしまった。

「いたいよ、おねえちゃん」

「あ。ごめんごめん。じゃ、さっそくヘリオくんに」

「うん!」

 サリスちゃんは元気よく返事をするとヘリオくんの腕に両手でしがみついた。

 ヘリオくんとメルを包む光がわずかに強く輝いた。これでなんとかなるといいんだけど……。

「シノよ。おぬしの想いがあの子を動かしたのじゃ」

「そんな……あたしは……」

 そんなこと、ぜんぜん思わない。サリスちゃんが力を貸してくれたのは、やっぱりあの子の優しさだと思うから。

「そして。あの無邪気な笑顔が、また人を動かすのじゃな」

「えっ――」

 振り返ると大勢の人がこっちに来ていた。

 この地下牢にこれだけの人間がいたのかと目を疑ってしまうほど。数百人近い異能者がそこにはいた。

 捕らえられていた人たちはあたしたちを囲むと目を泳がせながら口を開いた。

「俺たちも、その……異能者だから。手を貸すよ」

「私を苦しめてきたこんなものが、誰かの役に立つのなら……」

「その代わり、俺たちが異能者だってことは内緒にしておいてくれるんだろ?」

「頼むぜ、お嬢ちゃん」

 あたしはハッとなってイナさんを見ると、イナさんは大きく頷いて笑ってくれた。

 あたしは向き直ってみんなに深く頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

「善は急げじゃ。皆の者、ヘリオに触れるのじゃ!」

 何人かがヘリオくんの背中に触れる。

 ヘリオくんに触れた何人かの背中を後ろの人が触れ、その後ろの人の背中をさらにまた後ろの人が触れる。

 ヘリオくんとメルを中心に何重もの人の円が作られた。

「お、俺も……やってやる!」

「ワシもじゃ!」

 さっきまで否定していた中年の男とお爺さんまでもがその人の円の中に入っていった。

 人が増えていくその度にヘリオくんとメルを包む光がどんどん強くなっていく。

 やがて光は周りの人たちをも包み込み、心地よい温かさを漂わせていた。

 これが今まで蔑まれてきた異能者と呼ばれる人たちの持つ力なんだ。

「こんなことが、あるんですね」

「うむ。人の心が成せるもの、じゃな」

「あたしもこの中に入りたかったな……」

 同じ異能者でありながら、あたしはメルを助ける手伝いができない。それが少し歯がゆかった。

「なんじゃ。そんなことを考えておったのか?」

 イナさんはあたしの腕をとると、人だかりをかき分けて奥へ、ヘリオくんとメルのいる所へ進み始めた。

「ちょっと、イナさん! 邪魔しちゃダメですってば!」

「邪魔なものか。人の心が成せるものじゃと言ったであろう? なら、この中でメルを一番に想っておるおぬしと、二番目に想っておる私が特等席じゃ!」

 そんなむちゃくちゃなことを言いながら、とうとう円の中心であるヘリオくんとメルのところまで来てしまった。

 イナさんはメルの腕を取るとあたしに握らせた。

「……メル。きっと助かるからね?」

 小さくて柔らかな手。さっきとはまるで違う。

 その手が微かに、しかし確実に暖かみを取り戻していた。

 ――メル。お願い! 帰ってきて!!

「みんなの力を借ります。決して手を離さないで下さい」

 ヘリオくんがそう言うとその小さな体から強い光が放たれた。

 目も開けていられないくらいの光があたしたちを包み込む。

 あたしはただただメルの生還を祈った。

 何の役にも立っていないかもしれないけど、心の中で強く強く願った。

 その中で、微かにメルのまぶたが震えた。

「――――う、ん」

「メルっ!!」

 メルはゆっくりと目を開け、あたしの方を見た。

「どうなってるのね? これは、……奇跡ね?」

「奇跡か。そうかもしれぬのう」

「うん。ヘリオくんが――ああ!」

 この光の中、ヘリオくんの体だけが薄っすらと消えようとしていた。

「ヘリオくん!」

「……ごめんなさい」

 こうなることが最初から分かっていたかのように。ヘリオくんはあたしに笑いかける。

「ぼくは消えなければならない。こうしないと助けられないんだ。それくらい、ぼくには力が残されて無かった」

「そんな! せっかくみんな助かるのに!」

「いいんだ。ここにいる時、ぼくは満足に生きてなかった。これでやっと生きてるってことが実感できた気がする。それを教えてくれたのはおねえちゃんたちだから……」

 ヘリオくんの体だけでなく、その声すらも聞こえ難くなっていく。

「お姉ちゃんの心、少し覗いちゃった。目を治したい子がいたんだね。治してあげられなくてごめんね……」

「ロメリアの目を。ヘリオくんなら治すことが?」

「うん。僕と同じ原種と呼ばれる存在の人になら、きっと治すことができるはずだよ。だから諦めないで」

 異能者の原種。他者に干渉する能力。

 それがロメリアの目を治す鍵になるんだ。

 ヘリオくんはメルだけでなく、ロメリアの希望もくれたんだ。

「ありがとう、お姉ちゃん。おかげでほんの少しでも、人らしく生きることができたよ」

 より強い光とともに、ヘリオくんの体が光にとけ込むように消えていく。

「ヘリオくん!」

「……さようなら……」

 ヘリオくんは光とともに消えていった。

 あれだけの光を放っていたのが嘘のよう。

 広い地下牢は薄暗さを取り戻して、元の松明の明かりだけがこの地下牢を照らしていた。

 やがてざわめきが起こり、異能者のみんながこの結果に驚いていた。

 メルは体を起こすと目を何度も瞬かせた。

「ウチ……助かったね?」

「そうだよ。ヘリオくんやここにいるみんなが力を貸してくれたんだよ」

 メルは自分を囲んでいる人たちを一通り見回した後、嬉しそうに微笑んだ。

「みんな、ありがとうね!」

 そのメルの微笑みは本当に無邪気で、アンリミテッドとして乗り込んできたとは思えないくらい幼く見せていた。

 そうだ。メルはあたしよりももっと子どもだったんだ。

 こんな小さな子が戦わなくちゃならない。そうすることを強いられている。それがインフィニットの世界なんだ。

 今回の戦争はたくさんの犠牲を産んでしまった。

 ヘリオくんや両組織の兵士たち。

 そして西のインフィニットの王、ヴィクロス。

 西のインフィニットの崩壊がインフィニットとこの世界にどんな影響を与えるのか。

 この戦いに関わってしまった以上、あたしはそれを見届けなければならないのかもしれない。

 いつしかそう考えるようになっていた。

 

 

 それからヴィクロスの死亡と反組織の勝利が告げられ、この戦争は終焉を迎えた。

 反組織をまとめあげたアンリミテッドがこのウエストサンドを占領し、異能者狩りから逃れた異能者を受け入れる拠点とすることになった。

 もちろんウエストサンドを拠り所とする街の住人たちはそのままだ。

 インフィニット……というよりもヴィクロスが課した重たい税が無くなったことでアンリミテッドを快く受け入れていた。

 中には巻き込まれたことに反発する人もいたけれど。それは仕方が無いんだと思う。

 ただ、地下牢で長く捕らえられていた異能者たちはインフィニットの恐ろしさが渾身に染み着いていたため、普通の人間に扮して生活をはじめる者もいたけど半分以上がこの地を去っていった。

 中にはアンリミテッドの組織へ編入を志願する者もいたが、それはごくごく少数だった。

 アンリミテッドの戦いは終わっていない。

 むしろ始まったばかりか、これから激しさを増すのだろう。

 それでも今は、この勝利を分かちあうため、宴が催された。

 陽が落ちて夜を迎え、宴は益々盛り上がりを見せていた。

 あたしとイナさんはアンリミテッドに協力した戦士として迎えられた。

 あたしが砂漠のアメフラシという通り名を持っていることは一部を除いて内緒になっている。

 イナさんは少し離れた所で男たちとお酒の呑み比べをしている。そこでダウンする男たちが増える一方だった。

「ふぅむ。さすがに回ってきたかのう?」

「イナさーん! 呑みすぎ注意ですよー?」

 あたしは手を振ってイナさんに声をかけた。

 イナさんは軽く手を挙げると酒樽に親指を向ける。

「シノもどうじゃー? ここの酒は美味じゃぞー!」

「お断りしますー! ロメリアもメルもいるんですからー!」

「なんじゃつまらぬ。お、その者。私と呑み比べてみぬか?」

 ダメだこりゃ。

 見た目はぜんぜん酔っぱらっているようには見えないけど、もう既に我を忘れているみたいだ。

 ああいうところは目標にしないほうがいいのかも。

「イナさんにも困ったもんだ。ねぇ、ロメリア?」

「すー……すー……」

 ロメリアはいつの間にか眠っていた。

 すぐそばでルルも一緒になって眠っている。

 この子たちは本当に仲がいいんだから。

「このまま寝かしてあげるといいね」

「そうだね」

 こうして見るとメルの方がロメリアよりもお姉さんって感じがする。

 そういえばどっちの歳も聞いてなかったっけ。

「ねぇ、メルは何歳になるの?」

「ウチは十五歳だね」

「ええっ!? もっと若いと思ってたよ!」

「よく言われるね。これでもアンリミテッドの戦士だからね」

 するとメルはもっと前から戦っていたことになる。

 そういう貫禄が見えないのは見た目の年齢のせいだろうか。

 でも、本当に命を危険に晒してまで戦わなければならない生活をしてきたんだな。

 あたしのようなのんき者とは大違いだ。

「メルはこれからどうするの? 本当にアンリミテッドの長になっちゃうの?」

「どうしたのね、シノちゃん?」

 メルには資質がある。それはこの戦いであたしもよくわかった。

 けど、それでもまだ十五歳。

 世界を統括するインフィニットに対抗する反組織アイリミテッドの長を担うには荷が重いはず。

 こんな小さな肩にその全てを背負わせなければならない理由なんて、どこにもないと思うんだ。

「ウチの一族がずっとそうしてきたことね。ここを曲げてしまったら、これ以上の組織を動かすことができなくなるね。砂漠の一族と言われたウチらと、それに助けや協力を求める者たちの、古くから在る契りのようなものね」

「メルのお父さんが居てくれたら――あっ、ごめん!」

 あたしは慌てて撤回した。

 メルのお父さんはさっきの戦いで命を落としてしまったんだ。

 遺体はまだ見つかっていない。けど、深手を負ったという情情報もある。そして今、ここにはいない。

「気にしなくていいね」

 だからこそメルが強がっているように見えてしまうんだ。

 メルは唯一残された組織を継ぐ者だから。

「こうなることは分かっていたね。砂漠の教えに耳を貸さなかったとーちゃんのせいね。それで多くの仲間も失ったね。これもウチの責任ね」

「メル……」

 ふぅと息を吐くメル。

「――それは違うネ?」

「わあっ! びっくりした!!」

 ぬっとあたしの顔の横から顔を出したのはアンリミテッドの長、メルのお爺さんだった。

 白い髭があたしの顔にかかってこそばゆい。

「この戦いまでアンリミテッドの長はこのワシだネ。あやつの動向に気づけなかったのもワシだネ。メルに責任はないネ」

「じーちゃん……」

「その代わり、これからはお前がアンリミテッドの長として生きていくネ。それが砂漠の一族の宿命ネ」

「やっぱり。メルが長にならないとダメなの?」

 メルのお爺さんはあたしの言葉に頷くと、目を反らして髭を掻いた。

「ワシもそろそろ歳だからネ」

「そんなこと言わないでくださいよ〜。おじいさん、まだまだ元気そうですよ?」

「シノちゃん」

 メルはあたしの袖を引っ張ると首を振って見せた。

「じーちゃんはこう見えて百歳を越す老体ね。いついなくなってもおかしくないね」

「ひゃ、百歳オーバー?!」

 これは驚いた。見た目はいかにもおじいさんという感じだけど、とても百歳を超えるようには見えない。

 服の下から見える筋肉も年齢を感じさせないし。ひょっとしてメルはひ孫だったのかな?

「それに、砂漠からもそんな声を聞いているんじゃないのね? じーちゃんは砂漠の記憶を観る異能者だからね」

「フム。長く砂漠の砂たちと戯れておったからネ。近いうちにワシは大きく失う時が来る、そんな光景を砂漠から見たネ」

 メルのお爺さんに初めて会ったとき、あたしのことをすぐに砂漠のアメフラシだと言い当てた。

 あれは砂漠の記憶を見ていたからだったんだ。

 メルは砂漠の声を聴き、おじいさんは砂漠の記憶を観る。

 まるで砂漠に愛されているみたいだ。この一族は。

 だからメルたちは砂漠の意志を尊重しているのだろう。

 砂漠を常に身近においているのかもしれない。異能の力で砂漠と干渉していることも含めて。

「その力を、恨んだりしたことないですか?」

「恨み、ネ……。無いとは言い切れないネ。でもネ。ワシの死を知らせたのは無情ではないネ。おかげで後継者を選ぶ猶予を得たネ。それが砂漠の神の意思なのかもしれないネ」

 砂漠の神、か。そんな風に考えているんだ。こんな砂漠を憎む人の方が圧倒的に多いこの世界で。

 砂漠の神様は、砂漠のアメフラシを必要としていない。

 この大地のほとんどを埋め尽くしている砂漠のすべてが、まるであたしを否定しているみたい。

 それはちょっと、自信無くしちゃうかも……。

「シノちゃん?」

「ん?」

「ウチはシノちゃんが好きね。アンリミテッドの長である前にメルセレス=シュトラーセとしてね」

「ありがとう、メル」

 砂漠のアメフラシ。それは人があたしに付けた通り名だ。

 あたし自身はその名に縛られているわけじゃない。

 それにメルは友達だと言ってくれた。

 あたしもメルのことは数少ない友達だと思っているから。

 ルルも、ロメリアも、そしてイナさんのことも。

「さぁアンタも呑むネ。主役がそんな顔してちゃダメだネ!」

 メルのお爺さんにジョッキで飲み物を渡されると香しい甘い匂いが鼻に強くついた。

 これはダンベルギアの宿屋のおじさんにもらったものに似ているかもしれない。

 軽く口にするとそれだけで体が熱くなり、もわっとした気分になった。

「これ……お酒だよね?」

「固いことは言いっこ無しね!」

 メルもあたしと同じものを手にする。が、横からお爺さんの手が伸びてそれを奪い取った。

「あー! ウチのお酒〜!」

「何がおまえの酒ネ! おまえにはまだ早いネ!」

「えぇ〜! シノちゃんだけズルイね! ウチもう、アンリミテッドの長ね!」

「長でも体は子どもネ! このツルペタ娘め!」

 それはメルの体系のことも含めているのだろう。それを言われるとあたしも悲しくなってくるなぁ……。

 おじいさんはメルから奪い取ったお酒をこれでもかというくらい美味しそうに飲んで見せた。これは絶対わざとだな。

「それにしても。イナさんはよくあそこまで飲めるよねぇ。どんな体してるんだろ?」

 イナさんの方へ目をやると、そこには酔いつぶれた男たちが空の酒樽の前で倒れているだけだった。

 そこにイナさんの姿は無い。

 まだ呑み足りなくてどこかに行ってしまったのかな?

「どこに行ったんだろう? メルは知らない?」

 あたしにカクンと首を傾げるメル。

「シノちゃんは誰を探しているね?」

「イナさんだよ。イナさん」

 ぐるりと辺りを見渡すメル。

 しかしメルも見つけられなかったのか。あたしの方に向き直り、また首を傾げてみせる。

「イナさん、ね?」

「うん。イナさんだよ」

「その人はシノちゃんの仲間ね?」

「――え?」

 メルは本当に何も知らないような顔でそう言った。

 そんな、さっきまで一緒にいたのに。

 アンリミテッドと共に一緒に戦ったはずなのに……。

「じーちゃんは知らないね?」

「ワシはまだ見ておらんネ」

「二人とも何を言ってるのさ? イナさんだよ? 大きな剣を背負ってて、長い髪の……」

「わからんネ。美女なら覚えているはずネ」

「美女だよ美女!」

「おかしいネ〜。それなら絶対覚えている自信あるネ」

「ウチらの協力者なのね? シノちゃんの友達なら早く探してあげたほうがいいね!」

 あたしを見るメルとお爺さん。その顔は冗談とか言っているような顔じゃない。

 本当に知らないという顔だ。

 そんなはずない。二人はイナさんと会っているはずなのに。

「メル! あたしとイナさんと、ウエストサンド宮殿で一緒に戦ったじゃない! ヴィクロスを相手に! あたしたちのピンチにちゃんと駆けつけてくれたじゃない!」

 イナさんはいつもそうだ。あたしのピンチにはちゃんと駆けつけてくれる。守ってくれていたんだ。

「ねぇメル! 思い出してよ!」

「うぅ〜ん……」

 メルの肩を掴んで必死に訴えるも、やはりメルの反応は変わらない。

 あたしの言葉が理解できないという顔だ。

「宮殿にはシノちゃんと二人で乗り込んだはずね。他に誰もいなかったのね」

「そんな?! イナさんだよ? あれだけ戦って、この戦争を勝利に導いたのは紛れもないイナさんの功績だよ!」

「シノちゃん、大丈夫ね? もしかしてお酒を呑みすぎたね?」

 心配そうにあたしを見るメルの目に嘘やからかいは一切無い。本当にあたしを心配している目だ。

「……二人とも、覚えていないなんて……そんなこと……」

 イナさんはあの戦場のど真ん中をたった一人で突き進み、宮殿の大門を一撃で斬り倒し、向かってくる敵をことごとく薙ぎ払っていったんだ。

 敵の異能者も倒したし、ヴィクロス相手にも剣を振るっていた。メルもそれを見ていたはず。

 この戦争の中で誰の目にもその活躍が映っていたはずなのに。

 メルのお父さんもイナさんの勇姿を見てこの戦争を始めたはずだったのに……。

 それをメルは覚えていない。

 あんなにそばで、一緒に戦っていたはずなのに…………。

「シノちゃんは今日、誰よりも活躍してから疲れているのかもしれないね」

 ――違う。誰よりも活躍したのはイナさんだ!

 どうしてメルは覚えていないの?

 メルのお爺さんも、どうして??

「ルルルルゥ〜」

 ぴょんとあたしの膝に乗るルル。

 あたしを見上げると大きなあくびをする。

 ――ルルはどうなんだろう? やっぱりルルもイナさんのこと、忘れてしまったんだろうか。

「ねぇ。ルルもイナさんのこと、忘れちゃったの?」

「ルーッ!」

「あっ、ルル! どこに行くの?!」

 急に走り出すルル。あたしはその後を追って走った。

 ひょっとしてイナさんの所へ向かっているのかもしれない。

 ルルもイナさんの顔を見ているから。

 イナさんの……イナさん、の――――ダメだ! あたしもイナさんの顔、思い出せない!!

「そんなの嫌だ! 嫌だよ! 思い出せ! 思い出せ〜!」

 あたしは両手でガツンガツンと頭を叩いた。けど、ぼんやりとした輪郭しか思い出せない。

 あたしまでイナさんのことを忘れようとしているなんて。そんなの酷すぎるよ! イナさんはあたしの大事な人なのに!

「ルッ、ルルルーッ!」

 ルルが大きなテントの裏手に回り込んだ所で、その向こうに淡い光が見えてきた。

 円形のテントの外を回るように走り続けると、その先にイナさんの声を聞いた。

 

「よしよし。ルルよ、おぬしは勘が鋭いのう」

「ルルルルルゥ〜♪」

 

 その声を聞いた途端にあたしは涙がこぼれてしまった。

「イナさぁーん!!」

 その姿を目の当たりにして、あたしはイナさんだと確信した。

 さっきまで顔も分からなくなっていたのに。この人がイナさんだと分かる。

 淡い光はイナさんの左肩にある紅い宝玉から出ているようだ。その光がイナさんを包んでいる。

 その光が特別過ぎて、これからどうなるのかすぐに分かってしまった。

 ――イナさんがいなくなろうとしている!

「イナさぁん!」

 あたしはイナさんの胸に飛び込むと必死にしがみついた。

 まるで子どものように泣きじゃくりながら。

 決して離さないように力一杯抱きしめた。

「これこれ。泣くやつがおるか」

「だって……だってぇ〜!」

 イナさんがこの世界から居なくなろうとしている。そう分かって泣かずになんていられない。

 あたしは今になって思い出していた。

 以前、イナさんがあたしの前から姿を消してから、ダンベルギアで会うまでの間。

 あたしは完全にイナさんのことを忘れていたんだ。あたしにとってとても大切な人なのに……あたしは忘れていた。

 そして今も、同じように忘れようとしていたんだ。

「イナさん! イナさぁん〜!」

「よしよし。困った子じゃのう、シノは」

 そう言いながらイナさんはあたしの頭を優しく撫でてくれた。その優しさが余計に寂しさをかき立てる。

 イナさんはこの世界の人間ではないと、以前に言っていた。

 前はフラッと姿を消していなくなってしまったけど、今こうしているとそれが本当のことだと分かる。

 イナさんはこの世界から消える。

 あたしの大切な人が行ってしまう。

 そしてまた忘れてしまうんだ。イナさんのことを……。

「イナさん……イナさん……」

「私はここじゃ。ここにおる。大丈夫じゃ。こうしておぬしのそばにおる……」

 何度も名前を呼ぶあたしに、イナさんは何度も返事をしてくれた。

 イナさんはこの世界で何度も何度も名乗りを上げていた。

 何度も何度も……きっと他の世界でもそうなんだろう。

 いろんな世界で名乗りを上げて、幾多の戦場で勇猛果敢に剣を振り続ける。

 そしてたくさんの人を守ってきたんだ。

 ――でも、最後にはその名も、その活躍も、誰も覚えていないんだ。このぬくもりすらも……。

 そんなの孤独すぎる。寂しすぎるよ……!

「シノよ。再びまみえた時、おぬしが私のことを覚えてくれたこと。私は凄く嬉しかったぞ」

「違うんです! あたしはイナさんに会うまで、ちっとも覚えていなくて……!」

「それでもよい。また同じ世界で同じ人間に会うても、私のことを覚えている者はいなかった。ここが本当に以前訪れた世界なのかと考えてしまうほどにのう。しかし、おぬしは思い出してくれた。これほどの喜びは無いのじゃぞ?」

「でも、……でも!」

 またこの世界を去ってしまったらどうなるかなんて分からない。あたしが覚えている保証なんてどこにもない。

 次にイナさんと再会した時。もしあたしが覚えていないと知ったら、イナさんはどう思うだろうか。どんな顔をするだろうか。その心をどれだけ苦しめてしまうだろうか。

「イナさん! 行かないでください! ずっとこの世界に居てください!」

 あたしはそんなことを口にしていた。あたしの本心だけど、もしかしたら一番言ってはいけない言葉だったのかもしれない。

 イナさんとの別れを余計に悲しいものにしてしまうから……。

「ふぅむ。今のセリフ……私が男だったら胸キュン間違いなしじゃったな」

「こんな時にふざけないでください!」

「ハハ、すまぬすまぬ」

 イナさんは困ったように笑うとあたしの頭をまた撫でた。

「おぬしは優しいのう」

「そんなことないです!」

「そんなことない、ことはないぞ?」

「違うんです。イナさんがいなくなったり、忘れちゃったりしたら……、あたしが嫌なんです! あたしが寂しいから言っているんです! 全部、あたしのことなんです!」

「シノ……」

「イナさんを行かせたくないんです! 孤独にさせて、行かせたくないんです! そんなことさせてしまったら、きっと耐えられない! あたしが耐えられない! だから……この世界にいてください!」

「そうか……。そうじゃのう……」

 あたしの言ってることはもうメチャクチャだ。でも、どれもこれも本心だ。

 イナさんがいなくなると思うだけで心が苦しい。頭の中がぐちゃぐちゃにされて、胸が張り裂けそうで……。いや、もっとだ。もっともっと、あたしは苦しい。苦し過ぎる!

「ありがとうシノ。そんなに泣かせてしまってすまないのう。おぬしにそれだけ慕われておるのじゃ、それだけで私は救われておるぞ」

「ひっぐっ……うぐっ……イナさぁん……」

「よしよし。やはりおぬしは優しいのう」

「うううぅ〜……」

 それでもイナさんから『行かない』という言葉はでない。

 分かっていることだけど。別れは必ず訪れてしまうのだとわかっていることだけど……。

 やっぱりあたしは、イナさんと別れたくない。

 勝手に泣いて、わがまま言って……ホントにこどもだ。これじゃイナさんのように成れるはずないよ……。

「しかしな? 私は孤独などと思ったことは無いのじゃぞ?」

「……そう、……なんですか?」

 イナさんの顔を見上げる。

 あたしと顔を合わせるとイナさんは微笑んでみせた。

「両親から貰ったこの体。師から受け継いだ鬼神の名と斬巌刀。そして旅の中で出会った者たち。その全てが今の私を作っている。無論、いい事ばかり、いい出会いばかりとは言わぬが……それですら今の私を作りあげているのじゃ。何一つ欠けてはならぬもの。それはおぬしもそうなのじゃぞ、シノ?」

「あたしも……?」

「そうじゃぞ。だから私はこの心と体をくれたすべてを愛している。何よりも大きく誇りに思っている。すべての出会いと経験、それらに心から感謝しておるのじゃ。分かるな?」

 そう言って笑うイナさんはとても勇ましく、そして何よりも美しかった。

 イナさんはいつもそうだ。

 悠然としていて。誰よりも強い。強い心を持っている。

 それはイナさんの言うようにこれまでのことを大事にしているから。自分に関わってきた人も物も、そのすべてを愛せるだけの器量を持っているからだった。

 こんなイナさんだから、あたしはずっとずっと、誰よりも強く憧れていたんだ。

「イナさんは強いですね。剣だけじゃなくて、心の方も……」

「うむ。それは母親譲りじゃからのう。ちょっとやそっとじゃ折れぬ心じゃぞ?」

 イナさんの強さ。その心。その何もかもがそこに詰まっていて、その存在として現れている気がする。

 あたしが慕い、目指した人は、こんなにも、こんなにも素晴らしい人だったんだ。

 その想いは前よりも強く、より強くなっていた。

「あたしはイナさんのような人に成りたい。どんな時でも強くて優しくて、笑っていられるような人になりたい」

 ずっとそうだった。

 この世界であたしの心の拠り所にしていたのはイナさんへの想い、憧れ、絆……。

 それをまた無くしてしまうなんて、やっぱり考えたくない。

「また泣きそう……」

「やれやれ。困ったシノじゃのう」

「だってぇ〜……」

「よいか? おぬしは今でも充分に優しい。このような世界を潤すことができるのは、きっとおぬしのような心じゃろうな。そしてそれが、おぬしの強さとなるはずじゃ」

「でも、でも! あたしはイナさんのようになりたいんです! イナさんのように、ずっとそう思ってて――――あっ!」

 イナさんはあたしの頭を撫でる手を止めると、あたしの頭の上で結んでいる髪の紐をゆっくり解いた。

「フフッ。馬鹿じゃのう」

 その紐をあたしの右手に握らせると、イナさんはこつんとあたしの額を小突いた。

「人と違ったっていい。……あの時、おぬしはそう言ったであろう? 私もそう思うぞ?」

 あたしは右手に視線を落とすと、手の中の紐を見た。

 これをしているとイナさんのようになれるような気がしていた。イナさんが居なくなってからもずっとしていた。

 これはあたしの誓いに等しいものだった。

「おぬしはおぬしで在れ、シノ」

「……あたしは、あたしに……?」

「うむ。おぬしはおぬし。私では無かろう? だからもう、私を追う必要は無いのじゃぞ?」

「そんな……でも、あたしは……」

 イナさんはそう言うけど、イナさんを目指しているあたしも、本当のあたし。

 そこに偽りなど何一つない。これまでずっとそうしてきたことだから。

「うっかり屋で悩みも多いおぬしじゃが、人や動物に優しいのもおぬしじゃ。ルルもシノが好きじゃろう?」

「ルルゥ〜♪」

 足下でじっとしていたルルが声を上げる。

 あたしのために事の成り行きを見守っていたのかもしれない。

「ほらのう?」

「へへっ。ありがとう、ルル」

 いつの間にか空が明るくなっていることに気がついた。

 じきに夜が明けようとしているんだ。

 それに呼応するかのように、あたしの心も少し明るくなったみたいだった。

 あたしの肩に手を置くイナさん。

 いつの間にかイナさんの肩の宝玉から放たれる光が強くなっていた。

「シノよ、笑え。もっと笑うのじゃ。おぬしにも愛する者たちがたくさんいよう?」

 次第に近づく別れの気配。

 でも、あたしは止め処なく流れる涙を拭い、イナさんの言うように笑ってみせた。

「ハイッ! ヘヘヘ……」

「うむ! それでこそシノじゃ。フフフッ」

 イナさんも笑った。本当に嬉しそうに、楽しそうに笑った。

 それを見てあたしは嬉しくなってもっともっと笑った。

 イナさんが笑えばあたしも嬉しい。イナさんもそうなのだと分かる。

 だから二人でたくさん笑いあった。

 それだけであたしたちは満たされていた。

 日の出から射す暁の光とイナさんを包む紅い光が交わり、あたしとイナさんを照らした。

「イナさん!」

「うむ?」

「絶対に忘れませんよ! イナさんのこと。あたし……ずっとずっと覚えていますからね!」

 イナさんは目を丸くしてあたしを見た。

 それでもあたしは本気だった。

「フッ、そうか……」

 眩しい光がイナさんを包んだ。

「シノよ……また会おう!」

 その微笑みを残して、イナさんは光の中に消えていった。

 紅い紅い、暁の光と共に……。

 その光がゆっくりと辺りを照らし始めると、あたしの心の中まで真っ白にしていった気がした。

 清々しい風があたしの頬を撫でる。

 頬に手を当てると、わずかな雫が指を伝った。

「……あれ? 雨が……降ったのかな?」

 空を見上げてみるものの、雲一つない晴天だった。

 ――なぜだろう? なんで頬が濡れてるのかな?

 また頬に触れた所で、右手に何かを持っていることに気が付いた。

「あれ……紐だ」

 ――どうして握っていたんだろう?

 考えても考えても思い出せない。

 ただ、どういうわけかあたしの心は満たされていた。この上なく潤っていた。

 その理由も思い出せないのに……変なの。

「ルッ! ルルッ!」

「あれ? そこに居たんだ、ルル?」

 ルルはあたしの足から肩へと飛び移ると、そのざらっとした舌であたしの頬を舐めた。

「ぎゃふっ! どうしたのさ?」

「ル〜ッ!」

 今度はその堅い皮膚で頬ずりをしてきた。

 なんだかよく分からないけど、機嫌はいいみたいだね。

 

「シノおねえちゃーん!」

 

 ロメリアの声がする。と思ったらメルの声も聞こえてきた。

「シノちゃーん! どこねー!?」

 二人があたしを探している。

 今になってここはキャンプから少し外れたテントの裏手だと気づいた。

 ――あたしはこんな所でなにをしていたんだろう……?

 考えても考えても思い出せない。

 なんだかよく分からないけど、……二人が呼んでいるなら行かなくっちゃ!

「行こうか、ルル?」

「ルルッ!」

 肩にルルを乗せたまま。

 二人の声がする方へ走り出すあたし。

「――あ」

 あたしは立ち止まると、手の中にある紐に視線を落とした。

 そしてその紐を無造作に頭の上に持っていく。

 いつものように。それが当然のように。

「……これでよし、っと♪」

 あたしは再び走り出した。

 ずぶずぶと砂漠に足を取られながら。

 その都度、頭の上で結んだ髪が揺れているのが分かる。

 それがなぜか嬉しくて、あたしは笑ってしまった。

 また髪を伸ばそう。今度はうっかり斬らないように。

 そしたら近づけるかもしれない。

 あたしの大好きな……大切なあの人に――――。

 

 

 

 

 

EP1‐4 砂漠の異邦人-Étranger-・完

 

 


 

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