TOP

STORY

CHARACTER

MOVIE

LINK

 

GALLERY

NOVEL

FIGURE

 

 

NOVEL

 

Water Sprouts

 

 

EP1‐3 砂漠の再動者-Living Dead- 後編

 

 

「二人とも、気をつけよ!」

 何かを感じたのか。イナさんはそう叫ぶと、その言葉が終わる前に地面から何かが飛び出した。

 それは人間の形をした白い骨。

 骨の手はまるで意志を持つかのようにあたしの首を目掛けて飛び掛ってきた。

「くのぉ!」

 間一髪、刀で受け止めるとその手は水御華の刀身を掴んだ。筋肉なんてないはずなのにすごい力で引っ張ってくる。

 砂の中からその手の持ち主であろう、右腕を無くした骸骨が姿を現した。骨だけのせいか、ゾンビよりも不気味だ。

「今度は骸骨ね?! どうなっているね?!」

「大丈夫じゃ! 幽霊は気合で斬れるぞ!」

「そんな保障されてもぉ〜!」

 コキコキと骨を鳴らして向かってくる骸骨兵。その意思の無い顔は確かにあたしを見ていた。

 気持ち悪い。気持ち悪過ぎて失神できたらいいのにと思ってしまうくらいだ。

「ふむ。困った時には直ぐに呼ぶかの陰陽師?」

「平気ね。骸骨たちも首が弱点ね!」

 そう言って骸骨を素手で掴んでその頭を蹴り飛ばすメル。

 あたしはとても素手では触れないぞ。

「うむ。ならば、レッツゴー抜然人(バッサリ)じゃ! 何が相手だろうと。我が剣を阻むことはできぬぞ!」

 ――二人は怖くないのかなぁ。

 見た目による不気味さから戦意を喪失させるのも敵の目的なのかもしれない。

 肉が無いせいでゾンビ兵より一回りも二回りも小さく見える。それも斬り難さの理由でもあるけれど……。

 これはゾンビ兵を操っていた異能者とは別の異能者だろうか。地面から這い出るその様は不気味過ぎる。

 その数も尋常じゃない。どれほどの人間がインフィニットに挑み、命をここで失ったんだろう。

 そして死して尚、インフィニットのいいように操られている。どれほど無念か分からない。

 いきなりの骸骨の出現に敵の兵士も動揺している。

 それでも兵士たちはまたあたしたちに向かって剣を振るう。

 すぐ隣に骸骨がいるせいか、動揺がそのまま剣に映っていた。

 やりにくいのは敵も同じ。そうまでして勝とうとするインフィニットの焦りも見てとれる。

「ここを乗り切れば本当にインフィニットを討つことができるね。勝利は目の前ね!」

「それにはここをどうにかして乗り切らないと!」

 砂漠から出てくる骸骨の数は途方も無い。

 本当にどれだけの命を奪ってきたのかと問いただしたいくらいだ。

「大将首の前にこれらを操る異能者を探し出す必要があるのう。敵は近くにいるはずじゃ!」

 分かってはいる。けど、敵はみんな同じ格好をしているし鎧兜で顔も隠しているから判別しにくい。そもそも見た目で判断できるものじゃないんだ。異能者というのは。

 見た目で判断できない異能者をインフィニットはどうやって判別してきたのだろう。その疑問は常に謎だ。

 それに今は骸骨たちがこれでもかというくらい地面からぽこぽこ出てくるんだ。この状況の中で異能者を探すのは困難だ。

「どうしたらいいんだろう。手当たり次第になっちゃうよ」

 嘆きながらも水御華を薙いで水の刃を出現させ、骸骨の首を飛ばす。

 メルの言う通り、ゾンビ兵の時と同様に首を飛ばせば動かなくなる。

 無理やり操られて砂漠の中から出てきた骸骨がまた砂漠の上に転がる。死者の冒涜も甚だしい。

 それでも、あたしたちは戦わなきゃならないんだ。

「操る者は敵勢力の一番後ろ。つまり最後列のどこかに紛れておるはずじゃ。それが定石。そやつが倒れればスケルトン兵は動かなくなり戦力はガタ落ちじゃ。――ならばっ!」

 剣を振り回して走りだすイナさん。

 そのまま一気に敵勢力の真横へ抜ける。

 そして最後列の兵士たちに向かって剣を振りかざした。

「最後列を全て断てば、それで終わりじゃあ!」

 その発想に辿り着く思考と実力を持つ者が他にいるだろうか。

 イナさんの行動には毎度驚かされてばかりだ。

「奥義・雷鳴斬り!」

 イナさんの鬼神斬巌刀が目にも留まらぬ速さで一閃する。

 その光景は、もはや人数は問題ではないと知らされる。

 たった一薙ぎで一列に並ぶ人間を、一瞬のうちに打ち倒してしまった。その速さはまさに雷の如し。

 イナさんが剣を振るう間、あたしは何をしていたのか忘れてしまうくらい、イナさんの太刀筋は速く、そして美しかった。

「――って、まだ動いてるね!」

 スケルトン兵の一体の背骨を崩し、バラバラにしながらそう叫ぶメル。

 確かにスケルトン兵達は未だに動き続けている。イナさんの読みが外れたんだ。これも珍しいことじゃないだろうか。

「おかしいのう。物陰から視線は感じぬし……この中におるのは間違いないはずじゃが……」

 イナさんは右手で剣を振りつつ左手で頭を掻いた。

 その剣がくるりと回転し敵を両断した直後、あたしの周りにいるスケルトン兵たちが動きを止めてバラバラに崩れ落ちる。

「あれ? 今のがそうなのか?」

「まだ襲ってくるね!」

 砂漠から他のスケルトン兵が更に湧き出てくる。

 イナさんが倒した兵士はスケルトン兵を操る異能者の一人に過ぎないのだとしたら……。

 あたしはスケルトン兵ではなく数人の兵士に狙いを定めた。

「水よ!」

 切っ先から放たれる膨大な水が、数人の兵士を吹き飛ばして気を失わせた。

 そして目を凝らしてスケルトン兵たちの群れを見た。

 わらわらと群がるスケルトン兵たちの中、その数体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 やっぱりこの中に異能者がいるんだ。

 インフィニットによって狩られた異能者がどうしてインフィニットの兵士をしているんだろう。

 それに、なぜ同じ能力が使えるのだろう。

 どれだけ異能者が居ても同じ能力を持つ者はいないはずなのに……。

「二人とも! 異能者は間違い無くこの中に紛れているよ! それも複数いる!」

「どうして狩られる側の異能者がインフィニットに味方をしているのね?!」

「それは、分からないけど……」

 無理やり戦わされているのなら、イナさんの強さを見て逃げるはずだ。命を懸けてここにいるということは、本物のインフィニットの兵士なんだろう。

 その中にもインフィニットのやり方に疑問を持ってくれる人がいてもいいはずなのに……。

「ええいっ! おぬしらは何とも思わぬのか?! この世界を憂い、家族や大事な者のために剣を取って死んでいった者に、また剣を突き立てさせるのか! 立場は違えど同じ志を持った同志ではないかっ!」

 イナさんは声を荒げて叫んだ。

 その迫力を前にスケルトン兵を除いたインフィニットの兵士たちが動きを止めた。

 イナさんのその言動と振る舞いはまるでどこかの国の王様を彷彿とさせる。

 敵であるはずのイナさんの言葉に、インフィニットの兵士たちは耳を傾けてしまっている。

「動きが止まったね。今なら聞こえるね。砂漠の声が……」

 メルは目を閉じて耳を澄ませているようだ。

 その異能の力で砂漠の声を聞こうとしているんだ。

「砂漠の内より甦らせる者……その糸を操る者がいるね」

 砂漠の下からスケルトン兵が出てくることに砂漠も驚いているのだろうか。砂漠の中で白骨化した人間はもう砂漠の一部なのかもしれない。

 その異変を訴える砂漠の声をメルは耳にしているのか。

「分かったね!」

 メルはスケルトン兵たちを潜り抜け、兵士の一人に目星をつけて蹴りを放った。

 喉元に食い込むメルの蹴りに兵士は大きく飛ばされた。

 するとメルの近くにいたスケルトン兵たちが地面に崩れる。

 どうやら正解だったらしい。

 砂漠が感じる異能の力を、メルは砂漠の声として耳にしているんだ。

「次! イナちゃんの横ね!」

「アバウトじゃのう。ま、変わらぬか」

 イナさんは剣を横に薙ぎ払うと数人を巻き込んで斬り倒した。

 するとその付近のスケルトン兵たちが動きを止める。

 その間にメルはもう一人の兵士を打ち倒し、他のスケルトン兵の動きを止めた。

「シノちゃん! 眼前からその後ろまでみんなそうね!」

「待ってました!」

 眼前の兵士に向かって水御華を抜き放ち、刀身から膨大な水を噴出させる。

 あらかた巻き込みながら水の圧力によって吹き飛ぶインフィニットの兵士たち。

 これで多くのスケルトン兵たちが動きを止めるはず。

 戦力の大半を失ったインフィニットの兵士たちにイナさんが更に言葉を投げかけた。

「戦場を見よ! もうじき向こうもこちらの勝利で収束する。無駄に命を散らせたくはない! インフィニット没後、新たな世界を生きよ!」

 こちらの勝利になるかどうかはゾンビ兵を操る異能者をどうにかすることができるかにかかっている。

 けど、今はそんな事実よりも、イナさんのような強い人にそう言わせることで説得力を持たせることができるんだ。

 あのイナさんの堂々たる姿に誰も疑いを持たないだろう。

 兵士たちの間にざわめきが起きる。

 ある者は剣を納め、ある者は槍を地面に突き刺し、またある者は地面に座り込んで戦意が無いことを表した。

 しかし、全員がそうなるわけではなかった。

 兵士のうち一人がイナさんの前に立つと剣を向けた。

「俺はインフィニットの支配に賛成だ。忠誠を近い、兵士として働けばその辺の人間よりは楽に暮らせるからな!」

「それはインフィニットが他の者より絞り上げた金で成り立っている生活に過ぎぬ。インフィニットの懐でヌクヌクと暮らしておるおぬしには分からぬじゃろう。この世界は未だ奪い奪われる者たちで溢れかえっておるのじゃぞ」

 イナさんの言うとおりだ。インフィニットの管轄に入る街はそこにいるだけでインフィニットへ貢がなければならない。

 そしてインフィニットの手の届かない所には治安が行き届かず、奪い奪われる生活を強いられている。

 この世界はそうすることでしか生き残れない世界だから。

 砂漠だけの世界において、そのどちらかの生活を選ばなければならない。

 あたしはどちらも選ばなかったけど、その苦渋の選択を強いられている人はたくさんいるんだ。

「万人の民のことを憂うことが真の王の在り方じゃ。それができぬインフィニットにはこのイナ=シルバチオ=ボルダーン。悪を断つ正義の剣として相手になるぞ!」

 その振る舞いに、まるでイナさんが王様か王女様のように見えてしまう。威厳というか迫力というか。言葉にまで強さが感じられる。

 イナさんに異を唱える兵士は口をつぐみ、他の兵士たちがざわめきはじめた。

「行くぞ。こうしている時間が惜しい」

 さっさと宮殿の方へ歩き始めるイナさん。

 あたしとメルは顔を見合わせた。

「迷ってる今がチャンスね」

「そっか。そういうことなんだ」

「早く行くね。イナちゃんが待っているね」

「うん。そうだね」

 あたしたちも、周りの兵士たちを警戒しながらイナさんの後を追った。

 結局、宮殿から大門の間で、あたしたちの前に立ち塞がる兵士は誰もいなかった。

 イナさんの強さに恐怖したからか。

 その言葉に心の中で頷く者がいたからか。

 理由はそれぞれなんじゃないだろうか。

 人類救済を掲げている組織が剣を取らせて兵士を作り、暗殺ギルドなど抱えているんだ。

 兵士の中にも、インフィニットのやり方に疑問を抱く者も少なくないという表れだと言える。

「……シノ。この世界の者たちは弱いのう」

 宮殿を前にして立ち止まるイナさん。

 振り返ることもなく、ぽつりとそう呟いた。

「どういう意味ですか?」

 この世界の人間が弱い。それは何を指しているのだろう。

 そこにあたしも含まれるのだろうか。

「己の所業が悪だと気づいた時、それを押し通す者がおる。しかし、あそこにいた兵士たちはそうしなかった」

「それっていいことね。結果的に誰も攻撃してこなかったね」

「うん。あたしもそう思う。余計な争いは無いに越したことはないと思うし……」

 悪いことを悔い改めることができるっていいことだと思う。

 それなのに、どうしてイナさんはそんなことを言ったのだろう。

「いいことでもあるが……同時に寂しいことでもあるのじゃ。兵士とは主君のために命を懸けて戦う者。それができぬということは主君への忠誠も兵士としての誇りも無いということ。無益な殺生は好まぬが、あそこで向かってくる者が誰一人としていないというのは……やはり、寂しいものじゃな」

「はぁ、そういうものなんですか」

 もし王様の下に兵士がたくさん集っていながら、その中で一人も王様に忠誠を誓う者が存在しなかったら。それはイナさんの言うように、寂しいもののような気がする。

「イナちゃん。まるで一国の王様みたいな物言いね」

「そうかのう?」

「そうね。国だけじゃなく、ちゃんとそこで暮らす人のことも考えているね。イナちゃんはいい王様になれるね」

 これからアンリミテッドを束ねていくメルには何か思うものがあるのだろう。

 イナさんはメルの素直な感想に首を傾げていた。

「王様にしては、イナさんはまだ若くない?」

「じゃあお姫様か、王女様ね!」

 イナさん……イナ姫、か。なんだか想像つかないや。そんなお姫様がいる王国はさぞ心強いことだろう。

 こんな大きな剣を振り回して戦場を駆け抜けるお姫様が本当にいたら驚くけどね。

「アッハッハッハッ! まぁ、こんなぶらぶらと旅をしている私には、そんな資格など無いじゃろうな。姫や王女と呼ばれる者は、私などよりも国のことを案じておるからのう」

「やっぱり詳しいですね。イナさん」

「ま、いろんな世界を旅しておるからのう」

 イナさんは頬をかきながらそう言うと、コホンと咳払いを一つしてみせた。

「さぁ、無駄話はここまでじゃ。先へ進むぞ!」

「はいっ!」

 インフィニットの西の城砦、ウエストサンド宮殿。その入り口へ、とうとう辿り着いたんだ。

 この中に西のインフィニットを束ねるボスがいるんだ。

 ここの門番もあたしたちとの戦いに出払ってしまったらしい。

 あたしたちに突破されたと報告する者もいなかったが、相手が異能者を味方につけている以上、あたしたちの動向がバレていないとも言い切れない。

 ……さて、とりあえず敵はいないけど。このまま不用意に進むのも何か怖いぞ。

「うむ。じゃあサクサク行くかの!」

 イナさんは頭の上で鬼神斬巌刀を振り回しながらそう言うと一歩前に出た。

「えぇ?! どんな罠があるか分からないんですよ?」

 反論するあたしに、指であたしの額をこつんと小突くイナさん。視界が一瞬、暗転した気がする。

「サクサク行こうが慎重に行こうが、罠を避けられるものでは無かろう? 私の経験上、一気に駆け抜けてしまえば例え罠が反応しても、作動する前に通り抜けることができるはずじゃ」

 いったいどんな経験をしてきたんだイナさんは……。

「イナちゃんの言うことは一理あるね」

 こういう意見には同意すると思っていたよ、メル……。

「うむ。そうであろう?」

 二人とも足に自信があるのだろう。罠を発動させても突破できるくらいには。

 あたしにはそんな自信はさっぱり無いや。

 それにしてもイナさんもメルも互いに会ったばかりだというのに気が合ってるなぁ。

「でも、慎重に行けば罠を見つけられるかもしれませんよ?」

「見つけてもどうしようもなかったらどうするのじゃ?」

「そ、それは〜」

 ――やっぱり走って逃げるしかないのか……?

 もはや罠を作動させることが当たり前になっているかのような口ぶりに、あたしは反論ができない。

 これじゃあ、どっちが正論なのかわかりゃしないじゃないか。

「私はのう。一度でいいからボタンを押して飛んで来る矢を斬ってみたいと思っていたのじゃ!」

「思っていたのじゃ! って、そんな……」

 ――誰か、イナさんの好奇心を止めて欲しい!

「あ、ウチも似たような修行させられたね! 紐を引っ張ったらサボテンが飛んでくるものだったね!」

「メルまで……」

「これだけ大きな宮殿じゃ。さぞ予測不可能で大掛かりな仕掛けがあるに違いない。これは大変じゃぞ」

 なぜかわくわく顔で城の中を見る二人。本当に気が合ってるみたいだ。

 あたしには話を聞くだけおぞましい感じがするというのに。

「行くぞ! 者ども続けぃ!」

 イナさんの掛け声と共に走り出すメル。

 その後を仕方なく付いていくあたし。

 このままだと二人が作動させた罠にあたしが掛りかねない。あたしは二人に負けじと全速力で付いていく。

 まずは宮殿の広いエントランスに出た。

 二階には数十人の兵士たちが弓矢を手にしてあたしたちを狙っている。これをどう捌いていくべきか……。

「関係ない! そのまま突っ切るのじゃ!」

「ええっ?! いいんですか?!」

「相手をするだけ無駄じゃ。全速力で行くぞ!」

「わ、わかりました!」

 イナさんの言うように無視して突き進む。

 いきなり突っ走るあたしたちに兵士たちは上手く狙いを定められず、人数よりも圧倒的に少ない数の矢があたしたちの後方に落ちていく。

 最後にエントランスを抜けた所で、あたしの後ろで大量の矢が音を立てて突き刺さる。

「こ、怖かったぁ〜……」

 いつあたしの背中に矢が刺さるのかとヒヤヒヤものだった。

 そうだというのに。二人は何でもないような顔をしている。

「なるほどね。走り続けるウチらに二の矢は撃てないと慎重になったのが仇になっているのね!」

「うむ。ここで仕留めるつもりだったなら尚のこと。滅多矢鱈に撃たれた方がまだ苦労したじゃろう。ここの兵士はあまり実践に慣れていないと見える」

「二人とも楽観視し過ぎるよぅ〜」

 あたしは疲れたように抗議する。事実、肝を冷やし過ぎてどっと疲れが押し寄せている。

「弱音は無しね。まだまだこれからね!」

「うむ。結果良ければ全て良し! それにホレ、見てみよ。この先に何が待ち受けていると思う?」

 ピッと指を差すイナさん。

 その先には誰もいない長い通路が待ち受けていた。

 誰もいないってことはひょっとして……。

「ここは……罠地帯ね!」

「待ってましたぁ!」

「待ってましたぁ……って、待ってませんよぅ」

 どうしてそう、二人はそんなに楽しげなんだろうか……。

「気を引き締めて行かねばならぬな!」

「そうね。一歩間違えたら危険ね!」

 二人の顔のどこが引き締まっているんだろう。

 口を釣り上げて目を輝かせているのがよく分かる。

「行くぞっ!」

「応ね!」

「ふぁ〜い……」

 イナさんの合図で走り出すあたしたち。

 不安だ。かなりの不安だ。

 けど、どちらにしろ一時停止なんてないんだ。このまま二人に付き合って走り抜けるしかないのか。

 ああ〜、ホントに大丈夫なんだろうか。

 通路は白と黄色の正方形の石を交互に埋め込んだ石造りの廊下だ。

 そのどれかを踏んだら罠が作動する作りなのは明白だ。

「矢でも鉄砲でも飛んで来るがいい!」

「いや、あの、できれば飛んできて欲しくないけど……」

 あたしたちは更に速度を上げて走り抜ける。

 するとすぐに――

 

 ドゴンッ!

 

 嫌な音と共にあたしのすぐ後ろで音がした。

 振り返ると天井から太い石柱が落ちてきていた。

 あたしは何も押していない。ということは二人のどちらかが押したことになる。

 二人は振り返ることもなく走り続けている。

 ――じょ、冗談じゃない! これでやられたらとばっちりもいいとこじゃないか!

「おお、これは?!」

「ヤバイね!」

 立ち止まる二人の前方には罠が多数。既に発動していた。

 たぶん、どっちかがスイッチになる床を踏んだのだろう。あたしはこれまで一度として踏み抜いた覚えがない。

「さて、誰が先に行くか。それが問題じゃな」

「確かにね。これだけの数が相手だと一斉に行くのは危険ね」

 

 ごぅん、ごぅん、ジャキン、ジャキン、ジャキン

 

「これ、全部罠なの……?」

 天井から上下している大きなギロチンが間隔を空けて三つ。

 左右の壁から一定の間隔で飛び出してくる数本の槍。

 その一本折れているのを見るに、あたしたち以外でここを通ろうとした人がいるということか。

 この槍とギロチン地帯が交互に続いている。

 ギロチンを抜ければ左右の壁から槍が。

 槍を抜けたらまたギロチンが。

 この他にも作動する罠があるのならこれは厄介だ。

「最初はウチが行くね!」

「ああっ! ちょっとメル!」

 真っ先に飛び出したのはメルだった。

 まずタイミングを測るとか、そういうものが全く無い。

 見ているこっちが不安になる。

「ああ〜。メルが! 怖い怖い怖い! 危ない危ない危ない!」

「うるさいぞ、シノ」

 トスッ。

 イナさんの手刀があたしの額に食い込む。

「いったぁ〜! すみません〜!」

「だ〜から、そわそわするでないわ。修行が足らぬぞ」

 イナさんは罠が見たいから邪魔をするなと言いたげだ。

 そこまで好奇心を煽られるものなのだろうか。

 それよりもあたしは恐怖心の方が強いや。

「いざとなれば行かねばならぬぞ」

「あっ!」

 そうか。イナさんはメルの身を案じているんだ。

 アンリミテッドの戦士といえど、メルはまだ子どもだから。

 その証拠に、鬼神斬巌刀を持つイナさんの右腕がゆらゆらと動いている。

 ひょっとして罠に興味を持っていたのは自分が先に行って罠を破壊しようとしていたからかな?

「しかし、取り越し苦労だったようじゃな」

「えっ?」

 メルの方を見るとその動きが冴え渡っているのが分かる。

 落下するギロチンの下を潜り抜け、壁から伸びる槍の隙間を掻い潜る。

 その動きには規則性が無い。

 無いからこそ、縦横無尽に作動する罠にも対応できているんだ。動き続けることでリズムを得ているかのように。

 メルはそのまま、するりするりと避け続け、途中たった一度の静止だけでこの罠をあっけなく突破してしまった。

 突き当りが安全地帯となっているのか、メルはそこで止まってこっちに手を振った。

「クリアね!」

「見事じゃ。さて、次はシノか?」

 うずうず顔であたしを見るイナさん。

 演技なのか、やっぱりただやりたいだけなのか……。

「え〜っと……」

「私の後では何も残っておらぬぞ?」

 イナさんはそう言ってぐるんっと剣を振り回した。

 壊す気満々なのが伺える。そうしてくれたらありがたいに決まっている。

「その方がいいですよぅ〜」

「まぁ遊んでいる場合ではないか。では、行かせてもらうぞ!」

 鬼神斬巌刀を高らかに掲げ、罠に向かって突っ走るイナさん。

「おぉおおおおお〜!」

 落ちてくるギロチンを剣で受け止め、一つの間を置いて剣で斬り上げてギロチンを両断する。

 次に横から飛び出す槍をすべてかわし、次のギロチンを両断する頃には通過したはずの槍が音を立てて崩れ落ちる。

 いつ斬ったのか分からないくらい。

 その動きは何よりも速く、そしてどこまでも自然体のように見える。

 そのままメルの所まで斬り進むイナさん。

 物の数秒で罠だらけの廊下は見るも無惨な姿に変わってしまった。

「ハイスコア更新じゃ! ネームエントリーするとしたら三文字で、I・N・A、かのう?」

「イナちゃん凄いね!」

「フッフッフ。そうであろう、そうであろう?」

 容赦が無いというか何というか。

 あの満足げな顔が本気で遊んだと言わんばかりだ。

「次はシノちゃんね!」

「早くせねば置いて行くぞー!」

 廊下の向こうで手を振る二人。

 それぞれ同じように満足げな顔をしている。よほど達成感があったのが伺える。楽しそうだなぁ。

「はいはい。今行きますよー!」

 イナさんが片付けてくれたおかげで悠々と通路が渡れるぞ。

 その一歩を軽やかに踏み出したその時――

 

 カッ――――コンッ。

 

 右足に何かを踏み抜いた感覚。

 さっきまで罠の作動音でいっぱいだった廊下がいきなりシンッと静かになる。

 そして後方より聞こえる大きな作動音。

「まさかのう」

「まさかね」

「まさか……!」

 ヤバイと思って振り返ると、巨大な丸い岩がこちらに向かって転がってきていた。

「ぎゃああああ!」

 天井や壁をこすりながら勢いよく転がってくる。

 どういう仕掛けになっているのか分からないけど、その速度は異常だ。

「うわぁ! これはすごいね!」

「ベタな仕掛けじゃが、これぞ王道じゃな」

 岩は地面を転がりながら不発だった罠を作動させては破壊を繰り返しながらも、勢いそのままに転がってくる。

 あんなのに巻き込まれたらひとたまりも無い!

「斬れ! 斬ってしまえば転がらぬぞ!」

「水ね! 水で勢いを殺すね!」

「斬るんじゃ!」

「水を出すね!」

「斬る!」

「水ね!」

 二人の意見が完全に分かれる。

 それが余計にあたしを混乱させた。

 どっちの意見を聞くべきか……。

 ええいっ! 考える暇も選んでいる暇もない!

「もう! どうにでもなれぇえええ!」

 力を込めて水御華の柄を握る。

 やんわりとあたしの異能の力が刀に注がれていくのが分かる。

 どちらにしても刀に頼るしかないんだ。

 ――だったら、自分の得意技で!

 刀と鞘の隙間から水が溢れる。

「貫け! 水の刃よ!」

 抜刀すると同時に水御華の切っ先から圧縮された水を放出した。

 力を溜めに溜めた水はその勢いを増し、すべてを貫くウォーターカッターと成る。

 あたしの放った水の刃は岩を貫く。

 

 バキバキバキッ!

 

 水で貫かれた岩は大きな音を廊下に響かせて崩れる。

 勢いの残る岩の欠片だけがあたしの両脇を転がっていく。

「さすがシノちゃんね!」

「ふぅ〜。これはさすがに驚いたよ」

「このくらいで参ってどうするのじゃ。ここは既に敵の懐の中じゃぞ?」

 そうだった。この宮殿には他にどんな罠が待ち受けているか分からないんだ。

 改めて現状を確認する。

 あたしたちは通路の突き当たりまできた。そこから左右に道が分かれている。

 もう罠地帯は突破したのか、床は罠があった通路のような二色の石ではできていない。

 足元に転がる岩の欠片を拾い上げると左右の通路に放った。

 コツンコツンと通路に音を響かせながら先へ転がる石。

「どうやら罠はないみたい――って、どうしたの二人とも?」

 二人を見るとつまらなさそうな顔であたしを見ていた。

「もう罠は無いのね……」

「シノよ……ネタバレ禁止じゃ!」

「ええぇ〜。もう罠はいいですよー」

「でも石じゃ反応しない罠なのかもしれないね!」

 どうしてそう二人は罠に期待しちゃうんだろう。何も無いならそれに越したこと無いのに。

「と、とにかく行こうよ。時間も無いことだしさ」

「うむ。あまり悠長なことはしていられぬな」

「そうね。……で、どっちへ進むね?」

 メルは両腕を伸ばすと右と左の通路を指差した。

 改めて確認するものの、どちらもまったく同じ造りをしていて見分けが付かない。

「迷路になってる可能性もあるのかな?」

 ここまでまっすぐ進んできたけど、建物が大きいだけあって中も複雑な造りをしているんだろうか。

 右の通路も左の通路もほどなくして曲がり角に突き当たる。どちらも今まで向かってきた方へ通じているらしい。

「なぁ〜にを言っておるか。まっすぐ進むだけじゃぞ?」

 イナさんは当然のことのようにそう言うと鬼神斬巌刀をぐるんと回して肩に乗せた。

 それを見てあたしとメルは顔を見合わせた。

「イナちゃんは壁を壊して進むつもりね?」

「なんでもかんでも壊すのはどうかと思うんですけど」

 あたしたちの言葉にムッとする顔をするイナさん。

「どういう意味じゃ?」

「イナさんはこの壁をスパッと斬り壊しながらまっすぐ進んでいくつもりなんですよね?」

「建物が崩れるかもしれないね。イナちゃんはもう少し常識的な考え方をした方がいいね」

 しかし壁を斬り壊して突き進んでいくイナさんも容易に想像がついてしまうから不思議だ。

 ……いや、もう慣れてしまって不思議でも何でもないや。

 外で大門も斬り壊していたし。これくらい当然のようにやってしまうだろう。

「おぬしらはどういう目で私を見ているんだか……」

 ガクッと首を傾けるイナさん。

「え? 違うんですか?」

「違うに決まっておろう! よいか? この道はどっちを通っても同じ方角、同じ場所に通じておるはずじゃ。玉座の間か謁見の間か。どこを通っても行けるはずじゃ」

「そういうものなのね?」

「おぬしらは城や宮殿は初めてか? 大抵はまっすぐ玉座に通ずる造りをしておるものじゃ。さっきの罠地帯も普段なら何でもない通路のはずじゃぞ」

 そういえばここに来るまで常にまっすぐ進んでいたっけ。

 イナさんの背中ばかり見ていたから意識しなかった。

「何でこんなメンドクサイ造りね?」

「城は基本的に左右対称で造られるものじゃからのう。その方が均等に兵士を配置できて警戒もしやすいであろう?」

 なるほど。イナさんの言うことはもっともだ。

 宮殿や城はすべてインフィニットの権力者の所有物だから異能者であるあたしやメルが入ることはできない。だから当然、こういう所に来るのは初めてなんだ。

 もし異能者が宮殿に入ることがあるとしたら、捕らえられた時か、こうして侵入する時くらいのものなのだろう。

「イナさんってホントに詳しいですねぇ。まるでお城に住んでいたことがあるみたい」

「少々話が過ぎたな。我らは急がねばならぬはずじゃ!」

「そうね! 急ぐね!」

 メルは適当に右の通路を選ぶとすぐに駆け出した。

 あたしもメルの後を追おうとした時、イナさんはポカンと立ち尽くしていた。

「どうかしたんですか?」

「ん? いや、ちょっとな。さぁ、私らも続くぞ!」

 イナさんはそう言って駆け出すとあっという間にメルに追いついていた。

 考え事……ひょっとしてあたしとメルの話を聞いてこの壁を斬り壊してみたくなったりして。

 イナさんならありえる。それどころか既に斬っていてもおかしくない。

 そんなことを思いながらあたしも二人の後を追った。

 だけど結局。後ろから壁が壊れるような音はしなかった。

 イナさんはあの時、何を考えていたんだろう……?

 

 

 通路を進んでいくと広い玉座の間に出た。

 左を見るとイナさんが言ったとおり、あたしたちが選ばなかった通路に通じているであろう出口があった。

 ここに入った時には煌びやかな装飾を身に纏う中年の男が同じくゴテゴテした装飾の玉座から立ち上がるところだった。

 中年の男は今まで見たことのないくらい肥えた体つきをしていた。

 西のインフィニットを束ねる権力者。このウエストサンド宮殿の主。イナさんの言う大将首だ。

 男の周りには全身を隠すかのように黒い布に身を包む人間が一人。男のそばをピッタリと張り付いているみたいだった。

 男はあたしたちの登場と共に大声を上げた。

「出あえ! クセモノだっ!」

 部屋の左右から二十人ほどの兵士たちが武器を片手にあたしたちを囲んだ。

 思っていたよりも少ない。それほどの精鋭なのだろうか。

「ここまで来るとはインフィニットに背く反組織の人間に違いない。そうに決まっている! ええい! 何者だ?! 私を西のインフィニットを統治するヴィクロス=アインス=ベクトリクスと知っての狼藉か! 反組織の分際で私の命を狙うとは断じて許せん!」

 ヴィクロスと名乗る男はこれでもかというくらい言葉を連ねてきた。それにしてもよく喋る。

 こういう口が強い人間は苦手だ。人の話聞かないから。

「おぬし、息継ぎもせずよくそれだけ舌がまわるのう」

 イナさんは呆れたようにそう言うと、一歩前に出た。

 ……あ。アレをやる気だ。

「なんだとっ?! 貴様のような下賎な者と話す舌などもたんわ! 図々しいにもほどがある! うつけ者めが! この宮殿の中にまで侵入してくることこそ許しがたい! 兵どもは何をやっているのだまったく!」

 どんどん声を大きくして話すヴィクロス。

 これはまずいとあたしは耳を塞いだ。

「ええいっ! 黙れ黙れぇ! そして聞け!」

 イナさんはヴィクロス以上の大声で一喝。

 耳を塞いでいてもその声がよく聞こえる。

 あたし以外の人間はイナさんの大きな声に顔をしかめた。

「イ、イナちゃんの声の方がうるさいね……」

 メルは今になって耳を塞いで訴えていた。

 イナさんの声量はとてつもなく大きい。

 騒がしい中で名乗りを上げる前はよくこうして一喝する。前にもそういうことがあったから、あたしは慣れたものだけど。

 さすがのヴィクロスも押し黙ってしまった。

 そんな中、イナさんは静かに自慢の愛刀を掲げ上げる。

 間違いなく名乗りを上げる気だ。

 さっきヴィクロスが「何者だ」と聞いた時に目が光っていたのをあたしは見逃さなかった。

 名乗りを上げるのはイナさんのもっとも得意とするところであり、何よりも優先されること。

 相手や状況なんて関係ない。

 イナさんが名乗る以上、誰も止めることはできないのだ。

「罪の無い異能者たちを虐げる組織インフィニット!」

 鬼神斬巌刀を振り回し兵士たちを威嚇する。

 イナさんのセリフはまだまだ続く。

「我が名はイナ! イナ=シルバチオ=ボルダーン! 正義の裁きを与えるためこの地に参上する者なり! 己が悪を押し通すつもりなら、この鬼神斬巌刀を持って相手になってくれる!」

 ここまで息継ぎ無し。

 イナさんもよくこれだけ舌がまわるものだ。

「小娘の分際で小癪な! 斬れ! 斬り捨てい!」

 ヴィクロスの命令に兵士たちが一斉にこちらへ突撃してきた。

「イナさん!」

「うむ!」

 剣を振り回して前列の兵士たちを薙ぎ払うイナさん。

 あたしとメルはイナさんの横を通り過ぎて後続の兵士たちを打ち倒した。

 兵士たちはバタバタと音を立てて地に伏せる。

 ここまで。ヴィクロスが兵士たちに合図してからものの数秒の出来事だった。

「なんだ貴様らは?! 選りすぐりの近衛兵どもが。まるでその辺の雑魚兵と変わらぬではないか!」

 残るはヴィクロスと、そのそばにいる黒い布を被った者だけ。

 数で勝っていた上にあたしたちを見下していたんだ。ヴィクロスは動揺を隠せていない。

「ウチらの勝ちね! 今日が西のインフィニットの最期ね!」

 動揺するヴィクロスだったが、メルの一言でニヤリと不適な笑みを浮かべていた。

 その気味の悪さにあたしの背筋がぞくぞくっとする。

 嫌な予感がそうさせるのか。はたまたヴィクロスのニヤケ顔そのものに気味が悪かったのか。

「クックックッ……愚か者めが!」

 兵士を失い、追い詰められたはずなのに。

 ヴィクロスは余裕の笑みでメルを見下していた。

「貴様らの強さは分かった。だが、それでもただの人間に過ぎん! それではこの私に勝てはせんわ!」

「それはどういう意味じゃ? ――ムッ?!」

 ふいに剣を振り回すイナさん。

 あたしには何が起きたのか分からない。

 何か異様な雰囲気を感じて体を動かそうとした。その時、

「……あれ?」

 体はあたしの意思に反して動いてくれなかった。

「おかしいね!」

 メルの声が聞こえる。

 動かない体で視線だけをメルの方へ移すと、同じように体の自由を奪われているようだった。

「二人ともどうしたのじゃ?!」

「これは……異能の力?」

 ヴィクロスのそばにいる人間が一人。あたしたちに向かって手をかざしていた。頭から布を被っているため、どんな風貌をしているのかわからない。

 けれど、これは間違いなく異能の力。

 インフィニットに味方する異能者だ。

「なぜだ?! なぜ貴様には効かない?!」

 ヴィクロスの言葉はイナさんに向けられていた。

 イナさんは鬼神斬巌刀を肩に構えてみせた。

 どうしてイナさんだけが動けるのか、それはあたしにも分からなかった。

「なぜじゃと? とっさに身体が反応しただけじゃ。何やら怪しげな気を感じたのでのう。とっさに剣を振るっただけじゃ。どうやら私が斬ったのはそこにおる異能者の、異能の力だったようじゃな」

「馬鹿なっ! 異能の力を剣で斬ることができるものかっ!」

「馬鹿なものか! 伊達に『断てぬもの無し!』の看板を掲げてはおらぬわ! 我が剣の前には、どんなものだろうと両断するのみじゃ!」

 イナさんは嫌な空気を感じてとっさに剣を振るったことが功を奏したのだろう。

 イナさんはああ言っているけど、その実はあの大きな剣に遮られて異能者の視界からイナさんが一時的に消えたことで異能の力が発動しきれなかったとあたしは考えている。

 でも、それはあくまでもあたしの仮説。

 イナさんのことだから、本当にあの剣で異能の力を斬った可能性もある。あのイナさんなら否定できない。

「フンッ! ならば貴様は死体の相手でもしていろ!」

 ヴィクロスの言葉に敵の異能者の手が倒れた兵士たちへ向けられる。

 それに呼応して、倒したはずの兵士たちがこぞって身を起こし始める。

 外で戦った兵士たちのように、屍となった体で。

 意思の無い顔で今もあたしたちに向かってくる。

「体が動くね!」

 メルの言うようにあたしの体の自由も戻っていた。

 敵の異能者は同時に二つの能力を使えないようだ。

 けど、二つ以上の能力を持っている。そんな異能者がいるなんて初めてのことだ。

「またしてもこのような手を! 死者を弄ぶなど許せん!」

「貴様が死んだら同じように使ってやるわ!」

「何じゃとぉ〜?」

 ヴィクロスは部屋の隅にある扉を開けると、わき目も振らずにさっさと行ってしまった。

 その足音は下に向かってカツカツと音を立てる。それが地下への階段を駆けているのだと分かる。

 しかし、その後を追うことはできない。今は目の前のゾンビ兵をなんとかしないと。

「ゾンビ兵など我が鬼神斬巌刀の一太刀で成敗してくれる!」

 言うや否や。群がるゾンビ兵に向かって剣を振り回すイナさん。

 イナさんの前に意思を持たない兵士など大した敵じゃない。

 不死身に等しく、疲れも容赦も知らないゾンビは脅威。けれど、その動きには技と呼べるものは皆無だ。

 イナさんの一太刀はゾンビ兵の首を難なく飛ばし、更なる一太刀で残りのゾンビ兵の首を跳ね飛ばしていた。

「残るはおぬしだけじゃ! 大将首を逃すつもりはないのでな。早々に倒させてもらうぞ!」

 イナさんが一歩前に出ると、敵の異能者はイナさんの前に手をかざした。

 またイナさんの動きを止めようとしているのだろうか。

「無駄じゃ。私には効かぬ!」

 イナさんへかざした異能者の手が、今度は自分の頭へと向けられる。自分へ異能の力を使っているのだろうか。

 もがくように体をうねらせ、うめき声を上げている。

「うっ、ううぅ……」

 その場に膝をつくと更に苦しみだした。

 いったい何をしようとしているんだろう。

 相手が異能者なだけに下手に動くことができない。

 それはイナさんも同じなのだろう。黙ってその様子を見ている。

「うぅうっ……ウオオオオオ!」

 敵の異能者を覆っていた布が形を変え、同時に敵の異能者の顔も渦を巻いたように歪んだ。

 そしてその顔は一人の男性へと形を変える。身に付けていた外套まで形を変えた。

 真っ黒な髪に黒い眼。鍛えられた筋肉には一切の無駄が無い。年齢はあたしたちよりも上のようだ。

 これは幻覚だろうか。黒い髪の男が手にしているのは剣ではなく刀だった。

 水御華以外の刀を見たのはこれが初めてだ。

 そもそも刀の存在そのものが希少だというのに。

「――そんな、……馬鹿な……」

 ポツリと呟いたのはイナさんだった。

 見るといつものような余裕が感じられない。

 イナさんのあんなに驚いた顔を見るのは初めてだった。

 姿を変えた男に見覚えがあるのだろうか。

 けど、そのまま棒立ちじゃ斬られてしまう。

「イナさん!」

「イナちゃん!」

 あたしたちの声にイナさんはハッとなる。

 男は一瞬のうちに間合いを詰めるとイナさんに向けて刀を振り下ろしていた。

 なんて速さだ。その太刀筋は刀が消えたと錯覚するほど。

 とてもあたしじゃ追いきれない。

 

 ギンッ!

 

「くっ!」

 間一髪でそれを受け止めるイナさん。

 自慢の力で相手の剣ごと押し飛ばすものの、男の態勢は崩れない。

 男は後ろに飛ばされ、着地と同時にイナさんへ向かって攻撃を繰り出していた。

 気づいた時には、既に二人の剣が交わっている。

 男はイナさんの『断てぬもの無し』の一太刀をことごとく受け止め、あたしと同じ刀とは思えない速さでイナさんに斬りかかっている。

 男のとんでもない速さの一太刀を、巨大かつ超重量級の剣で受け止めるイナさんの実力も凄い。

 とてもあたしなんかが反応できるスピードじゃない。

 しかも早いだけじゃない。男の一撃一撃があのイナさんの剣を押すほど強力なものだ。

 それはあのイナさんが反撃に転じることができないくらいだ。

 敵の異能者は一体誰に姿を変えたのだろう。

 イナさんの知る人物、というのはイナさんの様子から間違いないだろうけど。ここまで互角の戦いができる人間がいるだなんて……。

 それもすべてあの異能者の能力なのだろうか。

 あたしたちの動きを止めたり兵士をゾンビ兵として操ったり。そしてイナさんの知る人物に姿を変え、これだけの実力を発揮できる能力。

 そんな能力があるわけがない。複数の能力を持つだけでも常軌を逸しているというのに。

 全てが幻覚だというのならわからなくはないけど、とてもそうは思えない。

 なによりも、あのイナさんと互角の戦いができることにあたしは驚いていた。

 イナさんはそれくらい、破格の強さを持っているから……。

 これがあたしと同じ異能者としての力だというのなら、それはとんでもない能力だ。

「シノちゃん。ウチらはどうしたらいいね」

「大丈夫、だよ。イナさんは強いから……」

 いつものように言い切れない。

 あの圧倒的なまでの力を持っているイナさんが戦っているというのに。

 この戦いはそれだけ緊迫している。

「でも、あの男の強さは桁違いね。これまで会った中で一番かもしれないね」

「それは分かってるけど……」

 その実力はあたしが苦戦するベゼル=マージェスタ以上かもしれない。

 けど、だからってあたしとメルが助太刀に入るなんて真似はできそうにないし……。

 

「チェストォオオオオ!」

 

 防戦一方だったイナさんが男を刀ごと押し退け、更に一太刀を繰り出して宮殿の壁まで押し飛ばした。

 その一太刀を男は食らっていない。

 寸での所で受け止めていた。

 男は勢いそのまま、壁にめり込むと悲痛な声を漏らした。頭から血を流しているものの、すぐに血は消えてなくなった。

 男は壁に埋もれたままの体をビクつかせている。

 異能の力でイナさんの思い描く姿を維持しようとしているんだ。体にダメージを受けても、元に戻ろうとする力が働いているんだ。

 これだけの強さを持っていて尚且つ不死身となると、例えイナさんでも戦況は不利だ。

 やっぱりあたしたちも助太刀しなくちゃダメかもしれない。

 男が再動するまでのしばしの合間に、イナさんはふぅと息を吐いた。

 気まずそうに頭を掻きながら、あたしとメルを交互に見た。

「大丈夫じゃ。心配はいらぬ」

 あたしにはイナさんの言葉が普段と変わらないように努めているものだと分かってしまった。

 呼吸も乱れている。そんなイナさんは初めてだ。

「……イナさん?」

 イナさんはあたしの声に手のひらを向けた。

「分かっておる。そこにおるのはあの男ではない」

「あの男って、誰のことね?」

 メルの言葉に気まずいような難しいような顔をするイナさん。

 その様子から、あんまり好きじゃない相手なのかもしれない。

「イナさんの敵なんですか?」

「敵じゃ!」

 力強く即答するイナさん。これは相当に嫌いな相手らしい。

「どういう人ね?」

「百を超える武勇伝を持ち、数多の達人が名を連ねたその世界で不敗を貫いた唯一無二の男じゃ。その男を人々はこう称えた。鬼神を超える者――“武神”とな」

「あれ? 鬼神ってイナさんのことですよね?」

「いや、私の師匠のことじゃ。私はその名を受け継いだのじゃ。今度は武神を超える鬼神となるためにな」

 刀と百の武勇伝、武神の称号。どれも聞いたことが無い。

 やっぱりイナさんの世界の人のことなんだろう。

 その話が本当なら、イナさんはこの世界の人間じゃないという裏づけにもなってしまう。

 以前、イナさんは自分がこの世界の人間じゃないと言っていた。やっぱり、そういうことなんだろう。

「その人はイナさんの知り合いなんですか?」

「うぅむぅ〜……生まれた時からの、な」

「そうなんですか?!」

「いったいどんな関係ね?」

 顔に手を当てて、何だか恥ずかしそうにするイナさん。

 こんなイナさんの顔を見たのは初めてだ。

「あやつは、私の――――父上、じゃ……」

「ええーっ! イナさんのお父さん?!」

「あれがイナちゃんのとーちゃん……の姿を借りた人ね」

 そういえばイナさんはお父さんが苦手だったと聞いたことがある。

 そう言われればどこかイナさんに似ている気がする。イナさんのお父さんにしては若いような気がするけど。

「でも、幻覚ですよ! こんな所にいるはずがない!」

「わかっておる。このような幻覚にやられはせんよ」

 そう言われても、いつもの余裕が感じられない。

 やっぱり実の父親を相手にするのは苦痛なんだ。

「イナさんの気持ち。分かります……」

「うむ。まさかこのようなことになるとは、夢にも思わなかったからのう」

「やっぱり辛いですよね……」

「辛い? なんのことじゃ?」

「え? だって、自分のお父さんが相手なんですよ?!」

「うむ。相手は武神と称えられた剣士。しかも私が思い描いた全盛期の頃の父上じゃ。そんな父上と戦えるのは私だけ――否、私以外に戦わせるわけにはいかぬ!」

 ――あれ? なんだか燃えているような?

 自分の父親と戦うことになんの抵抗もない様子だ。むしろそれが当たり前のような……。

 いったいどんな親子関係なんだ。イナさんとお父さんは。

「あの。大丈夫なんですか?」

「余計な心配は無用じゃ。我が剣は父上などとうに超えておる。しかし、この千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかぬ!」

「で、でも。お父さんなんですよ?!」

「フッフッフッ。そうじゃ、父上じゃ。あの姿を成す者に、私が容赦などできるはずがない! 一刀両断にしてくれるわ!」

 そう言って鬼神斬巌刀を自分の父親の姿をした者に向けた。

 焦りと驚きが混じっていたはずのイナさんの顔が急に挑戦的な顔に変わった。

「――ぉ、おぉ……」

 イナさんのお父さんの姿をした異能者が再び立ち上がる。

 さっきの傷はおろか、汚れた服さえも元に戻っている。

「二人とも、ここは私に任せてヴィクロスを追うのじゃ!」

「どうしてね? 三人で戦った方が――」

「わかりました! 行こう、メル!」

「ちょっと、シノちゃん?!」

 あたしはメルの言葉を遮り、その手を無理やり取って走り出した。

「感謝するぞ、シノ。後は頼んだぞ!」

 ここに居るだけであたしたちは足手まといになる。

 それに、この場をイナさんに委ねたい。

 イナさんのことだ。誰にも譲りたくないに決まっている。

 そして絶対に勝って後から来てくれるって信じられる。

 

「我が誇りと父の名を汚す者よ。我が剣の舞を見よ!

 我が名はイナ! イナ=シルバチオ=ボルダーン!

 我こそは鬼神の名を継ぐ者。

 そして! 偽りの武神を断つ剣(つるぎ)なり!」

 

 あたしたちはまっすぐにヴィクロスが入った奥の扉へ。

 後ろで轟くイナさんの声を背に、あたしとメルは扉の中に飛び込んだ。

 

「この一刀に……一擲を成して乾坤を賭せん。

 ――行くぞ父上。我が剣(愛)を受けてみよ!!」

 

 

 

 

 

EP1‐3 砂漠の再動者-Living Dead-・完

 

 


 

inserted by FC2 system