NOVEL
Water Sprouts EP1‐4 砂漠の異邦人-Étranger- 前編 扉を開けると、その先は下へと続く階段だった。 それを一気に駆け降りるとそこは薄暗く、かなり広い通路に出た。その広さは通路と呼んでいいのか迷うくらいだ。 通路の両側には鉄格子でできた牢屋が奥までずっと続いている。 ここは地下牢。 牢屋の中はさっきの異能者たちと同じように頭から布を被り、全身を覆い隠した人間がたくさん捕らえられていた。 老いも若きも。男も女も。 牢一つにつき五人から六人。その割に牢の中が広い。 一箇所に固まって寄り添っているせいか。人数に対して牢が大きく感じる。 彼らはあたしたちが駆け込んでくるのを見るや否や、怯えるように体を震わせてこちらを警戒している。 「シノちゃん。ここにいるのは……」 「間違いなく捕らえられた異能者たちだろうね」 あたしには異能者か否かの判別はできない。 けど、さっきの異能者と同じ格好をさせられているし、西のインフィニットは異能者狩りでたくさんの異能者たちを捕らえていると聞く。 この現状を見ればここにいるのが捕らえられた異能者たちだと分かる。 すぐに助けてあげたいけど。今はヴィクロスを追わなければならない。 「ねぇシノちゃん。どうしてイナちゃんを一人にしたのね?」 長い地下牢を走りながら、唐突に尋ねるメル。 そっか。さっきは何の説明もしないでメルを引っ張ってしまったんだった。 「さっきの異能者、イナちゃんのとーちゃんに化けたね。自分の父親を相手にするなんて辛いはずね」 「ん〜、あたしは逆だと思うなぁ。いつか言ってたんだ。イナさんの剣は父親を超えるためにあるって。だから戦いたかったんだと思うよ。一対一でね」 イナさんの口ぶりだとお父さんのことをひどく嫌っているように聞こえる。 けど、さっきのイナさんを見ているとそんな風には見えなかった。なんていうか……あたしにはとても測りきれないや。 イナさんには複雑な家庭事情があるんだろう。あまり身の上話をしてくれないのもあるけど。 「それにさ。あたしらじゃ役不足だったんじゃない?」 「ムッ! そんなのやってみないと分からないね!」 「ん〜そうかなぁ?」 やってみないと分からない、か。そういう所はメルらしい。 あたしなんて格上相手に命を懸ける度胸がないや。あれだけの戦いを見せられてしまったこともある。 以前はベゼルにも恐怖を感じていたけど、今じゃなにくそっていう対抗心の方が強いや。 もしさっきの異能者があたしの心を読み取っていたなら、きっとベゼルに姿を変えていただろう。 イナさんはイナさんの思う強敵と戦っているんだ。 あたしたちも頑張らなくっちゃ! 「見つけたね! ヴィクロスがいるね!」 通路の先を指差すメル。 その突き当たりには大きな扉の輪郭が見える。 そこにヴィクロスの姿があった。 わずかに開いた大きな扉。そこから外に逃亡しようとしていたのだろうか? 「もう逃げられないね!」 ヴィクロスは体ごとゆっくり振り返ると、けたたましい声で怒鳴り散らした。 「フンッ! 時間稼ぎもできないのかあの馬鹿者が! 少しばかり使えるから置いてやったものを! 兵たちもだ! ゾンビになっても使えん無能! 無能者! 異能にも劣るわっ!」 自分以外の人間を罵るその姿にあたしは呆れてしまった。 ヴィクロスにはもう味方はいない。 あたしたち二人を相手にする戦いの技量も持ち合わせていないはずだ。 それなのにヴィクロスは今も尚、強気にあたしたちを睨み付けている。 「観念するね! 西のインフィニットはこれでお終いね!」 「フハッ! 世迷言を抜かしおるわ。ウフフフハハハハハ! 面白い! オモシロイ! ハハハハハハッ!」 狂ったように笑いだすヴィクロスにあたしは不気味なものを感じていた。 笑いそのものも不気味ではあるけど……。何よりもこの余裕。 まだ何か手札があるのだろうか。 「何がおかしいね?!」 「これを笑わずにいられるか! この私自らが戦う出番が回ってきたのだぞ! 実に苛立たしい! だが同時に圧倒的な力の前に打ち倒れるお前たちが見られる! これは楽しい! 楽しいではないか! その力が私にあるのだあ!」 どこにそんな自信があるんだろう。 現状は二対一。体の作りからしてもヴィクロスは鍛えていない。一対一で戦ったとしても結果は目に見えている。 それなのにあの自信だ。口ぶりからこれまでにも戦いというものをしてきたようだ。 なぜあそこまで大きく出ることができるんだろう。 なぜこれまで戦って勝つことができたのか。異能者ではないヴィクロスなら尚更に疑問だ。 あたしは逆に違和感を覚える。 ヴィクロスのその言葉、その自信の根拠。 インフィニットを統べる者の一人である以上、こういうことはこれまでにもあったはずだ。 今回のインフィニットとアンリミテッドを含む反組織の戦争を見てもそうだ。 戦力が均衡していれば、今回のように攻め入られることもあっただろう。 でも、なぜここのウエストサンド宮殿が一度も反組織に奪われることなく維持してこれたのか……。 ヴィクロスは何かを隠している。それは間違いなさそうだ。 「お前に圧倒的な力なんて無いね! 部下も居なければお前自身も異能者じゃないね!」 「いぃのぉしゃあぁ? 異能者と言ったのかこのバカ娘が! そんな欠陥品など何の役に立つというのだ! よくも私をそんなものと同列に見おったなぁ〜?!」 ヴィクロスは恨めしそうな顔でメルを睨み付けた。 異能者そのものに嫌悪感を抱いているのだろうか。 それならなぜ、ここにはこんなたくさんの異能者たちが捕らえられているんだろう? ふと右の牢にいる捕らえられた異能者たちに目をやった。 牢の中では全員が身を寄せ合い、怯えるような目であたしを見ていた。 何かしら酷い仕打ちをされてきたのが分かる。異能者というだけで……。 「貴様ら異能者のクセに気が付かなかったのか? この宮殿には異能者がいる。が、ただの異能者ではないということを!」 ヴィクロスの言葉を聞いてメルはあたしの方を振り返った。 あたしはメルを見て頷く。 「やっぱり。同じ能力を持つ異能者がいるんだね。あれだけの数のゾンビ兵を一人で操るなんて無理だから」 「それにイナちゃんが戦っている異能者は能力を二つ以上持っていたね。二つ以上の能力を持つ異能者なんて、これまで聞いたことが無いね」 異能者は他の異能者と同じ能力は持ち得ない。 使える異能の力は異能者一人につき一つだけ。 誰が調べたかは分からないけど、それが通説となっている。 だから、あたしのような水を操る能力は他者から見れば本当に貴重な能力なんだと思う。 それなのに、この宮殿の兵士は死者を操る能力を持つ者が大勢いた。さっきの敵の異能者もそうだ。 これは明らかにおかしいことだ。 「捕らえられている異能者の力で何かしたのね?!」 「フン! 欠陥品に何ができる? ここにいる異能者どもは自分以外の者へ干渉する能力を持っているから生かしてやっているだけだ!」 「干渉する能力……?」 異能者、異能の力と言われ続けてきた中で始めて耳にする言葉だった。 とんでもない数のゾンビ兵たち。 異能の力を持つインフィニットの兵士。 自分以外の者へ干渉する能力。 「――まさか?! 人工的に異能者を作っているの? 力を分け与えている?」 「どういうことね?」 「異能者の力を使って、インフィニットの兵士を異能者にしているんじゃないかってことだよ。死んだ兵をゾンビ兵として蘇らせる能力を大量の兵士に使わせているってこと!」 死んだ人間をゾンビ兵とする。その能力を持つ者が何人もいれば兵力は人数以上のものになる。 それがもしそうだとしたら……とんでもない話だ。 普通なら考えも付かないことだけど、やっぱりそれ以外に考えられない。 「そうだ! それが干渉する能力だ!」 イナさんの相手をしている異能者は二つ以上の能力を使っていた。元ある能力に他の能力を足したんだ。 恐らく相手の思う強者へ姿を変える能力が最初からあったものだろう。それくらいの能力が無ければヴィクロスがそばに置くはずがない。 「ここにいる異能者たちにも能力を与えて手駒にしようとしていたのね!」 「与えられる能力の数には限りがある。それに異能者同士の方が干渉しやすい。元から能力を持つ異能者に能力を与えてやれば強力な異能者が生まれる! どうだ? 欠陥品にも使い道があるだろう? これだけのことを思いついたのは私のみ! 私こそが天才なのだ!」 まるで酔いしれているように語るヴィクロス。 そうか。だからこの地方の異能者は殺されずに捕らえられているんだ。 ヴィクロスはそれだけ、インフィニットの命令に背いてまでに力を欲している。 けど、能力を与える異能者がいるとして、これだけの数の人間に能力を与えることができるだろうか。 「欠陥品も寄せ集めれば戦力となる。忠誠心など干渉する能力でどうにでもなるのでな。私はインフィニット史上最高の軍団を作る! そして私はインフィニットを――――」 自らの口を両手で塞ぐヴィクロス。 おかげでその目的が分かってしまった。 野望を語ることに酔いしれていたのだろう。もともとよく喋る性格も災いしている。 「なるほど。西のインフィニットの王、ヴィクロスはその軍団でインフィニットそのものを乗っ取ろうとしているわけだね。これがインフィニットの本部に知れたらまずいんじゃない?」 あたしに向かって薄気味悪い顔で笑うヴィクロス。 「どうせお前たちは死ぬ! 関係のないことだ!」 「そうね。ウチらには関係ないね! どうせ西のインフィニットは今日で滅ぶね!」 メルはきっぱりと言い放つとヴィクロスを指差した。 それが癇に障るのか、ヴィクロスはメルを怒鳴りつけた。 「うつけが! まだ分からんのか! 干渉する能力を持つ者、異能者の原種と呼ばれる者を私は手に入れたのだ!」 「原種?」 ヴィクロスはわずかに開いた扉の隙間に手を入れると、小さな男の子を引っ張り出した。 ロメリアと同じくらいの歳の頃だろうか。 男の子は不安げな面持ちでヴィクロスを見つめている。 「ヘリオ! お前の力が必要になった。父のために力を使え!」 「ち、父ぃ?! 子どもがいたの?! そんな性格で?!」 「うるさいわっ! 馬鹿者めが!」 自分の子どもをこんな地下牢の奥に閉じ込めておくなんて。ヴィクロスに子どもがいることも驚きだ。 ヘリオと呼ばれる少年とヴィクロスの顔は全然似ていない。 さっき手に入れた原種というのがこの子なら、血の繋がりは無いのだろう。 彼もまた、都合のいいように利用されているんだ。 「いいなヘリオ? 返事をしろ! ヘリオ!」 「う、うん……」 ヘリオと呼ばれる少年はこくりと頷く。緑色の長い前髪が揺れる。 しかしヴィクロスが話していた原種という言葉とこの子がどう繋がるのかが分からない。 見た目ではあたしたちと何ら変わりない姿をしている。まぁ、異能者も見た目じゃ普通の人と変わりないんだけどね。 「これで無敵! 無敵だ! ウフハハハハハッ!」 こんなところに幽閉してまともな扱いを受けていないはず。 それなのになぜあの子はヴィクロスの言葉に従うんだろう。 ヘリオくんがヴィクロスに従う理由がまったく分からない。 その野望に協力したいという感じはしないし……。 「どうしよう。ロメリアくらいの子に刀を向けるなんてとてもできそうにないよ」 「邪魔をするなら戦うまでね。ヴィクロスに協力するならインフィニットの人間ね!」 メルは戦うつもりだ。反組織アンリミテッドの人間として、それは当然の選択かもしれない。 でも、やっぱりあたしにはあんな小さな子を斬るなんてできそうもない。戦うならヴィクロス一人だけにしたい。 「さぁやれ! あの時のように、私に力を与えるのだ!」 ヘリオくんが小さく頷くとヴィクロスに手をかざした。 するとすぐに変化が見られた。 「き、き、キタ! キタキター!」 ヴィクロスは体を大きく仰け反らせた。 「う、ウッ、オ……オオォ〜!」 その姿が次第に変貌する。 ヴィクロスの肌が緑色に変化し、身体は服を突き破って膨れ上がっていく。 身体のいたる所から植物のツルのようなウネウネした触手が生え始める。 触手はヘリオくんに絡みつくと膨れ上がるヴィクロスの身体の中へ飲み込まれていった。 その両足までもがガッチリと地面に根を下ろしてしまった。 もはやどこから見ても植物そのもの。ヴィクロスは一本の巨大な木になったようだった。 「ウハハハハハッ! どうダ? この身体はどこまでも大きくなるゾ! 私は無敵ダ!!」 「き、気持ち悪いね!」 「同感。性格が形になってるみたい」 姿を変えることそのものはヘリオくんの力として、あのカタチになったのはヴィクロスという人間を表しているかのようだ。 植物の身体からウネウネと触手が生えてくるその姿は不快感かつ不気味だ。ネチっこい性格なんだろうなぁ。 「この力がまだ分からぬカッ! 馬鹿者めガ!」 ヴィクロスの体から伸びる無数の触手。その何本かがメルに向かって伸びる。 どれだけの威力か分からないけど、締め上げられたりヘリオくんのように飲み込まれたりする可能性もある。 なにより、あれだけ啖呵を切った能力だ。油断はできない。 あたしは急いで刀を抜くと、メルの前に立った。 向かってくる触手に水御華を掲げる。 「ハァアアア!」 水御華を振り下ろすと、容易く両断することができた。 地面に落ちた触手はウネウネとのたうつ。これはホントに気持ちが悪い。 「馬鹿めガァ!」 両断した触手の断面から瞬く間に触手が生え揃う。 新たな触手はメルの足に絡みつくとメルを宙吊りにした。 「あわわっ!」 「このっ! メルを離せ!」 触手を斬ろうと刀を振るうも、足元から別の触手が飛び出し、あたしの進行を遮る。 「取ったゾ! アンリミテッドを束ねる一族の娘ヲ!」 「くっ! 最初から分かっていたね!」 ヴィクロスの狙いは初めからメルだったんだ。 反組織アンリミテッドの長の血族であるメルを人質にして、この戦争を終わらせるつもりか?! 「動くナ!」 「くっ……」 「シノちゃん! ウチに構わずヴィクロスを倒すね!」 「うるさイ!」 メルが必死にもがくものの、触手はメルの足だけでなく体中にまで巻きついてしまった。 あたしは刀の刃を下に向けて床に突き刺した。 「よぉーシ! 妙な動きをしたらこいつの命は無いゾ! 人質は小娘一人で十分ダ。お前には死んでもらウ!」 ヴィクロスの足元からあたしに向かって床が裂けて行く。 それがあたしの足元までくると裂け目から無数の触手が飛び出し、天井近くまで勢いよく伸びる。 「シノちゃん!」 天井近くまで伸びた触手は向きを変えてそのままあたしに向かって落ちてくる。 あたしは床に突き立てた水御華を掴んだ。 「ハァアアアア!」 ズッ――、ブシューッ! 床に向かって更に水御華を押し込むと、その切れ目から大量の水が噴き出す。 上から降り注ぐ触手を水圧で押し留めた。 水御華の力を信じていればこれくらいできるんだ! 「今だ!」 水御華を床から引き抜き、その刃で上空の触手を両断! そこからメルに向かって水御華を縦に振り下ろし、水の刃を生み出した。 水の刃はメルに巻き付く触手を断つ。 「メル! こっちに!」 自由を取り戻したメルはすぐにあたしのそばへ。 両断された触手は断面から新しい触手を生やした。 触手はさっきよりも更に数を増やしている。時間をかければそれだけ不利だ。 「やっぱりヴィクロス本体を叩くしかないね!」 触手をいくら相手にしていてもキリがない。ヴィクロス本体を攻撃しないと! ヴィクロスは一旦、触手を自分の体に戻した。 そしてあたしに卑しく笑いかける。 「フッ、フフフフッ! そうカ! お前は水を生む異能者カ! これはいいゾ。その力は砂漠の世界において貴重ダ。何よりこの姿と相性がいイ。貴様がいればこの体は無敵ダ!」 「誰がお前なんかに協力するもんか!」 相性がいいと言われて鳥肌が立ってきた。 誰があんなやつなんかのために! 「お前の意志などヘリオの力を持ってすればどうにでもなることダ。意識を飛ばシ、思うままに操ってくれル!」 「そんなことさせない! この刃と水がお前とインフィニットを断ってみせる!」 「私を断つだと? それは無理だナ。原種の力はこんなものではなイ!」 ヴィクロスの緑の体がまたも変色する。 その体から伸びる触手や根は塵となって消滅し、今度は皮膚が岩のように角ばり、体も石のような色に変色した。 植物の体から今度は岩石に姿を変えたんだ。しかもさっきより一回りも二回りも大きくなっている。 これが干渉する能力、原種と呼ばれるヘリオくんの力。 ヴィクロスによって取り込まれたヘリオくんは依然として姿を見せない。未だヴィクロスの体に同化しているのだろうか。 「これで刃も水も効かないゾ。私は無敵ダ! 無限に無敵! クククククッ……ハハハハハハハハッ!」 「そんなの! やってみなきゃわからないよ!」 あたしは水御華を構えてヴィクロスに走り出した。 ヴィクロスは動かない。ただあたしを正面に迎えている。 油断してくれているのならそれでいい。 その間に勝負をつけるだけだ! 「ハァアアアア!」 地面を蹴って大きく跳ぶと、ヴィクロスの頭上目掛けて水御華を振り下ろした。 あたしの刀がヴィクロスの頭に触れる一歩手前でヴィクロスのゴツゴツと角ばっていた身体がツルツルの表面に変わる。 ギギギギギッ! 刃は丸い岩の皮膚を滑るだけで手応えがまったくなかった。 その隙を突いてヴィクロスの拳があたしに繰り出される。 なんとか刀で弾こうとするものの、滑らかな表面の拳と思ったよりも鋭い突きによって刀は弾かれてしまった。 ヴィクロスの拳があたしの顔面へと伸びる。 「シノちゃんっ!」 「くうっ!」 後ろへ飛びながら首を振ってそれを回避してみるも、こすれた右頬は皮膚を裂き、血を垂らした。 続けざまにヴィクロスの拳があたしの体へと伸びる。 刀で受けてちゃダメだ! 「水よっ!」 刀から大量の水が噴き出る。。 水は飛沫を上げてヴィクロスの体へ打ち付けられた。 「無駄ダ!」 「無駄なもんか!」 水は勢いを増してあたしの体を持ち上げるとヴィクロスとの距離を離した。 「水にはこういう使い方もあるんだ!」 「小癪ナ! 逃げてどうなるというのダ!」 相手が岩じゃ確かに刃は通らない。 けど、あたしの技の中でも最も斬れ味の高い技。限界まで圧力を絞った水刃の太刀ならどんな物も断つことができる。 勝機はまだある! 「スゥ……」 あたしは水御華を鞘に納めると、柄を握って意識を刀に集中させた。 「何のつもりか知らんガ、無駄なことダ」 柄を通して水御華に異能の力が流れていくのを感じる。 高まった水御華の力を、あたしは感じていた。 「勝つのは私ッ! このヴィクロス=アインス=ベクトリクス様ダ!」 ヴィクロスの拳があたしに向かって伸びる。 今だ! その向かってくる勢いも利用させてもらう! 「これがあたしの奥の手だ!」 鞘から抜刀すると同時に、水御華の力を解放する。 「奥義・水刃の太刀!」 鋭い水の刃がヴィクロスに向かって走る。 水はヴィクロスの岩の皮膚に食い込むと、激しい飛沫を上げて突き進む。 「――ウッ、ウ、……ウガァアアアア!」 ここで初めてヴィクロスが苦しみだした。 石の身体といっても自由に動かせる以上はヴィクロスの身体だ。斬り裂かれれば痛みもするのかもしれない。 「うワァ! ワッ、ワァアアア!」 ヴィクロスの悲鳴も激しい水の音にかき消されていた。 「斬り裂けぇえええ!」 水の刃は勢いを増してヴィクロスに襲い掛かる。 より大きな水しぶきが辺りに振り撒かれる。 ――これがダメなら……もう、打つ手がない! これでもかというくらい水御華を握り締め、あたしの力を注ぎ込んだ。 水の刃がわずかに前進する。 それと同時にパァンッ! という大きな音を響かせて水が大きく弾けた。 その場にガクンッと膝を付くヴィクロス。 「ハァ、ハァ……ハァアアア〜! ハァアアアアア〜!」 ヴィクロスは大きく息を吐いた後、再び立ち上がる。 「フンッ! 脅かしおっテ! この罪は重いゾ!」 その身体には左肩から斜めに傷が付いただけだった。 水はヴィクロスを砕いたんじゃない。その強度に成す術無く弾かれてしまったんだ。 「そんな……!」 「やはり欠陥品の力などその程度のものダ。この原種の力の前ではナッ! フハハハハハハッ!」 嘲笑うヴィクロス。己の力に酔いしれている。 その力は自分の生み出したものじゃないのに……。 ヴィクロスの岩と化した体は頑丈なんてものじゃない。 しかも丸くツルツルな形状の前にはどんな攻撃も通じ難い。 あたしの剣も、水御華の水も通じないんだ。 ここにイナさんが居てくれたら……。 「まだ終わっていないね!」 ヴィクロスの前に立ちはだかったのはメルだった。 「メル!」 「ウチは諦めてないね!」 「無駄だと分からぬ愚か者めガ!」 「無駄なんかじゃないね! 今日まで戦ってきたアンリミテッドのみんなのためにも……ここに囚われた異能者たちのためにも……ウチは絶対に負けられないね!」 メルが露にしたのは、剥き出しの闘争心と決して挫けることのない心。 これまでメルやアンリミテッドの人たちはそうやって頑張ってきたんだ。 メルのその闘志にあたしの心もくすぶられるみたいだった。 これがアンリミテッドを継ぐ者の言葉。 多くの人たちを導いてきた一族の持つ素質。 それをメルもしっかり受け継いでいるんだ。 「貴様も所詮、ただの異能者。私の敵では無イ!」 「やってみなきゃ分からないね!」 ヴィクロスとの間合いを一気に詰めるメル。 それを岩石と化した拳で迎え撃とうとするヴィクロス。 メルは紙一重でその拳を掻い潜り、カウンターでヴィクロスの胸板に蹴りを浴びせた。 堅い岩の皮膚に反動がそのまま返ってきているのか。メルは逆に大きく弾き返されてしまった。 戦い慣れをしていないヴィクロス自身は大して反応ができていないというのに。岩の体そのものがヴィクロスを守る壁の役割をしているかのようだ。 しかしメルもまだ諦めていない。 巨大化したヴィクロスには自らの体にある死角も多いようだ。 メルはその死角となる箇所へ速度を高めて動き続ける。 でも、いくら死角を突いても攻撃の手段がないんじゃ決め手に欠けてしまう。メルはどうするつもりなんだろうか。 「どこへ行っタ?!」 「ここね!」 ヴィクロスの背後から肩越しにメルの顔が見えた。 「どんな硬い肉体にも関節があるね! 体を動かすための関節がお前の弱点ね!」 「そっか! その手があったんだ!」 メルはヴィクロスの首に両腕を巻きつけ、右肩の方に両足を絡めて力いっぱい引っ張った。 普通の人間ならこれで動きを封じられる。 が、ヴィクロスの顔に苦しみの色は無い。まるで関節というものが存在しないかのようだ。 でも、それじゃあどうやって動いているのか説明が付かない。 力の限り締め付けるメルに対し、やはりヴィクロスに変化は見られない。 「こんなこと、ありえないね!」 「貴様が私の体に触れた瞬間から体の質量を変えただけのことダ。重さはおよそ三百キロ。その細い腕で動かせるかナ?」 「ずるいね! そんなの!」 「さえずるナ! それが原種の力というものダ!」 ヴィクロスは背中に手をやりメルの体を捕まえると乱暴に振り回し、あたしに向かって投げつけてきた。 避けたらメルの身が危ない! 「うぁあああ!」 「メル!」 体を張って飛んでくるメルを受け止めるものの、勢いそのままにあたしとメルは一緒に吹っ飛び、牢の鉄格子に体を打ち付けられてしまった。 その衝撃から、かなり強い力で投げられていたと分かる。 鉄格子に打ち付けられた背中がじんじんと痛む。 「あぐぅ!」 メルは苦痛に顔を歪めていた。 その手で押さえている所を見ると、捕まれた所に痛々しいアザができていた。 ヴィクロスが容赦なくメルの体を握り締めた跡だ。 「女の子相手に。なんて酷い!」 「死体になれば同じことダ!」 「くっそぉ〜!」 刃も水も効かなければ体術も効かない。 こんな時にイナさんがいてくれたら……と、何度思ったか分からない。 けど、イナさんが来る気配が無い。向かって来てくれるなら地下に足音が響くはずだ。 きっと今も敵の異能者と戦っているんだ。それだけ強い相手だったんだ。 敵の異能者も駆けつけて来ないということは負けてはいないってことだけど……いや、イナさんに負けはないはず。それは信じられる。 ただ、今は頼みにしちゃダメだってことだ。 でも、あたしにはもはや打つ手が無い。 このままじゃあたしやメルがやられてしまう。 外の戦いにヴィクロスが参加したらそれだけで形勢が変わってしまう。 ――どうする? どうしたらいい? あたしにできることって何があるの……? ひたすら焦る中、何か他に方法はないかと探っていると、水御華を持つ右腕が震えた。 ……リィン。 まただ。水御華から音が聞こえる。 あたしの中に入り込んで意のままに刀を振るいたがっているんだ。 イチかバチか、この場を水御華に委ねてしまうか? あたしじゃどうすることもできないピンチでも、水御華ならなんとかできるかもしれない。 何よりも水御華の方が自身である刀の扱いに慣れているし、水の能力もあたしより上手のはず。 ――どうする? あたしの意志で、あたしの意思を手放してしまってもいいのだろうか。 その時、あたしはちゃんと帰ってこられるだろうか……。 「フン。もう戦わないのカ? さっきの威勢はどうしタ? これでは足りン! 足りなさ過ぎル! 貴様ら欠陥品はつくづく価値がないナ! せっかくこの身体になったのダ。もっと楽しませロ!」 「ぐぅぅ……ウチらは、欠陥品じゃ、ないね!」 痛みに耐えながら訴えるメル。 異能者であることが差別の対象だったのに、欠陥品とまで言われて黙っていられないんだ。 「人間は既に完成された生き物ダ。異能などという余分なモノは淘汰されていけばいいのダ! 貴様らがいなければ原種も見つけやすいものだろウ?」 ヴィクロスは異能者の原種と呼ばれる存在を探すために異能者たちをさらってここに閉じ込めていたのか。 ヘリオくんを手に入れたのはその前なのか後なのか分からないけど、どれだけ多くの人がヴィクロスの野望のために犠牲になったか分からない。 異能者と呼ばれる人たちはただ普通に暮らしたかっただけなはずなのに。 「そうダ。ヘリオを手に入れた今、原種が紛れているかもしれないト、淡い期待だけで異能者どもを生かす必要はないのダ! 殺してしまおウ! 異能者狩り、再びダ!」 「勝手なことばかり言って……お前は人でなしね!」 「フンッ! 負け犬の遠吠えなど届かぬワ!」 あたしが生まれた街では異能者の差別は無かった。 そういう目で見る人がいなかったわけじゃない。 分け隔てなく接してくれる人たちばかりで、あたしはそんな周囲の人たちも大好きだった。 でも、それを奪ったのはインフィニットの異能者狩りだった。 インフィニットの作った異能者狩りという言葉を発端に、普通の人たちは異能者を遠ざけるようになった。 異能者はどこまで逃げても追われ、殺される。 そして父さんと母さんも異能者だったから殺されてしまった。 ヴィクロスのように異能者を切り捨ててもいいと思う人たちによって……。 「そっか、そういうことだったんだ……」 「シノちゃん……?」 どうやって異能者を見つけているのかずっと疑問だったけどようやく分かった。 それは身の回りの人たちが異能者を自分たちとは違う生き物と見て、裏切っていたんだ。インフィニットや暗殺ギルドに情報を売ったり、密告をしたりして。 異能者狩りは随分前に無くなり、一部の者たちだけで行われている。 それが西のインフィニットの鶴の一声によって再び行われたら……また多くの異能者が命を落とすことになるんだ。 そんなこと、絶対許されることじゃない! 「あたしたち異能者だって人間なんだ。インフィニットの……お前の考えは間違っているんだ!」 「だったらどうすル? 貴様には私を止める力などなイ! 何もできズ、無念のままここで殺されるだけダ!」 「くっ……それでも!」 再び水御華を構える。 勝てる見込みなんて無いけど、あたしはこの男が許せない。 そんなあたしに対し、ヴィクロスは何もしない。 見下し、嘲笑うだけ。 もはや敵ではないという認識でしかないんだ。 リィイイイイン……。 そんな態度もあたしの癇に障る。 ふつふつと怒りが込み上げてくる。 「笑うなっ! お前なんか!」 両親を殺させたインフィニットが憎い。 欲望のために異能者を虐げてきたヴィクロスが許せない。 水御華から聴こえる音と共に、怒りや憎しみがあたしの内側を駆け巡っていく。 怒りや憎しみ。そんな感情もいつからか忘れていた。 まるで水御華の音がそれをかき立てているみたいだ。 リィン……リィン……。 あたしの両親は異能者というだけで殺された。 それも、あたしの目の前でだ。 その時あたしは怒りのままに水御華を握った。 それからどうなったか覚えていないけど、どれだけ憎くかったか、今なら思い出せる。 心の奥底でざわめく怒りと憎しみ。 なぜ今まで沸いてこなかったのか不思議なくらい、今のあたしを染めていた。 リィイイイイイイイイイン。 ――いいよ水御華。あたしの体をあげる。好きなようにしていいからね。だって許せないんだもん。インフィニットのことが。異能者狩りをする人間がさ……。 「怖気づきおっテ! 来ないならこちらから行くゾ!」 ヴィクロスを見る。 さっきまで敵わない相手だなんて思っていたのが嘘のよう。 だって、あたしが負けるはずないもの。 「なんだその目ハ! 気に入らン! 貴様が勝てるはず――」 ゴィン! 「なッ?! 何んダ?!」 どうってことはない。ヴィクロスの後頭部に刀を打ち込んだだけだ。その巨体じゃ反応もできないだろうけど。 振り返るヴィクロスの脇を潜って再び後ろを取る。 それを追いかけるように再度振り返るヴィクロス。 「無駄だと分からぬ愚か者ガ!」 ヴィクロスの右手が丸く形を変え、更に大きさを増す。 鉄球のような右手を持ち上げ、上から叩きつけるように振り下ろしてきた。 「死ネェ!」 ドォオオオオオオオオン! 盛大な音と共に床へ打ち付けられるヴィクロスの腕。 床はそこを中心に大きな穴を空け、床の亀裂は左右の牢屋にまで届いていた。 「驚いた。この宮殿を壊すつもりなんだ?」 「何だトォ?!」 「そんなの、当たるわけないよ」 あたしはヴィクロスの腕を足場にして飛ぶとヴィクロスの頭に向かって刀を振り下ろした。 硬い岩の皮膚が高い音を立てて刀を拒む。 それでも構わない。あたしは好きなように刀を振り下ろすだけだ。この怒りが収まるまで。 「馬鹿メェ! まだ分からぬカ!」 嘲笑うヴィクロスの顔面に刃を入れるとその鼻がパキンッと音を立てて捥げる。 「ヌォ! 馬鹿ナァアアア!」 左手で鼻を押さえるヴィクロス。 きっと初めてのことなんだろう。 あたしは構わず刀を振り続けた。 「ハァアアアアアアア!」 気合と共に無数の斬撃をヴィクロスの顔へ打ち込んでいく。 ザクザクザクザクッ! ヴィクロスの顔からポロポロと岩の皮膚が欠けて落ちる。 「どっ、どうなっているのダ?!」 おしゃべりな口をしているんだ。動く分、表情の強度は体ほどじゃないんだろう。 それにさっきまでのあたしじゃない。 岩を断つことも腕前次第。今なら何でも斬れる気分だよ。 インフィニットもヴィクロスも、みんな斬られちゃえ! 「止めロ! 止めろ止めろ止めロロロロォ!」 「へぇ止めて欲しいんだ? 自慢の身体なのにね」 でも、あまり打ち込んでは刀の方も心配だ。 ヴィクロスから一旦離れる。 刀を根元から先まで眺めるも、特に破損はなかった。 「ぐぬぬぬヌ! ありえヌ! こ、こんなことガ!」 ヴィクロスは痛みに顔を押さえていた。 やっぱり痛いんだ。戦いにおいて痛みなんて当然のことなのにね。 ふとメルの方へ視線をやると、怯えたようにあたしを見ていた。あの目は見に覚えがある。 「シノちゃん?」 「ん。なあに?」 怯えるメルにあたしは満面の笑みで応えた。 不安な眼差しのままあたしを見るメル。 「ウチが分かるね?」 「メルセレス=シュトラーゼ。その質問も二度目だね」 「よかったぁ。いつものシノちゃんね」 あたしの言葉にホッとした顔を見せてくれた。 ――ごめんねメル。残念だけど、いつものあたしとは言い切れないや。 メルのことは覚えているし、あたしの意思もしっかりある。 でも、どこか動かされているみたいなんだ。 普段ならこんなに動けないし、こんなに刀を上手く使えないもん。 それに、ヴィクロスを見ているとイライラが止まらないんだ。 インフィニットが憎くて仕方ない。 心がおぼつかないのに、水御華とはこれまで以上に同調できている気がする。それが不思議だ。 リィイン……。 刀から心地良い音色が聴こえる。 まるで水御華と一体になっているみたいだ。 前みたいにあたしの体を奪おうとはしない。その理由は分からないけど。 でも、今は水御華と同じ気持ちなんだと分かる。 目の前の敵を倒したい。インフィニットが許せない。憎い。腹立たしい。そして自分の力を使いたくてたまらない。 そんな感情がどんどん湧いてくる。 利害が一致しているから、力を貸してくれるのかな? だったら、存分に戦わなくっちゃね。 だってそうでしょ? こんなに斬り刻んでも倒れない相手なんてそうそういないんだから。 「な、なにを笑う?! 勝った気でいるのカ?! 異能者の分際でェ! 許さン! 許さん許さーン!」 ヴィクロスを見ると元のものよりも高く整った鼻が再生していた。 見栄っ張りめ。これは逆に斬りがいがあるぞ。 刀を鞘に納めて柄を握った。 いつものような力の流れは感じない。これで水が出るのかと思ってしまうくらいに。 でも大丈夫。あたしたちは今、一つなんだから。 「私は原種の力を手に入れタ! もはや我が敵と成り得る者など存在せんのダ!」 「力を手に入れた? おかしなことを言うんだね。お前なんかヘリオくんがいなきゃ何もできないじゃないか」 その程度の力で敵と成り得る者がいないなんて、笑わせてくれるよ。ただ堅いだけじゃないか。 「ぬぁアアアァ! ほざくナァア! 欠陥品の分際デェエ!」 ヴィクロスは顔を真っ赤にしながら身体を震わせて怒りを露にした。岩の皮膚でも顔は赤くなるんだな。 「あたしに言わせればお前の方が欠陥品だよ。そんな姿にならなきゃ強くなれないんだからね。その姿でいられるのも自分の力じゃないんでしょ。お前の力なんてゼロに等しいじゃない」 「だっ、だっ、黙れ黙れ黙れェエエエエ! 許さなぁああイ! 貴様はこの私に殺されるべきなのだァアアア!」 肥大化した右腕を更に肥大化させて振り上げるヴィクロス。 それでも変わらぬ動きを見せるのはさすがだけど、やっぱりそれはヴィクロスの力じゃないんだよね。 腕の先の鉄球がどんどん膨れ上がっていく。 「許さないのはこっちだ! 西のインフィニットは今日で滅ぶ。あたしが潰す!」 「小娘めがァアアアア!」 あたしに向かって走り出すヴィクロス。 あの巨大な鉄球であたしを潰すつもりなのだろう。 しかし、あの右腕があたしに届くことは無い。絶対に、だ。 水御華を握る手に力が入る。 「水は華を咲かせ、華は水を澄む……水御華、その水で華を咲かせよ! その名の如く!!」 抜刀すると同時にあたしの力が一気に水御華へと流れ込んだ。 鞘から刀身が抜き切る前から水が吹き荒れていた。 その切っ先がヴィクロスを捉える。 「奥義・水刃の太刀!」 圧縮された水がヴィクロスに向かって突き進む。 水は瞬く間にヴィクロスまで届いた。 「愚か者めガ! その技は効かぬと分からぬのカァアア!!」 水はヴィクロスの体に触れるとその滑らかな岩の皮膚と強度により激しい飛沫を振り撒いた。 ――同じ技、じゃない。今のあたしならもっともっと上手く水御華を扱えるんだ! ヴィクロスは水に構わず再び駆け出した。 その肥大化した腕を振り上げて、予想外にも大きく跳んだ。 刀から放たれる水は細く細く、更に細くなっていく。 「ハハハッ! 水も尽きたカ!」 水は勢いそのままに、糸ほどの細さへカタチを変える。 水御華の力を得ている今なら何でもできる気分だ。 だからこんなやつに負けるもんか! 「水御華よ! 水よ! いっけぇええええ!!」 一瞬、水が途切れた後、さっきより数倍に濃縮された水が刀から放たれる。 鋭い水はヴィクロスの体に当たると、その巨大な体を押し上げて空中で停止させた。 「ガァアア! ナッ、何をし、タ?!」 水はヴィクロスの体の中心に食い込み、徐々に岩の体をえぐるように突き進んでいく。 あの大きな身体を持ち上げているんだ。それだけで水の勢いが分かる。 水圧で宙に浮くヴィクロスに成す術は無い。 「こ、こんナッ! こんな事があるカ! 私の体ガ、どんな刃も通さない岩の体が!!」 「水御華はただの刀じゃない。お前が蔑んだ異能者の父さんが生涯を懸けて作り出した刀なんだ!」 「まだダ! 更に硬い素材へ――」 ヴィクロスの皮膚の色が変化する。まるで宝石のように透き通った材質に。 けど、そんなものは関係ない。いくらカタチを変えても同じことだ! 「水は――岩をも穿つ!」 ヴィクロスの岩の身体、その隙間の至る所から水が噴き出し始める。 内側から外へ水が出ようとしているんだ。 ヴィクロスの身体の至る所に亀裂が生まれはじめる。 「み、水ッ! 水ダ! ワハハハッ! この力も私の物ダ!」 ヴィクロスは錯乱しているのか。 自分に振り掛かる水の飛沫を舐めるように舌ですくって飲みはじめた。 「水御華……」 リィイイイイイイイイイン! 「――これで、終わりだ!」 力を振り絞り、ありったけの水を放出する。 水はとうとう背中を貫通し、ヴィクロスの体を突き破った。 ヴィクロスの巨体は破裂するように砕け、大きな音を立てて後ろへ倒れこむ。 「ゴガッ。うぷっ!」 水に濡れきったヴィクロスの体は透き通るような宝石から元の岩の色へ戻っていった。 貫通した身体には思ったよりも大きな穴が開いていた。最後に放った水が岩を浸食したかのように。 「シノちゃん! まだ終わってないね!」 分かっている。ここでトドメを刺さないとまた体を再生させて姿を変えてくるに違いない。 もうかなりの力を使ってしまった。二度目は無い。 「西のインフィニットの最後だ!」 刀を振り上げてヴィクロスの喉元に向かって振り下ろす。 「ま、まだダァ!」 ヴィクロスの身体の中心から左腕の先に向かって筋肉がうねる。 その左の手のひらに、ヘリオくんの顔が浮かび上がった。 「くっ!」 振り下ろす刀をなんとか押し留まることができた。 しかし、あたしの中にある水御華が『斬れ』という衝動を掻き立ててくる。 ヴィクロスの仲間。インフィニットの人間。敵。憎い。斬りたい。そんな言葉があたしの中で駆け巡る。 「おねぇ……ちゃん」 ヴィクロスの左手に浮かぶヘリオくんの顔が辛そうにあたしを見つめている。 助けて欲しいという想いが伝わってくる。 それなのに水御華はあたしに刀を振らせようとする。 あれはあたしの敵だと訴える。斬らなければならないと思考を操作する。 「シノちゃん! ここしかないね! インフィニットを倒すのは、ヴィクロスを倒すチャンスはここしかね!!」 分かっている。ヴィクロスに力を与えているのがヘリオくんの持つ原種と呼ばれる力だということを。 ヴィクロスはヘリオくんを盾にしながら自らの弱点を晒しているに等しいんだ。 メルもヘリオくんを斬ることを望んでいる。 ここにいる者すべてがそれを望んでいるんだ。 「でも……あたし、は――」 右腕があたしの意思に反して刀を上げた。 業を煮やした水御華がここにきてあたしの身体を乗っ取ろうとしているのかもしれない。 「フゥ……フゥ……さ、せ、ない、よっ!」 それを左手で抑えるものの、右腕はあたしのものじゃない力によって、いつ振り下ろされてもおかしくない状態にある。 ――水御華。どうしてキミはそんなに斬りたがるの……? リィイイイイイイイイイイイイイン! 水御華の音が激しくあたしの中で鳴り響く。さっきまでの心地良さは皆無だ。 ――ダメだよ水御華。この子は敵じゃない! その思考さえも保っていられる自信が無いくらいだ。 「おねえちゃん……」 怯えるヘリオくんの顔だけがあたしの正気を保たせていた。 こんな子を斬るなんて、したくない! 「だい、じょうぶ、だから。怖がらなくて、いいから、ね」 「おねえちゃん……」 この状況にヴィクロスが笑った。 「フハッ! この身体が戻ったら粉々にしてやル!」 「もう……やめてよ!」 ヘリオくんはヴィクロスに向かって叫んだ。 しかしヴィクロスは鼻で笑ってそれを拒む。 「フンッ! 原種の力を見出し、生かしてやった恩を忘れたカ! お前こそ、私という人間がいなければ何もできなかったくせニ! こやつらを殺せば元通りの生活ダ! 私は権力を掌握し続ケ、お前はここで静かに暮らすのダ!」 「でも……ぼく……」 ヴィクロスの言葉に何も反論できなくなるヘリオくん。 そうやってヘリオくんの気の弱さに付け込んできたんだ。 ヘリオくんの意思はどこにもない。 まだこんな小さな子だもん。何が正しいのかなんて自分で言い切ることなんてできるはずないよ。 「大丈夫だよ、ヘリオくん。君はあたしが助ける。こんなやつの言うことなんか聞かなくたっていいんだよ。どうしていいか分からないなら、一緒に考えてあげるから」 「おねえちゃん……」 「何をほざくカ! 私はヘリオの父親だゾ! 子は親の言うとおりにしていればいいのダ!」 「親がこんなことするもんか! 力におぼれて、それを利用しようとして――――」 あたしの脳裏に父さんの姿が浮かんだ。 ――あれ? なんだろう……? あたしの父さんは優しかった。けれど、今頭の中に浮かんだ父さんはどこか違っていた。 浮かんだのはあたしに剣術を教える父さん。 ……なぜだろう、あたしはどこか怯えている。好きで始めた剣術だったはずなのに……。 「シノちゃん! 急ぐね!」 メルの言葉で我に返る。 そうだ、今はそんなこと考えている場合じゃないんだ。 「おねえちゃん……」 不安な面持ちのままヘリオくんが口を開く。 「ぼくを、斬って!」 「ヘリオ?! 裏切るつもりカァア!」 「もう……嫌なんだ。ぼくの力のせいで誰かが死ぬのも、それを見ないふりをして生きていくのも……。だからおねえちゃん、ぼくを斬って! もう終わらせたいんだ!」 「ヘリオくん……」 メルもヘリオくんも、そして水御華も。ヘリオくんの犠牲と共にヴィクロスを討つことを望んでいる リィン……。 水御華から音が聞こえなくなった。 それと同時に右腕の自由が戻る。 優柔不断なあたしに愛想を尽かせたのかもしれない。 けど、水御華の意思から離れても、あたしは選ばなくてはならないんだ。 「……ごめんね……」 刀を強く握り締めてあたしはヘリオくんに謝った。 そしてそのまま刀を下ろし、鞘に納めた。 「シノちゃん!」 「あたしは……斬らない。インフィニットのためでも、アンリミテッドのためでもない。ヘリオくんの命は……ヘリオくんのものだから。終わらせていい命なんてない。そんなの、異能者狩りをするインフィニットと変わらないから」 水御華と同調しなくなったせいか。あたしの中にはもう怒りも憎しみも無くなっていた。 それが何を意味するのか分からないけど。 あたしはあたしだ。今のあたしが選んだことを信じるだけ。 「フッ、フフフフフフ……」 石の擦れる音を立てて、ヴィクロスが上体を起こした。 「このようなことになるとハ……まさに切り札ダ。さすがは我が息子ヨ。フハハハハ!」 「何一つ、お前の力なんかじゃ無いよ!」 「フンッ! 敵に情けをかけるお前が愚かなのダ!」 ヴィクロスがゆっくりと立ち上がると、その貫通した体の穴を再生させていった。 穴を塞ぎ、元の体に戻ったとき、ヴィクロスはあたしたちを殺すだろう。 あたしに抗う術なんて、何一つ残っていない。これでもう、本当に打つ手が無いや。 ――でも、後悔なんて何も無い。 ヘリオくんは斬らない。あたしはそう選ぶことができた。 そのことだけは間違いじゃないと信じられるから……。 「確かに愚かかもしれぬな。だが、それが何だというのじゃ?」 あたしたちに向かって言葉が投げかけられる。 「何者ダ?!」 声の方を振り返るとそこにはイナさんがいた。 あたしのすぐそばに。いろんな所に斬り傷を負いながら、ボロボロの格好で。 「イナさん!」 「フッ。それでも私はシノの選択は正しいと思う。悩みだしたら止まらぬウジウジ娘じゃが」 「イ、イナさん……」 ホントのこととはいえ、ひどい言われようだ。 「だが、それがいい。それでこそシノ=カズヒ。砂漠のアメフラシじゃ。悩んで悩んで悩み抜いた末に選んだことなら、きっと正しいはず。私はそれを信じるのみじゃ」 ニッと私に笑ってみせるイナさん。 あまりの嬉しさに跳び付きたくなってしまった。 けど、今はそんな場合じゃないんだ。 イナさんも五体満足とはいえ今の今まで戦っていたんだ。 いつものように動けるとも限らない。それほどまでに強かったんだ。イナさんのお父さんの幻影は。 「イナさん……」 「うむ?」 「……いえ、なんでもないです」 ついついイナさんの体を心配する言葉が出そうになる。 でも、それは言ってはいけないことだ。イナさんなら大丈夫だと信じるだけだ。 それより今はヴィクロスをなんとかしないと! イナさんの登場にヴィクロスはただあざ笑っていた。自分の力と勝ちを確信しているんだ。 「今更お前が来てもどうにもならんゾ! 剣は効かン。その娘も力を使い果たしたと見えル。私の勝ちダ!」 確かにあたしの力はほとんど残されていない。水御華の意思もまるで感じられないし……。 でも、イナさんを前にしたら負ける気がまったくなくなっていた。 「フフッ。聞いたかシノ? 剣は効かぬらしいぞ?」 「イナさん……こんな時に喜ばないで下さいよぉ〜!」 さっきまでそれで散々苦労していたというのにこの人は。 ……でも、イナさんらしいや。それだけでホッとする。 「別に喜んでおるわけではないぞ? 確かに剣が効かぬとあれば心も躍るじゃろうが……コレではのう」 「こ、コレって……」 イナさんにとってはヘリオくんを取り込んだヴィクロスですらコレ扱いなのか。 「貴様ァ! 原種の力を! 私の力を愚弄するか!」 「愚弄すると言われてものう」 イナさんは小さくため息を吐くと、面倒そうな顔でヴィクロスを見た。 「まだ気付かぬのか?」 「ナ、何をダ?!」 「おぬし。もう斬られておるぞ?」 「ナヌ?」 ぼきんっ! ヴィクロスの左肩の付け根。そこから小気味いい音と共に左肩が身体から離れた。 ヴィクロスの肩は床に落ちると脆くも砕け散った。 そのバラバラになった腕の中からヘリオくんが出てきた。 「う……ん……」 よかった。ヘリオくんは無事だ。 でも。いつの間に斬ったんだろう? あたしはずっとヴィクロスを正面にしていたのに。イナさんどころか斬巌刀の影すら見えなかった。 強い相手と戦っていたからだろうか。今のイナさんは全てにおいて冴えわたっているんだ。 「ヒッ、ヒィイイイッ!」 ヘリオくんを失い、徐々に崩壊するヴィクロスの体。 それはそうだ。ヘリオくんが居たからこそ、その能力を使うことができていたんだから。 ヘリオくんを切り離されたヴィクロスはただの人間でしかないんだ。 ヴィクロスの体の中心。さっきあたしが水御華の水で空けた穴からも崩壊が始まる。 「ヘ、ヘリオ! た、助けてくレ! 父ヲ! 父を助けロ!」 必死に残りの腕を伸ばすも、ヘリオくんは目を伏せてそれを拒んだ。 「体ガ……崩レ、ル……私、ノからダダダダ……」 原種の能力を無くし、自分の力では体を支えることもできず、ヴィクロスはその場に崩れ落ちた。 倒れた衝撃で上半身と下半身が分裂する。 力を無くした岩の体は脆いものだった。 「終わった……ね?」 警戒しながらヴィクロスを見下ろすメル。 ヴィクロスは完全に事切れていた。 「うん。終わったよ」 「やったね! アンリミテッドの勝利ね!」 メルは嬉しそうにあたしに駆け寄ると抱きついてきた。 あたしもメルの体を抱き寄せ、ホッと一息ついた。 「さてと。誰か私の左肩をはめてくれぬか? さっきの戦いで外れてしまってのう」 苦いようなバツが悪いような顔でそんなことを言うイナさん。 それじゃあヴィクロスのあの硬い岩の体を片手で両断したことになる。 あたしやメルがあれだけ苦労していたのに……。とんでもない話だ。 「ウチがやるね!」 「うむ。頼むぞ」 メルのそばで屈むイナさん。 遠慮も無くその肩を掴むと慣れた手つきで肩をはめた。 「どうね?」 「うむ。さすがはメルじゃな。逆に肩凝りも治った気がするぞ」 イナさんの言葉に自然と目がイナさんの胸にいってしまう。 そりゃあそれだけのものを持ってたらねぇ…………いいなぁ。 「イナさんの左肩が外れるなんて……それだけ強い相手だったってことですね」 イナさんが戦っていたのはイナさんのお父さんの幻影。 やっぱり戦いづらかったりしたんだろうか。 「そうじゃのう。父上のことは既に超えておったつもでおったが……全盛期の頃の父上と手合わせすることは不可能じゃからのう。いい経験をしたぞ」 誰しも自分と自分の親の全盛期を重ねることはできない。 それが叶ったのも異能の力あってこそ、か。 「でもイナちゃんはイナちゃんのとーちゃんを倒したね? ならイナちゃんはもう超えていることになるね?」 「さぁ、それはどうかのう。あくまで私の心の中の父上であったのじゃろう? 本物もあの実力だったとは到底思えぬ。私もまだまだ修行が足りぬということじゃな」 「ええ〜! まだ強くなるんですか?」 「当然じゃ。我が剣はまだ極まる所を知らぬはずじゃ! 次は一太刀のみで父上を倒してみせるぞ!」 今でも途方の無い強さだと思うのに。これより強いイナさんなんて本当の化け物なんじゃないかと思ってしまう。 イナさんをずっと目標にしていたけど……ちっとも追いつける気がしないや。 「さて。ヴィクロスは倒したのじゃ。このことを外の者たちにも知らせて、この戦争を終わらせるぞ」 「そうですね。一刻も早く――」 イナさんにと共に歩き出そうとした直後―― 「シノちゃんっ!!」 あたしを呼ぶメルの声がした。 それを耳にした時、あたしの背中に重いものが当たったような衝撃が走った。 あたしの体は大きく突き飛ばされ、地面を激しく転がった。 「いたたた……」 地面を転がる中で、それがメルの当て身によるものだと垣間見た。 ――なぜ、メルがこんなことを? そう思ったのも束の間だった。 メルの体から五つの触手が皮膚を破って飛び出してきた。 |