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Water Sprouts

 

 

EP1‐4 砂漠の異邦人-Étranger-

 

 

 扉を開けると、その先は下へと続く階段だった。

 それを一気に駆け降りるとそこは薄暗く、かなり広い通路に出た。その広さは通路と呼んでいいのか迷うくらいだ。

 通路の両側には鉄格子でできた牢屋が奥までずっと続いている。

 ここは地下牢。

 牢屋の中はさっきの異能者たちと同じように頭から布を被り、全身を覆い隠した人間がたくさん捕らえられていた。

 老いも若きも。男も女も。

 牢一つにつき五人から六人。その割に牢の中が広い。

 一箇所に固まって寄り添っているせいか。人数に対して牢が大きく感じる。

 彼らはあたしたちが駆け込んでくるのを見るや否や、怯えるように体を震わせてこちらを警戒している。

「シノちゃん。ここにいるのは……」

「間違いなく捕らえられた異能者たちだろうね」

 あたしには異能者か否かの判別はできない。

 けど、さっきの異能者と同じ格好をさせられているし、西のインフィニットは異能者狩りでたくさんの異能者たちを捕らえていると聞く。

 この現状を見ればここにいるのが捕らえられた異能者たちだと分かる。

 すぐに助けてあげたいけど。今はヴィクロスを追わなければならない。

「ねぇシノちゃん。どうしてイナちゃんを一人にしたのね?」

 長い地下牢を走りながら、唐突に尋ねるメル。

 そっか。さっきは何の説明もしないでメルを引っ張ってしまったんだった。

「さっきの異能者、イナちゃんのとーちゃんに化けたね。自分の父親を相手にするなんて辛いはずね」

「ん〜、あたしは逆だと思うなぁ。いつか言ってたんだ。イナさんの剣は父親を超えるためにあるって。だから戦いたかったんだと思うよ。一対一でね」

 イナさんの口ぶりだとお父さんのことをひどく嫌っているように聞こえる。

 けど、さっきのイナさんを見ているとそんな風には見えなかった。なんていうか……あたしにはとても測りきれないや。

 イナさんには複雑な家庭事情があるんだろう。あまり身の上話をしてくれないのもあるけど。

「それにさ。あたしらじゃ役不足だったんじゃない?」

「ムッ! そんなのやってみないと分からないね!」

「ん〜そうかなぁ?」

 やってみないと分からない、か。そういう所はメルらしい。

 あたしなんて格上相手に命を懸ける度胸がないや。あれだけの戦いを見せられてしまったこともある。

 以前はベゼルにも恐怖を感じていたけど、今じゃなにくそっていう対抗心の方が強いや。

 もしさっきの異能者があたしの心を読み取っていたなら、きっとベゼルに姿を変えていただろう。

 イナさんはイナさんの思う強敵と戦っているんだ。

 あたしたちも頑張らなくっちゃ!

「見つけたね! ヴィクロスがいるね!」

 通路の先を指差すメル。

 その突き当たりには大きな扉の輪郭が見える。

 そこにヴィクロスの姿があった。

 わずかに開いた大きな扉。そこから外に逃亡しようとしていたのだろうか?

「もう逃げられないね!」

 ヴィクロスは体ごとゆっくり振り返ると、けたたましい声で怒鳴り散らした。

「フンッ! 時間稼ぎもできないのかあの馬鹿者が! 少しばかり使えるから置いてやったものを! 兵たちもだ! ゾンビになっても使えん無能! 無能者! 異能にも劣るわっ!」

 自分以外の人間を罵るその姿にあたしは呆れてしまった。

 ヴィクロスにはもう味方はいない。

 あたしたち二人を相手にする戦いの技量も持ち合わせていないはずだ。

 それなのにヴィクロスは今も尚、強気にあたしたちを睨み付けている。

「観念するね! 西のインフィニットはこれでお終いね!」

「フハッ! 世迷言を抜かしおるわ。ウフフフハハハハハ! 面白い! オモシロイ! ハハハハハハッ!」

 狂ったように笑いだすヴィクロスにあたしは不気味なものを感じていた。

 笑いそのものも不気味ではあるけど……。何よりもこの余裕。

まだ何か手札があるのだろうか。

「何がおかしいね?!」

「これを笑わずにいられるか! この私自らが戦う出番が回ってきたのだぞ! 実に苛立たしい! だが同時に圧倒的な力の前に打ち倒れるお前たちが見られる! これは楽しい! 楽しいではないか! その力が私にあるのだあ!」

 どこにそんな自信があるんだろう。

 現状は二対一。体の作りからしてもヴィクロスは鍛えていない。一対一で戦ったとしても結果は目に見えている。

 それなのにあの自信だ。口ぶりからこれまでにも戦いというものをしてきたようだ。

 なぜあそこまで大きく出ることができるんだろう。

 なぜこれまで戦って勝つことができたのか。異能者ではないヴィクロスなら尚更に疑問だ。

 あたしは逆に違和感を覚える。

 ヴィクロスのその言葉、その自信の根拠。

 インフィニットを統べる者の一人である以上、こういうことはこれまでにもあったはずだ。

 今回のインフィニットとアンリミテッドを含む反組織の戦争を見てもそうだ。

 戦力が均衡していれば、今回のように攻め入られることもあっただろう。

 でも、なぜここのウエストサンド宮殿が一度も反組織に奪われることなく維持してこれたのか……。

 ヴィクロスは何かを隠している。それは間違いなさそうだ。

「お前に圧倒的な力なんて無いね! 部下も居なければお前自身も異能者じゃないね!」

「いぃのぉしゃあぁ? 異能者と言ったのかこのバカ娘が! そんな欠陥品など何の役に立つというのだ! よくも私をそんなものと同列に見おったなぁ〜?!」

 ヴィクロスは恨めしそうな顔でメルを睨み付けた。

 異能者そのものに嫌悪感を抱いているのだろうか。

 それならなぜ、ここにはこんなたくさんの異能者たちが捕らえられているんだろう?

 ふと右の牢にいる捕らえられた異能者たちに目をやった。

 牢の中では全員が身を寄せ合い、怯えるような目であたしを見ていた。

 何かしら酷い仕打ちをされてきたのが分かる。異能者というだけで……。

「貴様ら異能者のクセに気が付かなかったのか? この宮殿には異能者がいる。が、ただの異能者ではないということを!」

 ヴィクロスの言葉を聞いてメルはあたしの方を振り返った。

 あたしはメルを見て頷く。

「やっぱり。同じ能力を持つ異能者がいるんだね。あれだけの数のゾンビ兵を一人で操るなんて無理だから」

「それにイナちゃんが戦っている異能者は能力を二つ以上持っていたね。二つ以上の能力を持つ異能者なんて、これまで聞いたことが無いね」

 異能者は他の異能者と同じ能力は持ち得ない。

 使える異能の力は異能者一人につき一つだけ。

 誰が調べたかは分からないけど、それが通説となっている。

 だから、あたしのような水を操る能力は他者から見れば本当に貴重な能力なんだと思う。

 それなのに、この宮殿の兵士は死者を操る能力を持つ者が大勢いた。さっきの敵の異能者もそうだ。

 これは明らかにおかしいことだ。

「捕らえられている異能者の力で何かしたのね?!」

「フン! 欠陥品に何ができる? ここにいる異能者どもは自分以外の者へ干渉する能力を持っているから生かしてやっているだけだ!」

「干渉する能力……?」

 異能者、異能の力と言われ続けてきた中で始めて耳にする言葉だった。

 とんでもない数のゾンビ兵たち。

 異能の力を持つインフィニットの兵士。

 自分以外の者へ干渉する能力。

「――まさか?! 人工的に異能者を作っているの? 力を分け与えている?」

「どういうことね?」

「異能者の力を使って、インフィニットの兵士を異能者にしているんじゃないかってことだよ。死んだ兵をゾンビ兵として蘇らせる能力を大量の兵士に使わせているってこと!」

 死んだ人間をゾンビ兵とする。その能力を持つ者が何人もいれば兵力は人数以上のものになる。

 それがもしそうだとしたら……とんでもない話だ。

 普通なら考えも付かないことだけど、やっぱりそれ以外に考えられない。

「そうだ! それが干渉する能力だ!」

 イナさんの相手をしている異能者は二つ以上の能力を使っていた。元ある能力に他の能力を足したんだ。

 恐らく相手の思う強者へ姿を変える能力が最初からあったものだろう。それくらいの能力が無ければヴィクロスがそばに置くはずがない。

「ここにいる異能者たちにも能力を与えて手駒にしようとしていたのね!」

「与えられる能力の数には限りがある。それに異能者同士の方が干渉しやすい。元から能力を持つ異能者に能力を与えてやれば強力な異能者が生まれる! どうだ? 欠陥品にも使い道があるだろう? これだけのことを思いついたのは私のみ! 私こそが天才なのだ!」

 まるで酔いしれているように語るヴィクロス。

 そうか。だからこの地方の異能者は殺されずに捕らえられているんだ。

 ヴィクロスはそれだけ、インフィニットの命令に背いてまでに力を欲している。

 けど、能力を与える異能者がいるとして、これだけの数の人間に能力を与えることができるだろうか。

「欠陥品も寄せ集めれば戦力となる。忠誠心など干渉する能力でどうにでもなるのでな。私はインフィニット史上最高の軍団を作る! そして私はインフィニットを――――」

 自らの口を両手で塞ぐヴィクロス。

 おかげでその目的が分かってしまった。

 野望を語ることに酔いしれていたのだろう。もともとよく喋る性格も災いしている。

「なるほど。西のインフィニットの王、ヴィクロスはその軍団でインフィニットそのものを乗っ取ろうとしているわけだね。これがインフィニットの本部に知れたらまずいんじゃない?」

 あたしに向かって薄気味悪い顔で笑うヴィクロス。

「どうせお前たちは死ぬ! 関係のないことだ!」

「そうね。ウチらには関係ないね! どうせ西のインフィニットは今日で滅ぶね!」

 メルはきっぱりと言い放つとヴィクロスを指差した。

 それが癇に障るのか、ヴィクロスはメルを怒鳴りつけた。

「うつけが! まだ分からんのか! 干渉する能力を持つ者、異能者の原種と呼ばれる者を私は手に入れたのだ!」

「原種?」

 ヴィクロスはわずかに開いた扉の隙間に手を入れると、小さな男の子を引っ張り出した。

 ロメリアと同じくらいの歳の頃だろうか。

 男の子は不安げな面持ちでヴィクロスを見つめている。

「ヘリオ! お前の力が必要になった。父のために力を使え!」

「ち、父ぃ?! 子どもがいたの?! そんな性格で?!」

「うるさいわっ! 馬鹿者めが!」

 自分の子どもをこんな地下牢の奥に閉じ込めておくなんて。ヴィクロスに子どもがいることも驚きだ。

 ヘリオと呼ばれる少年とヴィクロスの顔は全然似ていない。

 さっき手に入れた原種というのがこの子なら、血の繋がりは無いのだろう。

 彼もまた、都合のいいように利用されているんだ。

「いいなヘリオ? 返事をしろ! ヘリオ!」

「う、うん……」

 ヘリオと呼ばれる少年はこくりと頷く。緑色の長い前髪が揺れる。

 しかしヴィクロスが話していた原種という言葉とこの子がどう繋がるのかが分からない。

 見た目ではあたしたちと何ら変わりない姿をしている。まぁ、異能者も見た目じゃ普通の人と変わりないんだけどね。

「これで無敵! 無敵だ! ウフハハハハハッ!」

 こんなところに幽閉してまともな扱いを受けていないはず。

 それなのになぜあの子はヴィクロスの言葉に従うんだろう。

 ヘリオくんがヴィクロスに従う理由がまったく分からない。

 その野望に協力したいという感じはしないし……。

「どうしよう。ロメリアくらいの子に刀を向けるなんてとてもできそうにないよ」

「邪魔をするなら戦うまでね。ヴィクロスに協力するならインフィニットの人間ね!」

 メルは戦うつもりだ。反組織アンリミテッドの人間として、それは当然の選択かもしれない。

 でも、やっぱりあたしにはあんな小さな子を斬るなんてできそうもない。戦うならヴィクロス一人だけにしたい。

「さぁやれ! あの時のように、私に力を与えるのだ!」

 ヘリオくんが小さく頷くとヴィクロスに手をかざした。

 するとすぐに変化が見られた。

「き、き、キタ! キタキター!」

 ヴィクロスは体を大きく仰け反らせた。

「う、ウッ、オ……オオォ〜!」

 その姿が次第に変貌する。

 ヴィクロスの肌が緑色に変化し、身体は服を突き破って膨れ上がっていく。

 身体のいたる所から植物のツルのようなウネウネした触手が生え始める。

 触手はヘリオくんに絡みつくと膨れ上がるヴィクロスの身体の中へ飲み込まれていった。

 その両足までもがガッチリと地面に根を下ろしてしまった。

 もはやどこから見ても植物そのもの。ヴィクロスは一本の巨大な木になったようだった。

「ウハハハハハッ! どうダ? この身体はどこまでも大きくなるゾ! 私は無敵ダ!!」

「き、気持ち悪いね!」

「同感。性格が形になってるみたい」

 姿を変えることそのものはヘリオくんの力として、あのカタチになったのはヴィクロスという人間を表しているかのようだ。

 植物の身体からウネウネと触手が生えてくるその姿は不快感かつ不気味だ。ネチっこい性格なんだろうなぁ。

「この力がまだ分からぬカッ! 馬鹿者めガ!」

 ヴィクロスの体から伸びる無数の触手。その何本かがメルに向かって伸びる。

 どれだけの威力か分からないけど、締め上げられたりヘリオくんのように飲み込まれたりする可能性もある。

 なにより、あれだけ啖呵を切った能力だ。油断はできない。

 あたしは急いで刀を抜くと、メルの前に立った。

 向かってくる触手に水御華を掲げる。

「ハァアアア!」

 水御華を振り下ろすと、容易く両断することができた。

 地面に落ちた触手はウネウネとのたうつ。これはホントに気持ちが悪い。

「馬鹿めガァ!」

 両断した触手の断面から瞬く間に触手が生え揃う。

 新たな触手はメルの足に絡みつくとメルを宙吊りにした。

「あわわっ!」

「このっ! メルを離せ!」

 触手を斬ろうと刀を振るうも、足元から別の触手が飛び出し、あたしの進行を遮る。

「取ったゾ! アンリミテッドを束ねる一族の娘ヲ!」

「くっ! 最初から分かっていたね!」

 ヴィクロスの狙いは初めからメルだったんだ。

 反組織アンリミテッドの長の血族であるメルを人質にして、この戦争を終わらせるつもりか?!

「動くナ!」

「くっ……」

「シノちゃん! ウチに構わずヴィクロスを倒すね!」

「うるさイ!」

 メルが必死にもがくものの、触手はメルの足だけでなく体中にまで巻きついてしまった。

 あたしは刀の刃を下に向けて床に突き刺した。

「よぉーシ! 妙な動きをしたらこいつの命は無いゾ! 人質は小娘一人で十分ダ。お前には死んでもらウ!」

 ヴィクロスの足元からあたしに向かって床が裂けて行く。

 それがあたしの足元までくると裂け目から無数の触手が飛び出し、天井近くまで勢いよく伸びる。

「シノちゃん!」

 天井近くまで伸びた触手は向きを変えてそのままあたしに向かって落ちてくる。

 あたしは床に突き立てた水御華を掴んだ。

「ハァアアアア!」

 

 ズッ――、ブシューッ!

 

 床に向かって更に水御華を押し込むと、その切れ目から大量の水が噴き出す。

 上から降り注ぐ触手を水圧で押し留めた。

 水御華の力を信じていればこれくらいできるんだ!

「今だ!」

 水御華を床から引き抜き、その刃で上空の触手を両断!

 そこからメルに向かって水御華を縦に振り下ろし、水の刃を生み出した。

 水の刃はメルに巻き付く触手を断つ。

「メル! こっちに!」

 自由を取り戻したメルはすぐにあたしのそばへ。

 両断された触手は断面から新しい触手を生やした。

 触手はさっきよりも更に数を増やしている。時間をかければそれだけ不利だ。

「やっぱりヴィクロス本体を叩くしかないね!」

 触手をいくら相手にしていてもキリがない。ヴィクロス本体を攻撃しないと!

 ヴィクロスは一旦、触手を自分の体に戻した。

 そしてあたしに卑しく笑いかける。

「フッ、フフフフッ! そうカ! お前は水を生む異能者カ! これはいいゾ。その力は砂漠の世界において貴重ダ。何よりこの姿と相性がいイ。貴様がいればこの体は無敵ダ!」

「誰がお前なんかに協力するもんか!」

 相性がいいと言われて鳥肌が立ってきた。

 誰があんなやつなんかのために!

「お前の意志などヘリオの力を持ってすればどうにでもなることダ。意識を飛ばシ、思うままに操ってくれル!」

「そんなことさせない! この刃と水がお前とインフィニットを断ってみせる!」

「私を断つだと? それは無理だナ。原種の力はこんなものではなイ!」

 ヴィクロスの緑の体がまたも変色する。

 その体から伸びる触手や根は塵となって消滅し、今度は皮膚が岩のように角ばり、体も石のような色に変色した。

 植物の体から今度は岩石に姿を変えたんだ。しかもさっきより一回りも二回りも大きくなっている。

 これが干渉する能力、原種と呼ばれるヘリオくんの力。

 ヴィクロスによって取り込まれたヘリオくんは依然として姿を見せない。未だヴィクロスの体に同化しているのだろうか。

「これで刃も水も効かないゾ。私は無敵ダ! 無限に無敵! クククククッ……ハハハハハハハハッ!」

「そんなの! やってみなきゃわからないよ!」

 あたしは水御華を構えてヴィクロスに走り出した。

 ヴィクロスは動かない。ただあたしを正面に迎えている。

 油断してくれているのならそれでいい。

 その間に勝負をつけるだけだ!

「ハァアアアア!」

 地面を蹴って大きく跳ぶと、ヴィクロスの頭上目掛けて水御華を振り下ろした。

 あたしの刀がヴィクロスの頭に触れる一歩手前でヴィクロスのゴツゴツと角ばっていた身体がツルツルの表面に変わる。

 

 ギギギギギッ!

 

 刃は丸い岩の皮膚を滑るだけで手応えがまったくなかった。

 その隙を突いてヴィクロスの拳があたしに繰り出される。

 なんとか刀で弾こうとするものの、滑らかな表面の拳と思ったよりも鋭い突きによって刀は弾かれてしまった。

 ヴィクロスの拳があたしの顔面へと伸びる。

「シノちゃんっ!」

「くうっ!」

 後ろへ飛びながら首を振ってそれを回避してみるも、こすれた右頬は皮膚を裂き、血を垂らした。

 続けざまにヴィクロスの拳があたしの体へと伸びる。

 刀で受けてちゃダメだ!

「水よっ!」

 刀から大量の水が噴き出る。。

 水は飛沫を上げてヴィクロスの体へ打ち付けられた。

「無駄ダ!」

「無駄なもんか!」

 水は勢いを増してあたしの体を持ち上げるとヴィクロスとの距離を離した。

「水にはこういう使い方もあるんだ!」

「小癪ナ! 逃げてどうなるというのダ!」

 相手が岩じゃ確かに刃は通らない。

 けど、あたしの技の中でも最も斬れ味の高い技。限界まで圧力を絞った水刃の太刀ならどんな物も断つことができる。

 勝機はまだある!

「スゥ……」

 あたしは水御華を鞘に納めると、柄を握って意識を刀に集中させた。

「何のつもりか知らんガ、無駄なことダ」

 柄を通して水御華に異能の力が流れていくのを感じる。

 高まった水御華の力を、あたしは感じていた。

「勝つのは私ッ! このヴィクロス=アインス=ベクトリクス様ダ!」

 ヴィクロスの拳があたしに向かって伸びる。

 今だ! その向かってくる勢いも利用させてもらう!

「これがあたしの奥の手だ!」

 鞘から抜刀すると同時に、水御華の力を解放する。

「奥義・水刃の太刀!」

 鋭い水の刃がヴィクロスに向かって走る。

 水はヴィクロスの岩の皮膚に食い込むと、激しい飛沫を上げて突き進む。

「――ウッ、ウ、……ウガァアアアア!」

 ここで初めてヴィクロスが苦しみだした。

 石の身体といっても自由に動かせる以上はヴィクロスの身体だ。斬り裂かれれば痛みもするのかもしれない。

「うワァ! ワッ、ワァアアア!」

 ヴィクロスの悲鳴も激しい水の音にかき消されていた。

「斬り裂けぇえええ!」

 水の刃は勢いを増してヴィクロスに襲い掛かる。

 より大きな水しぶきが辺りに振り撒かれる。

 ――これがダメなら……もう、打つ手がない!

 これでもかというくらい水御華を握り締め、あたしの力を注ぎ込んだ。

 水の刃がわずかに前進する。

 それと同時にパァンッ! という大きな音を響かせて水が大きく弾けた。

 その場にガクンッと膝を付くヴィクロス。

「ハァ、ハァ……ハァアアア〜! ハァアアアアア〜!」

 ヴィクロスは大きく息を吐いた後、再び立ち上がる。

「フンッ! 脅かしおっテ! この罪は重いゾ!」

 その身体には左肩から斜めに傷が付いただけだった。

 水はヴィクロスを砕いたんじゃない。その強度に成す術無く弾かれてしまったんだ。

「そんな……!」

「やはり欠陥品の力などその程度のものダ。この原種の力の前ではナッ! フハハハハハハッ!」

 嘲笑うヴィクロス。己の力に酔いしれている。

 その力は自分の生み出したものじゃないのに……。

 ヴィクロスの岩と化した体は頑丈なんてものじゃない。

 しかも丸くツルツルな形状の前にはどんな攻撃も通じ難い。

 あたしの剣も、水御華の水も通じないんだ。

 ここにイナさんが居てくれたら……。

 

「まだ終わっていないね!」

 

 ヴィクロスの前に立ちはだかったのはメルだった。

「メル!」

「ウチは諦めてないね!」

「無駄だと分からぬ愚か者めガ!」

「無駄なんかじゃないね! 今日まで戦ってきたアンリミテッドのみんなのためにも……ここに囚われた異能者たちのためにも……ウチは絶対に負けられないね!」

 メルが露にしたのは、剥き出しの闘争心と決して挫けることのない心。

 これまでメルやアンリミテッドの人たちはそうやって頑張ってきたんだ。

 メルのその闘志にあたしの心もくすぶられるみたいだった。

 これがアンリミテッドを継ぐ者の言葉。

 多くの人たちを導いてきた一族の持つ素質。

 それをメルもしっかり受け継いでいるんだ。

「貴様も所詮、ただの異能者。私の敵では無イ!」

「やってみなきゃ分からないね!」

 ヴィクロスとの間合いを一気に詰めるメル。

 それを岩石と化した拳で迎え撃とうとするヴィクロス。

 メルは紙一重でその拳を掻い潜り、カウンターでヴィクロスの胸板に蹴りを浴びせた。

 堅い岩の皮膚に反動がそのまま返ってきているのか。メルは逆に大きく弾き返されてしまった。

 戦い慣れをしていないヴィクロス自身は大して反応ができていないというのに。岩の体そのものがヴィクロスを守る壁の役割をしているかのようだ。

 しかしメルもまだ諦めていない。

 巨大化したヴィクロスには自らの体にある死角も多いようだ。

 メルはその死角となる箇所へ速度を高めて動き続ける。

 でも、いくら死角を突いても攻撃の手段がないんじゃ決め手に欠けてしまう。メルはどうするつもりなんだろうか。

「どこへ行っタ?!」

「ここね!」

 ヴィクロスの背後から肩越しにメルの顔が見えた。

「どんな硬い肉体にも関節があるね! 体を動かすための関節がお前の弱点ね!」

「そっか! その手があったんだ!」

 メルはヴィクロスの首に両腕を巻きつけ、右肩の方に両足を絡めて力いっぱい引っ張った。

 普通の人間ならこれで動きを封じられる。

 が、ヴィクロスの顔に苦しみの色は無い。まるで関節というものが存在しないかのようだ。

 でも、それじゃあどうやって動いているのか説明が付かない。

 力の限り締め付けるメルに対し、やはりヴィクロスに変化は見られない。

「こんなこと、ありえないね!」

「貴様が私の体に触れた瞬間から体の質量を変えただけのことダ。重さはおよそ三百キロ。その細い腕で動かせるかナ?」

「ずるいね! そんなの!」

「さえずるナ! それが原種の力というものダ!」

 ヴィクロスは背中に手をやりメルの体を捕まえると乱暴に振り回し、あたしに向かって投げつけてきた。

 避けたらメルの身が危ない!

「うぁあああ!」

「メル!」

 体を張って飛んでくるメルを受け止めるものの、勢いそのままにあたしとメルは一緒に吹っ飛び、牢の鉄格子に体を打ち付けられてしまった。

 その衝撃から、かなり強い力で投げられていたと分かる。

 鉄格子に打ち付けられた背中がじんじんと痛む。

「あぐぅ!」

 メルは苦痛に顔を歪めていた。

 その手で押さえている所を見ると、捕まれた所に痛々しいアザができていた。

 ヴィクロスが容赦なくメルの体を握り締めた跡だ。

「女の子相手に。なんて酷い!」

「死体になれば同じことダ!」

「くっそぉ〜!」

 刃も水も効かなければ体術も効かない。

 こんな時にイナさんがいてくれたら……と、何度思ったか分からない。

 けど、イナさんが来る気配が無い。向かって来てくれるなら地下に足音が響くはずだ。

 きっと今も敵の異能者と戦っているんだ。それだけ強い相手だったんだ。

 敵の異能者も駆けつけて来ないということは負けてはいないってことだけど……いや、イナさんに負けはないはず。それは信じられる。

 ただ、今は頼みにしちゃダメだってことだ。

 でも、あたしにはもはや打つ手が無い。

 このままじゃあたしやメルがやられてしまう。

 外の戦いにヴィクロスが参加したらそれだけで形勢が変わってしまう。

 ――どうする? どうしたらいい? あたしにできることって何があるの……?

 ひたすら焦る中、何か他に方法はないかと探っていると、水御華を持つ右腕が震えた。

 

 ……リィン。

 

 まただ。水御華から音が聞こえる。

 あたしの中に入り込んで意のままに刀を振るいたがっているんだ。

 イチかバチか、この場を水御華に委ねてしまうか?

 あたしじゃどうすることもできないピンチでも、水御華ならなんとかできるかもしれない。

 何よりも水御華の方が自身である刀の扱いに慣れているし、水の能力もあたしより上手のはず。

 ――どうする? あたしの意志で、あたしの意思を手放してしまってもいいのだろうか。

 その時、あたしはちゃんと帰ってこられるだろうか……。

「フン。もう戦わないのカ? さっきの威勢はどうしタ? これでは足りン! 足りなさ過ぎル! 貴様ら欠陥品はつくづく価値がないナ! せっかくこの身体になったのダ。もっと楽しませロ!」

「ぐぅぅ……ウチらは、欠陥品じゃ、ないね!」

 痛みに耐えながら訴えるメル。

 異能者であることが差別の対象だったのに、欠陥品とまで言われて黙っていられないんだ。

「人間は既に完成された生き物ダ。異能などという余分なモノは淘汰されていけばいいのダ! 貴様らがいなければ原種も見つけやすいものだろウ?」

 ヴィクロスは異能者の原種と呼ばれる存在を探すために異能者たちをさらってここに閉じ込めていたのか。

 ヘリオくんを手に入れたのはその前なのか後なのか分からないけど、どれだけ多くの人がヴィクロスの野望のために犠牲になったか分からない。

 異能者と呼ばれる人たちはただ普通に暮らしたかっただけなはずなのに。

「そうダ。ヘリオを手に入れた今、原種が紛れているかもしれないト、淡い期待だけで異能者どもを生かす必要はないのダ! 殺してしまおウ! 異能者狩り、再びダ!」

「勝手なことばかり言って……お前は人でなしね!」

「フンッ! 負け犬の遠吠えなど届かぬワ!」

 あたしが生まれた街では異能者の差別は無かった。

 そういう目で見る人がいなかったわけじゃない。

 分け隔てなく接してくれる人たちばかりで、あたしはそんな周囲の人たちも大好きだった。

 でも、それを奪ったのはインフィニットの異能者狩りだった。

 インフィニットの作った異能者狩りという言葉を発端に、普通の人たちは異能者を遠ざけるようになった。

 異能者はどこまで逃げても追われ、殺される。

 そして父さんと母さんも異能者だったから殺されてしまった。

 ヴィクロスのように異能者を切り捨ててもいいと思う人たちによって……。

「そっか、そういうことだったんだ……」

「シノちゃん……?」

 どうやって異能者を見つけているのかずっと疑問だったけどようやく分かった。

 それは身の回りの人たちが異能者を自分たちとは違う生き物と見て、裏切っていたんだ。インフィニットや暗殺ギルドに情報を売ったり、密告をしたりして。

 異能者狩りは随分前に無くなり、一部の者たちだけで行われている。

 それが西のインフィニットの鶴の一声によって再び行われたら……また多くの異能者が命を落とすことになるんだ。

 そんなこと、絶対許されることじゃない! 

「あたしたち異能者だって人間なんだ。インフィニットの……お前の考えは間違っているんだ!」

「だったらどうすル? 貴様には私を止める力などなイ! 何もできズ、無念のままここで殺されるだけダ!」

「くっ……それでも!」

 再び水御華を構える。

 勝てる見込みなんて無いけど、あたしはこの男が許せない。

 そんなあたしに対し、ヴィクロスは何もしない。

 見下し、嘲笑うだけ。

 もはや敵ではないという認識でしかないんだ。

 

 リィイイイイン……。

 

 そんな態度もあたしの癇に障る。

 ふつふつと怒りが込み上げてくる。

「笑うなっ! お前なんか!」

 両親を殺させたインフィニットが憎い。

 欲望のために異能者を虐げてきたヴィクロスが許せない。

 水御華から聴こえる音と共に、怒りや憎しみがあたしの内側を駆け巡っていく。

 怒りや憎しみ。そんな感情もいつからか忘れていた。

 まるで水御華の音がそれをかき立てているみたいだ。

 

 リィン……リィン……。

 

 あたしの両親は異能者というだけで殺された。

 それも、あたしの目の前でだ。

 その時あたしは怒りのままに水御華を握った。

 それからどうなったか覚えていないけど、どれだけ憎くかったか、今なら思い出せる。

 心の奥底でざわめく怒りと憎しみ。

 なぜ今まで沸いてこなかったのか不思議なくらい、今のあたしを染めていた。

 

 リィイイイイイイイイイン。

 

 ――いいよ水御華。あたしの体をあげる。好きなようにしていいからね。だって許せないんだもん。インフィニットのことが。異能者狩りをする人間がさ……。

「怖気づきおっテ! 来ないならこちらから行くゾ!」

 ヴィクロスを見る。

 さっきまで敵わない相手だなんて思っていたのが嘘のよう。

 だって、あたしが負けるはずないもの。

「なんだその目ハ! 気に入らン! 貴様が勝てるはず――」

 

 ゴィン!

 

「なッ?! 何んダ?!」

 どうってことはない。ヴィクロスの後頭部に刀を打ち込んだだけだ。その巨体じゃ反応もできないだろうけど。

 振り返るヴィクロスの脇を潜って再び後ろを取る。

 それを追いかけるように再度振り返るヴィクロス。

「無駄だと分からぬ愚か者ガ!」

 ヴィクロスの右手が丸く形を変え、更に大きさを増す。

 鉄球のような右手を持ち上げ、上から叩きつけるように振り下ろしてきた。

「死ネェ!」

 

 ドォオオオオオオオオン!

 

 盛大な音と共に床へ打ち付けられるヴィクロスの腕。

 床はそこを中心に大きな穴を空け、床の亀裂は左右の牢屋にまで届いていた。

「驚いた。この宮殿を壊すつもりなんだ?」

「何だトォ?!」

「そんなの、当たるわけないよ」

 あたしはヴィクロスの腕を足場にして飛ぶとヴィクロスの頭に向かって刀を振り下ろした。

 硬い岩の皮膚が高い音を立てて刀を拒む。

 それでも構わない。あたしは好きなように刀を振り下ろすだけだ。この怒りが収まるまで。

「馬鹿メェ! まだ分からぬカ!」

 嘲笑うヴィクロスの顔面に刃を入れるとその鼻がパキンッと音を立てて捥げる。

「ヌォ! 馬鹿ナァアアア!」

 左手で鼻を押さえるヴィクロス。

 きっと初めてのことなんだろう。

 あたしは構わず刀を振り続けた。

「ハァアアアアアアア!」

 気合と共に無数の斬撃をヴィクロスの顔へ打ち込んでいく。

 ザクザクザクザクッ!

 ヴィクロスの顔からポロポロと岩の皮膚が欠けて落ちる。

「どっ、どうなっているのダ?!」

 おしゃべりな口をしているんだ。動く分、表情の強度は体ほどじゃないんだろう。

 それにさっきまでのあたしじゃない。

 岩を断つことも腕前次第。今なら何でも斬れる気分だよ。

 インフィニットもヴィクロスも、みんな斬られちゃえ!

「止めロ! 止めろ止めろ止めロロロロォ!」

「へぇ止めて欲しいんだ? 自慢の身体なのにね」

 でも、あまり打ち込んでは刀の方も心配だ。

 ヴィクロスから一旦離れる。

 刀を根元から先まで眺めるも、特に破損はなかった。

「ぐぬぬぬヌ! ありえヌ! こ、こんなことガ!」

 ヴィクロスは痛みに顔を押さえていた。

 やっぱり痛いんだ。戦いにおいて痛みなんて当然のことなのにね。

 ふとメルの方へ視線をやると、怯えたようにあたしを見ていた。あの目は見に覚えがある。

「シノちゃん?」

「ん。なあに?」

 怯えるメルにあたしは満面の笑みで応えた。

 不安な眼差しのままあたしを見るメル。

「ウチが分かるね?」

「メルセレス=シュトラーゼ。その質問も二度目だね」

「よかったぁ。いつものシノちゃんね」

 あたしの言葉にホッとした顔を見せてくれた。

 ――ごめんねメル。残念だけど、いつものあたしとは言い切れないや。

 メルのことは覚えているし、あたしの意思もしっかりある。

 でも、どこか動かされているみたいなんだ。

 普段ならこんなに動けないし、こんなに刀を上手く使えないもん。

 それに、ヴィクロスを見ているとイライラが止まらないんだ。

 インフィニットが憎くて仕方ない。

 心がおぼつかないのに、水御華とはこれまで以上に同調できている気がする。それが不思議だ。

 

 リィイン……。

 

 刀から心地良い音色が聴こえる。

 まるで水御華と一体になっているみたいだ。

 前みたいにあたしの体を奪おうとはしない。その理由は分からないけど。

 でも、今は水御華と同じ気持ちなんだと分かる。

 目の前の敵を倒したい。インフィニットが許せない。憎い。腹立たしい。そして自分の力を使いたくてたまらない。

 そんな感情がどんどん湧いてくる。

 利害が一致しているから、力を貸してくれるのかな?

 だったら、存分に戦わなくっちゃね。

 だってそうでしょ? こんなに斬り刻んでも倒れない相手なんてそうそういないんだから。

「な、なにを笑う?! 勝った気でいるのカ?! 異能者の分際でェ! 許さン! 許さん許さーン!」

 ヴィクロスを見ると元のものよりも高く整った鼻が再生していた。

 見栄っ張りめ。これは逆に斬りがいがあるぞ。

 刀を鞘に納めて柄を握った。

 いつものような力の流れは感じない。これで水が出るのかと思ってしまうくらいに。

 でも大丈夫。あたしたちは今、一つなんだから。

「私は原種の力を手に入れタ! もはや我が敵と成り得る者など存在せんのダ!」

「力を手に入れた? おかしなことを言うんだね。お前なんかヘリオくんがいなきゃ何もできないじゃないか」

 その程度の力で敵と成り得る者がいないなんて、笑わせてくれるよ。ただ堅いだけじゃないか。

「ぬぁアアアァ! ほざくナァア! 欠陥品の分際デェエ!」

 ヴィクロスは顔を真っ赤にしながら身体を震わせて怒りを露にした。岩の皮膚でも顔は赤くなるんだな。

「あたしに言わせればお前の方が欠陥品だよ。そんな姿にならなきゃ強くなれないんだからね。その姿でいられるのも自分の力じゃないんでしょ。お前の力なんてゼロに等しいじゃない」

「だっ、だっ、黙れ黙れ黙れェエエエエ! 許さなぁああイ! 貴様はこの私に殺されるべきなのだァアアア!」

 肥大化した右腕を更に肥大化させて振り上げるヴィクロス。

 それでも変わらぬ動きを見せるのはさすがだけど、やっぱりそれはヴィクロスの力じゃないんだよね。

 腕の先の鉄球がどんどん膨れ上がっていく。

「許さないのはこっちだ! 西のインフィニットは今日で滅ぶ。あたしが潰す!」

「小娘めがァアアアア!」

 あたしに向かって走り出すヴィクロス。

 あの巨大な鉄球であたしを潰すつもりなのだろう。

 しかし、あの右腕があたしに届くことは無い。絶対に、だ。

 水御華を握る手に力が入る。

「水は華を咲かせ、華は水を澄む……水御華、その水で華を咲かせよ! その名の如く!!」

 抜刀すると同時にあたしの力が一気に水御華へと流れ込んだ。

 鞘から刀身が抜き切る前から水が吹き荒れていた。

 その切っ先がヴィクロスを捉える。

「奥義・水刃の太刀!」

 圧縮された水がヴィクロスに向かって突き進む。

 水は瞬く間にヴィクロスまで届いた。

「愚か者めガ! その技は効かぬと分からぬのカァアア!!」

 水はヴィクロスの体に触れるとその滑らかな岩の皮膚と強度により激しい飛沫を振り撒いた。

 ――同じ技、じゃない。今のあたしならもっともっと上手く水御華を扱えるんだ!

 ヴィクロスは水に構わず再び駆け出した。

 その肥大化した腕を振り上げて、予想外にも大きく跳んだ。

 刀から放たれる水は細く細く、更に細くなっていく。

「ハハハッ! 水も尽きたカ!」

 水は勢いそのままに、糸ほどの細さへカタチを変える。

 水御華の力を得ている今なら何でもできる気分だ。

 だからこんなやつに負けるもんか!

「水御華よ! 水よ! いっけぇええええ!!」

 一瞬、水が途切れた後、さっきより数倍に濃縮された水が刀から放たれる。

 鋭い水はヴィクロスの体に当たると、その巨大な体を押し上げて空中で停止させた。

「ガァアア! ナッ、何をし、タ?!」

 水はヴィクロスの体の中心に食い込み、徐々に岩の体をえぐるように突き進んでいく。

 あの大きな身体を持ち上げているんだ。それだけで水の勢いが分かる。

 水圧で宙に浮くヴィクロスに成す術は無い。

「こ、こんナッ! こんな事があるカ! 私の体ガ、どんな刃も通さない岩の体が!!」

「水御華はただの刀じゃない。お前が蔑んだ異能者の父さんが生涯を懸けて作り出した刀なんだ!」

「まだダ! 更に硬い素材へ――」

 ヴィクロスの皮膚の色が変化する。まるで宝石のように透き通った材質に。

 けど、そんなものは関係ない。いくらカタチを変えても同じことだ!

「水は――岩をも穿つ!」

 ヴィクロスの岩の身体、その隙間の至る所から水が噴き出し始める。

 内側から外へ水が出ようとしているんだ。

 ヴィクロスの身体の至る所に亀裂が生まれはじめる。

「み、水ッ! 水ダ! ワハハハッ! この力も私の物ダ!」

 ヴィクロスは錯乱しているのか。

 自分に振り掛かる水の飛沫を舐めるように舌ですくって飲みはじめた。

「水御華……」

 

 リィイイイイイイイイイン!

 

「――これで、終わりだ!」

 力を振り絞り、ありったけの水を放出する。

 水はとうとう背中を貫通し、ヴィクロスの体を突き破った。

 ヴィクロスの巨体は破裂するように砕け、大きな音を立てて後ろへ倒れこむ。

「ゴガッ。うぷっ!」

 水に濡れきったヴィクロスの体は透き通るような宝石から元の岩の色へ戻っていった。

 貫通した身体には思ったよりも大きな穴が開いていた。最後に放った水が岩を浸食したかのように。

「シノちゃん! まだ終わってないね!」

 分かっている。ここでトドメを刺さないとまた体を再生させて姿を変えてくるに違いない。

 もうかなりの力を使ってしまった。二度目は無い。

「西のインフィニットの最後だ!」

 刀を振り上げてヴィクロスの喉元に向かって振り下ろす。

「ま、まだダァ!」

 ヴィクロスの身体の中心から左腕の先に向かって筋肉がうねる。

 その左の手のひらに、ヘリオくんの顔が浮かび上がった。

「くっ!」

 振り下ろす刀をなんとか押し留まることができた。

 しかし、あたしの中にある水御華が『斬れ』という衝動を掻き立ててくる。

 ヴィクロスの仲間。インフィニットの人間。敵。憎い。斬りたい。そんな言葉があたしの中で駆け巡る。

「おねぇ……ちゃん」

 ヴィクロスの左手に浮かぶヘリオくんの顔が辛そうにあたしを見つめている。

 助けて欲しいという想いが伝わってくる。

 それなのに水御華はあたしに刀を振らせようとする。

 あれはあたしの敵だと訴える。斬らなければならないと思考を操作する。

「シノちゃん! ここしかないね! インフィニットを倒すのは、ヴィクロスを倒すチャンスはここしかね!!」

 分かっている。ヴィクロスに力を与えているのがヘリオくんの持つ原種と呼ばれる力だということを。

 ヴィクロスはヘリオくんを盾にしながら自らの弱点を晒しているに等しいんだ。

 メルもヘリオくんを斬ることを望んでいる。

 ここにいる者すべてがそれを望んでいるんだ。

「でも……あたし、は――」

 右腕があたしの意思に反して刀を上げた。

 業を煮やした水御華がここにきてあたしの身体を乗っ取ろうとしているのかもしれない。

「フゥ……フゥ……さ、せ、ない、よっ!」

 それを左手で抑えるものの、右腕はあたしのものじゃない力によって、いつ振り下ろされてもおかしくない状態にある。

 ――水御華。どうしてキミはそんなに斬りたがるの……?

 

 リィイイイイイイイイイイイイイン!

 

 水御華の音が激しくあたしの中で鳴り響く。さっきまでの心地良さは皆無だ。

 ――ダメだよ水御華。この子は敵じゃない!

 その思考さえも保っていられる自信が無いくらいだ。

「おねえちゃん……」

 怯えるヘリオくんの顔だけがあたしの正気を保たせていた。

 こんな子を斬るなんて、したくない!

「だい、じょうぶ、だから。怖がらなくて、いいから、ね」

「おねえちゃん……」

 この状況にヴィクロスが笑った。

「フハッ! この身体が戻ったら粉々にしてやル!」

「もう……やめてよ!」

 ヘリオくんはヴィクロスに向かって叫んだ。

 しかしヴィクロスは鼻で笑ってそれを拒む。

「フンッ! 原種の力を見出し、生かしてやった恩を忘れたカ! お前こそ、私という人間がいなければ何もできなかったくせニ! こやつらを殺せば元通りの生活ダ! 私は権力を掌握し続ケ、お前はここで静かに暮らすのダ!」

「でも……ぼく……」

 ヴィクロスの言葉に何も反論できなくなるヘリオくん。

 そうやってヘリオくんの気の弱さに付け込んできたんだ。

 ヘリオくんの意思はどこにもない。

 まだこんな小さな子だもん。何が正しいのかなんて自分で言い切ることなんてできるはずないよ。

「大丈夫だよ、ヘリオくん。君はあたしが助ける。こんなやつの言うことなんか聞かなくたっていいんだよ。どうしていいか分からないなら、一緒に考えてあげるから」

「おねえちゃん……」

「何をほざくカ! 私はヘリオの父親だゾ! 子は親の言うとおりにしていればいいのダ!」

「親がこんなことするもんか! 力におぼれて、それを利用しようとして――――」

 あたしの脳裏に父さんの姿が浮かんだ。

 ――あれ? なんだろう……?

 あたしの父さんは優しかった。けれど、今頭の中に浮かんだ父さんはどこか違っていた。

 浮かんだのはあたしに剣術を教える父さん。

 ……なぜだろう、あたしはどこか怯えている。好きで始めた剣術だったはずなのに……。

「シノちゃん! 急ぐね!」

 メルの言葉で我に返る。

 そうだ、今はそんなこと考えている場合じゃないんだ。

「おねえちゃん……」

 不安な面持ちのままヘリオくんが口を開く。

「ぼくを、斬って!」

「ヘリオ?! 裏切るつもりカァア!」

「もう……嫌なんだ。ぼくの力のせいで誰かが死ぬのも、それを見ないふりをして生きていくのも……。だからおねえちゃん、ぼくを斬って! もう終わらせたいんだ!」

「ヘリオくん……」

 メルもヘリオくんも、そして水御華も。ヘリオくんの犠牲と共にヴィクロスを討つことを望んでいる

 

 リィン……。

 

 水御華から音が聞こえなくなった。

 それと同時に右腕の自由が戻る。

 優柔不断なあたしに愛想を尽かせたのかもしれない。

 けど、水御華の意思から離れても、あたしは選ばなくてはならないんだ。

「……ごめんね……」

 刀を強く握り締めてあたしはヘリオくんに謝った。

 そしてそのまま刀を下ろし、鞘に納めた。

「シノちゃん!」

「あたしは……斬らない。インフィニットのためでも、アンリミテッドのためでもない。ヘリオくんの命は……ヘリオくんのものだから。終わらせていい命なんてない。そんなの、異能者狩りをするインフィニットと変わらないから」

 水御華と同調しなくなったせいか。あたしの中にはもう怒りも憎しみも無くなっていた。

 それが何を意味するのか分からないけど。

 あたしはあたしだ。今のあたしが選んだことを信じるだけ。

「フッ、フフフフフフ……」

 石の擦れる音を立てて、ヴィクロスが上体を起こした。

「このようなことになるとハ……まさに切り札ダ。さすがは我が息子ヨ。フハハハハ!」

「何一つ、お前の力なんかじゃ無いよ!」

「フンッ! 敵に情けをかけるお前が愚かなのダ!」

 ヴィクロスがゆっくりと立ち上がると、その貫通した体の穴を再生させていった。

 穴を塞ぎ、元の体に戻ったとき、ヴィクロスはあたしたちを殺すだろう。

 あたしに抗う術なんて、何一つ残っていない。これでもう、本当に打つ手が無いや。

 ――でも、後悔なんて何も無い。

 ヘリオくんは斬らない。あたしはそう選ぶことができた。

 そのことだけは間違いじゃないと信じられるから……。

 

「確かに愚かかもしれぬな。だが、それが何だというのじゃ?」

 

 あたしたちに向かって言葉が投げかけられる。

「何者ダ?!」

 声の方を振り返るとそこにはイナさんがいた。

 あたしのすぐそばに。いろんな所に斬り傷を負いながら、ボロボロの格好で。

「イナさん!」

「フッ。それでも私はシノの選択は正しいと思う。悩みだしたら止まらぬウジウジ娘じゃが」

「イ、イナさん……」

 ホントのこととはいえ、ひどい言われようだ。

「だが、それがいい。それでこそシノ=カズヒ。砂漠のアメフラシじゃ。悩んで悩んで悩み抜いた末に選んだことなら、きっと正しいはず。私はそれを信じるのみじゃ」

 ニッと私に笑ってみせるイナさん。

 あまりの嬉しさに跳び付きたくなってしまった。

 けど、今はそんな場合じゃないんだ。

 イナさんも五体満足とはいえ今の今まで戦っていたんだ。

 いつものように動けるとも限らない。それほどまでに強かったんだ。イナさんのお父さんの幻影は。

「イナさん……」

「うむ?」

「……いえ、なんでもないです」

 ついついイナさんの体を心配する言葉が出そうになる。

 でも、それは言ってはいけないことだ。イナさんなら大丈夫だと信じるだけだ。

 それより今はヴィクロスをなんとかしないと!

 イナさんの登場にヴィクロスはただあざ笑っていた。自分の力と勝ちを確信しているんだ。

「今更お前が来てもどうにもならんゾ! 剣は効かン。その娘も力を使い果たしたと見えル。私の勝ちダ!」

 確かにあたしの力はほとんど残されていない。水御華の意思もまるで感じられないし……。

 でも、イナさんを前にしたら負ける気がまったくなくなっていた。

「フフッ。聞いたかシノ? 剣は効かぬらしいぞ?」

「イナさん……こんな時に喜ばないで下さいよぉ〜!」

 さっきまでそれで散々苦労していたというのにこの人は。

 ……でも、イナさんらしいや。それだけでホッとする。

「別に喜んでおるわけではないぞ? 確かに剣が効かぬとあれば心も躍るじゃろうが……コレではのう」

「こ、コレって……」

 イナさんにとってはヘリオくんを取り込んだヴィクロスですらコレ扱いなのか。

「貴様ァ! 原種の力を! 私の力を愚弄するか!」

「愚弄すると言われてものう」

 イナさんは小さくため息を吐くと、面倒そうな顔でヴィクロスを見た。

「まだ気付かぬのか?」

「ナ、何をダ?!」

「おぬし。もう斬られておるぞ?」

「ナヌ?」

 

 ぼきんっ!

 

 ヴィクロスの左肩の付け根。そこから小気味いい音と共に左肩が身体から離れた。

 ヴィクロスの肩は床に落ちると脆くも砕け散った。

 そのバラバラになった腕の中からヘリオくんが出てきた。

「う……ん……」

 よかった。ヘリオくんは無事だ。

 でも。いつの間に斬ったんだろう?

 あたしはずっとヴィクロスを正面にしていたのに。イナさんどころか斬巌刀の影すら見えなかった。

 強い相手と戦っていたからだろうか。今のイナさんは全てにおいて冴えわたっているんだ。

「ヒッ、ヒィイイイッ!」

 ヘリオくんを失い、徐々に崩壊するヴィクロスの体。

 それはそうだ。ヘリオくんが居たからこそ、その能力を使うことができていたんだから。

 ヘリオくんを切り離されたヴィクロスはただの人間でしかないんだ。

 ヴィクロスの体の中心。さっきあたしが水御華の水で空けた穴からも崩壊が始まる。

「ヘ、ヘリオ! た、助けてくレ! 父ヲ! 父を助けロ!」

 必死に残りの腕を伸ばすも、ヘリオくんは目を伏せてそれを拒んだ。

「体ガ……崩レ、ル……私、ノからダダダダ……」

 原種の能力を無くし、自分の力では体を支えることもできず、ヴィクロスはその場に崩れ落ちた。

 倒れた衝撃で上半身と下半身が分裂する。

 力を無くした岩の体は脆いものだった。

「終わった……ね?」

 警戒しながらヴィクロスを見下ろすメル。

 ヴィクロスは完全に事切れていた。

「うん。終わったよ」

「やったね! アンリミテッドの勝利ね!」

 メルは嬉しそうにあたしに駆け寄ると抱きついてきた。

 あたしもメルの体を抱き寄せ、ホッと一息ついた。

「さてと。誰か私の左肩をはめてくれぬか? さっきの戦いで外れてしまってのう」

 苦いようなバツが悪いような顔でそんなことを言うイナさん。

 それじゃあヴィクロスのあの硬い岩の体を片手で両断したことになる。

 あたしやメルがあれだけ苦労していたのに……。とんでもない話だ。

「ウチがやるね!」

「うむ。頼むぞ」

 メルのそばで屈むイナさん。

 遠慮も無くその肩を掴むと慣れた手つきで肩をはめた。

「どうね?」

「うむ。さすがはメルじゃな。逆に肩凝りも治った気がするぞ」

 イナさんの言葉に自然と目がイナさんの胸にいってしまう。

 そりゃあそれだけのものを持ってたらねぇ…………いいなぁ。

「イナさんの左肩が外れるなんて……それだけ強い相手だったってことですね」

 イナさんが戦っていたのはイナさんのお父さんの幻影。

 やっぱり戦いづらかったりしたんだろうか。

「そうじゃのう。父上のことは既に超えておったつもでおったが……全盛期の頃の父上と手合わせすることは不可能じゃからのう。いい経験をしたぞ」

 誰しも自分と自分の親の全盛期を重ねることはできない。

 それが叶ったのも異能の力あってこそ、か。

「でもイナちゃんはイナちゃんのとーちゃんを倒したね? ならイナちゃんはもう超えていることになるね?」

「さぁ、それはどうかのう。あくまで私の心の中の父上であったのじゃろう? 本物もあの実力だったとは到底思えぬ。私もまだまだ修行が足りぬということじゃな」

「ええ〜! まだ強くなるんですか?」

「当然じゃ。我が剣はまだ極まる所を知らぬはずじゃ! 次は一太刀のみで父上を倒してみせるぞ!」

 今でも途方の無い強さだと思うのに。これより強いイナさんなんて本当の化け物なんじゃないかと思ってしまう。

 イナさんをずっと目標にしていたけど……ちっとも追いつける気がしないや。

「さて。ヴィクロスは倒したのじゃ。このことを外の者たちにも知らせて、この戦争を終わらせるぞ」

「そうですね。一刻も早く――」

 イナさんにと共に歩き出そうとした直後――

 

「シノちゃんっ!!」

 

 あたしを呼ぶメルの声がした。

 それを耳にした時、あたしの背中に重いものが当たったような衝撃が走った。

 あたしの体は大きく突き飛ばされ、地面を激しく転がった。

「いたたた……」

 地面を転がる中で、それがメルの当て身によるものだと垣間見た。

 ――なぜ、メルがこんなことを?

 そう思ったのも束の間だった。

 メルの体から五つの触手が皮膚を破って飛び出してきた。

「――メルッ!」

「おのれ! ぬかった!」

 その触手を辿ると、事切れていたはずのヴィクロスの手に繋がっていた。

「ざまぁ、みろ……」

 わずかに残った力で右手を変化させたのだろうか。

 触手はあたしを狙い、それをメルが庇ってしまった。

 ヴィクロスに向かってイナさんが剣を振り上げて駆け込む。

「このっ、ゲスがぁああああ!!」

 イナさんの鬼神斬巌刀がヴィクロスの体を頭から両断すると、ヴィクロスは薄気味悪い笑みをあたしに向けて地に伏せた。

「メルッ!」

 あたしはすぐにメルへと駆け込んだ。

 ヴィクロスが生き絶えたことで触手が消え、代わりに体に穴が開いていた。

 そこから止めどなくメルの血が流れる。

 助からない――。そんな思考を振り払って腰のバッグからタオルを取り出してメルの傷口にあてがった。

 色の無いタオルが瞬く間に紅く染まっていく。

「それでは足りぬぞ」

 ビリビリと自身の服を破いて傷口を縛るイナさん。

 血は止まった。けど、メルの顔から熱が失せ、どんどん青白くなっていく。

 メルの手を取ると徐々に体温が奪われていくのが分かった。

「……シノ、ちゃん。大丈夫、ね……?」

 こんな時にあたしの心配なんかして。

 どうしてメルはあたしなんかを庇ってしまったんだろう。

 あたしなんかより、これからのメルの方がずっと重い役目を背負って生きていかなくちゃならないはずなのに……。

「ダメだよメル! キミは死んじゃダメだ!」

 メルがあたしの言葉に返答しようと口を動かすと、口の端から血が溢れ出した。

「シノ、ちゃん……ウチは……」

「これが終わったらアンリミテッドの長になるんでしょう? ダメだよ! あたしは……砂漠のアメフラシはアンリミテッドにとって敵だったはずなのに……」

 砂漠は世界の終わりを望んでいる。

 雨を降らせるあたしは正に砂漠の天敵なんだ。

 アンリミテッドが砂漠の意志を尊重して世界の終わりを見届ける方針だというのなら、あたしとは相容れない。

 メルがアンリミテッドの長を継ぐというのなら、メルが身を挺してまであたしをかばっちゃいけなかったんだ。

 こうして一緒にいるけれど、メルだってその考えを変えたわけじゃないってあたしも分かっていたんだ。

「違う、ね……」 

 力無く首を振るメルにあたしは涙が出てきて止められない。

 メルに死んで欲しくなんてないから……。

「砂漠の、アメ、フラシは……ただの人、ね……」

 それはあたしがメルに言った言葉だった。

 その言葉をメルから言われたあたしは、どう答えていいか分からなかった。

「ウチは、ずっと、シノちゃんを……見て、きたね。アンリミテッドの敵になるなら……殺すことも、いとわない。そう、思ってたね」

 途切れ途切れに言葉を連ねるメル。

 ふいにあたしの肩に手が置かれ、振り向くとイナさんが横に立っていた。視線はメルに向けたままだ。

 イナさんはまっすぐとメルを見て話を聞いていた。

 まるでこれが最後の言葉になると言わんばかりに……。

「……でも、ね。シノちゃんと、いるうちにね。そんなこと、忘れてしまったね。短い間だったけど……ね。ウチ、シノちゃんのこと、大好きね……。シノちゃんは、ウチの友達、ね……」

「あたしも、同じだよ! メル……」

 メルの手をぎゅっと握った。

 奪われていく体温と、メルの命をつなぎ止めるかのように。

「だから、ウチ、は……がぷっ!」

 メルが話を続けようと口を開くと大量の血が溢れ出した。

 イナさんは自らの袖でメルの口を拭うと優しい眼差しでメルに語りかけた。

「だから、おぬしはシノを守りたかったのじゃな。砂漠のアメフラシではなく、シノ=カズヒという大切な友を」

 イナさんの言葉にこくんと静かに頷くメル。

 そんなメルにイナさんは少しも悲しい顔をしないで、いつものように笑いかけていた。

「見事じゃぞ、メル。おぬしはちゃんとシノを守り抜くことができた。私からも礼を言わせてくれ。よくぞ我が友を守ってくれた。ありがとう」

 メルは目を細めて笑った。

 あたしは笑えなかった。そのせいでメルの命が無くなろうとしているのだから。

「シノちゃん、も。笑う、ね……」

「無理だよぉ。メルぅ……」

 あたしは余計に泣いてしまった。

 そんなの、できるはずない。目の前でメルの命が無くなろうとしているのに……。

 メルはきゅっとあたしの手を握り返してきた。

「イナちゃんが言ってたこと、わかるね。……砂漠は、終わりを見ようとしてるね。けど――」

 徐々にメルの手に力が無くなっていくのを感じる。

「メル! まだ、ダメだよ!」

「砂漠以外は、きっと、生きたいと、思ってるね……。だっ、て、ね……。ウチ、も……生き、た、い、って…………」

 スルリとメルの手があたしから落ちる。

 メルはもう一言も喋ろうとはしなかった。

「メル! メル!!」

 さっきまで喋っていたメルが。

 あんなに元気だったメルが。

 あたしのこと友達だって……大好きだって言ってくれたメルが…………動かない。

「メル! ねぇ、目を開けてよ! メル!!」

 何度呼びかけてもメルは答えない。

 あのあどけない笑顔は、もう二度と見られないんだ。

「すまぬ。私の不注意じゃった……」

 さっきまで悠然としていたイナさんが辛そうな顔であたしに謝る。

 ヴィクロスが生きていたなんてここにいる誰もが予想だにしなかったことだ。イナさんのせいなんかじゃない。

 イナさんにそんな顔をさせるのも、謝らせてしまうのも、全部あたしのせいなんだ。

 そんな風に思うことを止められない。

「イナさんのせいじゃない! あたしが! あたしが!!」

 あたしは失ってしまった。メルという二人といない存在を。あたしの大切な友達を……。

「シノ……」

「あたしなんかを、庇わなきゃ……こんなことには……」

「それは……メルが選んだことじゃ」

「でも、もしあたしがヴィクロスが生きていることに気付いていたら? あの攻撃にも対処できていたら? こんなことにはならなかったはず……」

「戦いの結果に『もし』などない。それが総てなのじゃ」

 じゃあ、やっぱりあたしのせいなんだ。

 あたしが未熟者だったから。この運命に抗う力を持ち得なかったから……。

「あたしが未熟だから、メルを……」

「そうではない。未熟が招いたことなら私にも言える」

「やっぱりあたしはイナさんのように誰かを守れる剣(つるぎ)には成れないんですよ。ロメリアだって、メルのようにさせてしまうかもしれない……」

「………………」

「あたしなんかのために、メルは死ぬことなかったんだ」

 

 バチンッ!

 

 イナさんの平手があたしの頬を叩いた。

 じんじんと痛む頬。それ以上に、何かが胸にくる痛みだった。

「メルが命を懸けて守ったのがおぬしじゃ! そんなメルは立派におぬしの剣と成れたと言える。おぬしがそんなでは、メルがうかばれぬぞ!」

 あたしの胸倉を掴むと、自身の顔へ近づけるイナさん。

 間近にあるイナさんから、呼吸の荒さが分かる。

 怒っているんだ。イナさんは。すごく。すごく……。

「この世界で、どれだけの人間が自分のために命を懸けてくれると思っておるのじゃ? メルにとっておぬしは命を懸けるだけの価値があったのじゃ。それは私とて変わらぬ!」

「やめてください! イナさんがあたしのために死んだら嫌ですよ! イナさんはこれからも多くの人の力に成れる人だから。あたしが生きてその代わりをすることはできません!」

「誰がそんなことを頼んだ? 逆に、おぬしが私を庇って死んでもおぬしの代わりなどできぬぞ。この斬巌刀は水など出せぬからのう」

「じゃあ、あたしはどうしたら……?」

 あたしもメルの代わりには成れない。

 死んだメルが成そうとしていたこともきっと果たせない。

 どうしたらいいか分からない。

 あたしは守ってもらうことに慣れていないから。

 そんな風に人から見られたことなんて一度も無かったから。

 だってあたしは、水を操る異能者だから……。

「メルが命を懸けて守ったのじゃ。おぬしの命は今まで以上に価値がある。よいか? 二度と『あたしなんか』と口にするな」

 イナさんは掴んだあたしの胸倉を整えると、そっとあたしの頭を抱いてくれた。

「メルは言ったであろう? シノも笑え、と。そうやって生きていくのじゃ。今は悲しくとも、おぬしならきっとできる。私もそう願っておるぞ」

「……はい」

「よしよし」

 あたしの頭を優しく撫でるイナさん。

 それだけで重く圧し掛かっていたあたしの心の重みが少し軽くなるようだった。

 

「――おねえちゃんたち……」

 

 ふいに声をかけられる。

 ゆっくりと声の先へ頭を上げると、ヘリオくんがいた。

 足を引きずりながらメルのところへ来ると、かがんでメルの胸に手をやった。

「……まだ、助けられるよ」

「え……?」

「あきらめちゃダメだよ」

 ヘリオくんの体が光に包まれる。

 かと思うと、その腕を伝ってメルも光に包まれた。

 原種と言われる万物に干渉する能力。その力でメルを助けようとしている。

 ――でも、どうやって……?

「残った力を使ってこのおねえちゃんに吹き込むんだ」

 まるであたしの心を読み取ったかのように答えるヘリオくん。

 ヘリオくんとメルを包む光が更に輝きを増した。

 優しげで温かな光。その力はやっぱり本物だ。

 でも、ヘリオくんの顔にも精気がない。

 たぶんヴィクロスによって振り絞れられた力の、僅かな力を使っているんだ。

「けど、ぼくだけじゃ足りない。ここにいる誰でもいいから、異能者と呼ばれる人の力が必要なんだ。異能者なら誰でもいい。僕の体に触れて。そうしたらその力を使って僕がこのおねえちゃんを助けるから」

「ふぅむ。こういう時はなんでもない私にはどうすることもできぬな」

 残念そうに呟くイナさん。

 でも、イナさんは今まで充分に力になってくれた。今度はあたしの番だ!

「わかった! あたしも異能者だからね!」

 ヘリオくんの肩に触れると、あたしの体が揺らぐような錯覚が起こった。

 けれど、それ以上の変化は感じられなかった。

「……ごめん。お姉ちゃんのは、ほとんどがその武器に力を吸われているみたいなんだ」

「水御華に?」

「うん。お姉ちゃんの力の源。そのすべてが向けられているみたい。だから僕の方へあまり来てくれないみたいなんだ」

 そんなこと思いもしなかった。

 あたしは水御華から水を出す異能者だと思っていたから。こうしている間にも水御華に吸われ続けているということなのか。

 それよりも、今はヘリオくんに力を与えなくちゃ!

 幸いにもこの牢屋の中には捕らえられた異能者でいっぱいだ。これだけいれば充分事足りるはず。

 あたしは地下牢の入り口まで届くくらいの気持ちで声を出した。

「ここに異能者さんたちにお願いがあります! ここで横たわる女の子を助けるために、その力を貸してください!」

 この広い地下の中で、その全てに響くくらいの声で、あたしは叫び続けた。

「この男の子に触れるだけでいいんです! お願いします!」

 言い終えると、シンッと静寂が辺りを包み込んだ。

 誰からも返事が無い。

 近くの牢を見るとあたしと目があった人はビクッと体を振るわせた。

 ――どうして誰も応えてくれないんだろう。このままじゃ、メルの命が……。

「諸悪の根源であるヴィクロスを討ち果たしても、私たちが味方である保証がないからのう。ここは一つ、後押しするか!」

 そう言って鬼神斬巌刀を振り回すイナさん。

「イナさん?!」

 次の瞬間にはもういない。

 あたしから見て右側。横に連なる牢屋の前を通り過ぎてはその鍵の部分を剣で両断していくイナさん。

 鍵が壊されたことにより、自然と開かれる牢屋もある。

 イナさんが入り口まで辿り着くと、そのままこちらに戻るように今度は左側の牢の鍵を次々に両断していった。

 こんな時、真っ先に動いてくれるイナさんが本当に頼もしかった。

 あたしもそれに負けないように、異能者の人たちに呼びかけ続けた。

 メルを助けるためなら。なんだってできる!

「お願いします! その力が必要なんです! この子を助けてください! 異能の力で、この子を!!」

 しかし、何度訴えてもあたしの言葉は虚しくも地下に響くだけだった。

 そうこうしているうちにイナさんが帰ってきた。

 ここにいるのはあたしとイナさんだけ。

 誰一人、手を貸そうとここに来てくれない。

「どうして? どうしてなの?!」

「ふぅむ。ここにおる者たち。そのすべての目には怯えと恐怖しか無い。幽閉されていたのじゃ。当然と言えば当然のことかもしれぬが……」

 腕を組んでふぅと息を吐くイナさん。

 それじゃあダメだ。それじゃメルを助けられない。

「どうして?! メルは、この子はあなたたちを助けに来たんだよ!!」

 後ろからギィィ。と牢屋の扉が開く音がした。

 見ると中年の男が力無く立っていた。

「……助けるって、なんだ……?」

 その目にあるのは怯えと恐怖じゃない。

 ただ怒りがそこにあるように感じた。

「こんな世界で、人間が生きていけるもんか! 異能者ってだけで命が狙われる。まだヴィクロスに従っていた方がよかった! お前たちは余計なことをしたんだ!」

「そんな! アンリミテッドを筆頭にした反組織たちが迎えてくれます。だから――」

「バカを言うな! インフィニットに敵対したらそれこそ命が無い! 俺は異能者じゃない。普通の人間として暮らす!」

 男の言葉に、これまで押し黙っていた周りの異能者たちも賛同の声を上げ始めた。

「そうだそうだ! 俺たちは関係ない!」

「俺たちは異能者なんかじゃないぞ!」

「ただの人間だ! 能力なんかこれっぽちもないんだ!」

 助けに来たはずのあたしたちが、助けようとした人たちに非難される形になってしまった。

 まさかここにいる人たちがそんな考えを持っていたなんて思いもしなかった。

 ……けど、このままじゃメルが……。

「普通に暮らしていた結果がこれでは無いのか? またインフィニットに命を狙われることになるぞ?」

 中年の男に語りかけるイナさん。

 男はイナさんの鋭い目に少し間押し黙ってしまった。

「そ、そんなもの! お前たちがここに来さえしなければ!」

 男の変わりに他の牢屋の人が答えた。

 それに対して男は無言で頷く。

「愚か者め! それが命を懸けて助けに来た者への言葉か!」 

「………………」

「もういい。力ずくでも従わせてくれるわ。おぬしに触れさえすればいいのじゃろう?」

 イナさんはこれでもかという程に鬼神斬巌刀を振り回し、ヘリオくんに語りかける。

 ヘリオくんとメルを包む光がさっきよりも弱くなっているのが分かった。

 イナさんも焦っているんだ。だからあんな強引なことを……。

「うん。でも、ここにいる人たちは自分以外の人に干渉する能力を持っているよ。お姉ちゃんは普通の人間だから、あっという間に行動不能にさせられるよ」

「構わぬ。それに易々とそんなものを受けてやるつもりもないのでな。数百の異能者を相手に、ただ剣を振るうのみじゃ!」

 鬼神斬巌刀を片手にイナさんはまず、牢から出てきた男を見据えた。

 男はイナさんから発する気迫に尻餅を着くと、慌てて能力を発するように目でイナさんを追った。

 が、イナさんは既に男の視界の外。男の真後ろで剣を振り上げていた。

 あたしは水御華を握ったまま、男の方に走り出した。

 

 ガンッ!

 

「シノ?」

「ハァ、ハァ……」

 あたしはイナさんの重たい一撃をなんとか刀で受け止めることができた。右手の痺れが尋常じゃない。

 イナさんが寸前での所で加減してくれたのもあるだろう。

 そうでなきゃ、今頃は刀ごと真っ二つだ。

「時間がない。このままではメルの命に関わるぞ」

「メルは、あたしを守ってくれたんです。そして、ここにいる人たちも守ろうとしてここまで来た。その想いは最後まで変わらなかったはず。だからどんな理由があろうとも、ここにいる人たちを傷つけることだけはしたくありません!」

 まっすぐにイナさんを見つめるあたし。

 男はあわあわと震えた声を出していた。

 じっとあたしに視線を返すイナさん。

 その目も真剣だ。メルの命に関わることだから、当然か。

「……ふむ。道理ではあるな」

 イナさんは力を抜くと剣を引いてくれた。

 あたしも同じように刀を引く。

「しかし、それでメルが助かるのか?」

 あたしは牢屋を挟む長い廊下に向き直ると袖で涙を拭った。

 そして呼吸を整え、ここにいる人たちを前に深く頭を下げる。

「ここに横たわる女の子を助けるには、異能者がこの男の子へ触れて力を貸す以外にありません。どうかその力を貸してください!」

 牢屋の中でざわめきが起こり始め、そのざわめきが地下全体を覆った。

 しかし、誰かが名乗りを上げることはなかった。

 鍵が開けられたはずの牢はしきりに閉じたまま。

 それがそのまま拒絶を意味していた。

「どうして……どうして助けてくれないの……?」

 あたしの言葉に近くの牢屋のお爺さんが答えた。

「ワシらは普通の人間じゃ。異能者などと言って命を狙われる側の人間になりとうない」

「ここにはインフィニットの人間なんていません!」

「分からん。誰が裏切るか……。そうやってワシはここに連れてこられたのじゃ。他にもおるはずじゃて。他人に騙されて、捕まった者がな」

 お爺さんの言葉に賛同する人たちが「そうだそうだ」と声を上げた。

「助ける力を持っていながら、こんな小さな女の子を見殺しにしておきながら、『普通の人間』を語るとはのう」

 イナさんの言葉にお爺さんは顔を背ける。

 そしてボソッと言葉を吐いた。

「お前たちには分からんのだ」

 あたしはインフィニットがどうやって異能者を見分けているのか、ずっと疑問だった。それは人伝に知られたり、密告する者がいたからだ。

 ここに捕らわれた人たちはみんなそれを経験している。

 だから名乗らない。

 自分が異能者であることをひた隠しにしたいんだ。

 いつの間にか、ここの異能者たちは全員あたしたちの敵になってしまったみたいだった。

 誰も異能者であることを名乗ることはせず、誰もメルを助けようとはしなかった。

「お姉ちゃん。早くしないと、もう……!」

 そんな中、ヘリオくんが苦しそうに声をあげた。

 その体を包む光が徐々に失われていくのが目に見えたわかる。

 ヘリオくんの状態も良くない。額に汗を浮かべて苦しそうだ。

 このままじゃメルだって危ない。

 でも、あたしじゃメルを救えない。それが悔しくてたまらなかった。

「お願いです! 力を貸してください!!」

 あたしはイナさんに斬られかけた男にすがった。

 しかし、男はそっぽを向いてこう言った。

 『俺は異能者じゃない』……と。

 このままじゃメルを失ってしまう。

 助けようとした人たちがメルを見殺しにするなんて、そんなの絶対おかしいよ!

 怒りのままに水御華を振り下ろした。微かにリィンと鳴った気がしたが、今はそんなの構っていられない。

「あたしは! 異能者だ!!」

 振り下ろした剣の先から膨大な水が吹き荒れ、長い廊下を一直線に水が走り抜ける。

 水飛沫が左右の牢屋に向かって飛び散り、異能者たちを濡らした。

 そしてあたしは、力の限り大声を上げていた。

「異能者だからって何?! それがなんだっていうのさ?! 人と違うってそんなにいけないことなの?!」

 あたしの言葉に辺りが静まり返る。

 異能者たちの視線があたしに集まる。その視線は知っている。

 あたしのことを異能者だと知った普通の人のそれと同じ。

 でも、そんなの構わない。メルを助けられるなら、周りからオカシイ人間のように見られたって構わない。

 この静寂の中で、あたしは続けざまに言い放った。

「あたしは異能者だ! だから異能者だからって見る目を変えたりしない。自分が異能者であることにも負い目はない。だってあたしは大好きな両親から生まれたんだもん! ここにいる異能者のメルも、そうじゃないイナさんも、あたしの大切な仲間だから。誰が何と言おうと、それは変わらない事だもん!」

 あたしは力なくペタンと座り込んだ。

 疲労している中、限界まで水を操ったせいだろう。

 でも、あたしは喋ることを止めない。訴えることを止めない。

 そうしなきゃ、メルを守れないから……。

「異能者とか、そうじゃないとか、関係ない! 人と違ったって、いいじゃないか! この世に同じ人なんていやしないよ!

――だから……、だから!!」

「シノ……」

 必死に訴えてみたけれど、相変わらず反応は返ってこない。

 ごめんねメル。キミはあたしを守ってくれたのに。

 あたしはキミを守れない。本当に、ごめん……。

 悔しさに涙が溢れて止まらない。

 助けられるはずの命なのに。

 あたしじゃどうにもできないんだ。

 悔しくて悔しくて……たまらなかった。

 やっぱり砂漠のアメフラシはただの人だ。

 本当にその通りじゃないか。

 水を操ることや雨を降らすことができても、大切な人を守れない。そんなの……なんの意味もないよ。

「シノ……」

 イナさんの手があたしの肩に触れる。

「イナさぁん……」

「見よ」

「えっ――」

 顔を上げると、あたしのすぐそばに小さな女の子が立っていた。

 メルやロメリアよりも幼い、ホントに小さな女の子だ。

「キミ、は……?」

 女の子はもじもじと体を揺らした後、上目遣いであたしを見た。

「あのね。うんとね。だれにもいっちゃいけませんってパパとね、ママがね、いうの。でもね……」

「でも?」

「あのね、あのね。サリスちゃんね。このおねえちゃんをたすけたいの。いのーしゃなら、いいんでしょ?」

 目の前がパァっと明るくなったみたいだ。

 その言葉だけでどれだけ救われたか分からない。

 あたしは両手で目をこすって涙を拭うと、サリスちゃんの肩に手を置いた。

「サリスちゃんって言うんだ。サリスちゃんは優しいね」

「うん。でもね、うんとね。いのーしゃってだれにもいっちゃダメなんだよ? おねえちゃんだけ。とくべつなんだよ?」

「うん。……うん!」

 そう言って微笑むサリスちゃんはあたしにも特別なんだと思った。

 嬉しくて嬉しくて……たまらなくなってサリスちゃんを抱きしめてしまった。

「いたいよ、おねえちゃん」

「あ。ごめんごめん。じゃ、さっそくヘリオくんに」

「うん!」

 サリスちゃんは元気よく返事をするとヘリオくんの腕に両手でしがみついた。

 ヘリオくんとメルを包む光がわずかに強く輝いた。これでなんとかなるといいんだけど……。

「シノよ。おぬしの想いがあの子を動かしたのじゃ」

「そんな……あたしは……」

 そんなこと、ぜんぜん思わない。サリスちゃんが力を貸してくれたのは、やっぱりあの子の優しさだと思うから。

「そして。あの無邪気な笑顔が、また人を動かすのじゃな」

「えっ――」

 振り返ると大勢の人がこっちに来ていた。

 この地下牢にこれだけの人間がいたのかと目を疑ってしまうほど。数百人近い異能者がそこにはいた。

 捕らえられていた人たちはあたしたちを囲むと目を泳がせながら口を開いた。

「俺たちも、その……異能者だから。手を貸すよ」

「私を苦しめてきたこんなものが、誰かの役に立つのなら……」

「その代わり、俺たちが異能者だってことは内緒にしておいてくれるんだろ?」

「頼むぜ、お嬢ちゃん」

 あたしはハッとなってイナさんを見ると、イナさんは大きく頷いて笑ってくれた。

 あたしは向き直ってみんなに深く頭を下げた。

「よろしくお願いします!」

「善は急げじゃ。皆の者、ヘリオに触れるのじゃ!」

 何人かがヘリオくんの背中に触れる。

 ヘリオくんに触れた何人かの背中を後ろの人が触れ、その後ろの人の背中をさらにまた後ろの人が触れる。

 ヘリオくんとメルを中心に何重もの人の円が作られた。

「お、俺も……やってやる!」

「ワシもじゃ!」

 さっきまで否定していた中年の男とお爺さんまでもがその人の円の中に入っていった。

 人が増えていくその度にヘリオくんとメルを包む光がどんどん強くなっていく。

 やがて光は周りの人たちをも包み込み、心地よい温かさを漂わせていた。

 これが今まで蔑まれてきた異能者と呼ばれる人たちの持つ力なんだ。

「こんなことが、あるんですね」

「うむ。人の心が成せるもの、じゃな」

「あたしもこの中に入りたかったな……」

 同じ異能者でありながら、あたしはメルを助ける手伝いができない。それが少し歯がゆかった。

「なんじゃ。そんなことを考えておったのか?」

 イナさんはあたしの腕をとると、人だかりをかき分けて奥へ、ヘリオくんとメルのいる所へ進み始めた。

「ちょっと、イナさん! 邪魔しちゃダメですってば!」

「邪魔なものか。人の心が成せるものじゃと言ったであろう? なら、この中でメルを一番に想っておるおぬしと、二番目に想っておる私が特等席じゃ!」

 そんなむちゃくちゃなことを言いながら、とうとう円の中心であるヘリオくんとメルのところまで来てしまった。

 イナさんはメルの腕を取るとあたしに握らせた。

「……メル。きっと助かるからね?」

 小さくて柔らかな手。さっきとはまるで違う。

 その手が微かに、しかし確実に暖かみを取り戻していた。

 ――メル。お願い! 帰ってきて!!

「みんなの力を借ります。決して手を離さないで下さい」

 ヘリオくんがそう言うとその小さな体から強い光が放たれた。

 目も開けていられないくらいの光があたしたちを包み込む。

 あたしはただただメルの生還を祈った。

 何の役にも立っていないかもしれないけど、心の中で強く強く願った。

 その中で、微かにメルのまぶたが震えた。

「――――う、ん」

「メルっ!!」

 メルはゆっくりと目を開け、あたしの方を見た。

「どうなってるのね? これは、……奇跡ね?」

「奇跡か。そうかもしれぬのう」

「うん。ヘリオくんが――ああ!」

 この光の中、ヘリオくんの体だけが薄っすらと消えようとしていた。

「ヘリオくん!」

「……ごめんなさい」

 こうなることが最初から分かっていたかのように。ヘリオくんはあたしに笑いかける。

「ぼくは消えなければならない。こうしないと助けられないんだ。それくらい、ぼくには力が残されて無かった」

「そんな! せっかくみんな助かるのに!」

「いいんだ。ここにいる時、ぼくは満足に生きてなかった。これでやっと生きてるってことが実感できた気がする。それを教えてくれたのはおねえちゃんたちだから……」

 ヘリオくんの体だけでなく、その声すらも聞こえ難くなっていく。

「お姉ちゃんの心、少し覗いちゃった。目を治したい子がいたんだね。治してあげられなくてごめんね……」

「ロメリアの目を。ヘリオくんなら治すことが?」

「うん。僕と同じ原種と呼ばれる存在の人になら、きっと治すことができるはずだよ。だから諦めないで」

 異能者の原種。他者に干渉する能力。

 それがロメリアの目を治す鍵になるんだ。

 ヘリオくんはメルだけでなく、ロメリアの希望もくれたんだ。

「ありがとう、お姉ちゃん。おかげでほんの少しでも、人らしく生きることができたよ」

 より強い光とともに、ヘリオくんの体が光にとけ込むように消えていく。

「ヘリオくん!」

「……さようなら……」

 ヘリオくんは光とともに消えていった。

 あれだけの光を放っていたのが嘘のよう。

 広い地下牢は薄暗さを取り戻して、元の松明の明かりだけがこの地下牢を照らしていた。

 やがてざわめきが起こり、異能者のみんながこの結果に驚いていた。

 メルは体を起こすと目を何度も瞬かせた。

「ウチ……助かったね?」

「そうだよ。ヘリオくんやここにいるみんなが力を貸してくれたんだよ」

 メルは自分を囲んでいる人たちを一通り見回した後、嬉しそうに微笑んだ。

「みんな、ありがとうね!」

 そのメルの微笑みは本当に無邪気で、アンリミテッドとして乗り込んできたとは思えないくらい幼く見せていた。

 そうだ。メルはあたしよりももっと子どもだったんだ。

 こんな小さな子が戦わなくちゃならない。そうすることを強いられている。それがインフィニットの世界なんだ。

 今回の戦争はたくさんの犠牲を産んでしまった。

 ヘリオくんや両組織の兵士たち。

 そして西のインフィニットの王、ヴィクロス。

 西のインフィニットの崩壊がインフィニットとこの世界にどんな影響を与えるのか。

 この戦いに関わってしまった以上、あたしはそれを見届けなければならないのかもしれない。

 いつしかそう考えるようになっていた。

 

 

 それからヴィクロスの死亡と反組織の勝利が告げられ、この戦争は終焉を迎えた。

 反組織をまとめあげたアンリミテッドがこのウエストサンドを占領し、異能者狩りから逃れた異能者を受け入れる拠点とすることになった。

 もちろんウエストサンドを拠り所とする街の住人たちはそのままだ。

 インフィニット……というよりもヴィクロスが課した重たい税が無くなったことでアンリミテッドを快く受け入れていた。

 中には巻き込まれたことに反発する人もいたけれど。それは仕方が無いんだと思う。

 ただ、地下牢で長く捕らえられていた異能者たちはインフィニットの恐ろしさが渾身に染み着いていたため、普通の人間に扮して生活をはじめる者もいたけど半分以上がこの地を去っていった。

 中にはアンリミテッドの組織へ編入を志願する者もいたが、それはごくごく少数だった。

 アンリミテッドの戦いは終わっていない。

 むしろ始まったばかりか、これから激しさを増すのだろう。

 それでも今は、この勝利を分かちあうため、宴が催された。

 陽が落ちて夜を迎え、宴は益々盛り上がりを見せていた。

 あたしとイナさんはアンリミテッドに協力した戦士として迎えられた。

 あたしが砂漠のアメフラシという通り名を持っていることは一部を除いて内緒になっている。

 イナさんは少し離れた所で男たちとお酒の呑み比べをしている。そこでダウンする男たちが増える一方だった。

「ふぅむ。さすがに回ってきたかのう?」

「イナさーん! 呑みすぎ注意ですよー?」

 あたしは手を振ってイナさんに声をかけた。

 イナさんは軽く手を挙げると酒樽に親指を向ける。

「シノもどうじゃー? ここの酒は美味じゃぞー!」

「お断りしますー! ロメリアもメルもいるんですからー!」

「なんじゃつまらぬ。お、その者。私と呑み比べてみぬか?」

 ダメだこりゃ。

 見た目はぜんぜん酔っぱらっているようには見えないけど、もう既に我を忘れているみたいだ。

 ああいうところは目標にしないほうがいいのかも。

「イナさんにも困ったもんだ。ねぇ、ロメリア?」

「すー……すー……」

 ロメリアはいつの間にか眠っていた。

 すぐそばでルルも一緒になって眠っている。

 この子たちは本当に仲がいいんだから。

「このまま寝かしてあげるといいね」

「そうだね」

 こうして見るとメルの方がロメリアよりもお姉さんって感じがする。

 そういえばどっちの歳も聞いてなかったっけ。

「ねぇ、メルは何歳になるの?」

「ウチは十五歳だね」

「ええっ!? もっと若いと思ってたよ!」

「よく言われるね。これでもアンリミテッドの戦士だからね」

 するとメルはもっと前から戦っていたことになる。

 そういう貫禄が見えないのは見た目の年齢のせいだろうか。

 でも、本当に命を危険に晒してまで戦わなければならない生活をしてきたんだな。

 あたしのようなのんき者とは大違いだ。

「メルはこれからどうするの? 本当にアンリミテッドの長になっちゃうの?」

「どうしたのね、シノちゃん?」

 メルには資質がある。それはこの戦いであたしもよくわかった。

 けど、それでもまだ十五歳。

 世界を統括するインフィニットに対抗する反組織アイリミテッドの長を担うには荷が重いはず。

 こんな小さな肩にその全てを背負わせなければならない理由なんて、どこにもないと思うんだ。

「ウチの一族がずっとそうしてきたことね。ここを曲げてしまったら、これ以上の組織を動かすことができなくなるね。砂漠の一族と言われたウチらと、それに助けや協力を求める者たちの、古くから在る契りのようなものね」

「メルのお父さんが居てくれたら――あっ、ごめん!」

 あたしは慌てて撤回した。

 メルのお父さんはさっきの戦いで命を落としてしまったんだ。

 遺体はまだ見つかっていない。けど、深手を負ったという情情報もある。そして今、ここにはいない。

「気にしなくていいね」

 だからこそメルが強がっているように見えてしまうんだ。

 メルは唯一残された組織を継ぐ者だから。

「こうなることは分かっていたね。砂漠の教えに耳を貸さなかったとーちゃんのせいね。それで多くの仲間も失ったね。これもウチの責任ね」

「メル……」

 ふぅと息を吐くメル。

「――それは違うネ?」

「わあっ! びっくりした!!」

 ぬっとあたしの顔の横から顔を出したのはアンリミテッドの長、メルのお爺さんだった。

 白い髭があたしの顔にかかってこそばゆい。

「この戦いまでアンリミテッドの長はこのワシだネ。あやつの動向に気づけなかったのもワシだネ。メルに責任はないネ」

「じーちゃん……」

「その代わり、これからはお前がアンリミテッドの長として生きていくネ。それが砂漠の一族の宿命ネ」

「やっぱり。メルが長にならないとダメなの?」

 メルのお爺さんはあたしの言葉に頷くと、目を反らして髭を掻いた。

「ワシもそろそろ歳だからネ」

「そんなこと言わないでくださいよ〜。おじいさん、まだまだ元気そうですよ?」

「シノちゃん」

 メルはあたしの袖を引っ張ると首を振って見せた。

「じーちゃんはこう見えて百歳を越す老体ね。いついなくなってもおかしくないね」

「ひゃ、百歳オーバー?!」

 これは驚いた。見た目はいかにもおじいさんという感じだけど、とても百歳を超えるようには見えない。

 服の下から見える筋肉も年齢を感じさせないし。ひょっとしてメルはひ孫だったのかな?

「それに、砂漠からもそんな声を聞いているんじゃないのね? じーちゃんは砂漠の記憶を観る異能者だからね」

「フム。長く砂漠の砂たちと戯れておったからネ。近いうちにワシは大きく失う時が来る、そんな光景を砂漠から見たネ」

 メルのお爺さんに初めて会ったとき、あたしのことをすぐに砂漠のアメフラシだと言い当てた。

 あれは砂漠の記憶を見ていたからだったんだ。

 メルは砂漠の声を聴き、おじいさんは砂漠の記憶を観る。

 まるで砂漠に愛されているみたいだ。この一族は。

 だからメルたちは砂漠の意志を尊重しているのだろう。

 砂漠を常に身近においているのかもしれない。異能の力で砂漠と干渉していることも含めて。

「その力を、恨んだりしたことないですか?」

「恨み、ネ……。無いとは言い切れないネ。でもネ。ワシの死を知らせたのは無情ではないネ。おかげで後継者を選ぶ猶予を得たネ。それが砂漠の神の意思なのかもしれないネ」

 砂漠の神、か。そんな風に考えているんだ。こんな砂漠を憎む人の方が圧倒的に多いこの世界で。

 砂漠の神様は、砂漠のアメフラシを必要としていない。

 この大地のほとんどを埋め尽くしている砂漠のすべてが、まるであたしを否定しているみたい。

 それはちょっと、自信無くしちゃうかも……。

「シノちゃん?」

「ん?」

「ウチはシノちゃんが好きね。アンリミテッドの長である前にメルセレス=シュトラーセとしてね」

「ありがとう、メル」

 砂漠のアメフラシ。それは人があたしに付けた通り名だ。

 あたし自身はその名に縛られているわけじゃない。

 それにメルは友達だと言ってくれた。

 あたしもメルのことは数少ない友達だと思っているから。

 ルルも、ロメリアも、そしてイナさんのことも。

「さぁアンタも呑むネ。主役がそんな顔してちゃダメだネ!」

 メルのお爺さんにジョッキで飲み物を渡されると香しい甘い匂いが鼻に強くついた。

 これはダンベルギアの宿屋のおじさんにもらったものに似ているかもしれない。

 軽く口にするとそれだけで体が熱くなり、もわっとした気分になった。

「これ……お酒だよね?」

「固いことは言いっこ無しね!」

 メルもあたしと同じものを手にする。が、横からお爺さんの手が伸びてそれを奪い取った。

「あー! ウチのお酒〜!」

「何がおまえの酒ネ! おまえにはまだ早いネ!」

「えぇ〜! シノちゃんだけズルイね! ウチもう、アンリミテッドの長ね!」

「長でも体は子どもネ! このツルペタ娘め!」

 それはメルの体系のことも含めているのだろう。それを言われるとあたしも悲しくなってくるなぁ……。

 おじいさんはメルから奪い取ったお酒をこれでもかというくらい美味しそうに飲んで見せた。これは絶対わざとだな。

「それにしても。イナさんはよくあそこまで飲めるよねぇ。どんな体してるんだろ?」

 イナさんの方へ目をやると、そこには酔いつぶれた男たちが空の酒樽の前で倒れているだけだった。

 そこにイナさんの姿は無い。

 まだ呑み足りなくてどこかに行ってしまったのかな?

「どこに行ったんだろう? メルは知らない?」

 あたしにカクンと首を傾げるメル。

「シノちゃんは誰を探しているね?」

「イナさんだよ。イナさん」

 ぐるりと辺りを見渡すメル。

 しかしメルも見つけられなかったのか。あたしの方に向き直り、また首を傾げてみせる。

「イナさん、ね?」

「うん。イナさんだよ」

「その人はシノちゃんの仲間ね?」

「――え?」

 メルは本当に何も知らないような顔でそう言った。

 そんな、さっきまで一緒にいたのに。

 アンリミテッドと共に一緒に戦ったはずなのに……。

「じーちゃんは知らないね?」

「ワシはまだ見ておらんネ」

「二人とも何を言ってるのさ? イナさんだよ? 大きな剣を背負ってて、長い髪の……」

「わからんネ。美女なら覚えているはずネ」

「美女だよ美女!」

「おかしいネ〜。それなら絶対覚えている自信あるネ」

「ウチらの協力者なのね? シノちゃんの友達なら早く探してあげたほうがいいね!」

 あたしを見るメルとお爺さん。その顔は冗談とか言っているような顔じゃない。

 本当に知らないという顔だ。

 そんなはずない。二人はイナさんと会っているはずなのに。

「メル! あたしとイナさんと、ウエストサンド宮殿で一緒に戦ったじゃない! ヴィクロスを相手に! あたしたちのピンチにちゃんと駆けつけてくれたじゃない!」

 イナさんはいつもそうだ。あたしのピンチにはちゃんと駆けつけてくれる。守ってくれていたんだ。

「ねぇメル! 思い出してよ!」

「うぅ〜ん……」

 メルの肩を掴んで必死に訴えるも、やはりメルの反応は変わらない。

 あたしの言葉が理解できないという顔だ。

「宮殿にはシノちゃんと二人で乗り込んだはずね。他に誰もいなかったのね」

「そんな?! イナさんだよ? あれだけ戦って、この戦争を勝利に導いたのは紛れもないイナさんの功績だよ!」

「シノちゃん、大丈夫ね? もしかしてお酒を呑みすぎたね?」

 心配そうにあたしを見るメルの目に嘘やからかいは一切無い。本当にあたしを心配している目だ。

「……二人とも、覚えていないなんて……そんなこと……」

 イナさんはあの戦場のど真ん中をたった一人で突き進み、宮殿の大門を一撃で斬り倒し、向かってくる敵をことごとく薙ぎ払っていったんだ。

 敵の異能者も倒したし、ヴィクロス相手にも剣を振るっていた。メルもそれを見ていたはず。

 この戦争の中で誰の目にもその活躍が映っていたはずなのに。

 メルのお父さんもイナさんの勇姿を見てこの戦争を始めたはずだったのに……。

 それをメルは覚えていない。

 あんなにそばで、一緒に戦っていたはずなのに…………。

「シノちゃんは今日、誰よりも活躍してから疲れているのかもしれないね」

 ――違う。誰よりも活躍したのはイナさんだ!

 どうしてメルは覚えていないの?

 メルのお爺さんも、どうして??

「ルルルルゥ〜」

 ぴょんとあたしの膝に乗るルル。

 あたしを見上げると大きなあくびをする。

 ――ルルはどうなんだろう? やっぱりルルもイナさんのこと、忘れてしまったんだろうか。

「ねぇ。ルルもイナさんのこと、忘れちゃったの?」

「ルーッ!」

「あっ、ルル! どこに行くの?!」

 急に走り出すルル。あたしはその後を追って走った。

 ひょっとしてイナさんの所へ向かっているのかもしれない。

 ルルもイナさんの顔を見ているから。

 イナさんの……イナさん、の――――ダメだ! あたしもイナさんの顔、思い出せない!!

「そんなの嫌だ! 嫌だよ! 思い出せ! 思い出せ〜!」

 あたしは両手でガツンガツンと頭を叩いた。けど、ぼんやりとした輪郭しか思い出せない。

 あたしまでイナさんのことを忘れようとしているなんて。そんなの酷すぎるよ! イナさんはあたしの大事な人なのに!

「ルッ、ルルルーッ!」

 ルルが大きなテントの裏手に回り込んだ所で、その向こうに淡い光が見えてきた。

 円形のテントの外を回るように走り続けると、その先にイナさんの声を聞いた。

 

「よしよし。ルルよ、おぬしは勘が鋭いのう」

「ルルルルルゥ〜♪」

 

 その声を聞いた途端にあたしは涙がこぼれてしまった。

「イナさぁーん!!」

 その姿を目の当たりにして、あたしはイナさんだと確信した。

 さっきまで顔も分からなくなっていたのに。この人がイナさんだと分かる。

 淡い光はイナさんの左肩にある紅い宝玉から出ているようだ。その光がイナさんを包んでいる。

 その光が特別過ぎて、これからどうなるのかすぐに分かってしまった。

 ――イナさんがいなくなろうとしている!

「イナさぁん!」

 あたしはイナさんの胸に飛び込むと必死にしがみついた。

 まるで子どものように泣きじゃくりながら。

 決して離さないように力一杯抱きしめた。

「これこれ。泣くやつがおるか」

「だって……だってぇ〜!」

 イナさんがこの世界から居なくなろうとしている。そう分かって泣かずになんていられない。

 あたしは今になって思い出していた。

 以前、イナさんがあたしの前から姿を消してから、ダンベルギアで会うまでの間。

 あたしは完全にイナさんのことを忘れていたんだ。あたしにとってとても大切な人なのに……あたしは忘れていた。

 そして今も、同じように忘れようとしていたんだ。

「イナさん! イナさぁん〜!」

「よしよし。困った子じゃのう、シノは」

 そう言いながらイナさんはあたしの頭を優しく撫でてくれた。その優しさが余計に寂しさをかき立てる。

 イナさんはこの世界の人間ではないと、以前に言っていた。

 前はフラッと姿を消していなくなってしまったけど、今こうしているとそれが本当のことだと分かる。

 イナさんはこの世界から消える。

 あたしの大切な人が行ってしまう。

 そしてまた忘れてしまうんだ。イナさんのことを……。

「イナさん……イナさん……」

「私はここじゃ。ここにおる。大丈夫じゃ。こうしておぬしのそばにおる……」

 何度も名前を呼ぶあたしに、イナさんは何度も返事をしてくれた。

 イナさんはこの世界で何度も何度も名乗りを上げていた。

 何度も何度も……きっと他の世界でもそうなんだろう。

 いろんな世界で名乗りを上げて、幾多の戦場で勇猛果敢に剣を振り続ける。

 そしてたくさんの人を守ってきたんだ。

 ――でも、最後にはその名も、その活躍も、誰も覚えていないんだ。このぬくもりすらも……。

 そんなの孤独すぎる。寂しすぎるよ……!

「シノよ。再びまみえた時、おぬしが私のことを覚えてくれたこと。私は凄く嬉しかったぞ」

「違うんです! あたしはイナさんに会うまで、ちっとも覚えていなくて……!」

「それでもよい。また同じ世界で同じ人間に会うても、私のことを覚えている者はいなかった。ここが本当に以前訪れた世界なのかと考えてしまうほどにのう。しかし、おぬしは思い出してくれた。これほどの喜びは無いのじゃぞ?」

「でも、……でも!」

 またこの世界を去ってしまったらどうなるかなんて分からない。あたしが覚えている保証なんてどこにもない。

 次にイナさんと再会した時。もしあたしが覚えていないと知ったら、イナさんはどう思うだろうか。どんな顔をするだろうか。その心をどれだけ苦しめてしまうだろうか。

「イナさん! 行かないでください! ずっとこの世界に居てください!」

 あたしはそんなことを口にしていた。あたしの本心だけど、もしかしたら一番言ってはいけない言葉だったのかもしれない。

 イナさんとの別れを余計に悲しいものにしてしまうから……。

「ふぅむ。今のセリフ……私が男だったら胸キュン間違いなしじゃったな」

「こんな時にふざけないでください!」

「ハハ、すまぬすまぬ」

 イナさんは困ったように笑うとあたしの頭をまた撫でた。

「おぬしは優しいのう」

「そんなことないです!」

「そんなことない、ことはないぞ?」

「違うんです。イナさんがいなくなったり、忘れちゃったりしたら……、あたしが嫌なんです! あたしが寂しいから言っているんです! 全部、あたしのことなんです!」

「シノ……」

「イナさんを行かせたくないんです! 孤独にさせて、行かせたくないんです! そんなことさせてしまったら、きっと耐えられない! あたしが耐えられない! だから……この世界にいてください!」

「そうか……。そうじゃのう……」

 あたしの言ってることはもうメチャクチャだ。でも、どれもこれも本心だ。

 イナさんがいなくなると思うだけで心が苦しい。頭の中がぐちゃぐちゃにされて、胸が張り裂けそうで……。いや、もっとだ。もっともっと、あたしは苦しい。苦し過ぎる!

「ありがとうシノ。そんなに泣かせてしまってすまないのう。おぬしにそれだけ慕われておるのじゃ、それだけで私は救われておるぞ」

「ひっぐっ……うぐっ……イナさぁん……」

「よしよし。やはりおぬしは優しいのう」

「うううぅ〜……」

 それでもイナさんから『行かない』という言葉はでない。

 分かっていることだけど。別れは必ず訪れてしまうのだとわかっていることだけど……。

 やっぱりあたしは、イナさんと別れたくない。

 勝手に泣いて、わがまま言って……ホントにこどもだ。これじゃイナさんのように成れるはずないよ……。

「しかしな? 私は孤独などと思ったことは無いのじゃぞ?」

「……そう、……なんですか?」

 イナさんの顔を見上げる。

 あたしと顔を合わせるとイナさんは微笑んでみせた。

「両親から貰ったこの体。師から受け継いだ鬼神の名と斬巌刀。そして旅の中で出会った者たち。その全てが今の私を作っている。無論、いい事ばかり、いい出会いばかりとは言わぬが……それですら今の私を作りあげているのじゃ。何一つ欠けてはならぬもの。それはおぬしもそうなのじゃぞ、シノ?」

「あたしも……?」

「そうじゃぞ。だから私はこの心と体をくれたすべてを愛している。何よりも大きく誇りに思っている。すべての出会いと経験、それらに心から感謝しておるのじゃ。分かるな?」

 そう言って笑うイナさんはとても勇ましく、そして何よりも美しかった。

 イナさんはいつもそうだ。

 悠然としていて。誰よりも強い。強い心を持っている。

 それはイナさんの言うようにこれまでのことを大事にしているから。自分に関わってきた人も物も、そのすべてを愛せるだけの器量を持っているからだった。

 こんなイナさんだから、あたしはずっとずっと、誰よりも強く憧れていたんだ。

「イナさんは強いですね。剣だけじゃなくて、心の方も……」

「うむ。それは母親譲りじゃからのう。ちょっとやそっとじゃ折れぬ心じゃぞ?」

 イナさんの強さ。その心。その何もかもがそこに詰まっていて、その存在として現れている気がする。

 あたしが慕い、目指した人は、こんなにも、こんなにも素晴らしい人だったんだ。

 その想いは前よりも強く、より強くなっていた。

「あたしはイナさんのような人に成りたい。どんな時でも強くて優しくて、笑っていられるような人になりたい」

 ずっとそうだった。

 この世界であたしの心の拠り所にしていたのはイナさんへの想い、憧れ、絆……。

 それをまた無くしてしまうなんて、やっぱり考えたくない。

「また泣きそう……」

「やれやれ。困ったシノじゃのう」

「だってぇ〜……」

「よいか? おぬしは今でも充分に優しい。このような世界を潤すことができるのは、きっとおぬしのような心じゃろうな。そしてそれが、おぬしの強さとなるはずじゃ」

「でも、でも! あたしはイナさんのようになりたいんです! イナさんのように、ずっとそう思ってて――――あっ!」

 イナさんはあたしの頭を撫でる手を止めると、あたしの頭の上で結んでいる髪の紐をゆっくり解いた。

「フフッ。馬鹿じゃのう」

 その紐をあたしの右手に握らせると、イナさんはこつんとあたしの額を小突いた。

「人と違ったっていい。……あの時、おぬしはそう言ったであろう? 私もそう思うぞ?」

 あたしは右手に視線を落とすと、手の中の紐を見た。

 これをしているとイナさんのようになれるような気がしていた。イナさんが居なくなってからもずっとしていた。

 これはあたしの誓いに等しいものだった。

「おぬしはおぬしで在れ、シノ」

「……あたしは、あたしに……?」

「うむ。おぬしはおぬし。私では無かろう? だからもう、私を追う必要は無いのじゃぞ?」

「そんな……でも、あたしは……」

 イナさんはそう言うけど、イナさんを目指しているあたしも、本当のあたし。

 そこに偽りなど何一つない。これまでずっとそうしてきたことだから。

「うっかり屋で悩みも多いおぬしじゃが、人や動物に優しいのもおぬしじゃ。ルルもシノが好きじゃろう?」

「ルルゥ〜♪」

 足下でじっとしていたルルが声を上げる。

 あたしのために事の成り行きを見守っていたのかもしれない。

「ほらのう?」

「へへっ。ありがとう、ルル」

 いつの間にか空が明るくなっていることに気がついた。

 じきに夜が明けようとしているんだ。

 それに呼応するかのように、あたしの心も少し明るくなったみたいだった。

 あたしの肩に手を置くイナさん。

 いつの間にかイナさんの肩の宝玉から放たれる光が強くなっていた。

「シノよ、笑え。もっと笑うのじゃ。おぬしにも愛する者たちがたくさんいよう?」

 次第に近づく別れの気配。

 でも、あたしは止め処なく流れる涙を拭い、イナさんの言うように笑ってみせた。

「ハイッ! ヘヘヘ……」

「うむ! それでこそシノじゃ。フフフッ」

 イナさんも笑った。本当に嬉しそうに、楽しそうに笑った。

 それを見てあたしは嬉しくなってもっともっと笑った。

 イナさんが笑えばあたしも嬉しい。イナさんもそうなのだと分かる。

 だから二人でたくさん笑いあった。

 それだけであたしたちは満たされていた。

 日の出から射す暁の光とイナさんを包む紅い光が交わり、あたしとイナさんを照らした。

「イナさん!」

「うむ?」

「絶対に忘れませんよ! イナさんのこと。あたし……ずっとずっと覚えていますからね!」

 イナさんは目を丸くしてあたしを見た。

 それでもあたしは本気だった。

「フッ、そうか……」

 眩しい光がイナさんを包んだ。

「シノよ……また会おう!」

 その微笑みを残して、イナさんは光の中に消えていった。

 紅い紅い、暁の光と共に……。

 その光がゆっくりと辺りを照らし始めると、あたしの心の中まで真っ白にしていった気がした。

 清々しい風があたしの頬を撫でる。

 頬に手を当てると、わずかな雫が指を伝った。

「……あれ? 雨が……降ったのかな?」

 空を見上げてみるものの、雲一つない晴天だった。

 ――なぜだろう? なんで頬が濡れてるのかな?

 また頬に触れた所で、右手に何かを持っていることに気が付いた。

「あれ……紐だ」

 ――どうして握っていたんだろう?

 考えても考えても思い出せない。

 ただ、どういうわけかあたしの心は満たされていた。この上なく潤っていた。

 その理由も思い出せないのに……変なの。

「ルッ! ルルッ!」

「あれ? そこに居たんだ、ルル?」

 ルルはあたしの足から肩へと飛び移ると、そのざらっとした舌であたしの頬を舐めた。

「ぎゃふっ! どうしたのさ?」

「ル〜ッ!」

 今度はその堅い皮膚で頬ずりをしてきた。

 なんだかよく分からないけど、機嫌はいいみたいだね。

 

「シノおねえちゃーん!」

 

 ロメリアの声がする。と思ったらメルの声も聞こえてきた。

「シノちゃーん! どこねー!?」

 二人があたしを探している。

 今になってここはキャンプから少し外れたテントの裏手だと気づいた。

 ――あたしはこんな所でなにをしていたんだろう……?

 考えても考えても思い出せない。

 なんだかよく分からないけど、……二人が呼んでいるなら行かなくっちゃ!

「行こうか、ルル?」

「ルルッ!」

 肩にルルを乗せたまま。

 二人の声がする方へ走り出すあたし。

「――あ」

 あたしは立ち止まると、手の中にある紐に視線を落とした。

 そしてその紐を無造作に頭の上に持っていく。

 いつものように。それが当然のように。

「……これでよし、っと♪」

 あたしは再び走り出した。

 ずぶずぶと砂漠に足を取られながら。

 その都度、頭の上で結んだ髪が揺れているのが分かる。

 それがなぜか嬉しくて、あたしは笑ってしまった。

 また髪を伸ばそう。今度はうっかり斬らないように。

 そしたら近づけるかもしれない。

 あたしの大好きな……大切なあの人に――――。

 

 

 

 

 

EP1‐4 砂漠の異邦人-Étranger-・完

 

 


 

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