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EP1‐3 砂漠の再動者-Living Dead- 前編

 

 

 砂漠を走る脚竜(きゃくりゅう)ラムダムヴァに跨り、あたしとメルはインフィニットの西の城砦、ウエストサンドの宮殿へ向かって砂漠を駆け抜けていた。

 今日も陽射しが強く汗も滲み出る気温だというのに、駆け抜けるラムダムヴァの上はぬるくも程よい風が過ぎ通っていく。

 これがまた心地良いのだ。

 思わず眠ってしまうくらいに……。

 

「シーノーちゃーんっ!!」

 

 横から聞こえるメルの声。

 反射的にビクッと体が震えた。

「――あるぇ?」

 気が付くとラムダムヴァは歩行を止めていた。

 そのせいか、これでもかというくらい大量の汗が全身から噴き出していた。

 汗がねっとりと体を伝って流れ落ちていくのがわかる。

 どうやら本当に眠っていたらしい。

 止まったラムダムヴァの上は陽射しとラムダムヴァの体温に挟まれてかなり暑い。

 ここが砂漠の上なのだと嫌でも気づかされる。

「あっつぅ〜」

 寝ぼけ眼のまま腰に提げている刀を抜くと無造作に掲げた。

「水御華ぁ、お水ちょうだい〜」

 水御華はあたしの言葉通りに切っ先から水を噴出させる。

 あたしは刀を適当に動かして辺りに水を振り撒いた。

 冷たい水があたしを潤し、周りの空気も冷やしてくれた。

「うわぁ! 水の無駄遣いね!」

 ラムダムヴァも暑かったのか、キュルルルと嬉しそうな声を上げながら目を細めて喜んでいた。

 この子たちもやっぱり暑かったんだね。

 最初は怖かったけど、嬉しそうな鳴き声を聞いていると可愛く思えてくる。

「よしよし。運んでくれてありがとね〜」

「キュルキュルルル♪」

「あはは。いい声してるねぇ♪」

 あんまり可愛い声で鳴くもんだから、たくさん撫でてあげたくなっちゃうよ。

「よーし。よしよしよしよしよしよしよしよしよしよし♪」

「はぁ〜……シノちゃんはお気楽ね」

 そんなあたしに対して、メルは深くため息をついていた。

「この砂漠で、水が無くて苦労している人もいるのにね」

「うーん。でもこれがあたしの異能者としての能力だしなぁ」

 逆に言えば他に能が無いんだ。あたしは水御華がいなきゃただの人間でしかない。

 あたしは大きなあくびをしながら首をコキコキ鳴らした。

「ふぁ〜、よく寝た」

 そんなあたしを見てまたも深いため息をつくメル。

 またお気楽だと言われるかな?

「これから決戦なのにね。居眠りはするし、力の温存も考えていないし……シノちゃんに緊張感は無いのね?」

「あはは。よく言われるよ」

 確かに水の無駄遣いはよくないか。

 これからどれほどの戦いが待ち受けているのか分からないのだから。

 あたしは刀を鞘に納めると再び腰に戻した。

「笑いごとじゃないね。戦場は目で見える所まで来ているね」

「えっ、そうなの?」

 眠い目をこすりながら前方に目を凝らすと、確かにウエストサンドの大きな宮殿が見える。

 ウエストサンド宮殿は前に一度見たことがある。

 無駄に広く大きい建物で、趣味の悪そうな巨大な旗が掲げられている。

 その隣にはウエストサンドの街が宮殿を中心に扇状に広がっている。こちら側は街の反対、宮殿の裏手にあたる。

 陽と砂漠の熱が生む陽炎のせいでよく見えないけど、その宮殿から少し離れた所で、たくさんの人間がひしめき合っているのがわかる。

 そこがインフィニットとアンリミテッドが戦っている場所なのだろう。もう戦いは始まっているんだ。

「宮殿の裏手で戦っているのは奇襲しようとしたから?」

「きっと街の人を巻き込まないためね。それに宮殿の裏手は見晴らしがいいから奇襲にはならないね」

 アンリミテッドは奇襲よりも無関係な人たちを巻き込まないことを選んだんだ。

 なるほど。そういう考え方は賛成できる。

 その気になれば街に潜むことも、街に混乱を招いて誘導することもできたはず。ちゃんと手段を選んでいるんだ。

「あの白い外套を頭から身に纏って顔を隠しているのがインフィニットの兵士達ね」

「ということは、それに向かっているのがアンリミテッドと反組織に賛同する戦士達なんだね」

 アンリミテッドの戦士達は上半身を晒して両腕に布を巻いているのが分かる。

 とりあえず、見分けは付きそうだ。

 どちらも数が多いことから戦いが始まったばかりだと分かる。

「すぐ合流しないの? 間に合ったみたいだけど」

「間に合ったのはきっと戦いの前に休憩を取っていたからね。それでも開戦前に間に合わなかったね。誰かさんがいびきをかいて寝ていたからラムダムヴァが減速したせいね」

「あう……」

 その誰かさんってあたしのことだ。

 本当に自分でも驚くほど緊張感が無いな、あたしは。どれだけ眠っていたかは分からないけど。

 でも、おかげで体は随分と楽になった。昨日の疲れは無いと見ていい。

 これならこの戦いの役には立てそうだ。

「メルは寝なくても大丈夫なの?」

「それ所じゃないね。ウチはこの戦いにどう関わるかを考えていたね」

 これであたしよりも年下なんだから驚きだ。

 やっぱりアンリミテッドの戦士をしているだけある。

 きっと戦いの経験はメルの方が多いのだろう。

「寝ててすいません。……で、メルの考えは?」

「このまま合流するよりもラムダムヴァの俊足を持って横から奇襲をかける方が敵も驚くし、味方の士気も上がると思うね」

「たった二人でも効果があるのかな?」

「味方にも敵にも、他にまだ援軍があるかもしれないと思わせることができたらそれで充分ね」

 メルの言ったことは戦争なんてしたことの無いあたしには思いもしないことだった。

 あたしはいつも一人で戦っていたから。

 作戦は大事なんだなぁ。

「――んっ? 何か変ね!」

 いきなり声を上げるメル。

 メルは必死に目を凝らして戦場を見ようとしている。

 あたしも戦場に目を向けるも、ここからでは遠すぎて変化が分からない。

「シノちゃん! 急ぐね!」

 ラムダムヴァを走らせるメル。

 あたしを乗せたラムダムヴァもそれに合わせて一緒に走り出した。

「わわっ! ど、どうしたのさ?」

「戦場がおかしいね!」

「おかしい?」

 再び戦場の方へと目を向ける。

 次第に距離を縮めているおかげでメルが気づいた異変にあたしも気づくことができた。

 固まって隊列を組んでいたインフィニットの軍勢が最前列の中心を境に、二つに分かれようとしている。

「左右から挟みこむ作戦かもしれないね! 前からよりも左右から攻撃される方が不利だからね!」

 隊列が二つになったというメルに反して、あたしはむしろ引き裂かれているように見えていた。

 目を凝らしてその隊列の分かれ際をよ〜く見る。

「ありゃ? あれはひょっとして――」

 あたしはこの状況をすぐに理解した。

 メルは気づいていないのか、声を荒げていた。

「どうして一旦後退しないのね?! ただでさえ数で押されているのにね! このままじゃインフィニットに勝てないね!」

 メルの言うように反組織の戦士達は臆することなく進軍している。

 けど、それは当然のことだ。

 敵がひるんでいるのなら、突き進むのみだから。

「違うよメル。敵は隊列を分けているんじゃない。分けさせられているんだよ」

「させられて、ね? それはどういうことね?」

「あの分かれている境目をよく見てごらんよ」

「――ん。……誰か、いるね? あれはインフィニットでも反組織の人間とも違う格好をしているね」

 敵勢力の真ん中を斬り込みながら突き進んでいる人物が一人。

 あれは紛れも無くイナさんだ。見間違えるはずがない。

 こんなことをやろうと思ってやってのけてしまう人間は他にいないだろう。

 反組織の勢力がそれに続いてインフィニットの勢力を分断させながら端へ端へと追いやっているのが分かる。

 多勢に無勢を物ともせず、まったく衰えることを知らず突き進んでいる。

 大群をたった一人で退け、大勢の人間を導くイナさんのその姿は、まさに戦場の鬼神と呼ぶに相応しい。

「メル。あれがイナさんだよ」

「あれが……たった一人で信じられないね。こんなこと本当にあるね?」

 とうとうインフィニットの勢力は無理やり二つにされてしまった。

 それは誰が見ても目を疑うようなとんでもない光景だった。

 そのとんでもない事をイナさんはやってのけてしまった。たった一本の剣と体だけで。

 そんなイナさんの姿を見て奮起する者も多いだろう。

 あたしもそうだ。

 イナさんの無事が確認できてホッとしているはずなのに、今は一緒に戦いたいという気持ちが湧き上がって止められない。

「メル! あたしたちも続こう!」

「そ、そうね! 今がチャンスね!」

 あたしたちは二つに分かれたインフィニットの勢力の片側へ。その真横からこの戦場に参戦することになった。

 たった一人に隊列を分断され、戸惑う所へかける奇襲の効果は高いはず。

 メルはラムダムヴァから飛び降りると、さっそく先制攻撃を仕掛けた。

「砂よ轟くね! 砂渡波舞(サンド・ウェイブ)!」

 砂漠を蹴って膨大な砂漠の波を作り出すと、砂漠の波はインフィニットの兵士たちを飲み込んだ。

 今まで見た技の中でとびきりの威力だ。メルが張り切っているのが表われている。

「アンリミテッドの長が孫娘、メルセレス=シュトラーセね! 砂漠の神の御名においてインフィニットに裁きを下すね!」

 たった一人の女に隊列を乱され驚いている中、敵対組織の長の孫娘が堂々と参上するのだ。これほどの効果は無い。

「メルセレス様だ!」

「おおーっ! メルお嬢ぉ!」

「お嬢さんにもしものことがあってはならねぇ! お嬢さんに及ぶ前に一人でも多く敵を倒すんだ!」

 メルの登場にアンリミテッドの戦士が猛った。メルがアンリミテッドの中で多くの信頼を得ているのがそれで分かる。

 ただ、メルのお父さんらしき人の姿は確認できない。これだけの数なら仕方ないことか。

「あたしもアンリミテッドに味方するよ!」

 ラムダムヴァから飛び降りて刀を抜いた。鞘の沙華月から水が溢れて水御華を潤す。あたしも猛っているのが分かる。

 インフィニットの軍勢に向かって水御華を握り締める。

「水よ吹き荒れろ!」

 水御華の切っ先から大量の水が放出される。

 そのまま横へ薙ぐとインフィニットの兵士数十人を巻き込みながら、その水圧で吹き飛ばした。

 あたしはそのままインフィニットの隊列に斬り込んでいく。

 その先にいるであろうイナさんの方に向かって。

「メル! あたしはイナさんと合流するよ!」

「わかったね!」

 メルの返事を待たずに駆け出すあたし。

 後ろからメルの声を耳にする。

「アンリミテッドの戦士たちにメルセレス=シュトラーセが告ぐね! 水を操る女の子は味方ね!」

「水を操る? お嬢さん、まさかあの娘は?!」

「話している暇は無いね! シノちゃんは味方ね!」

「わ、わかりました。野郎ども続けぇえええ!」

 振り向くとアンリミテッドの戦士たちがあたしの後ろを付いてきてくれた。

 まっすぐ突き進むあたしに対して討ち漏らした敵を倒してくれている。

 アンリミテッドにとって砂漠のアメフラシは敵のはずなのに、メルの言葉を信じて助けてくれている。

 何よりもメルに味方だと言われたことが嬉しい。

 ――だったら、その期待に応えなくっちゃ!

 水御華から出る水で前方の敵を吹き飛ばす。

「調子に乗るなぁ!」

「甘いよ!」

 左右からやってくる敵の攻撃を順番に受け止め、斬り払い、そしてまた駆け出す。

 討ち損じはアンリミテッドの戦士たちに託し、あたしは先へ先へと突き進んでいく。

 討ち倒した敵の先はまた敵の軍勢。

 その先も、その先もそうだろう。

 いつになったらイナさんの所へ辿り着くのか分からない。

 それでもこの先にきっといる。そう信じて先へ進むしかない。

「シノちゃん!」

 あたしのすぐ後ろからメルの声がする。

 何事かと振り返ってみると、あたしとメル、アンリミテッドの戦士たち数人が大量のインフィニットの兵士によってぐるっと囲まれていた。

「そんな! いつの間に?!」

 いくらあたしが先へ進むことを急いでいたからって、ここまで討ち漏らしたりはしない。

 まるで突如湧いたかのような数だ。

「おかしいね。これだけの数……いったいいつね? どこから沸いて出てきたね?!」

 ――違う。湧いたんじゃない。()()()()()()んだ!

 後方にはあたしが倒したはずのインフィニットの兵士が一人として倒れていない。起き上がれるはずがないのに、だ。

「これは異能者が?」

 西のインフィニットは異能者の命を奪わず監禁していると聞く。インフィニットの兵士として協力している異能者がいてもおかしくはない。

 問題はどんな能力を使っているか、だ。

 あたしたちの精神を操ってそう見せているのか。

 倒れた兵士を動かしているのか。

「シノちゃん。インフィニットにも異能者が……?」

「そうみたいだね」

「こんなこと、許されないね!」

 メルがあたしの前に出ると目の前の兵士の喉元を蹴りつけた。

 兵士は物凄い勢いで後ろの兵士も巻き込みながら倒れるものの、一つの間も置くことなく立ち上がてみせた。

 巻き込まれた兵士たちも同様だ。

「そんな……確実に急所を狙ったね。動くことなんてできるはずないね!」

 メルが蹴りつけた兵士。その頭から被っていた外套が外れる。

 晒される顔。その目は死体のように見開かれ、口を半開きにしたまま涎まで垂らしていた。

 その様を同じインフィニットの兵士に晒されても他の兵士たちはまったく驚いていない。どうやらすべての兵士が同じ状態のようだ。

「これならどうだ!」

 あたしは敵の兵士へ刀を振るった。

 その右肩へ刀を食い込ませ深手を負わせる。

 ――が、目の前の敵はなんでもないかのように、手にする剣をあたしに向けた。

 無造作に繰り出される敵の剣を受け止める。

「うわあっ!」

 その一撃で水御華はおろか、あたしの体ごと飛ばされそうになった。

 これが斬撃か?! まるで巨大なハンマーで叩かれたような感覚だ。

 目の前の男は中肉中背……いや、それよりも小柄か。

 剣そのものにも特別な造りをしているようには見えないし、剣技なんてとてもあるようには見えない。

 それにも関わらず、これだけ重たい一撃を放ってくるんだ。

 これがただの力技だとしたら人間の筋力の限界を超えている。

「くそっ! なんて力だ!」

「斬っても貫いても動いてくるぞ!」

「まるで死霊だぜ。はらわたが出てやがる!」

 アンリミテッドの戦士たちも動揺している。

 死霊……そうか! この人たちは死体。

 異能者は死体を動かしているんだ。

 死体だから並の攻撃じゃ止まらない。人間的な思考が無いから容赦も無い。自分に返ってくる反動すらも気にしないから、筋力も限界を超えて動かしているんだ。

 まともな人間なら、さっきの一撃だけで両腕がイカれている。

 しかし異能者が死体という人形を操っているというのなら、その姿形が現存する以上、動かし続けるだろう。

 これだけ大勢の死体を動かすことも異常じゃないけど、こんなこと思いつく人間の心も異常じゃない!

「とんでもない力ね。自分に掛かる筋力の負荷すらまるで無視しているね。こんなのに殴られたらそれだけで致命傷ね!」

 素手で相手をするメルにはそれが強く感じられるのだろう。

 組み付こうにも逆に捕まれたらその細い手足は握り潰されかねない。

「どうしたらいいの……?」

 敵の兵士達はただ目の前の敵を攻撃することしか頭にない。

 そして命を失っても体がある限り繰り返し行われる。まるで人形のように……。

 こんな敵を前にアンリミテッドは勝てるのだろうか。

 その人数を前にあたしの命も危うくなる。

「これじゃきりがないぜ!」

「俺たちはいったい何を相手にしているんだ?!」

 必死に応戦するアンリミテッドの戦士たち。

 もしも敵のインフィニットすべてがこんな状態なら、そもそも数において劣っているアンリミテッドが勝つことなどできるはずがない。

 必勝のために人の命すら操るなんて!

 わらわらとあたしたちに群がるインフィニットの兵士たち。

 両足を斬って行動不能にするか……いや、この数を相手にそんな方法ばかりじゃどうしようもない。

「シノちゃん。このままじゃダメね!」

「わかってる! わかってる、けど……」

 決定的な打開策が見つからずに焦りだけが募っていく。

 ――どうする? どうする? どうする?

 自然と水御華を握る手にも力が入る。

 そんな中、小さな音を耳にした。

 

 リィン……

 

 刀の刀身から音が鳴り響いた。

 ――なんだろう、この音。前にも聞いたことが……。

 水御華から発せられる音は次第に大きくなっているみたいだった。まるで音で水御華が叫んでいるかのよう。

 他の人には聴こえないのだろうか。誰も反応していない。

 まるで刀から『私を使え。刀を振るえ』そんな言葉を聞くようだった。

「――す、み……か」

「シノちゃん!」

 あたしの前にいる女の子。

 その声も遠くに感じるくらい、あたしの頭の中は刀から鳴る音でいっぱいだった。

 

 リィイイイイイイイイン……

 

 音は激しさを増してあたしの体の中を駆け回っているみたいだった。

 それがだんだん心地のよいものになっていくのが分かる。

 向かってくるインフィニットの兵士たち。まだ変な感じだけど、刀でこいつらを斬るくらいわけないことだ。

「シノちゃん!」

「邪魔をするなっ!」

 あたしは女の子を突き飛ばして前に出ると刀を横へ斬り払った。

 ヒュンッ!

 まるで空気でも斬るような感覚だった。

 目の前では首のない兵士がしぶきを上げて体をビク付かせていた。

 ずしりと重くなる刀身。その上には四人分の首が乗っている。

 刀を傾けて敵の首を地面に落とすと、元の持ち主の足元に上手い具合に転がっていった。

 首のない兵士はそのまま動きを止め、後ろからやってくる味方の兵士に押されて地面に倒れた。

 ――なあんだ。結局は首か。人間と変わらないじゃないか。つまらないな。そんなの……

 武器を振り上げて向かってくるインフィニットの兵士たちを前に、あたしは退屈な目で見返していた。

 

 リィイイイイイイイイイイン……

 

 心地良いのは刀から聞こえるこの音だけ。

 ――いいよ。もっと使ってあげる。

 今度は刀を横に薙いで数人の兵士の上半身と下半身を分断する。ドタンと重たい音を立てて上半身が地面に落ちる。

 これで上半身だけで地面を這う姿が見たかったけど、期待に反して兵士はそれだけで動くことを止めた。

「半端な能力。もう糸が切れてるよ」

 今度は一人の兵士に絞り、その心臓に向かって刀を突き刺した。一瞬の間を置いて胸と背中から血を噴き出し、あたしを赤く染めた。

 この場合はまだ動くらしい。自分の心臓に穴が空いていることも知らず、兵士は剣を振り下ろしてきた。

 刀を抜きつつそれを弾き、また首を刎ねてやった。

 ベタベタとあたしの体に絡みつく血。

 その生温かさも感触も、こんなに楽しめないんじゃ煩わしいだけだ。

 刀を鞘に納めて再び抜刀する。

 吹き荒れる水のしぶきが体に纏わり付く血を吹き飛ばした。

「まだまだこれからだよ!」

 刀から伸びる水が横に並んだ兵士たちの体を分断する。

 敵の血がピピッとあたしの頬に飛んできた。

「これじゃあいくら拭ってもキリがないや」

 敵もそう。斬っても斬っても後から後から向かってくる。

 相手がインフィニットなら殺すしかない。やつらはそうやって色んなものを奪ってきたんだから。

 あたしは頬の血を手で拭うとそのまま頭の上に手をやった。

そこには紐で小さく結んである髪が束ねられている。

 なんだってこんな所で結んだんだろう。こんなの、邪魔でしかないよ。

 結んだ髪を解こうと手で掴んで引っ張ろうとしたその時。

 この場を制圧するような裂帛の気合と共に、何もかも斬り裂くような声が轟いた。

 

「チェストォオオオオオオオッ!!」

 

 ざぁんっ! というたった一度の斬撃音。

 しかし、縦に両断された敵の数は全部で八つ。

 その揺れる長い髪があたしの頬をチッとかすめた。

「イナ――」

 巨大な剣を構える女性を前にあたしはその名を口にした。

「――さん」

 あたしは頭の上で結んだ髪をキュッと握った後、そのまま手を下ろした。

 ――あれ? あたしは何をしていたんだろう?

 周りに散らばる無惨な死体。

 もはや誰のものかも分からない肉片が散らばっていた。

「これを、あたし……が?」

 

 リィン……

 

「――ああっ!」

 水御華から聞こえる音にあたしは恐怖を覚えた。

 刀を手放そうと腕を振るうも、右手の指はあたしの意に反して水御華をギュッと握り締めたまま放してくれなかった。

 手首から先があたしのものじゃないみたいに熱を帯びて強く強く水御華を握っていた。

「シノちゃん!」

 不安な面持ちであたしのところに駆けて来るメル。

 その顔は朝に目を覚ました時に見た顔と同じだ。

 ――初めてじゃない。あたしはまた、……メルの前でこんなことをした……?

 水御華の刀身が陽の光を反射させて煌めくと、あたしを映し出した。刀身を覗きこむとそこにはあたしが映っていた。

 そこには返り血に頬を濡らして微笑むあたしがいた。

 口元に手を当てるも、あたしは笑ってなんかいない。

 ――これは誰? 誰なの?!

「ち、違う。あたしじゃ、ない!」

「違わぬっ!」

 イナさんは大きな声であたしの言葉を否定した。

 こっちを向かずに、インフィニットの兵士を相手にしたまま。

「シノよ。こういう時はどうする?」

「えっ……」

 まともに思考が働いていないあたしにイナさんが問いかける。

 頭の中がいっぱいいっぱいで混乱しているというのに、なぜそんなことを聞くのだろう。

「敵の頭を叩くのじゃ。さすればこのように動かす者にも行き着こう。狙うは大将首じゃ!」

 イナさんはそう言うと巨大な剣、鬼神斬巌刀を振り回して周囲の敵を蹴散らす。

 そしてあたしの体を片手で軽々持ち上げた。

「イ、イナさん?!」

「これから敵本陣へ向かう! 続ける者は続けい! 追える者は追ってみよ! 我が前進を阻む者は容赦せぬ!」

 そのままあたしを肩に担いで駆け出した。

 あたしを担いでいることなど関係ないかのようだ。もの凄い速さで走り続ける。

「ウチも行くね!」

 イナさんの後をメルも追いかける。

 あたしを担いだまま剣を振るい、敵勢力のド真ん中を突っ切っていくイナさん。

 倒した敵のうち何人かは、やはり動き始める者もいた。

 しかし、メルが攻撃に転ずることがほとんど無いくらい、イナさんは的確に敵を仕留めていった。

 担がれているからその光景は見えないが、しきりに剣を振るい続けているのが分かる。

 何の役にも立っていないことが悔しい。

 けど、情けないことにホッとしている自分がいる。

 あたしは、もう水御華を振るいたくはないと思っていたから。

「歯応えの無い! 我が進行を妨げてみよ!」

「邪魔して欲しいのか欲しくないのかどっちね?」

「死者を相手に意気込めぬだけじゃ。兎にも角にも、制圧前進のみじゃ! 退かぬ! 迷わぬ! 留まらぬ!」

 イナさんはあっという間に敵の勢力を突き抜けた。

 振り向くと正面にはウエストサンド宮殿が目と鼻の先だ。

 しかし、そうはさせまいと宮殿の大門から鎧を身に纏う兵士たちがわんさか出てきた。

 いかにも正規兵という感じだ。

 実力もこれまでの兵士たちより上かもしれない。

「五十人近くいるね!」

「構わぬ! このまま押し通るのみじゃ! 我が歩みを止められると思うな!」

 新手の兵士を前にしてもイナさんの走る速度は衰えない。

 むしろ速く、より速く走り続けるイナさん。

 気が付けば、兵士たちが隊列を組んで戦闘準備に入る前に剣を振るっていた。

 まさに一瞬のできごとだった。

 これには敵も驚いただろう。あたしもそうだ。この人はどこまでのことをやってのけてしまうのか。

 たった一振りで敵を何人も巻き込んで討ち倒してしまう。

 剣を数回振り回しただけで、ここにいる敵の半分が地に伏せていた。

「門を閉じろ!」

 イナさんの猛攻に慌てて大門を閉じるインフィニットの兵士たち。

 後ろにはまだ兵士が控えているのに宮殿の大門を閉じることを優先したようだ。

 門はかなり大きく頑丈そうだ。

 アルファルファ級のドラゴンが並んで通れるくらいの大きさはありそうだ。

「門が閉じられるね!」

「構わぬ。まずは眼前の敵を打ち払うのみじゃ!」

「わ、わかったね!」

 イナさんが剣を右へ薙げば右に並ぶ兵士たちが吹き飛ばされ、左へ薙げば左に並ぶ兵士たちが一斉に倒れる。

 まるで鎧など関係ないかのように。

 イナさんの上で激しく揺さぶられながらその光景を目の当たりにしていた。

 残る兵士は一人。その一人に向かってメルが飛び掛った。

 兵士の剣をすり抜け、後ろに回りこむと首に腕を回した。

「この門を開けるね!」

「む、無理だ。俺にそんな権限は無い!」

 この兵士は普通に話ができるらしい。戦場にいた兵士とはやはり違うようだ。

 戦場の兵士が正規の兵士じゃないのなら。だからこそ死して尚も戦うようなことをされているのかもしれない。

 そんな基準で人をいいように扱うなんて、許されることじゃない。

 インフィニットは自分たちのためなら手段は問わない。

「誰が死体を操っているね?! 異能者がいるのね?!」

「し、知らねぇ! 知らねぇよぉ!」

「……なら、用は無いね!」

 兵士をキュッと絞めて気絶させるメル。

 やっと周りに敵がいなくなったと知ると深く息を吐いていた。

「みんな、まだ戦っているね……」

 あたしたちが居た戦場を振り返ると、メルの言うようにインフィニットの兵士とアンリミテッドの戦士たちが戦いを続けていた。

「あれ? 片方の敵の勢力が小さくなっているね」

 イナさんによって二分化したインフィニットの隊列のうち、あたしたちが戦っていなかった方の勢力が徐々に小さくなっているようだった。

「しかし、逆にシノたちが戦っていた方の味方勢力は小さく、後方へ追いやられているのが分かるのう。このままではジリ貧じゃな」

 戦況は五分五分。あのインフィニットの大軍に五分五分というのはいい戦果だろう。

 しかし、不死身の兵士がいるというだけで厄介なのは変わらない。時間が経てば経つほど不利になるのは必至だ。

「さて、一息つこうかのう」

 イナさんはゆっくりとあたしを地面に降ろした。

 これだけの戦いをしておきがなら、疲労の色がまったく見えない。あの重い剣を背負いながらここまで戦ってきたというのに。

 やっぱりイナさんは凄い。あたしなんかじゃとても成れない人なんだ……。

「しかし驚いたぞ。私が分断した隊列のうち、ゾンビ兵の勢力の方へシノたちが向かって行くのが見えたからのう」

「ゾンビ兵、ですか?」

 イナさんからスルッとそんな言葉が出てきたため、思わず聞き返してしまった。

 ゾンビの兵士だからゾンビ兵……そのままだけど言い得て妙だ。

「ゾンビ兵って何ね?」

「グールやリビングデッドとも言うが、要は生ける屍じゃな。それをゾンビと言ったのじゃ」

「屍なのに、生きているのね?」

 そうか。イナさんはそのゾンビ兵の隊列と人間の兵士の隊列を見極めて分断したんだ。

 ゾンビ兵と人間の兵士が混同して隊列を組むなんてできるはずがない。人間は人間、ゾンビ兵はゾンビ兵だけで隊列を組んでいたんだ。

 あたしが無惨に殺したと思っていた兵士たちはもう既に死んでいた。そう思うと少し気も楽になれるけど……。

「じゃあ、異能者狩りをするインフィニットが異能者を使って死んだ兵士をまた戦場へ送り込んでいるのね」

「うむ。その異能者が自らの意思で協力しておるのか。無理やり従わされているかは分からぬがな。これだけの兵士を動かしておるのじゃ。とても一人とは思えぬがのう」

 座ったまま二人を見上げるあたしにイナさんが屈んで顔を覗き込んだ。

 普段ならドキッとしてしまうくらいの顔の近さだけど、今のあたしにはそんな余裕も無い。

 イナさんはじっとあたしの顔を見た後、眉毛を釣り上げて訝しげな顔をした。

「ふぅむ。シノも異能者らしいから、敵の術にでも掛ったと思うておったのじゃが……どうやら自分自身に操られておったようじゃのう」

 自分自身に操られる。それはどういう意味なんだろう?

「現にさっきから一言も話そうとはせぬしな」

 ――えっ?

 本当だ。あたしは物を思っても言葉は何一つ口に出していなかった。そんなことに気付かないなんて……。

「シノちゃんどうしちゃったのね?」

「気が抜けておる。虚脱状態じゃ。そのクセに水御華を離そうとはせぬ。おぬしはそうやって刀に振りまわされたのじゃ」

 視線を右手に移すとイナさんの言うように水御華を握り締めたままだった。

 戦う気力なんて全然無い。なのにあたしの体は刀を手放そうとしない。

 まるで自分の意思をどこかに置いてきてしまったみたいだ。

 考えることも、感じることもできるのに。

 体だけがあたしのものじゃないみたい。

 ――本当に、どうしてしまったんだろう。あたしは……。

「ここは未だ戦場じゃ。呆けていてはその命、失いかねんぞ?」

「シノちゃん。大丈夫ね?」

 メルの言葉になんとなく頷く。本当になんとなくしか頷けない。

 だって自分が大丈夫かどうかすら分からないんだ。

 イナさんはあたしの顔をじっと見つめた後、深いため息をついた。

「これではな……仕方ない」

 そして、手のひらをあたしに向ける。

 

 バチンッ!

 

 イナさんの平手があたしの右頬に打たれた。

 その威力は軽く地面に倒れるくらいだ。

 くらくらと視界が揺れる。

「あ……」

 そして、あたしはやっと自分から声を発することができた。それはほんの少しだけだけど。

「イナちゃんはやり過ぎね!」

 あたしのために怒ってくれるメル。

 でも、あたしはちっともイナさんを恨んでない。

「壊れたテレビはこうやって直すのじゃ!」

「意味が分からないね!」

 非難の声をあげるメルをよそに、イナさんは再びあたしの方を見た。

 厳しい目つき。真剣な目で。

 あたしのためを思っているのがよく分かる。

 それだけに、何をやっているんだとあたしは自分を責めた。

「誰かの剣と成れと言ったであろう。それは決して折れてはならぬものじゃ。おぬしが折れればおぬしが守りたいとする者はどうなる? ロメリアはおぬしの帰りを待っておるのじゃぞ。そこにおるメルも、おぬしを案じておるぞ」

「どうしてウチの名前を知っているね?」

 そうだ。イナさんとメルは初対面のはずだ。

 もしかしたらメルのお父さんから聞いたのかな?

「まぁ、よいではないか。それよりも、じゃ」

 イナさんは水御華を握り続けているあたしの手を持つと、水御華の刃を自身の首に添えて肩に置いた。

「あ……!」

 ――危ない! そう思ってもまだ声が出ない。

 感覚の無いあたしの手が水御華を引けばイナさんの首は簡単に斬れてしまう。

 あたしの体があたしの意思に反している今、それはあまりにも危険な行為だ。

「イナちゃん!」

「フフッ。大丈夫じゃ。何も心配はいらぬ。おぬしはシノじゃ。他の誰でもない。なら、何も案ずることは無かろう?」

 イナさんはそう言ってあたしを見ると、そのままあたしの指を一本ずつ刀から解こうとする。

 それでもあたしの指はしっかりと水御華を握り締めたままだ。

 せっかくイナさんがあたしの指を解放してくれようとしているのに。あたしの指はまるでそれに抵抗するかのようにしっかりと刀を握って離さない。

「イナちゃん。今のシノちゃんは……」

「シノはシノじゃ。大丈夫じゃ」

「でも……」

 急に背筋がぞくっとした。

 このまま刀を引いてしまえば、イナさんといえど簡単に殺してしまう。

 そんなこと思いたくもないのに。そんな考えばかりがあたしを支配しようとする。

 

 リィイイイイイイン……。

 

 水御華からまた音が鳴った。

 刀を使え、私を使えと言っているかのよう。

 ――そんなのダメ! ダメだよ水御華!

 イナさんは味方だ。ここにはもう敵はいない。

 水御華のいいようにされちゃダメなんだ!

 そう思えば思うほど、水御華を握るあたしの手に力が入ってしまう。

「ふぅむ。おぬしの握力とは思えぬな」

 変わらぬ表情でそう言うイナさんの額にうっすらと汗が滲んでいた。

 そこで気が付いてしまった。

 イナさんの首に添えられた水御華の刃がイナさんの首をわずかに斬ってしまっていることに。

 その小さな斬り口から血が滲み出ている。

 ――あたしが……イナさんを斬ってしまった。

「イ、ナ、さん……」

 振り絞るように声を出す。

「イ、……イナさん!」

「うむ。やっと喋れるようになったのう」

 さっきまで何も喋れなかったのに。イナさんのことを思うと黙ってなんていられなかった。

「大丈夫じゃ。ここは私に任せなさい」

「でも……」

「大丈夫。大丈夫じゃぞ?」

 いつものように優しい口調で、優しい眼差しで応えてくれるイナさん。

 そんなイナさんを前に、あたしは目を反らすことができなかった。

 またイナさんを斬るんじゃないかと思うと、胸がぐっと重たくなる。

「シノよ。自分から逃げてはならぬぞ。逃げれば戻ってこれぬかもしれぬ。おぬしはおぬし。シノ=カズヒなのじゃぞ?」

 一本また一本とあたしの指を水御華から解いていくイナさん。

 ようやく小指が離れたところで、あたしの手から水御華が離れる。刀はイナさんの肩を滑って地面に落ちた。

「あ、あたしは……あたしは――」

 謝らなくちゃ!

 そう思うのに言葉が見つからない。

 イナさんはあたしの口にすっと指を当てて言うことを阻んだ。

「シノらしくないぞ。おぬしはもっと自由だったはずじゃ。何ものにも縛られず、自由に過ごしておったじゃろう?」

「自由……?」

「どんな時でも変わらない。それがおぬしの強さじゃ。今回はインフィニットに深く関わることじゃから、仕方のない事かもしれぬが……」

 あたしはインフィニットが嫌いだ。

 でも、普段はそんなこと全然考えたりなんかしなかった。

 なぜだか分からないけど。いつもそうなんだ。両親を殺されて、いくら恨んでも足りないはずなのに。そんな感情が湧いてこない。思いつかない。

「両親の仇討ちをしたいか? インフィニットが憎いか?」

「そんなこと、考えたことないです」

「そうであろう。私もおぬしからはそんな気は感じられぬからのう。しかし――」

 イナさんは水御華を手に取るとギュッと握り締め、空に掲げてみせた。

「この水御華がシノの内に秘めている感情を呼び戻しているように私には見える。もしくは水御華そのものがシノの心の一部なのかもしれぬのう。普段は持たない感情を、水御華が呼び起こしておるかのようじゃ」

「水御華が……?」

 そんなこと、考えたことも無かった。

 水御華とはいつも一緒だけど、あたしは使う側で、水御華は使われる側だったから。

「私が握っても何も感じられぬがな。しかし、美しい刀じゃ。まるで無邪気な子どものよう。時として予想も付かぬ行動に出るが、悪意は無い。そんな感じかのう?」

「水御華は子ども何ですか?」

「子どもと言えるかもしれぬな。おぬしもまだまだ未熟じゃ。ならば、ちゃんと鞘に納めてやらねばならぬぞ? 帰る場所があれば安心するじゃろう」

 イナさんはあたしの腰に提げている鞘の沙華月を手にすると水御華を納めた。まるでそうすることが当たり前のように。

 あたしがまだ水御華を手にすることが怖いと察してくれたのだろう。

 正直、今は水御華が怖い。こうして腰に下げているだけで不安になる。

 あたしはもう、水御華を持つこともできないのかもしれない。

「おぬしは水御華を手放せぬよ。なんと言ってもおぬしは砂漠のアメフラシじゃからのう」

「砂漠のアメフラシだから……手放せない?」

「うむ。ロメリアに虹を見せてやらなくてはな」

「あっ……」

 ロメリアは言ったんだ。

 あたしのこと、水の妖精さんみたいだって。

 ちっともそんなことないんだけど。ロメリアはそうだと言ってくれる。

 だからあたしはロメリアの力になってあげたいんだ。

 ここで水御華を手放したら、きっと何にも残らない。

 ロメリアに虹を見せることも叶わないんだ。

「ごめんなさい。イナひゃん……ありぇ?」

 泣き出しそうになるあたしに、イナさんはあたしの鼻を摘まんできた。

「泣くでない!」

「そんにゃ〜」

「まだまだじゃのう、おぬしは……」

「だ、だっひぇ〜」

「だから私がいる。足りない分は私から補え。私はいつでも、シノの味方じゃぞ?」

 ――いつでも、味方……かぁ〜。

「はひ」

 ドンッ!

 メルがあたしの背中にしがみ付いてきた。

「ウチもいるね!」

 イナさんの言葉とメルの行動があたしの心を温かく包み込んでくれているみたいだ。

 嬉しすぎてまた泣けてくる。

 けど、今はそんな場合じゃないんだ。

 あたしは立ち上がると二人を見た。

「心配かけてごめん。行こう! あたしはもう大丈夫だから」

「うむ!」

「OKね!」

 再びウエストサンド宮殿への道を阻む大門を前にする。

 この門を潜れば宮殿を守る外壁は無い。

 そのまま宮殿の中に入ってしまえばそれが勝機となる。

 イナさんは地面に突き刺した鬼神斬巌刀を引き抜くとスッと払ってみせた。やる気満々という雰囲気が伝わってくる。

「開かぬなら……斬ってみせよう、ホトトギス……じゃな」

「ホトトギスってなんですか?」

「知らぬのか? 鳥じゃぞ?」

 斬ってしまえって……そんな鳥が居たら嫌だなぁ〜。

「二人とも簡単に言うけど、斬るなんて容易なことじゃないね」

 ため息混じりに言うメル。

 メルが言うのももっともな話だ。

 あの門が閉じる時、かなりの人間が一斉に門を押しているのを見ていた。それだけでかなりの質量だと分かる。

 しかもどう見ても鋼鉄製だ。並みの攻撃じゃ斬るどころか傷をつけるのも難しいだろう。

 さすがのイナさんでも簡単にはいかないはずだ。

「ふむ。そう言われると斬りたくなるではないか」

「あれ? 斬るつもりじゃなかったんですか?」

 わくわくした顔で鋼鉄の門を見つめるイナさん。

 他に手があるならそっちの方がいいと思うんだけど……。

「イナさんはどうするつもりだったんですか?」

「いかに鋼鉄の門といえど鍵をするにはカンヌキが必要じゃ。それが無ければただ押すだけで開いてしまうからのう」

 カンヌキというと門の内側に木や鉄の棒を掛ける鍵のことだろう。大きな街の門でも使われているから見たことがある。

 確かにこの門を斬るよりは現実的だ。

「外からカンヌキが壊せるのね?」

「左右の門の間に隙間ができておるであろう? 隙間が無くては門を動かせぬからのう。構造上の死角、というやつじゃ」

 門の方へ目を配ると確かに間にはわずかな隙間がある。そこを狙えばカンヌキを壊せるということか。

 ただし、指一本も入らないくらいの隙間しかない。

 あたしの刀ならいざしらず、イナさんの鬼神斬巌刀じゃ大きすぎて入るかどうか怪しいくらいだ。

 カンヌキは上下と中央に一つずつ、全部で三つ。その隙間から見ることができる。門の大きさもあってなかなかに分厚い。

 一本断つのに手間取っては門の向こうにいる兵士が予備のカンヌキを挿しかねない。

 これはスピード勝負の予感がするなぁ。

「というかイナさん。この会話、門の向こうの兵士に筒抜けですよね」

「うむ。今頃ヒヤヒヤしておるかものう〜♪」

 コンコンッと叩きながら返事をするイナさん。

 門の向こうでは兵士たちのざわめきが聞こえる。

 まさかこの大門が剣で開けられるとは思ってもみないだろう。

「というわけで、じゃ。一気に行くぞ!」

「はいっ!」

 ぐっと鬼神斬巌刀を構えて門を見据えるイナさん。

 その様子に息を飲むあたしとメル。

 いったいどんな剣技でこの門を突破するのだろう。あたしには想像すらできないや。

 イナさんが構えること数十秒。

 あたしに目をやると首を傾げてきた。

「……シノ?」

「どうしたんですか?」

「おぬしが斬るんじゃろう?」

「ええええっ?! あたしがやるんですか?!」

 この人はどうしてそう、唐突にそんなことを当然のように言っちゃうんだろう。

 今の話の流れから、てっきりイナさんが斬るもんだと思っていた。なんてったって斬ることに関してはあたし以上の実力の持ち主なんだし……。

「だって斬巌刀じゃこの隙間は通らぬぞ?」

「それはまぁ、そうですけども〜」

 じゃあ何で構えていたんですかと問いたい。

 あの説明は全部あたしにさせるつもりでしていたのか。

「わかりました。やってみますよ」

 やれやれと構えを解くと剣を肩に担ぐイナさん。

 これは本当にあたし任せになってしまっている。

「シノちゃん、できるね?」

「カンヌキって鉄だよね。鉄なんか斬ったことないよ」

 逆に刀の方が折れてしまうんじゃないかと思わなくも無い。

 刀が折れるなんて思考、イナさんはしないだろうけど。

 水刃の太刀なら鉄を斬れるかもしれないけど、とてもあの門の隙間を通せないだろう。

「相手の剣を三本連続で両断すると思えばいけるじゃろ?」

「その思考ができるほどあたしの剣の技量はありませんよ!」

「ハァ〜。やれやれ。おぬしはもっと自分を信じよ。いつものように水御華を振るっておればよいのじゃ」

「もう。知りませんよ!」

 あたしは半ばヤケになったように刀を抜いて構えた。

 狙うは門の隙間。上と下と真ん中にある鉄のカンヌキ。

 できるかどうかはあたしと水御華次第だ。

 ――ってあれ? あたし今、水御華を握ってるじゃないか。

 あんなに嫌がってたのに。話の流れでいつものように水御華を握ってしまっている。

「こりゃ! 集中せぬか!」

「は、はいっ!」

 そっか。水御華を抜くのが怖かったから、イナさんが計らってくれたんだ。

 あんなことがあった後で、割り切って刀を持つことなんてできないから。

 きっと次に水御華を握るのは躊躇していたはず。

 イナさんはそれを取っ払ってくれたんだ。

 ――なら! それに応えなくっちゃ!

「スゥ……」

 刀を両手で持ちまっすぐに構えると、呼吸を整える。

 あたしはただ、自分にできることをするだけだ。

 ――水御華。キミを信じていいよね? いつもみたいに、あたしに力を貸して!

「ハァアアアッ!」

 気合と共に、大門の隙間に向かって刀を振り下ろした。

 ザンッ!

 刀はなんの抵抗もなく、上から下まで振り降ろすことができた。ということは……。

 

 バキィンッ!

 

 硬い物が割れる音が響く。

「成功ね!」

 門の隙間を見ると三つのカンヌキが切断できているのが分かる。門の向こうからもどよめきが聞こえる。

「うむ。チャレンジ精神は大事ということじゃな」

 イナさんはいつの間にかあたしの横で満足げに笑っていた。本当にいつの間にそこにいたんだろう。

「それより早く門を開けるねね!」

「そうだった!」

 予備のカンヌキなんて用意してあるに決まっている。そうさせる前に門を開かなくちゃ!

 あたしとメルは急いで門を押し出した。

「ふぬぅ〜!」

「やっぱり重いね!」

 イナさんは黙ってそれを見ている。

 よく考えたらこんな大きな門をあたしとメルだけで押せるはずがないじゃないか。

 なんて考えていると、門の上半分が向こう側へ、ゆっくりと滑り落ちて始める。

「おーい! 危ないぞー! 離れよー!」

 イナさんが声をかける間も無く、向こう側の兵士たちは悲鳴をあげて離れていった。

 大門の上半分はそのまま向こう側へと滑り落ちていった。悲鳴が無いのが救いだ。

 これはひょっとしなくともイナさんの仕業だろう。

 あたしがカンヌキを斬ることに集中していたせいでいつ斬ったのか分からなかった。

 門を押したら向こう側に落ちるように切り口に傾斜をつけて斬ったんだ。

 アルファルファが並んで通れるくらい大きな門だというのに。

 イナさんには大きさも堅さも関係ない。

 斬ると言ったら斬ってしまうのだ。

 ――さっきは斬るって言わなかったけど。

「はじめからイナちゃんが斬ってたらよかったね」

 メルがそう思うのも無理は無い。

 でも、おかげで水御華をまた振るうことができた。

 イナさんは口には出さないけど、きっとあたしと水御華のことを考えてくれたんだ。

 だから尊敬できる。イナさんはいつでもあたしの目標なんだ。

「万事において抜かりなし、ということじゃな。こんな大きな門を斬る機会はそうそうないからのう。いやいや、チャレンジ精神は大事ということじゃ」

 腰に手を当てて満足げに笑うイナさん。かなりご満悦といった顔だ。

 しかし、そうこうしているうちに門の向こう側で兵士があたしたちを待ち構えていた。

「無駄話してる場合じゃないや」

「ふむ。立ち塞がるなら斬り散らすのみ、じゃな!」

「ここも正面突破ね!」

 戦場の方へ振り返るとインフィニット側もアンリミテッド側も拮抗しているようだった。

 数の上では圧倒的だったのに。これであのゾンビ兵がいなくなれば勝利は確定するはず。

「よしっ!」

 水御華を構え直して気合を入れる。

 未だに水御華に対する不安は拭い切れていない。けど、今は戦う時なんだ。

 ――水御華。あたしは信じるから、キミもあたしを信じて力を貸して。いつものようにやろう!

 水御華からは何も聞こえない。それは当然のこと。これまでやってきたように、一緒に戦うだけだ。

 あたしたちは下半分だけになった大門を飛び越え、兵士たちに向かって一斉に斬り込んだ。

「チェストォオオオオ!」

 イナさんが剣を横に薙ぐと前衛のうち十人近い人間が両断された。残酷なようだけど、こうでもしないと死してなお異能者によって動かされてしまう。

 ここは非情だけどイナさんに倣う他無い。

「私が先陣を切って突き抜ける! 二人は残りの敵を討て!」

 鬼神斬巌刀を振り回しながら駆け抜けるイナさん。

 イナさんが通ったところに敵は一人として立っていなかった。

「残りの敵って言われても……」

「誰も残っていないね」

 向かってくるインフィニットの兵士たちはことごとくイナさんの一撃にやられ、あたしたちはまだ戦闘に加われないでいた。

 その強さはまさに鬼神の如し。

 あたしたちは警戒しながらイナさんの後を追うだけ。

「とんでもない強さね。ウチが出会った人の中で一番ね」

「うん。頼もしくて心強いでしょ?」

「おかげでウチらの出番ないね」

「そうも言ってられないみたいだよ」

 あたしとメルの前にインフィニットの兵士たちが立ち塞がる。

 イナさんの鬼神斬巌刀は大剣を遥かに超える剣だ。味方であるあたしたちとはある程度の距離を置いて振るわなければならない。自然とあたしたちとは距離を置いてしまう。

 イナさんの剣が届かなかった敵があたしたちを狙ってくる。

「なら、今度はウチの番ね!」

 メルは足で砂を蹴ると同時に敵へ飛び掛った。

 砂にひるんだところへ同時に繰り出される蹴りに敵は反応できていない。

 腹、首、頭と蹴りつけ、敵が倒れる前に次の敵へ飛び移る。

 メルは相手が武器を持っていることに決して臆さず、流れるような動きで体術を繰り出している。まるで舞いのようだ。

 むしろ相手が素手だった方がまだメルの動きに反応できたんじゃないかと思える。

 メルが倒した兵士たちは二度と起き上がらない。

 それはゾンビ兵を操っている異能者が、死人しか操れないということを意味している。気を失わせるだけでいいんだ。

「二人とも、敵は怯んでおるぞ!」

「ウチらの敵じゃないね!」

 まっすぐ駆け抜けるイナさんと縦横無尽に動き回るメル。

 人数の差などはじめから感じさせない戦い方にあたしも奮起した。

「よぉーし! 今度はあたしが!」

 二人の後を追いかけながら水御華を振るって水を打ち出した。

 膨大な水量に兵士たちは他者を巻き込みながら吹っ飛んでいった。

 気を失わせれば操られることもないから、二度と立ちはだかることはない。そうと分かれば楽なものだ。

 水を操るあたしにとってはやりやすい。

 あたしは水御華を鞘の沙華月に納めると次の相手を探した。

 

 

-後編へ-

 


 

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