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EP1‐3 砂漠の再動者-Living Dead-

 

 

 砂漠を走る脚竜(きゃくりゅう)ラムダムヴァに跨り、あたしとメルはインフィニットの西の城砦、ウエストサンドの宮殿へ向かって砂漠を駆け抜けていた。

 今日も陽射しが強く汗も滲み出る気温だというのに、駆け抜けるラムダムヴァの上はぬるくも程よい風が過ぎ通っていく。

 これがまた心地良いのだ。

 思わず眠ってしまうくらいに……。

 

「シーノーちゃーんっ!!」

 

 横から聞こえるメルの声。

 反射的にビクッと体が震えた。

「――あるぇ?」

 気が付くとラムダムヴァは歩行を止めていた。

 そのせいか、これでもかというくらい大量の汗が全身から噴き出していた。

 汗がねっとりと体を伝って流れ落ちていくのがわかる。

 どうやら本当に眠っていたらしい。

 止まったラムダムヴァの上は陽射しとラムダムヴァの体温に挟まれてかなり暑い。

 ここが砂漠の上なのだと嫌でも気づかされる。

「あっつぅ〜」

 寝ぼけ眼のまま腰に提げている刀を抜くと無造作に掲げた。

「水御華ぁ、お水ちょうだい〜」

 水御華はあたしの言葉通りに切っ先から水を噴出させる。

 あたしは刀を適当に動かして辺りに水を振り撒いた。

 冷たい水があたしを潤し、周りの空気も冷やしてくれた。

「うわぁ! 水の無駄遣いね!」

 ラムダムヴァも暑かったのか、キュルルルと嬉しそうな声を上げながら目を細めて喜んでいた。

 この子たちもやっぱり暑かったんだね。

 最初は怖かったけど、嬉しそうな鳴き声を聞いていると可愛く思えてくる。

「よしよし。運んでくれてありがとね〜」

「キュルキュルルル♪」

「あはは。いい声してるねぇ♪」

 あんまり可愛い声で鳴くもんだから、たくさん撫でてあげたくなっちゃうよ。

「よーし。よしよしよしよしよしよしよしよしよしよし♪」

「はぁ〜……シノちゃんはお気楽ね」

 そんなあたしに対して、メルは深くため息をついていた。

「この砂漠で、水が無くて苦労している人もいるのにね」

「うーん。でもこれがあたしの異能者としての能力だしなぁ」

 逆に言えば他に能が無いんだ。あたしは水御華がいなきゃただの人間でしかない。

 あたしは大きなあくびをしながら首をコキコキ鳴らした。

「ふぁ〜、よく寝た」

 そんなあたしを見てまたも深いため息をつくメル。

 またお気楽だと言われるかな?

「これから決戦なのにね。居眠りはするし、力の温存も考えていないし……シノちゃんに緊張感は無いのね?」

「あはは。よく言われるよ」

 確かに水の無駄遣いはよくないか。

 これからどれほどの戦いが待ち受けているのか分からないのだから。

 あたしは刀を鞘に納めると再び腰に戻した。

「笑いごとじゃないね。戦場は目で見える所まで来ているね」

「えっ、そうなの?」

 眠い目をこすりながら前方に目を凝らすと、確かにウエストサンドの大きな宮殿が見える。

 ウエストサンド宮殿は前に一度見たことがある。

 無駄に広く大きい建物で、趣味の悪そうな巨大な旗が掲げられている。

 その隣にはウエストサンドの街が宮殿を中心に扇状に広がっている。こちら側は街の反対、宮殿の裏手にあたる。

 陽と砂漠の熱が生む陽炎のせいでよく見えないけど、その宮殿から少し離れた所で、たくさんの人間がひしめき合っているのがわかる。

 そこがインフィニットとアンリミテッドが戦っている場所なのだろう。もう戦いは始まっているんだ。

「宮殿の裏手で戦っているのは奇襲しようとしたから?」

「きっと街の人を巻き込まないためね。それに宮殿の裏手は見晴らしがいいから奇襲にはならないね」

 アンリミテッドは奇襲よりも無関係な人たちを巻き込まないことを選んだんだ。

 なるほど。そういう考え方は賛成できる。

 その気になれば街に潜むことも、街に混乱を招いて誘導することもできたはず。ちゃんと手段を選んでいるんだ。

「あの白い外套を頭から身に纏って顔を隠しているのがインフィニットの兵士達ね」

「ということは、それに向かっているのがアンリミテッドと反組織に賛同する戦士達なんだね」

 アンリミテッドの戦士達は上半身を晒して両腕に布を巻いているのが分かる。

 とりあえず、見分けは付きそうだ。

 どちらも数が多いことから戦いが始まったばかりだと分かる。

「すぐ合流しないの? 間に合ったみたいだけど」

「間に合ったのはきっと戦いの前に休憩を取っていたからね。それでも開戦前に間に合わなかったね。誰かさんがいびきをかいて寝ていたからラムダムヴァが減速したせいね」

「あう……」

 その誰かさんってあたしのことだ。

 本当に自分でも驚くほど緊張感が無いな、あたしは。どれだけ眠っていたかは分からないけど。

 でも、おかげで体は随分と楽になった。昨日の疲れは無いと見ていい。

 これならこの戦いの役には立てそうだ。

「メルは寝なくても大丈夫なの?」

「それ所じゃないね。ウチはこの戦いにどう関わるかを考えていたね」

 これであたしよりも年下なんだから驚きだ。

 やっぱりアンリミテッドの戦士をしているだけある。

 きっと戦いの経験はメルの方が多いのだろう。

「寝ててすいません。……で、メルの考えは?」

「このまま合流するよりもラムダムヴァの俊足を持って横から奇襲をかける方が敵も驚くし、味方の士気も上がると思うね」

「たった二人でも効果があるのかな?」

「味方にも敵にも、他にまだ援軍があるかもしれないと思わせることができたらそれで充分ね」

 メルの言ったことは戦争なんてしたことの無いあたしには思いもしないことだった。

 あたしはいつも一人で戦っていたから。

 作戦は大事なんだなぁ。

「――んっ? 何か変ね!」

 いきなり声を上げるメル。

 メルは必死に目を凝らして戦場を見ようとしている。

 あたしも戦場に目を向けるも、ここからでは遠すぎて変化が分からない。

「シノちゃん! 急ぐね!」

 ラムダムヴァを走らせるメル。

 あたしを乗せたラムダムヴァもそれに合わせて一緒に走り出した。

「わわっ! ど、どうしたのさ?」

「戦場がおかしいね!」

「おかしい?」

 再び戦場の方へと目を向ける。

 次第に距離を縮めているおかげでメルが気づいた異変にあたしも気づくことができた。

 固まって隊列を組んでいたインフィニットの軍勢が最前列の中心を境に、二つに分かれようとしている。

「左右から挟みこむ作戦かもしれないね! 前からよりも左右から攻撃される方が不利だからね!」

 隊列が二つになったというメルに反して、あたしはむしろ引き裂かれているように見えていた。

 目を凝らしてその隊列の分かれ際をよ〜く見る。

「ありゃ? あれはひょっとして――」

 あたしはこの状況をすぐに理解した。

 メルは気づいていないのか、声を荒げていた。

「どうして一旦後退しないのね?! ただでさえ数で押されているのにね! このままじゃインフィニットに勝てないね!」

 メルの言うように反組織の戦士達は臆することなく進軍している。

 けど、それは当然のことだ。

 敵がひるんでいるのなら、突き進むのみだから。

「違うよメル。敵は隊列を分けているんじゃない。分けさせられているんだよ」

「させられて、ね? それはどういうことね?」

「あの分かれている境目をよく見てごらんよ」

「――ん。……誰か、いるね? あれはインフィニットでも反組織の人間とも違う格好をしているね」

 敵勢力の真ん中を斬り込みながら突き進んでいる人物が一人。

 あれは紛れも無くイナさんだ。見間違えるはずがない。

 こんなことをやろうと思ってやってのけてしまう人間は他にいないだろう。

 反組織の勢力がそれに続いてインフィニットの勢力を分断させながら端へ端へと追いやっているのが分かる。

 多勢に無勢を物ともせず、まったく衰えることを知らず突き進んでいる。

 大群をたった一人で退け、大勢の人間を導くイナさんのその姿は、まさに戦場の鬼神と呼ぶに相応しい。

「メル。あれがイナさんだよ」

「あれが……たった一人で信じられないね。こんなこと本当にあるね?」

 とうとうインフィニットの勢力は無理やり二つにされてしまった。

 それは誰が見ても目を疑うようなとんでもない光景だった。

 そのとんでもない事をイナさんはやってのけてしまった。たった一本の剣と体だけで。

 そんなイナさんの姿を見て奮起する者も多いだろう。

 あたしもそうだ。

 イナさんの無事が確認できてホッとしているはずなのに、今は一緒に戦いたいという気持ちが湧き上がって止められない。

「メル! あたしたちも続こう!」

「そ、そうね! 今がチャンスね!」

 あたしたちは二つに分かれたインフィニットの勢力の片側へ。その真横からこの戦場に参戦することになった。

 たった一人に隊列を分断され、戸惑う所へかける奇襲の効果は高いはず。

 メルはラムダムヴァから飛び降りると、さっそく先制攻撃を仕掛けた。

「砂よ轟くね! 砂渡波舞(サンド・ウェイブ)!」

 砂漠を蹴って膨大な砂漠の波を作り出すと、砂漠の波はインフィニットの兵士たちを飲み込んだ。

 今まで見た技の中でとびきりの威力だ。メルが張り切っているのが表われている。

「アンリミテッドの長が孫娘、メルセレス=シュトラーセね! 砂漠の神の御名においてインフィニットに裁きを下すね!」

 たった一人の女に隊列を乱され驚いている中、敵対組織の長の孫娘が堂々と参上するのだ。これほどの効果は無い。

「メルセレス様だ!」

「おおーっ! メルお嬢ぉ!」

「お嬢さんにもしものことがあってはならねぇ! お嬢さんに及ぶ前に一人でも多く敵を倒すんだ!」

 メルの登場にアンリミテッドの戦士が猛った。メルがアンリミテッドの中で多くの信頼を得ているのがそれで分かる。

 ただ、メルのお父さんらしき人の姿は確認できない。これだけの数なら仕方ないことか。

「あたしもアンリミテッドに味方するよ!」

 ラムダムヴァから飛び降りて刀を抜いた。鞘の沙華月から水が溢れて水御華を潤す。あたしも猛っているのが分かる。

 インフィニットの軍勢に向かって水御華を握り締める。

「水よ吹き荒れろ!」

 水御華の切っ先から大量の水が放出される。

 そのまま横へ薙ぐとインフィニットの兵士数十人を巻き込みながら、その水圧で吹き飛ばした。

 あたしはそのままインフィニットの隊列に斬り込んでいく。

 その先にいるであろうイナさんの方に向かって。

「メル! あたしはイナさんと合流するよ!」

「わかったね!」

 メルの返事を待たずに駆け出すあたし。

 後ろからメルの声を耳にする。

「アンリミテッドの戦士たちにメルセレス=シュトラーセが告ぐね! 水を操る女の子は味方ね!」

「水を操る? お嬢さん、まさかあの娘は?!」

「話している暇は無いね! シノちゃんは味方ね!」

「わ、わかりました。野郎ども続けぇえええ!」

 振り向くとアンリミテッドの戦士たちがあたしの後ろを付いてきてくれた。

 まっすぐ突き進むあたしに対して討ち漏らした敵を倒してくれている。

 アンリミテッドにとって砂漠のアメフラシは敵のはずなのに、メルの言葉を信じて助けてくれている。

 何よりもメルに味方だと言われたことが嬉しい。

 ――だったら、その期待に応えなくっちゃ!

 水御華から出る水で前方の敵を吹き飛ばす。

「調子に乗るなぁ!」

「甘いよ!」

 左右からやってくる敵の攻撃を順番に受け止め、斬り払い、そしてまた駆け出す。

 討ち損じはアンリミテッドの戦士たちに託し、あたしは先へ先へと突き進んでいく。

 討ち倒した敵の先はまた敵の軍勢。

 その先も、その先もそうだろう。

 いつになったらイナさんの所へ辿り着くのか分からない。

 それでもこの先にきっといる。そう信じて先へ進むしかない。

「シノちゃん!」

 あたしのすぐ後ろからメルの声がする。

 何事かと振り返ってみると、あたしとメル、アンリミテッドの戦士たち数人が大量のインフィニットの兵士によってぐるっと囲まれていた。

「そんな! いつの間に?!」

 いくらあたしが先へ進むことを急いでいたからって、ここまで討ち漏らしたりはしない。

 まるで突如湧いたかのような数だ。

「おかしいね。これだけの数……いったいいつね? どこから沸いて出てきたね?!」

 ――違う。湧いたんじゃない。()()()()()()んだ!

 後方にはあたしが倒したはずのインフィニットの兵士が一人として倒れていない。起き上がれるはずがないのに、だ。

「これは異能者が?」

 西のインフィニットは異能者の命を奪わず監禁していると聞く。インフィニットの兵士として協力している異能者がいてもおかしくはない。

 問題はどんな能力を使っているか、だ。

 あたしたちの精神を操ってそう見せているのか。

 倒れた兵士を動かしているのか。

「シノちゃん。インフィニットにも異能者が……?」

「そうみたいだね」

「こんなこと、許されないね!」

 メルがあたしの前に出ると目の前の兵士の喉元を蹴りつけた。

 兵士は物凄い勢いで後ろの兵士も巻き込みながら倒れるものの、一つの間も置くことなく立ち上がてみせた。

 巻き込まれた兵士たちも同様だ。

「そんな……確実に急所を狙ったね。動くことなんてできるはずないね!」

 メルが蹴りつけた兵士。その頭から被っていた外套が外れる。

 晒される顔。その目は死体のように見開かれ、口を半開きにしたまま涎まで垂らしていた。

 その様を同じインフィニットの兵士に晒されても他の兵士たちはまったく驚いていない。どうやらすべての兵士が同じ状態のようだ。

「これならどうだ!」

 あたしは敵の兵士へ刀を振るった。

 その右肩へ刀を食い込ませ深手を負わせる。

 ――が、目の前の敵はなんでもないかのように、手にする剣をあたしに向けた。

 無造作に繰り出される敵の剣を受け止める。

「うわあっ!」

 その一撃で水御華はおろか、あたしの体ごと飛ばされそうになった。

 これが斬撃か?! まるで巨大なハンマーで叩かれたような感覚だ。

 目の前の男は中肉中背……いや、それよりも小柄か。

 剣そのものにも特別な造りをしているようには見えないし、剣技なんてとてもあるようには見えない。

 それにも関わらず、これだけ重たい一撃を放ってくるんだ。

 これがただの力技だとしたら人間の筋力の限界を超えている。

「くそっ! なんて力だ!」

「斬っても貫いても動いてくるぞ!」

「まるで死霊だぜ。はらわたが出てやがる!」

 アンリミテッドの戦士たちも動揺している。

 死霊……そうか! この人たちは死体。

 異能者は死体を動かしているんだ。

 死体だから並の攻撃じゃ止まらない。人間的な思考が無いから容赦も無い。自分に返ってくる反動すらも気にしないから、筋力も限界を超えて動かしているんだ。

 まともな人間なら、さっきの一撃だけで両腕がイカれている。

 しかし異能者が死体という人形を操っているというのなら、その姿形が現存する以上、動かし続けるだろう。

 これだけ大勢の死体を動かすことも異常じゃないけど、こんなこと思いつく人間の心も異常じゃない!

「とんでもない力ね。自分に掛かる筋力の負荷すらまるで無視しているね。こんなのに殴られたらそれだけで致命傷ね!」

 素手で相手をするメルにはそれが強く感じられるのだろう。

 組み付こうにも逆に捕まれたらその細い手足は握り潰されかねない。

「どうしたらいいの……?」

 敵の兵士達はただ目の前の敵を攻撃することしか頭にない。

 そして命を失っても体がある限り繰り返し行われる。まるで人形のように……。

 こんな敵を前にアンリミテッドは勝てるのだろうか。

 その人数を前にあたしの命も危うくなる。

「これじゃきりがないぜ!」

「俺たちはいったい何を相手にしているんだ?!」

 必死に応戦するアンリミテッドの戦士たち。

 もしも敵のインフィニットすべてがこんな状態なら、そもそも数において劣っているアンリミテッドが勝つことなどできるはずがない。

 必勝のために人の命すら操るなんて!

 わらわらとあたしたちに群がるインフィニットの兵士たち。

 両足を斬って行動不能にするか……いや、この数を相手にそんな方法ばかりじゃどうしようもない。

「シノちゃん。このままじゃダメね!」

「わかってる! わかってる、けど……」

 決定的な打開策が見つからずに焦りだけが募っていく。

 ――どうする? どうする? どうする?

 自然と水御華を握る手にも力が入る。

 そんな中、小さな音を耳にした。

 

 リィン……

 

 刀の刀身から音が鳴り響いた。

 ――なんだろう、この音。前にも聞いたことが……。

 水御華から発せられる音は次第に大きくなっているみたいだった。まるで音で水御華が叫んでいるかのよう。

 他の人には聴こえないのだろうか。誰も反応していない。

 まるで刀から『私を使え。刀を振るえ』そんな言葉を聞くようだった。

「――す、み……か」

「シノちゃん!」

 あたしの前にいる女の子。

 その声も遠くに感じるくらい、あたしの頭の中は刀から鳴る音でいっぱいだった。

 

 リィイイイイイイイイン……

 

 音は激しさを増してあたしの体の中を駆け回っているみたいだった。

 それがだんだん心地のよいものになっていくのが分かる。

 向かってくるインフィニットの兵士たち。まだ変な感じだけど、刀でこいつらを斬るくらいわけないことだ。

「シノちゃん!」

「邪魔をするなっ!」

 あたしは女の子を突き飛ばして前に出ると刀を横へ斬り払った。

 ヒュンッ!

 まるで空気でも斬るような感覚だった。

 目の前では首のない兵士がしぶきを上げて体をビク付かせていた。

 ずしりと重くなる刀身。その上には四人分の首が乗っている。

 刀を傾けて敵の首を地面に落とすと、元の持ち主の足元に上手い具合に転がっていった。

 首のない兵士はそのまま動きを止め、後ろからやってくる味方の兵士に押されて地面に倒れた。

 ――なあんだ。結局は首か。人間と変わらないじゃないか。つまらないな。そんなの……

 武器を振り上げて向かってくるインフィニットの兵士たちを前に、あたしは退屈な目で見返していた。

 

 リィイイイイイイイイイイン……

 

 心地良いのは刀から聞こえるこの音だけ。

 ――いいよ。もっと使ってあげる。

 今度は刀を横に薙いで数人の兵士の上半身と下半身を分断する。ドタンと重たい音を立てて上半身が地面に落ちる。

 これで上半身だけで地面を這う姿が見たかったけど、期待に反して兵士はそれだけで動くことを止めた。

「半端な能力。もう糸が切れてるよ」

 今度は一人の兵士に絞り、その心臓に向かって刀を突き刺した。一瞬の間を置いて胸と背中から血を噴き出し、あたしを赤く染めた。

 この場合はまだ動くらしい。自分の心臓に穴が空いていることも知らず、兵士は剣を振り下ろしてきた。

 刀を抜きつつそれを弾き、また首を刎ねてやった。

 ベタベタとあたしの体に絡みつく血。

 その生温かさも感触も、こんなに楽しめないんじゃ煩わしいだけだ。

 刀を鞘に納めて再び抜刀する。

 吹き荒れる水のしぶきが体に纏わり付く血を吹き飛ばした。

「まだまだこれからだよ!」

 刀から伸びる水が横に並んだ兵士たちの体を分断する。

 敵の血がピピッとあたしの頬に飛んできた。

「これじゃあいくら拭ってもキリがないや」

 敵もそう。斬っても斬っても後から後から向かってくる。

 相手がインフィニットなら殺すしかない。やつらはそうやって色んなものを奪ってきたんだから。

 あたしは頬の血を手で拭うとそのまま頭の上に手をやった。

そこには紐で小さく結んである髪が束ねられている。

 なんだってこんな所で結んだんだろう。こんなの、邪魔でしかないよ。

 結んだ髪を解こうと手で掴んで引っ張ろうとしたその時。

 この場を制圧するような裂帛の気合と共に、何もかも斬り裂くような声が轟いた。

 

「チェストォオオオオオオオッ!!」

 

 ざぁんっ! というたった一度の斬撃音。

 しかし、縦に両断された敵の数は全部で八つ。

 その揺れる長い髪があたしの頬をチッとかすめた。

「イナ――」

 巨大な剣を構える女性を前にあたしはその名を口にした。

「――さん」

 あたしは頭の上で結んだ髪をキュッと握った後、そのまま手を下ろした。

 ――あれ? あたしは何をしていたんだろう?

 周りに散らばる無惨な死体。

 もはや誰のものかも分からない肉片が散らばっていた。

「これを、あたし……が?」

 

 リィン……

 

「――ああっ!」

 水御華から聞こえる音にあたしは恐怖を覚えた。

 刀を手放そうと腕を振るうも、右手の指はあたしの意に反して水御華をギュッと握り締めたまま放してくれなかった。

 手首から先があたしのものじゃないみたいに熱を帯びて強く強く水御華を握っていた。

「シノちゃん!」

 不安な面持ちであたしのところに駆けて来るメル。

 その顔は朝に目を覚ました時に見た顔と同じだ。

 ――初めてじゃない。あたしはまた、……メルの前でこんなことをした……?

 水御華の刀身が陽の光を反射させて煌めくと、あたしを映し出した。刀身を覗きこむとそこにはあたしが映っていた。

 そこには返り血に頬を濡らして微笑むあたしがいた。

 口元に手を当てるも、あたしは笑ってなんかいない。

 ――これは誰? 誰なの?!

「ち、違う。あたしじゃ、ない!」

「違わぬっ!」

 イナさんは大きな声であたしの言葉を否定した。

 こっちを向かずに、インフィニットの兵士を相手にしたまま。

「シノよ。こういう時はどうする?」

「えっ……」

 まともに思考が働いていないあたしにイナさんが問いかける。

 頭の中がいっぱいいっぱいで混乱しているというのに、なぜそんなことを聞くのだろう。

「敵の頭を叩くのじゃ。さすればこのように動かす者にも行き着こう。狙うは大将首じゃ!」

 イナさんはそう言うと巨大な剣、鬼神斬巌刀を振り回して周囲の敵を蹴散らす。

 そしてあたしの体を片手で軽々持ち上げた。

「イ、イナさん?!」

「これから敵本陣へ向かう! 続ける者は続けい! 追える者は追ってみよ! 我が前進を阻む者は容赦せぬ!」

 そのままあたしを肩に担いで駆け出した。

 あたしを担いでいることなど関係ないかのようだ。もの凄い速さで走り続ける。

「ウチも行くね!」

 イナさんの後をメルも追いかける。

 あたしを担いだまま剣を振るい、敵勢力のド真ん中を突っ切っていくイナさん。

 倒した敵のうち何人かは、やはり動き始める者もいた。

 しかし、メルが攻撃に転ずることがほとんど無いくらい、イナさんは的確に敵を仕留めていった。

 担がれているからその光景は見えないが、しきりに剣を振るい続けているのが分かる。

 何の役にも立っていないことが悔しい。

 けど、情けないことにホッとしている自分がいる。

 あたしは、もう水御華を振るいたくはないと思っていたから。

「歯応えの無い! 我が進行を妨げてみよ!」

「邪魔して欲しいのか欲しくないのかどっちね?」

「死者を相手に意気込めぬだけじゃ。兎にも角にも、制圧前進のみじゃ! 退かぬ! 迷わぬ! 留まらぬ!」

 イナさんはあっという間に敵の勢力を突き抜けた。

 振り向くと正面にはウエストサンド宮殿が目と鼻の先だ。

 しかし、そうはさせまいと宮殿の大門から鎧を身に纏う兵士たちがわんさか出てきた。

 いかにも正規兵という感じだ。

 実力もこれまでの兵士たちより上かもしれない。

「五十人近くいるね!」

「構わぬ! このまま押し通るのみじゃ! 我が歩みを止められると思うな!」

 新手の兵士を前にしてもイナさんの走る速度は衰えない。

 むしろ速く、より速く走り続けるイナさん。

 気が付けば、兵士たちが隊列を組んで戦闘準備に入る前に剣を振るっていた。

 まさに一瞬のできごとだった。

 これには敵も驚いただろう。あたしもそうだ。この人はどこまでのことをやってのけてしまうのか。

 たった一振りで敵を何人も巻き込んで討ち倒してしまう。

 剣を数回振り回しただけで、ここにいる敵の半分が地に伏せていた。

「門を閉じろ!」

 イナさんの猛攻に慌てて大門を閉じるインフィニットの兵士たち。

 後ろにはまだ兵士が控えているのに宮殿の大門を閉じることを優先したようだ。

 門はかなり大きく頑丈そうだ。

 アルファルファ級のドラゴンが並んで通れるくらいの大きさはありそうだ。

「門が閉じられるね!」

「構わぬ。まずは眼前の敵を打ち払うのみじゃ!」

「わ、わかったね!」

 イナさんが剣を右へ薙げば右に並ぶ兵士たちが吹き飛ばされ、左へ薙げば左に並ぶ兵士たちが一斉に倒れる。

 まるで鎧など関係ないかのように。

 イナさんの上で激しく揺さぶられながらその光景を目の当たりにしていた。

 残る兵士は一人。その一人に向かってメルが飛び掛った。

 兵士の剣をすり抜け、後ろに回りこむと首に腕を回した。

「この門を開けるね!」

「む、無理だ。俺にそんな権限は無い!」

 この兵士は普通に話ができるらしい。戦場にいた兵士とはやはり違うようだ。

 戦場の兵士が正規の兵士じゃないのなら。だからこそ死して尚も戦うようなことをされているのかもしれない。

 そんな基準で人をいいように扱うなんて、許されることじゃない。

 インフィニットは自分たちのためなら手段は問わない。

「誰が死体を操っているね?! 異能者がいるのね?!」

「し、知らねぇ! 知らねぇよぉ!」

「……なら、用は無いね!」

 兵士をキュッと絞めて気絶させるメル。

 やっと周りに敵がいなくなったと知ると深く息を吐いていた。

「みんな、まだ戦っているね……」

 あたしたちが居た戦場を振り返ると、メルの言うようにインフィニットの兵士とアンリミテッドの戦士たちが戦いを続けていた。

「あれ? 片方の敵の勢力が小さくなっているね」

 イナさんによって二分化したインフィニットの隊列のうち、あたしたちが戦っていなかった方の勢力が徐々に小さくなっているようだった。

「しかし、逆にシノたちが戦っていた方の味方勢力は小さく、後方へ追いやられているのが分かるのう。このままではジリ貧じゃな」

 戦況は五分五分。あのインフィニットの大軍に五分五分というのはいい戦果だろう。

 しかし、不死身の兵士がいるというだけで厄介なのは変わらない。時間が経てば経つほど不利になるのは必至だ。

「さて、一息つこうかのう」

 イナさんはゆっくりとあたしを地面に降ろした。

 これだけの戦いをしておきがなら、疲労の色がまったく見えない。あの重い剣を背負いながらここまで戦ってきたというのに。

 やっぱりイナさんは凄い。あたしなんかじゃとても成れない人なんだ……。

「しかし驚いたぞ。私が分断した隊列のうち、ゾンビ兵の勢力の方へシノたちが向かって行くのが見えたからのう」

「ゾンビ兵、ですか?」

 イナさんからスルッとそんな言葉が出てきたため、思わず聞き返してしまった。

 ゾンビの兵士だからゾンビ兵……そのままだけど言い得て妙だ。

「ゾンビ兵って何ね?」

「グールやリビングデッドとも言うが、要は生ける屍じゃな。それをゾンビと言ったのじゃ」

「屍なのに、生きているのね?」

 そうか。イナさんはそのゾンビ兵の隊列と人間の兵士の隊列を見極めて分断したんだ。

 ゾンビ兵と人間の兵士が混同して隊列を組むなんてできるはずがない。人間は人間、ゾンビ兵はゾンビ兵だけで隊列を組んでいたんだ。

 あたしが無惨に殺したと思っていた兵士たちはもう既に死んでいた。そう思うと少し気も楽になれるけど……。

「じゃあ、異能者狩りをするインフィニットが異能者を使って死んだ兵士をまた戦場へ送り込んでいるのね」

「うむ。その異能者が自らの意思で協力しておるのか。無理やり従わされているかは分からぬがな。これだけの兵士を動かしておるのじゃ。とても一人とは思えぬがのう」

 座ったまま二人を見上げるあたしにイナさんが屈んで顔を覗き込んだ。

 普段ならドキッとしてしまうくらいの顔の近さだけど、今のあたしにはそんな余裕も無い。

 イナさんはじっとあたしの顔を見た後、眉毛を釣り上げて訝しげな顔をした。

「ふぅむ。シノも異能者らしいから、敵の術にでも掛ったと思うておったのじゃが……どうやら自分自身に操られておったようじゃのう」

 自分自身に操られる。それはどういう意味なんだろう?

「現にさっきから一言も話そうとはせぬしな」

 ――えっ?

 本当だ。あたしは物を思っても言葉は何一つ口に出していなかった。そんなことに気付かないなんて……。

「シノちゃんどうしちゃったのね?」

「気が抜けておる。虚脱状態じゃ。そのクセに水御華を離そうとはせぬ。おぬしはそうやって刀に振りまわされたのじゃ」

 視線を右手に移すとイナさんの言うように水御華を握り締めたままだった。

 戦う気力なんて全然無い。なのにあたしの体は刀を手放そうとしない。

 まるで自分の意思をどこかに置いてきてしまったみたいだ。

 考えることも、感じることもできるのに。

 体だけがあたしのものじゃないみたい。

 ――本当に、どうしてしまったんだろう。あたしは……。

「ここは未だ戦場じゃ。呆けていてはその命、失いかねんぞ?」

「シノちゃん。大丈夫ね?」

 メルの言葉になんとなく頷く。本当になんとなくしか頷けない。

 だって自分が大丈夫かどうかすら分からないんだ。

 イナさんはあたしの顔をじっと見つめた後、深いため息をついた。

「これではな……仕方ない」

 そして、手のひらをあたしに向ける。

 

 バチンッ!

 

 イナさんの平手があたしの右頬に打たれた。

 その威力は軽く地面に倒れるくらいだ。

 くらくらと視界が揺れる。

「あ……」

 そして、あたしはやっと自分から声を発することができた。それはほんの少しだけだけど。

「イナちゃんはやり過ぎね!」

 あたしのために怒ってくれるメル。

 でも、あたしはちっともイナさんを恨んでない。

「壊れたテレビはこうやって直すのじゃ!」

「意味が分からないね!」

 非難の声をあげるメルをよそに、イナさんは再びあたしの方を見た。

 厳しい目つき。真剣な目で。

 あたしのためを思っているのがよく分かる。

 それだけに、何をやっているんだとあたしは自分を責めた。

「誰かの剣と成れと言ったであろう。それは決して折れてはならぬものじゃ。おぬしが折れればおぬしが守りたいとする者はどうなる? ロメリアはおぬしの帰りを待っておるのじゃぞ。そこにおるメルも、おぬしを案じておるぞ」

「どうしてウチの名前を知っているね?」

 そうだ。イナさんとメルは初対面のはずだ。

 もしかしたらメルのお父さんから聞いたのかな?

「まぁ、よいではないか。それよりも、じゃ」

 イナさんは水御華を握り続けているあたしの手を持つと、水御華の刃を自身の首に添えて肩に置いた。

「あ……!」

 ――危ない! そう思ってもまだ声が出ない。

 感覚の無いあたしの手が水御華を引けばイナさんの首は簡単に斬れてしまう。

 あたしの体があたしの意思に反している今、それはあまりにも危険な行為だ。

「イナちゃん!」

「フフッ。大丈夫じゃ。何も心配はいらぬ。おぬしはシノじゃ。他の誰でもない。なら、何も案ずることは無かろう?」

 イナさんはそう言ってあたしを見ると、そのままあたしの指を一本ずつ刀から解こうとする。

 それでもあたしの指はしっかりと水御華を握り締めたままだ。

 せっかくイナさんがあたしの指を解放してくれようとしているのに。あたしの指はまるでそれに抵抗するかのようにしっかりと刀を握って離さない。

「イナちゃん。今のシノちゃんは……」

「シノはシノじゃ。大丈夫じゃ」

「でも……」

 急に背筋がぞくっとした。

 このまま刀を引いてしまえば、イナさんといえど簡単に殺してしまう。

 そんなこと思いたくもないのに。そんな考えばかりがあたしを支配しようとする。

 

 リィイイイイイイン……。

 

 水御華からまた音が鳴った。

 刀を使え、私を使えと言っているかのよう。

 ――そんなのダメ! ダメだよ水御華!

 イナさんは味方だ。ここにはもう敵はいない。

 水御華のいいようにされちゃダメなんだ!

 そう思えば思うほど、水御華を握るあたしの手に力が入ってしまう。

「ふぅむ。おぬしの握力とは思えぬな」

 変わらぬ表情でそう言うイナさんの額にうっすらと汗が滲んでいた。

 そこで気が付いてしまった。

 イナさんの首に添えられた水御華の刃がイナさんの首をわずかに斬ってしまっていることに。

 その小さな斬り口から血が滲み出ている。

 ――あたしが……イナさんを斬ってしまった。

「イ、ナ、さん……」

 振り絞るように声を出す。

「イ、……イナさん!」

「うむ。やっと喋れるようになったのう」

 さっきまで何も喋れなかったのに。イナさんのことを思うと黙ってなんていられなかった。

「大丈夫じゃ。ここは私に任せなさい」

「でも……」

「大丈夫。大丈夫じゃぞ?」

 いつものように優しい口調で、優しい眼差しで応えてくれるイナさん。

 そんなイナさんを前に、あたしは目を反らすことができなかった。

 またイナさんを斬るんじゃないかと思うと、胸がぐっと重たくなる。

「シノよ。自分から逃げてはならぬぞ。逃げれば戻ってこれぬかもしれぬ。おぬしはおぬし。シノ=カズヒなのじゃぞ?」

 一本また一本とあたしの指を水御華から解いていくイナさん。

 ようやく小指が離れたところで、あたしの手から水御華が離れる。刀はイナさんの肩を滑って地面に落ちた。

「あ、あたしは……あたしは――」

 謝らなくちゃ!

 そう思うのに言葉が見つからない。

 イナさんはあたしの口にすっと指を当てて言うことを阻んだ。

「シノらしくないぞ。おぬしはもっと自由だったはずじゃ。何ものにも縛られず、自由に過ごしておったじゃろう?」

「自由……?」

「どんな時でも変わらない。それがおぬしの強さじゃ。今回はインフィニットに深く関わることじゃから、仕方のない事かもしれぬが……」

 あたしはインフィニットが嫌いだ。

 でも、普段はそんなこと全然考えたりなんかしなかった。

 なぜだか分からないけど。いつもそうなんだ。両親を殺されて、いくら恨んでも足りないはずなのに。そんな感情が湧いてこない。思いつかない。

「両親の仇討ちをしたいか? インフィニットが憎いか?」

「そんなこと、考えたことないです」

「そうであろう。私もおぬしからはそんな気は感じられぬからのう。しかし――」

 イナさんは水御華を手に取るとギュッと握り締め、空に掲げてみせた。

「この水御華がシノの内に秘めている感情を呼び戻しているように私には見える。もしくは水御華そのものがシノの心の一部なのかもしれぬのう。普段は持たない感情を、水御華が呼び起こしておるかのようじゃ」

「水御華が……?」

 そんなこと、考えたことも無かった。

 水御華とはいつも一緒だけど、あたしは使う側で、水御華は使われる側だったから。

「私が握っても何も感じられぬがな。しかし、美しい刀じゃ。まるで無邪気な子どものよう。時として予想も付かぬ行動に出るが、悪意は無い。そんな感じかのう?」

「水御華は子ども何ですか?」

「子どもと言えるかもしれぬな。おぬしもまだまだ未熟じゃ。ならば、ちゃんと鞘に納めてやらねばならぬぞ? 帰る場所があれば安心するじゃろう」

 イナさんはあたしの腰に提げている鞘の沙華月を手にすると水御華を納めた。まるでそうすることが当たり前のように。

 あたしがまだ水御華を手にすることが怖いと察してくれたのだろう。

 正直、今は水御華が怖い。こうして腰に下げているだけで不安になる。

 あたしはもう、水御華を持つこともできないのかもしれない。

「おぬしは水御華を手放せぬよ。なんと言ってもおぬしは砂漠のアメフラシじゃからのう」

「砂漠のアメフラシだから……手放せない?」

「うむ。ロメリアに虹を見せてやらなくてはな」

「あっ……」

 ロメリアは言ったんだ。

 あたしのこと、水の妖精さんみたいだって。

 ちっともそんなことないんだけど。ロメリアはそうだと言ってくれる。

 だからあたしはロメリアの力になってあげたいんだ。

 ここで水御華を手放したら、きっと何にも残らない。

 ロメリアに虹を見せることも叶わないんだ。

「ごめんなさい。イナひゃん……ありぇ?」

 泣き出しそうになるあたしに、イナさんはあたしの鼻を摘まんできた。

「泣くでない!」

「そんにゃ〜」

「まだまだじゃのう、おぬしは……」

「だ、だっひぇ〜」

「だから私がいる。足りない分は私から補え。私はいつでも、シノの味方じゃぞ?」

 ――いつでも、味方……かぁ〜。

「はひ」

 ドンッ!

 メルがあたしの背中にしがみ付いてきた。

「ウチもいるね!」

 イナさんの言葉とメルの行動があたしの心を温かく包み込んでくれているみたいだ。

 嬉しすぎてまた泣けてくる。

 けど、今はそんな場合じゃないんだ。

 あたしは立ち上がると二人を見た。

「心配かけてごめん。行こう! あたしはもう大丈夫だから」

「うむ!」

「OKね!」

 再びウエストサンド宮殿への道を阻む大門を前にする。

 この門を潜れば宮殿を守る外壁は無い。

 そのまま宮殿の中に入ってしまえばそれが勝機となる。

 イナさんは地面に突き刺した鬼神斬巌刀を引き抜くとスッと払ってみせた。やる気満々という雰囲気が伝わってくる。

「開かぬなら……斬ってみせよう、ホトトギス……じゃな」

「ホトトギスってなんですか?」

「知らぬのか? 鳥じゃぞ?」

 斬ってしまえって……そんな鳥が居たら嫌だなぁ〜。

「二人とも簡単に言うけど、斬るなんて容易なことじゃないね」

 ため息混じりに言うメル。

 メルが言うのももっともな話だ。

 あの門が閉じる時、かなりの人間が一斉に門を押しているのを見ていた。それだけでかなりの質量だと分かる。

 しかもどう見ても鋼鉄製だ。並みの攻撃じゃ斬るどころか傷をつけるのも難しいだろう。

 さすがのイナさんでも簡単にはいかないはずだ。

「ふむ。そう言われると斬りたくなるではないか」

「あれ? 斬るつもりじゃなかったんですか?」

 わくわくした顔で鋼鉄の門を見つめるイナさん。

 他に手があるならそっちの方がいいと思うんだけど……。

「イナさんはどうするつもりだったんですか?」

「いかに鋼鉄の門といえど鍵をするにはカンヌキが必要じゃ。それが無ければただ押すだけで開いてしまうからのう」

 カンヌキというと門の内側に木や鉄の棒を掛ける鍵のことだろう。大きな街の門でも使われているから見たことがある。

 確かにこの門を斬るよりは現実的だ。

「外からカンヌキが壊せるのね?」

「左右の門の間に隙間ができておるであろう? 隙間が無くては門を動かせぬからのう。構造上の死角、というやつじゃ」

 門の方へ目を配ると確かに間にはわずかな隙間がある。そこを狙えばカンヌキを壊せるということか。

 ただし、指一本も入らないくらいの隙間しかない。

 あたしの刀ならいざしらず、イナさんの鬼神斬巌刀じゃ大きすぎて入るかどうか怪しいくらいだ。

 カンヌキは上下と中央に一つずつ、全部で三つ。その隙間から見ることができる。門の大きさもあってなかなかに分厚い。

 一本断つのに手間取っては門の向こうにいる兵士が予備のカンヌキを挿しかねない。

 これはスピード勝負の予感がするなぁ。

「というかイナさん。この会話、門の向こうの兵士に筒抜けですよね」

「うむ。今頃ヒヤヒヤしておるかものう〜♪」

 コンコンッと叩きながら返事をするイナさん。

 門の向こうでは兵士たちのざわめきが聞こえる。

 まさかこの大門が剣で開けられるとは思ってもみないだろう。

「というわけで、じゃ。一気に行くぞ!」

「はいっ!」

 ぐっと鬼神斬巌刀を構えて門を見据えるイナさん。

 その様子に息を飲むあたしとメル。

 いったいどんな剣技でこの門を突破するのだろう。あたしには想像すらできないや。

 イナさんが構えること数十秒。

 あたしに目をやると首を傾げてきた。

「……シノ?」

「どうしたんですか?」

「おぬしが斬るんじゃろう?」

「ええええっ?! あたしがやるんですか?!」

 この人はどうしてそう、唐突にそんなことを当然のように言っちゃうんだろう。

 今の話の流れから、てっきりイナさんが斬るもんだと思っていた。なんてったって斬ることに関してはあたし以上の実力の持ち主なんだし……。

「だって斬巌刀じゃこの隙間は通らぬぞ?」

「それはまぁ、そうですけども〜」

 じゃあ何で構えていたんですかと問いたい。

 あの説明は全部あたしにさせるつもりでしていたのか。

「わかりました。やってみますよ」

 やれやれと構えを解くと剣を肩に担ぐイナさん。

 これは本当にあたし任せになってしまっている。

「シノちゃん、できるね?」

「カンヌキって鉄だよね。鉄なんか斬ったことないよ」

 逆に刀の方が折れてしまうんじゃないかと思わなくも無い。

 刀が折れるなんて思考、イナさんはしないだろうけど。

 水刃の太刀なら鉄を斬れるかもしれないけど、とてもあの門の隙間を通せないだろう。

「相手の剣を三本連続で両断すると思えばいけるじゃろ?」

「その思考ができるほどあたしの剣の技量はありませんよ!」

「ハァ〜。やれやれ。おぬしはもっと自分を信じよ。いつものように水御華を振るっておればよいのじゃ」

「もう。知りませんよ!」

 あたしは半ばヤケになったように刀を抜いて構えた。

 狙うは門の隙間。上と下と真ん中にある鉄のカンヌキ。

 できるかどうかはあたしと水御華次第だ。

 ――ってあれ? あたし今、水御華を握ってるじゃないか。

 あんなに嫌がってたのに。話の流れでいつものように水御華を握ってしまっている。

「こりゃ! 集中せぬか!」

「は、はいっ!」

 そっか。水御華を抜くのが怖かったから、イナさんが計らってくれたんだ。

 あんなことがあった後で、割り切って刀を持つことなんてできないから。

 きっと次に水御華を握るのは躊躇していたはず。

 イナさんはそれを取っ払ってくれたんだ。

 ――なら! それに応えなくっちゃ!

「スゥ……」

 刀を両手で持ちまっすぐに構えると、呼吸を整える。

 あたしはただ、自分にできることをするだけだ。

 ――水御華。キミを信じていいよね? いつもみたいに、あたしに力を貸して!

「ハァアアアッ!」

 気合と共に、大門の隙間に向かって刀を振り下ろした。

 ザンッ!

 刀はなんの抵抗もなく、上から下まで振り降ろすことができた。ということは……。

 

 バキィンッ!

 

 硬い物が割れる音が響く。

「成功ね!」

 門の隙間を見ると三つのカンヌキが切断できているのが分かる。門の向こうからもどよめきが聞こえる。

「うむ。チャレンジ精神は大事ということじゃな」

 イナさんはいつの間にかあたしの横で満足げに笑っていた。本当にいつの間にそこにいたんだろう。

「それより早く門を開けるねね!」

「そうだった!」

 予備のカンヌキなんて用意してあるに決まっている。そうさせる前に門を開かなくちゃ!

 あたしとメルは急いで門を押し出した。

「ふぬぅ〜!」

「やっぱり重いね!」

 イナさんは黙ってそれを見ている。

 よく考えたらこんな大きな門をあたしとメルだけで押せるはずがないじゃないか。

 なんて考えていると、門の上半分が向こう側へ、ゆっくりと滑り落ちて始める。

「おーい! 危ないぞー! 離れよー!」

 イナさんが声をかける間も無く、向こう側の兵士たちは悲鳴をあげて離れていった。

 大門の上半分はそのまま向こう側へと滑り落ちていった。悲鳴が無いのが救いだ。

 これはひょっとしなくともイナさんの仕業だろう。

 あたしがカンヌキを斬ることに集中していたせいでいつ斬ったのか分からなかった。

 門を押したら向こう側に落ちるように切り口に傾斜をつけて斬ったんだ。

 アルファルファが並んで通れるくらい大きな門だというのに。

 イナさんには大きさも堅さも関係ない。

 斬ると言ったら斬ってしまうのだ。

 ――さっきは斬るって言わなかったけど。

「はじめからイナちゃんが斬ってたらよかったね」

 メルがそう思うのも無理は無い。

 でも、おかげで水御華をまた振るうことができた。

 イナさんは口には出さないけど、きっとあたしと水御華のことを考えてくれたんだ。

 だから尊敬できる。イナさんはいつでもあたしの目標なんだ。

「万事において抜かりなし、ということじゃな。こんな大きな門を斬る機会はそうそうないからのう。いやいや、チャレンジ精神は大事ということじゃ」

 腰に手を当てて満足げに笑うイナさん。かなりご満悦といった顔だ。

 しかし、そうこうしているうちに門の向こう側で兵士があたしたちを待ち構えていた。

「無駄話してる場合じゃないや」

「ふむ。立ち塞がるなら斬り散らすのみ、じゃな!」

「ここも正面突破ね!」

 戦場の方へ振り返るとインフィニット側もアンリミテッド側も拮抗しているようだった。

 数の上では圧倒的だったのに。これであのゾンビ兵がいなくなれば勝利は確定するはず。

「よしっ!」

 水御華を構え直して気合を入れる。

 未だに水御華に対する不安は拭い切れていない。けど、今は戦う時なんだ。

 ――水御華。あたしは信じるから、キミもあたしを信じて力を貸して。いつものようにやろう!

 水御華からは何も聞こえない。それは当然のこと。これまでやってきたように、一緒に戦うだけだ。

 あたしたちは下半分だけになった大門を飛び越え、兵士たちに向かって一斉に斬り込んだ。

「チェストォオオオオ!」

 イナさんが剣を横に薙ぐと前衛のうち十人近い人間が両断された。残酷なようだけど、こうでもしないと死してなお異能者によって動かされてしまう。

 ここは非情だけどイナさんに倣う他無い。

「私が先陣を切って突き抜ける! 二人は残りの敵を討て!」

 鬼神斬巌刀を振り回しながら駆け抜けるイナさん。

 イナさんが通ったところに敵は一人として立っていなかった。

「残りの敵って言われても……」

「誰も残っていないね」

 向かってくるインフィニットの兵士たちはことごとくイナさんの一撃にやられ、あたしたちはまだ戦闘に加われないでいた。

 その強さはまさに鬼神の如し。

 あたしたちは警戒しながらイナさんの後を追うだけ。

「とんでもない強さね。ウチが出会った人の中で一番ね」

「うん。頼もしくて心強いでしょ?」

「おかげでウチらの出番ないね」

「そうも言ってられないみたいだよ」

 あたしとメルの前にインフィニットの兵士たちが立ち塞がる。

 イナさんの鬼神斬巌刀は大剣を遥かに超える剣だ。味方であるあたしたちとはある程度の距離を置いて振るわなければならない。自然とあたしたちとは距離を置いてしまう。

 イナさんの剣が届かなかった敵があたしたちを狙ってくる。

「なら、今度はウチの番ね!」

 メルは足で砂を蹴ると同時に敵へ飛び掛った。

 砂にひるんだところへ同時に繰り出される蹴りに敵は反応できていない。

 腹、首、頭と蹴りつけ、敵が倒れる前に次の敵へ飛び移る。

 メルは相手が武器を持っていることに決して臆さず、流れるような動きで体術を繰り出している。まるで舞いのようだ。

 むしろ相手が素手だった方がまだメルの動きに反応できたんじゃないかと思える。

 メルが倒した兵士たちは二度と起き上がらない。

 それはゾンビ兵を操っている異能者が、死人しか操れないということを意味している。気を失わせるだけでいいんだ。

「二人とも、敵は怯んでおるぞ!」

「ウチらの敵じゃないね!」

 まっすぐ駆け抜けるイナさんと縦横無尽に動き回るメル。

 人数の差などはじめから感じさせない戦い方にあたしも奮起した。

「よぉーし! 今度はあたしが!」

 二人の後を追いかけながら水御華を振るって水を打ち出した。

 膨大な水量に兵士たちは他者を巻き込みながら吹っ飛んでいった。

 気を失わせれば操られることもないから、二度と立ちはだかることはない。そうと分かれば楽なものだ。

 水を操るあたしにとってはやりやすい。

 あたしは水御華を鞘の沙華月に納めると次の相手を探した。

「二人とも、気をつけよ!」

 何かを感じたのか。イナさんはそう叫ぶと、その言葉が終わる前に地面から何かが飛び出した。

 それは人間の形をした白い骨。

 骨の手はまるで意志を持つかのようにあたしの首を目掛けて飛び掛ってきた。

「くのぉ!」

 間一髪、刀で受け止めるとその手は水御華の刀身を掴んだ。筋肉なんてないはずなのにすごい力で引っ張ってくる。

 砂の中からその手の持ち主であろう、右腕を無くした骸骨が姿を現した。骨だけのせいか、ゾンビよりも不気味だ。

「今度は骸骨ね?! どうなっているね?!」

「大丈夫じゃ! 幽霊は気合で斬れるぞ!」

「そんな保障されてもぉ〜!」

 コキコキと骨を鳴らして向かってくる骸骨兵。その意思の無い顔は確かにあたしを見ていた。

 気持ち悪い。気持ち悪過ぎて失神できたらいいのにと思ってしまうくらいだ。

「ふむ。困った時には直ぐに呼ぶかの陰陽師?」

「平気ね。骸骨たちも首が弱点ね!」

 そう言って骸骨を素手で掴んでその頭を蹴り飛ばすメル。

 あたしはとても素手では触れないぞ。

「うむ。ならば、レッツゴー抜然人(バッサリ)じゃ! 何が相手だろうと。我が剣を阻むことはできぬぞ!」

 ――二人は怖くないのかなぁ。

 見た目による不気味さから戦意を喪失させるのも敵の目的なのかもしれない。

 肉が無いせいでゾンビ兵より一回りも二回りも小さく見える。それも斬り難さの理由でもあるけれど……。

 これはゾンビ兵を操っていた異能者とは別の異能者だろうか。地面から這い出るその様は不気味過ぎる。

 その数も尋常じゃない。どれほどの人間がインフィニットに挑み、命をここで失ったんだろう。

 そして死して尚、インフィニットのいいように操られている。どれほど無念か分からない。

 いきなりの骸骨の出現に敵の兵士も動揺している。

 それでも兵士たちはまたあたしたちに向かって剣を振るう。

 すぐ隣に骸骨がいるせいか、動揺がそのまま剣に映っていた。

 やりにくいのは敵も同じ。そうまでして勝とうとするインフィニットの焦りも見てとれる。

「ここを乗り切れば本当にインフィニットを討つことができるね。勝利は目の前ね!」

「それにはここをどうにかして乗り切らないと!」

 砂漠から出てくる骸骨の数は途方も無い。

 本当にどれだけの命を奪ってきたのかと問いただしたいくらいだ。

「大将首の前にこれらを操る異能者を探し出す必要があるのう。敵は近くにいるはずじゃ!」

 分かってはいる。けど、敵はみんな同じ格好をしているし鎧兜で顔も隠しているから判別しにくい。そもそも見た目で判断できるものじゃないんだ。異能者というのは。

 見た目で判断できない異能者をインフィニットはどうやって判別してきたのだろう。その疑問は常に謎だ。

 それに今は骸骨たちがこれでもかというくらい地面からぽこぽこ出てくるんだ。この状況の中で異能者を探すのは困難だ。

「どうしたらいいんだろう。手当たり次第になっちゃうよ」

 嘆きながらも水御華を薙いで水の刃を出現させ、骸骨の首を飛ばす。

 メルの言う通り、ゾンビ兵の時と同様に首を飛ばせば動かなくなる。

 無理やり操られて砂漠の中から出てきた骸骨がまた砂漠の上に転がる。死者の冒涜も甚だしい。

 それでも、あたしたちは戦わなきゃならないんだ。

「操る者は敵勢力の一番後ろ。つまり最後列のどこかに紛れておるはずじゃ。それが定石。そやつが倒れればスケルトン兵は動かなくなり戦力はガタ落ちじゃ。――ならばっ!」

 剣を振り回して走りだすイナさん。

 そのまま一気に敵勢力の真横へ抜ける。

 そして最後列の兵士たちに向かって剣を振りかざした。

「最後列を全て断てば、それで終わりじゃあ!」

 その発想に辿り着く思考と実力を持つ者が他にいるだろうか。

 イナさんの行動には毎度驚かされてばかりだ。

「奥義・雷鳴斬り!」

 イナさんの鬼神斬巌刀が目にも留まらぬ速さで一閃する。

 その光景は、もはや人数は問題ではないと知らされる。

 たった一薙ぎで一列に並ぶ人間を、一瞬のうちに打ち倒してしまった。その速さはまさに雷の如し。

 イナさんが剣を振るう間、あたしは何をしていたのか忘れてしまうくらい、イナさんの太刀筋は速く、そして美しかった。

「――って、まだ動いてるね!」

 スケルトン兵の一体の背骨を崩し、バラバラにしながらそう叫ぶメル。

 確かにスケルトン兵達は未だに動き続けている。イナさんの読みが外れたんだ。これも珍しいことじゃないだろうか。

「おかしいのう。物陰から視線は感じぬし……この中におるのは間違いないはずじゃが……」

 イナさんは右手で剣を振りつつ左手で頭を掻いた。

 その剣がくるりと回転し敵を両断した直後、あたしの周りにいるスケルトン兵たちが動きを止めてバラバラに崩れ落ちる。

「あれ? 今のがそうなのか?」

「まだ襲ってくるね!」

 砂漠から他のスケルトン兵が更に湧き出てくる。

 イナさんが倒した兵士はスケルトン兵を操る異能者の一人に過ぎないのだとしたら……。

 あたしはスケルトン兵ではなく数人の兵士に狙いを定めた。

「水よ!」

 切っ先から放たれる膨大な水が、数人の兵士を吹き飛ばして気を失わせた。

 そして目を凝らしてスケルトン兵たちの群れを見た。

 わらわらと群がるスケルトン兵たちの中、その数体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 やっぱりこの中に異能者がいるんだ。

 インフィニットによって狩られた異能者がどうしてインフィニットの兵士をしているんだろう。

 それに、なぜ同じ能力が使えるのだろう。

 どれだけ異能者が居ても同じ能力を持つ者はいないはずなのに……。

「二人とも! 異能者は間違い無くこの中に紛れているよ! それも複数いる!」

「どうして狩られる側の異能者がインフィニットに味方をしているのね?!」

「それは、分からないけど……」

 無理やり戦わされているのなら、イナさんの強さを見て逃げるはずだ。命を懸けてここにいるということは、本物のインフィニットの兵士なんだろう。

 その中にもインフィニットのやり方に疑問を持ってくれる人がいてもいいはずなのに……。

「ええいっ! おぬしらは何とも思わぬのか?! この世界を憂い、家族や大事な者のために剣を取って死んでいった者に、また剣を突き立てさせるのか! 立場は違えど同じ志を持った同志ではないかっ!」

 イナさんは声を荒げて叫んだ。

 その迫力を前にスケルトン兵を除いたインフィニットの兵士たちが動きを止めた。

 イナさんのその言動と振る舞いはまるでどこかの国の王様を彷彿とさせる。

 敵であるはずのイナさんの言葉に、インフィニットの兵士たちは耳を傾けてしまっている。

「動きが止まったね。今なら聞こえるね。砂漠の声が……」

 メルは目を閉じて耳を澄ませているようだ。

 その異能の力で砂漠の声を聞こうとしているんだ。

「砂漠の内より甦らせる者……その糸を操る者がいるね」

 砂漠の下からスケルトン兵が出てくることに砂漠も驚いているのだろうか。砂漠の中で白骨化した人間はもう砂漠の一部なのかもしれない。

 その異変を訴える砂漠の声をメルは耳にしているのか。

「分かったね!」

 メルはスケルトン兵たちを潜り抜け、兵士の一人に目星をつけて蹴りを放った。

 喉元に食い込むメルの蹴りに兵士は大きく飛ばされた。

 するとメルの近くにいたスケルトン兵たちが地面に崩れる。

 どうやら正解だったらしい。

 砂漠が感じる異能の力を、メルは砂漠の声として耳にしているんだ。

「次! イナちゃんの横ね!」

「アバウトじゃのう。ま、変わらぬか」

 イナさんは剣を横に薙ぎ払うと数人を巻き込んで斬り倒した。

 するとその付近のスケルトン兵たちが動きを止める。

 その間にメルはもう一人の兵士を打ち倒し、他のスケルトン兵の動きを止めた。

「シノちゃん! 眼前からその後ろまでみんなそうね!」

「待ってました!」

 眼前の兵士に向かって水御華を抜き放ち、刀身から膨大な水を噴出させる。

 あらかた巻き込みながら水の圧力によって吹き飛ぶインフィニットの兵士たち。

 これで多くのスケルトン兵たちが動きを止めるはず。

 戦力の大半を失ったインフィニットの兵士たちにイナさんが更に言葉を投げかけた。

「戦場を見よ! もうじき向こうもこちらの勝利で収束する。無駄に命を散らせたくはない! インフィニット没後、新たな世界を生きよ!」

 こちらの勝利になるかどうかはゾンビ兵を操る異能者をどうにかすることができるかにかかっている。

 けど、今はそんな事実よりも、イナさんのような強い人にそう言わせることで説得力を持たせることができるんだ。

 あのイナさんの堂々たる姿に誰も疑いを持たないだろう。

 兵士たちの間にざわめきが起きる。

 ある者は剣を納め、ある者は槍を地面に突き刺し、またある者は地面に座り込んで戦意が無いことを表した。

 しかし、全員がそうなるわけではなかった。

 兵士のうち一人がイナさんの前に立つと剣を向けた。

「俺はインフィニットの支配に賛成だ。忠誠を近い、兵士として働けばその辺の人間よりは楽に暮らせるからな!」

「それはインフィニットが他の者より絞り上げた金で成り立っている生活に過ぎぬ。インフィニットの懐でヌクヌクと暮らしておるおぬしには分からぬじゃろう。この世界は未だ奪い奪われる者たちで溢れかえっておるのじゃぞ」

 イナさんの言うとおりだ。インフィニットの管轄に入る街はそこにいるだけでインフィニットへ貢がなければならない。

 そしてインフィニットの手の届かない所には治安が行き届かず、奪い奪われる生活を強いられている。

 この世界はそうすることでしか生き残れない世界だから。

 砂漠だけの世界において、そのどちらかの生活を選ばなければならない。

 あたしはどちらも選ばなかったけど、その苦渋の選択を強いられている人はたくさんいるんだ。

「万人の民のことを憂うことが真の王の在り方じゃ。それができぬインフィニットにはこのイナ=シルバチオ=ボルダーン。悪を断つ正義の剣として相手になるぞ!」

 その振る舞いに、まるでイナさんが王様か王女様のように見えてしまう。威厳というか迫力というか。言葉にまで強さが感じられる。

 イナさんに異を唱える兵士は口をつぐみ、他の兵士たちがざわめきはじめた。

「行くぞ。こうしている時間が惜しい」

 さっさと宮殿の方へ歩き始めるイナさん。

 あたしとメルは顔を見合わせた。

「迷ってる今がチャンスね」

「そっか。そういうことなんだ」

「早く行くね。イナちゃんが待っているね」

「うん。そうだね」

 あたしたちも、周りの兵士たちを警戒しながらイナさんの後を追った。

 結局、宮殿から大門の間で、あたしたちの前に立ち塞がる兵士は誰もいなかった。

 イナさんの強さに恐怖したからか。

 その言葉に心の中で頷く者がいたからか。

 理由はそれぞれなんじゃないだろうか。

 人類救済を掲げている組織が剣を取らせて兵士を作り、暗殺ギルドなど抱えているんだ。

 兵士の中にも、インフィニットのやり方に疑問を抱く者も少なくないという表れだと言える。

「……シノ。この世界の者たちは弱いのう」

 宮殿を前にして立ち止まるイナさん。

 振り返ることもなく、ぽつりとそう呟いた。

「どういう意味ですか?」

 この世界の人間が弱い。それは何を指しているのだろう。

 そこにあたしも含まれるのだろうか。

「己の所業が悪だと気づいた時、それを押し通す者がおる。しかし、あそこにいた兵士たちはそうしなかった」

「それっていいことね。結果的に誰も攻撃してこなかったね」

「うん。あたしもそう思う。余計な争いは無いに越したことはないと思うし……」

 悪いことを悔い改めることができるっていいことだと思う。

 それなのに、どうしてイナさんはそんなことを言ったのだろう。

「いいことでもあるが……同時に寂しいことでもあるのじゃ。兵士とは主君のために命を懸けて戦う者。それができぬということは主君への忠誠も兵士としての誇りも無いということ。無益な殺生は好まぬが、あそこで向かってくる者が誰一人としていないというのは……やはり、寂しいものじゃな」

「はぁ、そういうものなんですか」

 もし王様の下に兵士がたくさん集っていながら、その中で一人も王様に忠誠を誓う者が存在しなかったら。それはイナさんの言うように、寂しいもののような気がする。

「イナちゃん。まるで一国の王様みたいな物言いね」

「そうかのう?」

「そうね。国だけじゃなく、ちゃんとそこで暮らす人のことも考えているね。イナちゃんはいい王様になれるね」

 これからアンリミテッドを束ねていくメルには何か思うものがあるのだろう。

 イナさんはメルの素直な感想に首を傾げていた。

「王様にしては、イナさんはまだ若くない?」

「じゃあお姫様か、王女様ね!」

 イナさん……イナ姫、か。なんだか想像つかないや。そんなお姫様がいる王国はさぞ心強いことだろう。

 こんな大きな剣を振り回して戦場を駆け抜けるお姫様が本当にいたら驚くけどね。

「アッハッハッハッ! まぁ、こんなぶらぶらと旅をしている私には、そんな資格など無いじゃろうな。姫や王女と呼ばれる者は、私などよりも国のことを案じておるからのう」

「やっぱり詳しいですね。イナさん」

「ま、いろんな世界を旅しておるからのう」

 イナさんは頬をかきながらそう言うと、コホンと咳払いを一つしてみせた。

「さぁ、無駄話はここまでじゃ。先へ進むぞ!」

「はいっ!」

 インフィニットの西の城砦、ウエストサンド宮殿。その入り口へ、とうとう辿り着いたんだ。

 この中に西のインフィニットを束ねるボスがいるんだ。

 ここの門番もあたしたちとの戦いに出払ってしまったらしい。

 あたしたちに突破されたと報告する者もいなかったが、相手が異能者を味方につけている以上、あたしたちの動向がバレていないとも言い切れない。

 ……さて、とりあえず敵はいないけど。このまま不用意に進むのも何か怖いぞ。

「うむ。じゃあサクサク行くかの!」

 イナさんは頭の上で鬼神斬巌刀を振り回しながらそう言うと一歩前に出た。

「えぇ?! どんな罠があるか分からないんですよ?」

 反論するあたしに、指であたしの額をこつんと小突くイナさん。視界が一瞬、暗転した気がする。

「サクサク行こうが慎重に行こうが、罠を避けられるものでは無かろう? 私の経験上、一気に駆け抜けてしまえば例え罠が反応しても、作動する前に通り抜けることができるはずじゃ」

 いったいどんな経験をしてきたんだイナさんは……。

「イナちゃんの言うことは一理あるね」

 こういう意見には同意すると思っていたよ、メル……。

「うむ。そうであろう?」

 二人とも足に自信があるのだろう。罠を発動させても突破できるくらいには。

 あたしにはそんな自信はさっぱり無いや。

 それにしてもイナさんもメルも互いに会ったばかりだというのに気が合ってるなぁ。

「でも、慎重に行けば罠を見つけられるかもしれませんよ?」

「見つけてもどうしようもなかったらどうするのじゃ?」

「そ、それは〜」

 ――やっぱり走って逃げるしかないのか……?

 もはや罠を作動させることが当たり前になっているかのような口ぶりに、あたしは反論ができない。

 これじゃあ、どっちが正論なのかわかりゃしないじゃないか。

「私はのう。一度でいいからボタンを押して飛んで来る矢を斬ってみたいと思っていたのじゃ!」

「思っていたのじゃ! って、そんな……」

 ――誰か、イナさんの好奇心を止めて欲しい!

「あ、ウチも似たような修行させられたね! 紐を引っ張ったらサボテンが飛んでくるものだったね!」

「メルまで……」

「これだけ大きな宮殿じゃ。さぞ予測不可能で大掛かりな仕掛けがあるに違いない。これは大変じゃぞ」

 なぜかわくわく顔で城の中を見る二人。本当に気が合ってるみたいだ。

 あたしには話を聞くだけおぞましい感じがするというのに。

「行くぞ! 者ども続けぃ!」

 イナさんの掛け声と共に走り出すメル。

 その後を仕方なく付いていくあたし。

 このままだと二人が作動させた罠にあたしが掛りかねない。あたしは二人に負けじと全速力で付いていく。

 まずは宮殿の広いエントランスに出た。

 二階には数十人の兵士たちが弓矢を手にしてあたしたちを狙っている。これをどう捌いていくべきか……。

「関係ない! そのまま突っ切るのじゃ!」

「ええっ?! いいんですか?!」

「相手をするだけ無駄じゃ。全速力で行くぞ!」

「わ、わかりました!」

 イナさんの言うように無視して突き進む。

 いきなり突っ走るあたしたちに兵士たちは上手く狙いを定められず、人数よりも圧倒的に少ない数の矢があたしたちの後方に落ちていく。

 最後にエントランスを抜けた所で、あたしの後ろで大量の矢が音を立てて突き刺さる。

「こ、怖かったぁ〜……」

 いつあたしの背中に矢が刺さるのかとヒヤヒヤものだった。

 そうだというのに。二人は何でもないような顔をしている。

「なるほどね。走り続けるウチらに二の矢は撃てないと慎重になったのが仇になっているのね!」

「うむ。ここで仕留めるつもりだったなら尚のこと。滅多矢鱈に撃たれた方がまだ苦労したじゃろう。ここの兵士はあまり実践に慣れていないと見える」

「二人とも楽観視し過ぎるよぅ〜」

 あたしは疲れたように抗議する。事実、肝を冷やし過ぎてどっと疲れが押し寄せている。

「弱音は無しね。まだまだこれからね!」

「うむ。結果良ければ全て良し! それにホレ、見てみよ。この先に何が待ち受けていると思う?」

 ピッと指を差すイナさん。

 その先には誰もいない長い通路が待ち受けていた。

 誰もいないってことはひょっとして……。

「ここは……罠地帯ね!」

「待ってましたぁ!」

「待ってましたぁ……って、待ってませんよぅ」

 どうしてそう、二人はそんなに楽しげなんだろうか……。

「気を引き締めて行かねばならぬな!」

「そうね。一歩間違えたら危険ね!」

 二人の顔のどこが引き締まっているんだろう。

 口を釣り上げて目を輝かせているのがよく分かる。

「行くぞっ!」

「応ね!」

「ふぁ〜い……」

 イナさんの合図で走り出すあたしたち。

 不安だ。かなりの不安だ。

 けど、どちらにしろ一時停止なんてないんだ。このまま二人に付き合って走り抜けるしかないのか。

 ああ〜、ホントに大丈夫なんだろうか。

 通路は白と黄色の正方形の石を交互に埋め込んだ石造りの廊下だ。

 そのどれかを踏んだら罠が作動する作りなのは明白だ。

「矢でも鉄砲でも飛んで来るがいい!」

「いや、あの、できれば飛んできて欲しくないけど……」

 あたしたちは更に速度を上げて走り抜ける。

 するとすぐに――

 

 ドゴンッ!

 

 嫌な音と共にあたしのすぐ後ろで音がした。

 振り返ると天井から太い石柱が落ちてきていた。

 あたしは何も押していない。ということは二人のどちらかが押したことになる。

 二人は振り返ることもなく走り続けている。

 ――じょ、冗談じゃない! これでやられたらとばっちりもいいとこじゃないか!

「おお、これは?!」

「ヤバイね!」

 立ち止まる二人の前方には罠が多数。既に発動していた。

 たぶん、どっちかがスイッチになる床を踏んだのだろう。あたしはこれまで一度として踏み抜いた覚えがない。

「さて、誰が先に行くか。それが問題じゃな」

「確かにね。これだけの数が相手だと一斉に行くのは危険ね」

 

 ごぅん、ごぅん、ジャキン、ジャキン、ジャキン

 

「これ、全部罠なの……?」

 天井から上下している大きなギロチンが間隔を空けて三つ。

 左右の壁から一定の間隔で飛び出してくる数本の槍。

 その一本折れているのを見るに、あたしたち以外でここを通ろうとした人がいるということか。

 この槍とギロチン地帯が交互に続いている。

 ギロチンを抜ければ左右の壁から槍が。

 槍を抜けたらまたギロチンが。

 この他にも作動する罠があるのならこれは厄介だ。

「最初はウチが行くね!」

「ああっ! ちょっとメル!」

 真っ先に飛び出したのはメルだった。

 まずタイミングを測るとか、そういうものが全く無い。

 見ているこっちが不安になる。

「ああ〜。メルが! 怖い怖い怖い! 危ない危ない危ない!」

「うるさいぞ、シノ」

 トスッ。

 イナさんの手刀があたしの額に食い込む。

「いったぁ〜! すみません〜!」

「だ〜から、そわそわするでないわ。修行が足らぬぞ」

 イナさんは罠が見たいから邪魔をするなと言いたげだ。

 そこまで好奇心を煽られるものなのだろうか。

 それよりもあたしは恐怖心の方が強いや。

「いざとなれば行かねばならぬぞ」

「あっ!」

 そうか。イナさんはメルの身を案じているんだ。

 アンリミテッドの戦士といえど、メルはまだ子どもだから。

 その証拠に、鬼神斬巌刀を持つイナさんの右腕がゆらゆらと動いている。

 ひょっとして罠に興味を持っていたのは自分が先に行って罠を破壊しようとしていたからかな?

「しかし、取り越し苦労だったようじゃな」

「えっ?」

 メルの方を見るとその動きが冴え渡っているのが分かる。

 落下するギロチンの下を潜り抜け、壁から伸びる槍の隙間を掻い潜る。

 その動きには規則性が無い。

 無いからこそ、縦横無尽に作動する罠にも対応できているんだ。動き続けることでリズムを得ているかのように。

 メルはそのまま、するりするりと避け続け、途中たった一度の静止だけでこの罠をあっけなく突破してしまった。

 突き当りが安全地帯となっているのか、メルはそこで止まってこっちに手を振った。

「クリアね!」

「見事じゃ。さて、次はシノか?」

 うずうず顔であたしを見るイナさん。

 演技なのか、やっぱりただやりたいだけなのか……。

「え〜っと……」

「私の後では何も残っておらぬぞ?」

 イナさんはそう言ってぐるんっと剣を振り回した。

 壊す気満々なのが伺える。そうしてくれたらありがたいに決まっている。

「その方がいいですよぅ〜」

「まぁ遊んでいる場合ではないか。では、行かせてもらうぞ!」

 鬼神斬巌刀を高らかに掲げ、罠に向かって突っ走るイナさん。

「おぉおおおおお〜!」

 落ちてくるギロチンを剣で受け止め、一つの間を置いて剣で斬り上げてギロチンを両断する。

 次に横から飛び出す槍をすべてかわし、次のギロチンを両断する頃には通過したはずの槍が音を立てて崩れ落ちる。

 いつ斬ったのか分からないくらい。

 その動きは何よりも速く、そしてどこまでも自然体のように見える。

 そのままメルの所まで斬り進むイナさん。

 物の数秒で罠だらけの廊下は見るも無惨な姿に変わってしまった。

「ハイスコア更新じゃ! ネームエントリーするとしたら三文字で、I・N・A、かのう?」

「イナちゃん凄いね!」

「フッフッフ。そうであろう、そうであろう?」

 容赦が無いというか何というか。

 あの満足げな顔が本気で遊んだと言わんばかりだ。

「次はシノちゃんね!」

「早くせねば置いて行くぞー!」

 廊下の向こうで手を振る二人。

 それぞれ同じように満足げな顔をしている。よほど達成感があったのが伺える。楽しそうだなぁ。

「はいはい。今行きますよー!」

 イナさんが片付けてくれたおかげで悠々と通路が渡れるぞ。

 その一歩を軽やかに踏み出したその時――

 

 カッ――――コンッ。

 

 右足に何かを踏み抜いた感覚。

 さっきまで罠の作動音でいっぱいだった廊下がいきなりシンッと静かになる。

 そして後方より聞こえる大きな作動音。

「まさかのう」

「まさかね」

「まさか……!」

 ヤバイと思って振り返ると、巨大な丸い岩がこちらに向かって転がってきていた。

「ぎゃああああ!」

 天井や壁をこすりながら勢いよく転がってくる。

 どういう仕掛けになっているのか分からないけど、その速度は異常だ。

「うわぁ! これはすごいね!」

「ベタな仕掛けじゃが、これぞ王道じゃな」

 岩は地面を転がりながら不発だった罠を作動させては破壊を繰り返しながらも、勢いそのままに転がってくる。

 あんなのに巻き込まれたらひとたまりも無い!

「斬れ! 斬ってしまえば転がらぬぞ!」

「水ね! 水で勢いを殺すね!」

「斬るんじゃ!」

「水を出すね!」

「斬る!」

「水ね!」

 二人の意見が完全に分かれる。

 それが余計にあたしを混乱させた。

 どっちの意見を聞くべきか……。

 ええいっ! 考える暇も選んでいる暇もない!

「もう! どうにでもなれぇえええ!」

 力を込めて水御華の柄を握る。

 やんわりとあたしの異能の力が刀に注がれていくのが分かる。

 どちらにしても刀に頼るしかないんだ。

 ――だったら、自分の得意技で!

 刀と鞘の隙間から水が溢れる。

「貫け! 水の刃よ!」

 抜刀すると同時に水御華の切っ先から圧縮された水を放出した。

 力を溜めに溜めた水はその勢いを増し、すべてを貫くウォーターカッターと成る。

 あたしの放った水の刃は岩を貫く。

 

 バキバキバキッ!

 

 水で貫かれた岩は大きな音を廊下に響かせて崩れる。

 勢いの残る岩の欠片だけがあたしの両脇を転がっていく。

「さすがシノちゃんね!」

「ふぅ〜。これはさすがに驚いたよ」

「このくらいで参ってどうするのじゃ。ここは既に敵の懐の中じゃぞ?」

 そうだった。この宮殿には他にどんな罠が待ち受けているか分からないんだ。

 改めて現状を確認する。

 あたしたちは通路の突き当たりまできた。そこから左右に道が分かれている。

 もう罠地帯は突破したのか、床は罠があった通路のような二色の石ではできていない。

 足元に転がる岩の欠片を拾い上げると左右の通路に放った。

 コツンコツンと通路に音を響かせながら先へ転がる石。

「どうやら罠はないみたい――って、どうしたの二人とも?」

 二人を見るとつまらなさそうな顔であたしを見ていた。

「もう罠は無いのね……」

「シノよ……ネタバレ禁止じゃ!」

「ええぇ〜。もう罠はいいですよー」

「でも石じゃ反応しない罠なのかもしれないね!」

 どうしてそう二人は罠に期待しちゃうんだろう。何も無いならそれに越したこと無いのに。

「と、とにかく行こうよ。時間も無いことだしさ」

「うむ。あまり悠長なことはしていられぬな」

「そうね。……で、どっちへ進むね?」

 メルは両腕を伸ばすと右と左の通路を指差した。

 改めて確認するものの、どちらもまったく同じ造りをしていて見分けが付かない。

「迷路になってる可能性もあるのかな?」

 ここまでまっすぐ進んできたけど、建物が大きいだけあって中も複雑な造りをしているんだろうか。

 右の通路も左の通路もほどなくして曲がり角に突き当たる。どちらも今まで向かってきた方へ通じているらしい。

「なぁ〜にを言っておるか。まっすぐ進むだけじゃぞ?」

 イナさんは当然のことのようにそう言うと鬼神斬巌刀をぐるんと回して肩に乗せた。

 それを見てあたしとメルは顔を見合わせた。

「イナちゃんは壁を壊して進むつもりね?」

「なんでもかんでも壊すのはどうかと思うんですけど」

 あたしたちの言葉にムッとする顔をするイナさん。

「どういう意味じゃ?」

「イナさんはこの壁をスパッと斬り壊しながらまっすぐ進んでいくつもりなんですよね?」

「建物が崩れるかもしれないね。イナちゃんはもう少し常識的な考え方をした方がいいね」

 しかし壁を斬り壊して突き進んでいくイナさんも容易に想像がついてしまうから不思議だ。

 ……いや、もう慣れてしまって不思議でも何でもないや。

 外で大門も斬り壊していたし。これくらい当然のようにやってしまうだろう。

「おぬしらはどういう目で私を見ているんだか……」

 ガクッと首を傾けるイナさん。

「え? 違うんですか?」

「違うに決まっておろう! よいか? この道はどっちを通っても同じ方角、同じ場所に通じておるはずじゃ。玉座の間か謁見の間か。どこを通っても行けるはずじゃ」

「そういうものなのね?」

「おぬしらは城や宮殿は初めてか? 大抵はまっすぐ玉座に通ずる造りをしておるものじゃ。さっきの罠地帯も普段なら何でもない通路のはずじゃぞ」

 そういえばここに来るまで常にまっすぐ進んでいたっけ。

 イナさんの背中ばかり見ていたから意識しなかった。

「何でこんなメンドクサイ造りね?」

「城は基本的に左右対称で造られるものじゃからのう。その方が均等に兵士を配置できて警戒もしやすいであろう?」

 なるほど。イナさんの言うことはもっともだ。

 宮殿や城はすべてインフィニットの権力者の所有物だから異能者であるあたしやメルが入ることはできない。だから当然、こういう所に来るのは初めてなんだ。

 もし異能者が宮殿に入ることがあるとしたら、捕らえられた時か、こうして侵入する時くらいのものなのだろう。

「イナさんってホントに詳しいですねぇ。まるでお城に住んでいたことがあるみたい」

「少々話が過ぎたな。我らは急がねばならぬはずじゃ!」

「そうね! 急ぐね!」

 メルは適当に右の通路を選ぶとすぐに駆け出した。

 あたしもメルの後を追おうとした時、イナさんはポカンと立ち尽くしていた。

「どうかしたんですか?」

「ん? いや、ちょっとな。さぁ、私らも続くぞ!」

 イナさんはそう言って駆け出すとあっという間にメルに追いついていた。

 考え事……ひょっとしてあたしとメルの話を聞いてこの壁を斬り壊してみたくなったりして。

 イナさんならありえる。それどころか既に斬っていてもおかしくない。

 そんなことを思いながらあたしも二人の後を追った。

 だけど結局。後ろから壁が壊れるような音はしなかった。

 イナさんはあの時、何を考えていたんだろう……?

 

 

 通路を進んでいくと広い玉座の間に出た。

 左を見るとイナさんが言ったとおり、あたしたちが選ばなかった通路に通じているであろう出口があった。

 ここに入った時には煌びやかな装飾を身に纏う中年の男が同じくゴテゴテした装飾の玉座から立ち上がるところだった。

 中年の男は今まで見たことのないくらい肥えた体つきをしていた。

 西のインフィニットを束ねる権力者。このウエストサンド宮殿の主。イナさんの言う大将首だ。

 男の周りには全身を隠すかのように黒い布に身を包む人間が一人。男のそばをピッタリと張り付いているみたいだった。

 男はあたしたちの登場と共に大声を上げた。

「出あえ! クセモノだっ!」

 部屋の左右から二十人ほどの兵士たちが武器を片手にあたしたちを囲んだ。

 思っていたよりも少ない。それほどの精鋭なのだろうか。

「ここまで来るとはインフィニットに背く反組織の人間に違いない。そうに決まっている! ええい! 何者だ?! 私を西のインフィニットを統治するヴィクロス=アインス=ベクトリクスと知っての狼藉か! 反組織の分際で私の命を狙うとは断じて許せん!」

 ヴィクロスと名乗る男はこれでもかというくらい言葉を連ねてきた。それにしてもよく喋る。

 こういう口が強い人間は苦手だ。人の話聞かないから。

「おぬし、息継ぎもせずよくそれだけ舌がまわるのう」

 イナさんは呆れたようにそう言うと、一歩前に出た。

 ……あ。アレをやる気だ。

「なんだとっ?! 貴様のような下賎な者と話す舌などもたんわ! 図々しいにもほどがある! うつけ者めが! この宮殿の中にまで侵入してくることこそ許しがたい! 兵どもは何をやっているのだまったく!」

 どんどん声を大きくして話すヴィクロス。

 これはまずいとあたしは耳を塞いだ。

「ええいっ! 黙れ黙れぇ! そして聞け!」

 イナさんはヴィクロス以上の大声で一喝。

 耳を塞いでいてもその声がよく聞こえる。

 あたし以外の人間はイナさんの大きな声に顔をしかめた。

「イ、イナちゃんの声の方がうるさいね……」

 メルは今になって耳を塞いで訴えていた。

 イナさんの声量はとてつもなく大きい。

 騒がしい中で名乗りを上げる前はよくこうして一喝する。前にもそういうことがあったから、あたしは慣れたものだけど。

 さすがのヴィクロスも押し黙ってしまった。

 そんな中、イナさんは静かに自慢の愛刀を掲げ上げる。

 間違いなく名乗りを上げる気だ。

 さっきヴィクロスが「何者だ」と聞いた時に目が光っていたのをあたしは見逃さなかった。

 名乗りを上げるのはイナさんのもっとも得意とするところであり、何よりも優先されること。

 相手や状況なんて関係ない。

 イナさんが名乗る以上、誰も止めることはできないのだ。

「罪の無い異能者たちを虐げる組織インフィニット!」

 鬼神斬巌刀を振り回し兵士たちを威嚇する。

 イナさんのセリフはまだまだ続く。

「我が名はイナ! イナ=シルバチオ=ボルダーン! 正義の裁きを与えるためこの地に参上する者なり! 己が悪を押し通すつもりなら、この鬼神斬巌刀を持って相手になってくれる!」

 ここまで息継ぎ無し。

 イナさんもよくこれだけ舌がまわるものだ。

「小娘の分際で小癪な! 斬れ! 斬り捨てい!」

 ヴィクロスの命令に兵士たちが一斉にこちらへ突撃してきた。

「イナさん!」

「うむ!」

 剣を振り回して前列の兵士たちを薙ぎ払うイナさん。

 あたしとメルはイナさんの横を通り過ぎて後続の兵士たちを打ち倒した。

 兵士たちはバタバタと音を立てて地に伏せる。

 ここまで。ヴィクロスが兵士たちに合図してからものの数秒の出来事だった。

「なんだ貴様らは?! 選りすぐりの近衛兵どもが。まるでその辺の雑魚兵と変わらぬではないか!」

 残るはヴィクロスと、そのそばにいる黒い布を被った者だけ。

 数で勝っていた上にあたしたちを見下していたんだ。ヴィクロスは動揺を隠せていない。

「ウチらの勝ちね! 今日が西のインフィニットの最期ね!」

 動揺するヴィクロスだったが、メルの一言でニヤリと不適な笑みを浮かべていた。

 その気味の悪さにあたしの背筋がぞくぞくっとする。

 嫌な予感がそうさせるのか。はたまたヴィクロスのニヤケ顔そのものに気味が悪かったのか。

「クックックッ……愚か者めが!」

 兵士を失い、追い詰められたはずなのに。

 ヴィクロスは余裕の笑みでメルを見下していた。

「貴様らの強さは分かった。だが、それでもただの人間に過ぎん! それではこの私に勝てはせんわ!」

「それはどういう意味じゃ? ――ムッ?!」

 ふいに剣を振り回すイナさん。

 あたしには何が起きたのか分からない。

 何か異様な雰囲気を感じて体を動かそうとした。その時、

「……あれ?」

 体はあたしの意思に反して動いてくれなかった。

「おかしいね!」

 メルの声が聞こえる。

 動かない体で視線だけをメルの方へ移すと、同じように体の自由を奪われているようだった。

「二人ともどうしたのじゃ?!」

「これは……異能の力?」

 ヴィクロスのそばにいる人間が一人。あたしたちに向かって手をかざしていた。頭から布を被っているため、どんな風貌をしているのかわからない。

 けれど、これは間違いなく異能の力。

 インフィニットに味方する異能者だ。

「なぜだ?! なぜ貴様には効かない?!」

 ヴィクロスの言葉はイナさんに向けられていた。

 イナさんは鬼神斬巌刀を肩に構えてみせた。

 どうしてイナさんだけが動けるのか、それはあたしにも分からなかった。

「なぜじゃと? とっさに身体が反応しただけじゃ。何やら怪しげな気を感じたのでのう。とっさに剣を振るっただけじゃ。どうやら私が斬ったのはそこにおる異能者の、異能の力だったようじゃな」

「馬鹿なっ! 異能の力を剣で斬ることができるものかっ!」

「馬鹿なものか! 伊達に『断てぬもの無し!』の看板を掲げてはおらぬわ! 我が剣の前には、どんなものだろうと両断するのみじゃ!」

 イナさんは嫌な空気を感じてとっさに剣を振るったことが功を奏したのだろう。

 イナさんはああ言っているけど、その実はあの大きな剣に遮られて異能者の視界からイナさんが一時的に消えたことで異能の力が発動しきれなかったとあたしは考えている。

 でも、それはあくまでもあたしの仮説。

 イナさんのことだから、本当にあの剣で異能の力を斬った可能性もある。あのイナさんなら否定できない。

「フンッ! ならば貴様は死体の相手でもしていろ!」

 ヴィクロスの言葉に敵の異能者の手が倒れた兵士たちへ向けられる。

 それに呼応して、倒したはずの兵士たちがこぞって身を起こし始める。

 外で戦った兵士たちのように、屍となった体で。

 意思の無い顔で今もあたしたちに向かってくる。

「体が動くね!」

 メルの言うようにあたしの体の自由も戻っていた。

 敵の異能者は同時に二つの能力を使えないようだ。

 けど、二つ以上の能力を持っている。そんな異能者がいるなんて初めてのことだ。

「またしてもこのような手を! 死者を弄ぶなど許せん!」

「貴様が死んだら同じように使ってやるわ!」

「何じゃとぉ〜?」

 ヴィクロスは部屋の隅にある扉を開けると、わき目も振らずにさっさと行ってしまった。

 その足音は下に向かってカツカツと音を立てる。それが地下への階段を駆けているのだと分かる。

 しかし、その後を追うことはできない。今は目の前のゾンビ兵をなんとかしないと。

「ゾンビ兵など我が鬼神斬巌刀の一太刀で成敗してくれる!」

 言うや否や。群がるゾンビ兵に向かって剣を振り回すイナさん。

 イナさんの前に意思を持たない兵士など大した敵じゃない。

 不死身に等しく、疲れも容赦も知らないゾンビは脅威。けれど、その動きには技と呼べるものは皆無だ。

 イナさんの一太刀はゾンビ兵の首を難なく飛ばし、更なる一太刀で残りのゾンビ兵の首を跳ね飛ばしていた。

「残るはおぬしだけじゃ! 大将首を逃すつもりはないのでな。早々に倒させてもらうぞ!」

 イナさんが一歩前に出ると、敵の異能者はイナさんの前に手をかざした。

 またイナさんの動きを止めようとしているのだろうか。

「無駄じゃ。私には効かぬ!」

 イナさんへかざした異能者の手が、今度は自分の頭へと向けられる。自分へ異能の力を使っているのだろうか。

 もがくように体をうねらせ、うめき声を上げている。

「うっ、ううぅ……」

 その場に膝をつくと更に苦しみだした。

 いったい何をしようとしているんだろう。

 相手が異能者なだけに下手に動くことができない。

 それはイナさんも同じなのだろう。黙ってその様子を見ている。

「うぅうっ……ウオオオオオ!」

 敵の異能者を覆っていた布が形を変え、同時に敵の異能者の顔も渦を巻いたように歪んだ。

 そしてその顔は一人の男性へと形を変える。身に付けていた外套まで形を変えた。

 真っ黒な髪に黒い眼。鍛えられた筋肉には一切の無駄が無い。年齢はあたしたちよりも上のようだ。

 これは幻覚だろうか。黒い髪の男が手にしているのは剣ではなく刀だった。

 水御華以外の刀を見たのはこれが初めてだ。

 そもそも刀の存在そのものが希少だというのに。

「――そんな、……馬鹿な……」

 ポツリと呟いたのはイナさんだった。

 見るといつものような余裕が感じられない。

 イナさんのあんなに驚いた顔を見るのは初めてだった。

 姿を変えた男に見覚えがあるのだろうか。

 けど、そのまま棒立ちじゃ斬られてしまう。

「イナさん!」

「イナちゃん!」

 あたしたちの声にイナさんはハッとなる。

 男は一瞬のうちに間合いを詰めるとイナさんに向けて刀を振り下ろしていた。

 なんて速さだ。その太刀筋は刀が消えたと錯覚するほど。

 とてもあたしじゃ追いきれない。

 

 ギンッ!

 

「くっ!」

 間一髪でそれを受け止めるイナさん。

 自慢の力で相手の剣ごと押し飛ばすものの、男の態勢は崩れない。

 男は後ろに飛ばされ、着地と同時にイナさんへ向かって攻撃を繰り出していた。

 気づいた時には、既に二人の剣が交わっている。

 男はイナさんの『断てぬもの無し』の一太刀をことごとく受け止め、あたしと同じ刀とは思えない速さでイナさんに斬りかかっている。

 男のとんでもない速さの一太刀を、巨大かつ超重量級の剣で受け止めるイナさんの実力も凄い。

 とてもあたしなんかが反応できるスピードじゃない。

 しかも早いだけじゃない。男の一撃一撃があのイナさんの剣を押すほど強力なものだ。

 それはあのイナさんが反撃に転じることができないくらいだ。

 敵の異能者は一体誰に姿を変えたのだろう。

 イナさんの知る人物、というのはイナさんの様子から間違いないだろうけど。ここまで互角の戦いができる人間がいるだなんて……。

 それもすべてあの異能者の能力なのだろうか。

 あたしたちの動きを止めたり兵士をゾンビ兵として操ったり。そしてイナさんの知る人物に姿を変え、これだけの実力を発揮できる能力。

 そんな能力があるわけがない。複数の能力を持つだけでも常軌を逸しているというのに。

 全てが幻覚だというのならわからなくはないけど、とてもそうは思えない。

 なによりも、あのイナさんと互角の戦いができることにあたしは驚いていた。

 イナさんはそれくらい、破格の強さを持っているから……。

 これがあたしと同じ異能者としての力だというのなら、それはとんでもない能力だ。

「シノちゃん。ウチらはどうしたらいいね」

「大丈夫、だよ。イナさんは強いから……」

 いつものように言い切れない。

 あの圧倒的なまでの力を持っているイナさんが戦っているというのに。

 この戦いはそれだけ緊迫している。

「でも、あの男の強さは桁違いね。これまで会った中で一番かもしれないね」

「それは分かってるけど……」

 その実力はあたしが苦戦するベゼル=マージェスタ以上かもしれない。

 けど、だからってあたしとメルが助太刀に入るなんて真似はできそうにないし……。

 

「チェストォオオオオ!」

 

 防戦一方だったイナさんが男を刀ごと押し退け、更に一太刀を繰り出して宮殿の壁まで押し飛ばした。

 その一太刀を男は食らっていない。

 寸での所で受け止めていた。

 男は勢いそのまま、壁にめり込むと悲痛な声を漏らした。頭から血を流しているものの、すぐに血は消えてなくなった。

 男は壁に埋もれたままの体をビクつかせている。

 異能の力でイナさんの思い描く姿を維持しようとしているんだ。体にダメージを受けても、元に戻ろうとする力が働いているんだ。

 これだけの強さを持っていて尚且つ不死身となると、例えイナさんでも戦況は不利だ。

 やっぱりあたしたちも助太刀しなくちゃダメかもしれない。

 男が再動するまでのしばしの合間に、イナさんはふぅと息を吐いた。

 気まずそうに頭を掻きながら、あたしとメルを交互に見た。

「大丈夫じゃ。心配はいらぬ」

 あたしにはイナさんの言葉が普段と変わらないように努めているものだと分かってしまった。

 呼吸も乱れている。そんなイナさんは初めてだ。

「……イナさん?」

 イナさんはあたしの声に手のひらを向けた。

「分かっておる。そこにおるのはあの男ではない」

「あの男って、誰のことね?」

 メルの言葉に気まずいような難しいような顔をするイナさん。

 その様子から、あんまり好きじゃない相手なのかもしれない。

「イナさんの敵なんですか?」

「敵じゃ!」

 力強く即答するイナさん。これは相当に嫌いな相手らしい。

「どういう人ね?」

「百を超える武勇伝を持ち、数多の達人が名を連ねたその世界で不敗を貫いた唯一無二の男じゃ。その男を人々はこう称えた。鬼神を超える者――“武神”とな」

「あれ? 鬼神ってイナさんのことですよね?」

「いや、私の師匠のことじゃ。私はその名を受け継いだのじゃ。今度は武神を超える鬼神となるためにな」

 刀と百の武勇伝、武神の称号。どれも聞いたことが無い。

 やっぱりイナさんの世界の人のことなんだろう。

 その話が本当なら、イナさんはこの世界の人間じゃないという裏づけにもなってしまう。

 以前、イナさんは自分がこの世界の人間じゃないと言っていた。やっぱり、そういうことなんだろう。

「その人はイナさんの知り合いなんですか?」

「うぅむぅ〜……生まれた時からの、な」

「そうなんですか?!」

「いったいどんな関係ね?」

 顔に手を当てて、何だか恥ずかしそうにするイナさん。

 こんなイナさんの顔を見たのは初めてだ。

「あやつは、私の――――父上、じゃ……」

「ええーっ! イナさんのお父さん?!」

「あれがイナちゃんのとーちゃん……の姿を借りた人ね」

 そういえばイナさんはお父さんが苦手だったと聞いたことがある。

 そう言われればどこかイナさんに似ている気がする。イナさんのお父さんにしては若いような気がするけど。

「でも、幻覚ですよ! こんな所にいるはずがない!」

「わかっておる。このような幻覚にやられはせんよ」

 そう言われても、いつもの余裕が感じられない。

 やっぱり実の父親を相手にするのは苦痛なんだ。

「イナさんの気持ち。分かります……」

「うむ。まさかこのようなことになるとは、夢にも思わなかったからのう」

「やっぱり辛いですよね……」

「辛い? なんのことじゃ?」

「え? だって、自分のお父さんが相手なんですよ?!」

「うむ。相手は武神と称えられた剣士。しかも私が思い描いた全盛期の頃の父上じゃ。そんな父上と戦えるのは私だけ――否、私以外に戦わせるわけにはいかぬ!」

 ――あれ? なんだか燃えているような?

 自分の父親と戦うことになんの抵抗もない様子だ。むしろそれが当たり前のような……。

 いったいどんな親子関係なんだ。イナさんとお父さんは。

「あの。大丈夫なんですか?」

「余計な心配は無用じゃ。我が剣は父上などとうに超えておる。しかし、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかぬ!」

「で、でも。お父さんなんですよ?!」

「フッフッフッ。そうじゃ、父上じゃ。あの姿を成す者に、私が容赦などできるはずがない! 一刀両断にしてくれるわ!」

 そう言って鬼神斬巌刀を自分の父親の姿をした者に向けた。

 焦りと驚きが混じっていたはずのイナさんの顔が急に挑戦的な顔に変わった。

「――ぉ、おぉ……」

 イナさんのお父さんの姿をした異能者が再び立ち上がる。

 さっきの傷はおろか、汚れた服さえも元に戻っている。

「二人とも、ここは私に任せてヴィクロスを追うのじゃ!」

「どうしてね? 三人で戦った方が――」

「わかりました! 行こう、メル!」

「ちょっと、シノちゃん?!」

 あたしはメルの言葉を遮り、その手を無理やり取って走り出した。

「感謝するぞ、シノ。後は頼んだぞ!」

 ここに居るだけであたしたちは足手まといになる。

 それに、この場をイナさんに委ねたい。

 イナさんのことだ。誰にも譲りたくないに決まっている。

 そして絶対に勝って後から来てくれるって信じられる。

 

「我が誇りと父の名を汚す者よ。我が剣の舞を見よ!

 我が名はイナ! イナ=シルバチオ=ボルダーン!

 我こそは鬼神の名を継ぐ者。

 そして! 偽りの武神を断つ剣(つるぎ)なり!」

 

 あたしたちはまっすぐにヴィクロスが入った奥の扉へ。

 後ろで轟くイナさんの声を背に、あたしとメルは扉の中に飛び込んだ。

 

「この一刀に……一擲を成して乾坤を賭せん。

 ――行くぞ父上。我が剣(愛)を受けてみよ!!」

 

 

 

 

 

EP1‐3 砂漠の再動者-Living Dead-・完

 

 


 

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