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EP1‐2 砂漠の聴取者-Listener- 前編

 

 

 新たにイナさんとロメリアを仲間に加えて、砂漠を進むあたしたち。

 とりあえず、旅の目的は目の不自由なロメリアの目を治すこと。それを可能とする異能者を探すこと。

 イナさんはそれに付き合う形で一緒に旅をしてくれている。

 それから砂竜アルファルファの幼獣ルル。

 ルルはロメリアの頭の上で悠々と過ごしている。すっかり懐いちゃってまぁ。あたしより馴染んでないかい?

 ダンベルギアの街を出て半日が過ぎた。

 辺りはすっかり夜の闇に溶け込んでいる。

 見渡す限りの砂漠の大地。

 そこに三日月の淡い光だけがこの世界を照らしてくれていた。

 この地方は夜も暖かい。陽射しがないだけでこんなに快適な気温になるんだ。

「ロメリア。おぬし眠そうじゃな?」

「う〜ん〜?」

 気が付くと、あたしとイナさんを挟んで歩いていたはずのロメリアがイナさんと共に少し後で立ち止まっていた。

 さすがに体力の限界らしい。眠たそうにうつらうつらとしている。ルルなんてロメリアの頭の上で既に眠っている。

「もうバッグに戻りなよ」

「ルゥ〜?」

 今にもロメリアの頭から落ちそうなルルを掴むと腰のバッグに戻した。ここがルルの寝床でもある。まだ幼いからか、ルルは寝ている時の方が多い。

「ロメリア?」

「は〜い〜……くぅ〜」

 こっくりこっくりやりながら返事をするロメリア。

 寝るには少し早い時間だと思うけど、砂漠の旅で疲れたんだろうなぁ。

「シノ。ロメリアをおぶるから斬巌刀を持っててくれぬか?」

 さらっとそんなことを言うイナさん。当たり前のように剣の柄をあたしに向けて差し出してきた。

 本人にとっては当たり前のことかもしれないけど、イナさんの剣は大剣を超える超大剣だ。大人の男でも持ち上げられないのにあたしなんかが運べるわけがない。

「む、無理ですよお。それならあたしがおぶりますから!」

「ふむ。そうか?」

 あたしはロメリアの前で屈むと、ロメリアは躊躇無くあたしの背中に身を預けた。

「ロメリア、大丈夫?」

「くぅ……」

「ありゃ。もう寝てるや」

 まだ小さいから仕方ないか。

 しかし熱帯に近いダンベルギアの街に住んでいただけのことはある。この暑さに一度も根を上げたりしなかった。

 かくいうあたしもそろそろ休みたいと思っていたところだ。休める時に休まないと、いざという時に動くことができなくなるし。

「さっきから見えておるのじゃが。あそこにあるのは村か?」

 あたしたちはダンベルギアから西に位置するミットという村を目指していた。

 イナさんが示したのはその道中、北の方角に見える村だ。

 あたしもさっきから目にしていたバックルという村だ。村と言っても、元・村だけどね。

「宿屋のおじさんに聞いたんですけど、あれは廃村らしいです。オアシスが枯れて人が住めなくなったとか」

 この辺りの気候は特に暑い方だから。オアシスが無くては村として存続することは難しい。村はオアシスの近くに作るものだから。

 逆に言えば元はオアシスが存在したということでもある。

 オアシスもやっぱり枯れることもあるんだなぁ。

「ふぅむ。しかしここで野宿するのは心許ないのう。背中を預けられぬとソワソワするぞ」

「そうですね。じゃあ元・バックルの村に行きましょうか。寝てるところに風で砂が飛んで来ると煩わしいですし。風化していなければ建物とかはそのままだと思います」

 いつ廃村になったのか聞いていなかったけど、遠目から見ても建物は確認できる。さすがにベッドや食べ物は期待できないだろうけど。ここで寝るより幾分かマシだ。

 西へ進んでいたあたしたちは北へと進路を変え、元・バックルの村を目指すことになった。

 視認できる距離とはいえ、到着までになかなかの時間を費やしていた。

 さすがのあたしも体力の無いままロメリアを背負っては疲れる。でもイナさんはロメリアより確実に重たい鬼神斬巌刀を運んでいるんだ。

 体の作りから違うのだろうか? イナさんの顔に疲労の色は見られない。終始涼しい顔をしている。

「む? どうした、シノ?」

 イナさんに視線をやると、こんな具合にかなり早い段階で気づかれてしまう。

 いざという時のために周囲へ気を向けているのだろうか。

「私の顔に何か付いておるかのう?」

「え〜と。あんまり疲れて無さそうだなぁとか思ったりして」

「ははは。私とて疲れもするぞ。この世界は他のどの世界とも違うからのう。常に陽の光に照らされておるし、砂漠もかなりの熱を持っておる。普段からこのような環境で旅をしているシノが凄いと思うほどじゃ」

 砂漠を旅するのは根無し草の宿命みたいなものだ。あたしはもうかなり長いこと旅を続けている。

 異能者狩りで両親を失ってから、帰る家も失ってしまったし。

 親戚とかもいるはずだけど、あんまり覚えがないや。

 それよりも、イナさんの語る他の世界というのが気になる。

「イナさんって、やっぱり別世界の人なんですね」

「ふむ、まぁのう……」

 こことは違う世界から来たとイナさんは以前に語っていた。

 遥か遠い場所を意味しているんじゃない。世界そのものが違うんだと分かる。

 それも異能の力なんじゃないかと思うこともあるけど。イナさんの口ぶりからとてもそうは思えない。

 別の世界から来たという話も、異能者のいるこの世界では特に不思議じゃない。

「別の世界のことなど、考えるだけ詮無きことじゃ。ここにいる以上、この世界で生きていくことだけを考えればよい」

「はぁ。それもそうですね」

 イナさんはあまり深く自分の世界の話をしようとはしない。

 そういうことそのものがタブーだったりするんだろうか。

 それとも、あたしが羨んだりすると思っているからだろうか。

 砂漠のない世界もあるんだって、もうイナさんの話から容易に想像できてるんだけどなぁ。

 あたしはそのことで悲観したり妬んだりしないと思う。この世界に生まれ落ちた以上、ここで生きていくしかないんだから。

 

「やっと着いたようじゃな」

 そうこうしているうちに元・バックル村に辿り着いた。

 廃村と言っても綺麗なものだった。今もまだ人が住んでいるんじゃないかと思うくらいに。

 灯りが一切無いってことはやっぱり誰も住んでいないということだろう。

 ただ、夜の村というのはそれなりに不気味さをかもし出している。夜の暗い闇が更にその雰囲気を強めていた。

 風が建物に当たっているのか、たまに聞こえるギギギという音も妙にあたしの恐怖感を刺激してくる。

「幽霊とか、出ないよね……?」

「シノはそんなものが怖いのか?」

 幽霊が怖いというのは自分でもちょっと女の子らしいなんて思ったりしたんだけど。イナさんにはそれすらないらしい。どこまでも無敵だイナさんは。

「イナさんは怖くないんですか?」

 自慢じゃないけどあたしは怖い。……ホントに自慢じゃないな。

「幽霊を、か? 我が剣は『断てぬ物無し!』をモットーにしておるからのう。例え幽霊でも斬れぬ気がせんのじゃ」

「斬れない気がしない、ですか」

 斬る斬らないの問題じゃないんだけどなぁ……。でも、イナさんらしいや。

 相手が幽霊だろうとなかろうと敵ならただ斬り伏せるだけという単純な答え。

 それができるだけの実力と自信が備わっているということだ。幽霊を斬れる自信がある人なんて他にいないだろうけど。

「そんなイナさんが羨ましいなぁ」

「そうか? シノも斬れるであろう?」

 本当に斬れるのが当然のような感覚で話している。イナさんはどこまでもイナさんだなぁ。

「幽霊を斬るなんて考えたこともないですよぅ」

 よく幽霊に触られたり捕まえられたりしたという話は聞くけれど、逆に触れたりはできないとも聞く。そんな相手に刀が通じるとは思えないし……。

 でもイナさんなら幽霊すら両断する場面が容易に想像できてしまうから不思議だ。

 そのうち空までバッサリ斬りかねないぞ。

「おぬしは少し自信というものが足りぬのう」

「幽霊を斬る自信がある人の方が珍しいですよ」

「そうではない。己の力量を見極めることは大事じゃぞ。そうでなくては水御華も不安になるぞ?」

「水御華が、ですか?」

 水を生み出す刀、水御華。

 ダンベルギアで雨を降らしてからというもの、あたしはまだ水御華から水を出すことができないでいる。

 力を酷使したためだと思っていたけど、イナさんの言うように水御華が不安がっているのだろうか。

 あたしは水御華を普通の刀と思えないでいる。

 単に水が出せるからという理由からじゃない。いつだってあたしの意志に応えてくれている気がするんだ。

 もしかして今は休めって言っているのかもしれない。それとも、休ませろの方かな?

「しばらく水を操れぬというのも修行になっていいと思うぞ。剣技のみで勝ちを収めてみよ」

「勝ちを、ですか……」

 イナさんはあたしの背中からロメリアを離すと、左脇に抱えた。

 そして右手で鬼神斬巌刀を担ぐと、ニコッと微笑んでみせた。

「え〜と、どういうことですか?」

「ロメリアがおっては満足に刀を振れぬであろう?」

「えっ、…………ええっ?!」

 イナさんは大きく息を吸い込むと、大きくハッキリとした声を響かせた。

「隠れても無駄じゃ! このイナ=シルバチオ=ボルダーン! コソコソと姿を見せぬ者に遅れを取ったりはせぬぞ!」

 その大声たるや鼓膜が破れるかと思うほどだ。

 しかし、今はそんな場合じゃない。

「どこかに敵が?!」

 あたしは慌てて腰の刀に手をやると周囲を警戒した。

 今になって気がついた。あたしたちには殺気が向けられている。

 それにしてもちゃっかり名乗ってるなぁ、イナさんてば。

「こぉの〜! 恥ずかしがり屋めぇ!」

「それは違うと思いますけど……。それにしてもロメリアはよく寝ているなぁ……」

 これだけイナさんが声を張り上げているのにロメリアはまったく起きない。よほど疲れていたんだなぁ。

「まあよいか」

「えっ、いいんですか?」

「うむ。向こうは相手をする気満々じゃからのう。こちらが動けば付いてくる。付いてこれば自ずと姿を見せるじゃろう」

「あっ。なるほど」

「向こうは離れ離れになった所を叩く作戦かもしれぬが、ところがどっこいじゃ。やつらの戦力も半減する。二人で十を相手にするよりも一人で五人を相手にする方が簡単じゃろう?」

「……本当に簡単そうに言いますね」

 口調は軽いけど、そんなことまですぐ考え付くイナさんはやっぱりすごいや。

 でもそれに見合うだけの実力が無ければできない作戦だ。

 平然と、まるで簡単なことのように言うイナさんに対して、あたしはできるかどうかと考えてしまっている。

 こういう時、さっきイナさんが言った自信というものが必要なんだろうなぁ。

「でもイナさん。ロメリアを抱えたままで大丈夫なんですか?」

 あたしの言葉に眉毛をピクリと動かすイナさん。

 な、なんか怖い雰囲気……。

「ほほぅ。言ってくれたのう? それならシノ。ロメリアを抱えたままおぬしも背負って戦ってみせようか?」

 この人はどうしてこう挑戦的なんだろう。自信があるのはよく分かったけど……。

「そ、そこまでしなくても……」

 イナさんにしてみたら実力を低く見られたように聞こえたのかもしれない。決してそんなことはないんだけど。

 右手に大剣と左手に女の子を抱えて戦えるなんて思えないのが普通だ。でもイナさんにはそれが失礼に当たるらしい。

 それにしても、あたしを背負って戦っても負ける場面が想像できないのはさすがイナさん、としか言いようが無い。

「さぁ乗れ! すぐ乗れ! 今乗れ! おぬしを背負ってこの戦場を駆け抜けてみせるぞ!」

「すみません! あたしが悪ぅございました! だから普通に戦ってください!」

「ならば気張れぃ! 水御華に頼らず己の剣技のみでここを凌いでみせよ! ただ前に、突き進むのじゃ!」

「は、はいっ!」

 あたしたちは刀を構えてバラバラに走り出した。

 相手はすぐに発見できた。闇に溶け込みながら建物の影を行き来する人影。

 静かな殺気があたしに向けられているのが分かる。

 その人影は一つじゃない。あたしが向かってくるのを知ったせいか。そこから二人の人間が出てきた。

 全身黒い格好で頭と顔にも黒いターバンを巻いている。体格からして男だろう。その手には刃物らしきものが握られている。いかにも暗殺者という感じだ。

 水御華を鞘の沙華月から抜くものの、やはり水が出る感じが伝わってこない。

 いつもなら意識していなくても抜刀時に水が滴り落ちてくるのに。

 あたしは手前の男に先制攻撃を仕掛けた。

 数が多いときはこちらが先手をとらないと!

「ハァアアアッ!」

 踏み込みの速度。抜刀から振り下ろしまでの流れ。どれをとってもバッチリだった。

 相手を仕留めるに足る一撃だ。

 まずは一人を仕留め、刀を返してもう一人の方へ……。

 そう考えていたのも束の間。

 

 ギィンッ!

 

 鉄と鉄がぶつかり合う音が耳に響いた。

 あたしと男の間に、もう一人の男が身を挺して割って入ったのだ。

 身を挺してといっても、その両腕に付けられた細く鋭いシールドであたしの刀をしっかりと受け止めている。

 この訓練された動きは暗殺ギルドで間違いない。こいつらはこの村であたしたちを待ち伏せていたんだ。

「こぉんのおっ!」

 盾の男へもう一太刀浴びせるも、あっけなく後へ飛んで避けられてしまった。そうかと思いきや、それと同時にもう一人の男が同じように割って入りあたしに詰め寄ってきた。

 男は右手のショートソードを水御華で受け止めると、すぐに左手のダガーが突き出されてくる。

 剣を受け止めたまま体をひねってそれを避ける。

 一人はその気になれば突き刺すことができるくらい先端が角ばっているシールドが二対。

 もう一人はショートソードとダガーをその軽量を生かして巧みに攻撃してくる。

 この両手に武器というのが嫌な印象をあたしに与えていた。

 ダンベルギアで戦ったベゼル=マージェスタを思い出さずにはいられない。

 男のショートソードを力で押し退け、その隙に一太刀浴びせた。――が、またも盾の男が割って入り、あたしの一太刀を受け止めてしまった。

 防御に長けた人間が防御に徹しられることがこんなにも厄介だとは思わなかった。しかもこっちは刀一本に対し、あっちは両腕に盾。

 攻撃はもう一人に任せているんだ。防御に徹することができるのも理解できる。

「ええい、もう! 鬱陶しい!」

 ヤケになったあたしは男のシールドに蹴りを入れてやった。

 男はそれを受け止ることもなく、また後へ引いた。予想外の攻撃にリズムを崩したのか、もう一人の男も一旦引いた。

 こんな戦いは初めてだ。なんてやり難い相手なんだろう。

 あたしの攻撃を盾の男が防御し、その隙に剣の男が攻撃する。

 攻撃が失敗したらその隙を盾の男が補い、受け止めている間は剣の男が攻撃に転ずる。この繰り返しだ。

 常に躊躇いなく前に前に出る戦法。

 この狭い間合いの中、獲物がショートソードとダガー、両腕に装備されたシールドなのも頷ける。

 つまり、リーチのあるあたしがこの中で一番不利なんだ。

 特に刀は剣と違って相手を押しつぶすことに秀でていない。あくまでも切っ先で相手を斬る武器だから。

 割ってさえ入られなければあたしにとって一番いい間合いなんだけど……。

 じりじりとあたしとの距離を詰める二人の男。

 着ている格好も体格も似ているせいか、それも混乱を誘っている。夜というのも結果的に奴等の味方となっていた。

 イナさんならどうするか。イナさんならイナさんなら〜――盾ごと両断している! ダ、ダメだ! 参考にならないっ!

 防具ごと両断できるなら最初から苦労なんかしていない。

 あたしの刀は水さえ出なければ普通の刀と変わらないんだから。

 どう攻めるか。それが問題だ。

 あたしたちは互いに相手の出方を伺っていた。

 次の一手を考えていると、砂漠を走る音がこっちに向かってきた。

「シノ! 大丈夫か?!」

 暗闇の中、目で確認できるところにイナさんがやってきていた。他に四人の敵を相手にしながら。

 あたしたちの睨みあいが続いて刃のぶつかる音がしなくなったせいかもしれない。心配して駆けつけてくれたみたいだ。

 ロメリアを片手で担ぎながら、たった一本の剣で四人の敵に対して俊敏に対応している。

 その四人ともがあたしの相手のような装備をしている。

 盾の男が二人に剣の男が二人。盾が四つに剣が四つ。イナさんの腕一本で八つの腕を相手にしているようなものだ。

 とてもあたしの心配をしている場合じゃないように見える。

「イナさん!」

 あたしが叫ぶと同時に、目の前の男たちはそれを機に再び飛びかかってきた。

 男たちは両腕を後ろに回して左右に動きながら向かってくる。

 これじゃあ、どっちがどっちか分からない!

 最初は攻撃か、それともこちらに先手を譲って盾で防ぐつもりか。どっちが先頭に立つのか見極めなければならない。

 盾の男が防いだらさかさず剣の男が攻めてくるから――あっ、そういうことか!

「ええい! ならば先手必勝ぉ!」

 言うや否や。あたしは盾の男に向かって刀を振り上げた。

 盾の男は一歩前に出てあたしの一太刀を受け止めようとする。そのために、防御のみに特化しているのだから当然だ。

 あたしにとっては刀を振り下ろすには絶好の間合い。それはさっきの戦闘で男も分かっている。

 振り下ろされるあたしの刀に、盾の男は腰を低くして両方のシールドを構え、確実に防ぐことを可能とした。

 ――が! あたしは刀を振り下ろさず、更に一歩前に踏み込んだ。

 男との距離が更に縮まり、あたしより盾の男の方が有利な位置取りになる。

「何ぃ?!」

 盾の男と距離を詰められるだけ詰めて、あたしは刀を横へと薙ぎ払った。

 刀は盾の男の頭上をすり抜け、その右後方にいた剣の男の肩に食い込む。

「ウオォッ!」

 手応えがあった。これで右腕は使えないはず。

 剣の男へ攻撃すれば盾の男が防御に回る。けど、盾の男へ攻撃した時は盾の男は自分しか守れない。

 そして次の一手に出ようとする剣の男は前に出ている。あたしも前に出れば、そこは刀の間合いだ。

 前へ前へ出る戦法に慣れていた結果、容易に刀の届く範囲に入ってきてくれたわけだ。

「クソッ!」

 盾の男は両腕を突き出してあたしの体目掛けて盾を突き出す。

 その手で来るには遅すぎる。

 あたしは既に警戒して横へ飛んで間合いを離していた。

 更に間合いを離すと盾の男は攻撃を繰り出してこなくなった。

 男は動かない。あたしの攻撃に対応しようと警戒を強めているのだろう。

 しかし、それもそれまでのことだ。

「ふっ!」

 次の瞬間には、あたしの刀が男の両腕の盾の間をくぐり抜け、男の腹に食い込んでいた。

「――ハッ、グアァッ!」

 刀を引き抜くと盾の男は腹を抑えてのたうった。

 出血は多いけど痛みに反して傷は浅いはずだ。内蔵も傷つけていない。

 横槍さえ入らなければ攻撃に集中できる。

 狭い間合いで反応できるよう小さい盾を選んだことが逆に仇となったようだ。あたしの剣閃を追えぬまま、細い盾でカバーしきれなかった結果がこれだ。

 残るは剣の男だけだ。

 傷ついた右腕ではショートソードを構えることもできていない。左手のダガーだけでは勝負にならないはず。

 あたしは水御華の切っ先を男に向けて言い放った。

「勝負ありだよね? この人の傷は深くない。早く退いて治療してあげなよ!」

 剣の男は盾の男に視線を移すと再びあたしを見た。

 その左手に握られたダガーを離し、盾の男の襟首を掴んだ。

 ――これでこっちは決着、か……。早くイナさんの所へ行って助太刀しないと……。

 ほっとしたのも束の間。

 ぞわぞわと背筋に悪寒が走った。

 見ると男の目はあたしを見て笑っているように見えた。

「シノッ!」

 イナさんの声を聞いた。

 そう思った瞬間、剣の男は盾の男をあたしに放り投げた。

「ええーっ?! ちょ、ちょっと?!」

 投げられた盾の男を思わず抱きとめてしまった。

 盾の男の背中から妙な音と変な臭いがする。

 この臭いは――火薬だ!

 慌てて盾の男を引き離そうとするも、盾の男にはその覚悟ができているのか、あたしの服を掴んで離さない。

 ――暗殺ギルドってなんなのさ? 自分が死んででも相手を殺そうとするだなんて!

 くそぉ。こんな時、水御華から水が出せたら……。

「離れておれ!」

 イナさんの声を聞いた。

 そう思った時、目の前でイナさんの着物がゆらめいていた。

「一刀両断ッ!」

 あたしにしがみ付く盾の男の両腕が、イナさんの鬼神斬巌刀によって盾ごと両断された。

 盾の男は背中から地面に倒れ、砂漠の地面に埋もれると、ドォオオオンッという激しい音とともに爆発した。

 大量の砂が大きく高く巻き上げられ、周囲の砂までも大量に吹き飛ばしていた。体に飛び掛る砂が地味に痛い。

 その爆発から。相棒は巻き込まず確実に一人で一人を殺すつもりだったんだろう。こんなことをする人間の気が知れない。

 しかし、それで終わりでは無かった。

 男が爆発したところに大きな穴が空いてしまった。

 砂漠ごと飲みこむかのように砂は穴へと流れ、穴はどんどん広がっていく。

 このままではあたしたちの足場も危ない。

 すぐに離れようと試みた時。まだ村で潜んでいた敵が数人、あたしたちに一斉に飛び掛ってきた。

 開いた穴の中へ引きずり込もうとしているのか。これは奴等の作った穴だったのか?

 こんな時、水御華の力が使えたら水でまとめて吹き飛ばしてやるのに……。

 ダメだ。さっきからできもしないことを願ってばかりだ。

「シノ! 奥義を使うぞ!」

 イナさんに何か考えがあるらしい。

 未だロメリアを抱えたままで鬼神斬巌刀を構え直した。

「は、はい! お願いします!」

 この一刻を争う時こそ、イナさんだけが頼りだ。

 イナさんの奥義はまったく想像できない。

 きっと物凄い技なんだろう。

 あたしは安心して刀を構え、イナさんの奥義を待った。

「必っ殺ぁっ! シノキャノン・スペシャル!」

 

 どげしっ!

 

「あいっでぇええええ?!」

 腰のベルトの辺りを思いっきり蹴り飛ばされ、あたしはそのまま飛び掛る敵のうち二人を押し倒して突っ込んだ。

 残りの敵は気にせず一斉にイナさんへと飛び掛かる。

「イ、イナさん!」

 

 キィイイインッ!

 

 イナさんは四方八方からの攻撃を、身を屈めつつ鬼神斬巌刀ですべて受け止めていた。

 その刹那。ドガンッ! という激しい音が辺りに鳴り響いた。

 脆くなった所へ急激に圧し掛かった人間の重みに耐えられなくなったんだ。

 地面は崩れ、イナさんたちは地面の下へと落ちていった。

「イナさん!」

 慌てて駆け寄って穴を覗くも、夜の闇もあって底がまったく見えない状態だった。

 とても昇れるような高さではないと分かる。

 砂漠の下にこんな抜け穴を用意していたなんて……。

「シノお姉ちゃあん!」

 ロメリアの声がする。さすがにあの騒ぎでは目も覚ますか。

「大丈夫―?」

「シノ! 後ろじゃ!」

 振り返ると盾の男が二人、じりじりとあたしに近づいていた。

 まさかこの組み合わせで残るとは思わなかった。

 それは向こうもそうらしい。なかなか攻撃しようとしてこないのがその証拠だ。

 しかしこんな暗がりでよく見えたものだ。さすがはイナさん。

「シノ! 西じゃ!」

「え、なんですか?!」

 イナさんの声に振り返ろうとすると、それを機に盾の男たちは同時にあたしに向かって飛び掛ってきた。

 双方とも両腕の盾を同時に突き出し、上下左右からあたしに盾を繰り出す。

 盾同士のコンビネーション。そういうのも想定して訓練されているみたいだ。

「そんなもの!」

 あたしは大きく水御華を振った。

 男たちの前で刃が一閃する。

 しかし、水が出なければそれは単なる空振りにしかならなかった。

「しまったっ! 水が出ないんだった!」

 今のあたしはただの人間だ。異能者として力を使いすぎたため、水御華から水を出すことができないんだった。

 こんな時にそんなことを忘れるなんて!

 ――まずいっ!

 この機会を見逃すやつらじゃない。鋭く角ばった盾は容赦なくあたしの眼前へ突き出される。

 首をひねってその一撃だけはかわそうとするも、他の攻撃は避けられない。

 繰り出される盾はあたしの体へと容赦なく突き立てられる。

 ……かと思いきや、なんと男たちの攻撃は一つとしてあたしには届かなかった。

 男たちは一斉に後ろに吹き飛んでいた。

「大丈夫だったね?」

 あたしたちの間に割って入ったのは女の子だった。

 女の子はいつの間にかあたしの前に出ると、左右の足で男たちの胸板を蹴り飛ばしていた。とんでもない運動神経だ。

「それとも大丈夫じゃないね?!」

「え、ああ。ごめん、おかげさまで大丈夫だよ」

「そうね。それは良かったね」

 ニコッと八重歯を見せて笑いかける女の子。思ったよりも若そうだ。

 栗色の髪と左右のもみあげ部分に民族的な髪飾りが特徴的で、服装も民族的なものを匂わせる薄地の格好をしている。

 そのあどけない顔立ちからあたしよりも年下だと分かるものの、それとなく発育している胸を見ると、世の中ふびょーどーだなーとかなんとか思ってしまう。

「いくら武器が多くても人数は変わらないね。ちゃんと見極めないとこの世界じゃ生きていけないね」

 女の子はそう言って腕を組むと、チッチッチと指を振ってみせた。この子はこういうことに慣れてるんだろうか?

「いやぁ。分かってはいるんだけど、やっぱり普段と違う戦い方をしてるもんだからね……ってそんな場合じゃないや!」

 男がもう一人の男を立ち上がらせ、あたしたちを前にして構え直した。どこまでも集団戦法を使うつもりか。

「こいつらインフィニットの暗殺ギルドね」

「えっ……?」

 そうだ。こんなことに見知らぬ女の子を巻き込んじゃダメだ。

 下手をしたらあたしの仲間だと思われて一緒に狙われてしまうかもしれない。

 あたしはいきり立って女の子の前に立つと、男たちに向かって刀を向けた。

 異能者のあたしを狙ってきたんだ。この子を巻き込むわけにはいかない。相手になるのはあたしだ!

「さぁ、どこからでもかかって来ぉい!」

 すると、なぜか女の子はあたしの横に立つ。

「ごめんね。巻き込んでしまったみたいね」

「えっ?」

 ――この子。自分が巻き込んだと思っている。ひょっとしてインフィニットに狙われる側……異能者?

 女の子は悲しそうに笑うと次の瞬間、男たちの方へ駆け出した。

「てりゃあぁ!」

 標的を一人に絞り、一気に間合いを詰めて蹴りを繰り出す女の子。

 しかしその蹴りは割って入ったもう一人の男の盾によって防がれてしまう。敵はあくまでもこのスタイルを貫くつもりか。

 とことん相手を守ることに特化しているらしい。

 確かに自分の視界で見るより第三者の目で見たほうが視野も広いし的確に守ることができる。理に適った戦術だ。

 それでも女の子は構わず攻撃を続けた。

「ちょいっ!」

 女の子の二度目の蹴りが盾で防がれると、女の子はうねるようにその腕に足を絡みつける。そのまま体全体をねじると、男はあっさりと地に伏せられてしまった。

 そして相手の体を這うようににゅるっと背中に回ると、男の首に腕を絡めてあっさり意識を飛ばした。

「ホイ。まず一人ね」

 蹴りが盾によって防がれてからほんの数秒の出来事だった。

 女の子のそれは武器を必要としない体術だ。

 滑らかで自然な挙動には引き付けられるような魅力がある。

 盾の男の両腕が武器なら、この子の両手両足、体のすべてが武器と言えるかもしれない。

「くっ!」

 残った男は女の子に向かって盾を突き出そうとした。

 でもそれは違う。男が狙っているのはやられた男に背負わされている爆弾だ。

「させないよ!」

 あたしはすぐに駆けつけて刀を振るった。が、男はあたしに気づくとあっさりとそこから離れてしまう。

 むなしく空振るあたしの刀。今日はちっともいい所が無い。

「仲間の命まで武器にするあんたたちに言っても無駄かもしれないけど、これ以上やっても無駄だよ。命を無駄にして何の得があるのさ!」

「…………」

 男は答えない。一歩後ろへ下がり、また一歩後ろへ下がるとあたしの方をじっと見つめた。

「逃がしちゃうのね? また殺しに来るね!」

「そうかもしれない。でも、もしかしたら来ないかもしれないじゃない?」

 もしかしたらというより、できれば本当に来て欲しくない。

 命を狙われるのなんてちっともいい気分じゃないから。

「ウチにはそんな考え方できないね。ウチは異能者だから、何度も何度も殺されかけているね」

 そっか。やっぱりこの子は異能者なんだ。だからあたしを巻き込んだと思っていたんだ。

 あたしがこの子を異能者だと分からなかったように、この子もあたしを異能者だって分かっていない。

 それでもインフィニットは異能者を狩る。どうやって区別しているかは分からないけど。確たるなにかがあるようだ。

「あ。行っちゃうね!」

 女の子の言うように男は一人で逃亡してしまった。そばで横たわる仲間を置き去りにして。

 ベゼルにしろこいつらにしろ。暗殺ギルドの実力はとんでもない。できればもう関わりたくないなぁ。

「ふぅ。疲れた〜」

 その場に腰を下ろすと、いつの間にか女の子もあたしの横にしゃがんでいた。

 不思議そうにあたしを見回し、スンスンと匂いまで嗅いでくる。まるで動物のようだ。あたしにはそれが可愛く感じる。

 動物とか小さい女の子にはよく懐かれるんだ。

「ね? お姉ちゃんも異能者なのね?」

「うん。一応ね」

 異能者も異能者を嫌う傾向があるけど、この子はそうじゃないみたいだ。とても人懐っこい顔を覗かせている。

「あたしはシノ=カズヒ。砂漠を旅してるんだ」

「シノ=カズヒ、ね。ウチはメルセレス=シュトラーセね。みんなはメルって呼んでるね」

「みんな? ってことは一人じゃないんだ。メルちゃんは」

「メルでいいよ。シノちゃん」

「うん?」

 メルは呼び捨てでいいって言ったのに、あたしのことはちゃん付けで呼ぶんだ?

 なんか変な感じだな。でもまあいいか。なんだかそれがメルらしい気がするし。

「メルの体術はすごいね。誰から習ったの?」

「ウチはじーちゃんに教えてもらったね」

 その場でブンブンと拳を振るうメル。

 冗談抜きでその素振りは目にも留まらぬ速さ。暗殺ギルドを倒せるという実力は本物のようだ。

「へぇ。おじいさん強いんだね」

「うん! じーちゃんはウチらの中で一番ね!」

 よほどそのおじいさんが好きなんだろう。メルの顔が今までで一番綻んでいる。

 あたしのおじいさんやおばあさんはいるのかな? 生前の両親から聞いたことが無いや。

「シノちゃんは異能者なのね? 何ができるね?」

「うーん。今は何にもできないんだ」

 ダンベルギアの街に雨を降らした――なんて言って信じてもらえるかな? おかげで今は異能者としての力がカラッポだ。

 それなのに暗殺ギルドの連中に狙われたってことは、異能者だからじゃなく、あたしをシノ=カズヒと知って狙ったってことになるのかな?

 これはますますあたし個人がインフィニットに狙われていると考えることができてしまう。いわば一大国家を敵にするようなものだ。

 それもこの広大な砂漠を前にすると小さく見えるけどね。フードで顔を隠せばなんとかなるだろう。

 そういえばメルも異能者だって言ってたけど……。

 さっきの戦いを見るとそんな風には見えない。戦う異能者が戦いにその力を使わないのも珍しい。

「あのさ。メルはどういう異能者なのかな? 答えたくなかったらいいんだけど……」

 あたしは少し躊躇しながらそのことを問う。

 異能者の中には自分が異能者であることを否定したい人もいる。メルからはそんな感じはしないけど、下手に聞いて怒らせたことが過去にあるからなぁ。

「ウチはねぇ〜」

 メルはそっと目を閉じると耳に手をやった。何かを聞くような素振りをしているのは分かる。

 あたしもメルのように耳を澄ませてみるも、特に変わった音は聞こえない。メルは何を聞いているんだろう。

「何か聞こえる?」

「うん。聞こえるね」

「メルには何が聞こえているの?」

「ウチにはね。砂漠の声が聞こえるね!」

「砂漠の……声?」

 それは凄い。こんな広大な砂漠の声が聞けるなんて神にも等しいように思える。

 世界の大半を占めるこの砂漠が、いったい何をメルに伝えようとしているんだろう。

 あたしは地面の砂を掴むと地面に振り撒いた。

「この一つ一つから声がするのかな?」

「それはうるさそうね。砂漠の声は一つね。この一つ一つからも声は聞こえるかもしれないけどね。砂漠はほとんどみんな同じ意志ね。どの砂漠に聞いても同じ答えが返ってくるね」

「例えば今、砂漠はなんて言ってるのかな?」

 メルは再び耳を澄ませると、砂漠の声を聞いたのか。クスッと笑った。

「暗い、って言ってるね」

「夜だから?」

「たぶんね」

 砂漠に目があるんだろうか。それとも目が無くとも視えているのかな? もっと神々しい言葉を期待していたんだけど……。

「普段はなんて言ってる?」

「暑いって言うね」

 暗いとか暑いとか。砂漠はなんて大雑把なんだろう。

 そんなこと聞いてるメルの身にもなってもらいたいものだ。

 常に聞かされてるっていうよりもメルが聞きたい時に聞いているようだからいいけど。最初からそうだとは限らない。メルだって自分の能力に悩んだりしたと思うから。

「ね? こんな風に砂漠の声が聞こえるね」

「あはは。まさか砂漠が暑がってるとは思わなかったよ」

「うん。ウチらも暑いもんね」

 確かに砂は太陽の熱を帯びて熱くなるけど……そっか。昼間の熱い陽射しも、砂漠は好きで浴びてるわけじゃないのか。

 世界が砂漠だらけになった時、砂漠はなんて思ったんだろう。仲間が増えたとか、かなぁ?

 もしもメルの聞いている言葉が砂漠じゃなくてこの大地のすべてだったとしたら、きっと悲しんだだろう。緑豊かな自然が砂漠になってしまったんだから。

 緑豊かというと大きなオアシスくらいしか想像できないけど。砂漠じゃない世界ってそもそもどんな姿をしていたんだろう。

 緑豊かだったという伝承はあるけど。もう二百年以上もこんな世界だから今じゃ誰も知らないんだ。

「逆にさ。メルは砂漠に言葉を伝えることはできるの?」

「それはできないね。踏んだり潰したりしてもイタイって言わないね。ウチらには砂漠に何かをすることもできないと思うね」

 暗いとか暑いとかは言うのに、痛いとかは言わないんだ。

 砂漠が発する言葉の基準が全然分からないや。

「ふーん。水を与えて見てもそうなのかな?」

「水ね? シノちゃんは何ができるの?」

「あたし? あたしは――」

 この刀、水御華を使って水を操ることができる。

 そう言いかけたところであたしは口をつぐんだ。

「これは――?!」

 ゾクゾクする背筋。凍てつくような視線。急激に押し寄せる緊張感があたしを飲み込んだ。

 ――間違いない。アイツだ。アイツしかいない……。

「シノちゃん? どうかしたのね?」

 辺りを警戒すると、そいつは堂々とこちらを見据えていた。

 同じ暗殺ギルドのベゼル=マージェスタ。

 その腰には二本の剣が携えられている。

 あたしの視線を感じたのか、ゆっくりとこちらに向かって歩みを進める。

「あいつ、悪いヤツね?」

「ダメだよメル。あいつと戦っちゃダメだ」

「でもウチらを殺すつもりね。きっと暗殺ギルドね。それにシノちゃん、すごく辛そうね。あいつに酷いことされたね?」

 あたしは知らず知らずのうちに自分を抱いて震えていた。

 それでもベゼルから目を離せない。あいつの一挙一動を見逃すことが怖い。

 圧し掛かるプレッシャーは半端なものじゃなかった。

 まだあたしの中にはベゼルに対する恐怖が渦巻いている。

 右腕を斬り飛ばされかけたこともあれば、斬り殺されかけたこともあるんだ。あの時の光景が嫌でも思い出してしまう。

 それに今は水御華から水が出せない。剣術だけであいつの相手をするなんてこと、できる気がしない。

 かといって、ベゼルから逃げることができるとも思えない。

「シノちゃん……」

「大丈夫。大丈夫、だよ」

 そんなあたしの言葉も震えていたら説得力というものがない。

 でも、怖いのだ。あんな男とまた戦わなくちゃならないという事実が……。

「あいつはウチが倒すね!」

「あっ! ダメだよ! メル!」

 腕を伸ばすもメルには届かない。

 ベゼルに向かって駆け出すメル。

 そのスピードは体術に心得があるだけあって速い。

「…………」

 ベゼルは無言のままメルに視線を送った。

 興味もなにもない冷たい目。

 ぐっとベゼルの肩が動いたと思った刹那、ベゼルは両手に剣を握っていた。

 完全に臨戦態勢だ。ベゼルが剣を持つだけで威圧感が増幅されるみたいだった。

 それもでメルは構わずベゼルへ向かって飛び掛る。

「チョイナァ!」

 大きく宙を舞うメル。

 そこはベゼルの間合いの外、ということは素手であるメルの間合いの外でもある。その目前で、メルは砂漠の地面に向かって大きく足を払った。

「砂よ轟くね! 砂渡波舞(サンド・ウェイブ)ね!」

 メルの蹴りが膨大な砂という砂を押し上げ、波となってベゼルに襲い掛かる。

 砂のカーテンがベゼルの体を隠しているため、その動きはこちらからは見えない。

 けれど、あたしには次にベゼルがどういう行動を取るかわかっていた。

 押し上げられた砂の波はベゼルによって×の字に斬り裂かれ、パラパラと元の砂漠へ戻っていく。

「チョア!」

 未だ砂が舞う中、身を屈めて砂にその姿を消していたメルがベゼルの攻撃後の隙を狙って蹴りを繰り出していた。

 真正面からというのはメルらしいのかもしれない。けれど、それで倒せるほど甘い相手じゃない!

 あたしは急ぎメルの所へ駆け出していた。

 メルの蹴りを剣で受けようとするベゼル。もちろん剣で受ければ素足のメルにダメージが行く。

 しかしそれがわずかに間に合わず、メルの蹴りでベゼルの右の剣が手から飛ばされた。

 それでも薙ぎ払われるベゼルの左の剣がメルの髪をかすめる。

 この隙に更に蹴りを食らわせようと踏み込むメル。

「チェイッ!」

 この時はじめてベゼルの目が光を見せたような気がした。

 ベゼルの右腕が動いたところであたしはその危険を感じる。

「メル! 危ないっ!」

 ベゼルの払った左の剣がそのまま飛び込んできたあたしに向かって伸びる。

 それを水御華で受け止めると同時に、あたしはメルの腕を掴んで思いっきり手前に引き寄せた。

「えっ?!」

 ベゼルの右の剣がメルの居た場所に振り下ろされ、地面の砂を大きく巻き上げていた。

 あたしとメルは既にベゼルから大きく間合いを離している。

 メルはあの早業を前に目を見開いていた。

「あっちの剣、ウチが飛ばしたはずね……?」

「ベゼルは左の剣を振るいながらメルに飛ばされた右の剣を後ろで掴んでいたんだよ。メルからは死角になっていると知りながらね」

 もしかしたらベゼルはその気になればいつでも飛ばされた剣を掴めたのかもしれない。そうしなかったのはメルを誘うため。それくらいのことはやってもおかしくない男だ。

「ウチは……斬られていたね? 殺されていた……ね?」

 悔しそうに唇を噛むメル。

 そこにはあたしのように恐怖は見えないけれど、ベゼルの実力を身に染みて感じとったらしい。

 メルはさっきのようにすぐに攻撃しようとはせず、どう戦うか考えているように見える。

 二対一だというのに有利さが微塵も感じられない。

 相手が双剣使いだからということだけじゃない。

 ベゼルの周囲には冷たい空気が張り詰めていて、近づけば近づくほど寒く感じるんだ。

 それは確実に相手を殺すという殺意と、必殺の間合いから生まれる冷気。悪寒。決して踏み込んではいけない剣の結界。

 こういう人間は他に知らない。唯一無二の殺人鬼だ。

「シノちゃん。どうすればいいね? どうしたら勝てるね?」

 メルの体術はすごい。けど、攻撃の間合いは一番狭い。

 ベゼルの二本の剣を受けずに避け続けて、懐まで入らなければならない。

 メルもそれが分かっているから迂闊に近寄れないんだ。

 二対一でも武器の数はベゼルの方が上だ。

 水御華から水が出る感覚がまったく伝わってこないし、現状ではこのまま戦うことしかできないか……。

 ――いやいや、そんな考えがダメなんだ。さっきもメルが四本の突き出す盾を前に足二本で相手をしていたじゃないか。

 相手の剣は二本。でも、……ベゼルは一人なんだ。

「シノ=カズヒ……」

 ここにきてやっと口を開くベゼル=マージェスタ。

 狙いはやはりあたしか。

 それに刀である水御華もまだ狙っているかもしれない。

「なんであんたがここにいるのさ!」

 あたしは声を振るい上げていた。

 さっきのように震えていないのが自分でも不思議だった。

「貴様。なぜ水を使わない?」

 やっぱりあいつの興味はあたしじゃなくて刀の水御華だけか。それなら意地でも答えてなんかやるもんか!

「さっきのヤツらの仲間なの?!」

 あたしは逆にベゼルへ質問した。

「それで勝てるとでも思っているのか……?」

 当然。ベゼルがあたしの言葉に答えるはずがない。

 それがますます気に入らない。

「あたしが一人になるところを狙ってきたなあ? この卑怯もんっ! それでも暗殺ギルドか!」

「ちょっと、シノちゃん」

 メルはいつの間にかクイクイッとあたしの袖を引っ張っていた。

「会話が噛み合ってないね」

「いいんだよ。だってベゼルは人の話なんか聞かないんだもん。一方的に話しちゃってさぁ」

「今のシノちゃんもそうだったね……」

 ベゼルはあたしにではなく水御華の方にしか興味がない。

 だからあたしの言葉に答える気なんてないんだ。会話が成立するはずがない。

 それだけ自分の実力に自信があるんだろう。一分後には死んでる相手と話す必要は無い。なんて考えてそうだし。

 だからか、少しムキになってしまった。

「なんであたしを狙うのかくらい話してくれてもいいのに」

「数秒後に死ぬ運命の者と、言葉を交わす理由など無い」

 一分後じゃなくて数秒後だったか。

 くっそぉ〜。完全に小物扱いだよ。嫌なヤツ!

 でもこうして話してみるとベゼルに対する恐怖よりも悔しさと鼻を明かしてやりたいという気持ちの方が強くなっていた。

 この男にだけは絶対に負けたくない!

 イナさんならきっとベゼルをやっつけられる。イナさんを目指しているのなら戦え、シノ=カズヒ!

「よぉーし!」

 あたしは刀を構え直し、ベゼルを見据えた。

「メル。さっきの技、もう一回できる?」

「できるね。でも、同じ技が通用する相手とは思えないね」

 並の人間ならともかく、ベゼルが相手なら尚更そうに違いない。同じ技をまた食らってくれるほど気の効いたヤツでもなさそうだし。

 でも、たった一回でその技のすべてを見抜けるはずもない。同じ状況下で無ければ、また違ってくるはず。

 メルと力を合わせることでこの場を凌ぐことができるはずだ。

「今度は二人で行くから、あいつを出し抜ける。きっと大丈夫だよ。メルの技はすごいもん」

 あたしの言葉にパァと明るい顔をするメル。

 こんなメルを危ない目にあわせるわけにはいかない。

「うんっ! わかったね!」

 二人なら大丈夫だというものでもないけれど。メルはあたしの考えに力強く頷いてくれた。

 メルもあたしと同じく殺されてなんかやるもんかという思いがある。

 それはむしろあたしより強いかもしれない。そのせいか、あたしもメルのように足掻きたくなっていたのだ。

 ――絶対に、負けない! 負けたくない!!

「行くよ、メル!」

「オッケーね!」

 あたしたちは同時にベゼルの元へ駆け出した。

 大きく水御華を払い、ベゼルに向かって叫んだ。

「ベゼル! 水御華の本当の力、見せてあげるよ!」

「…………」

 ベゼルの視線がわずかに水御華のほうへ動くのがわかる。

 この刀剣マニアめ! それに足元をすくわれたらいいんだ。

 あたしは明らかに遠い間合いで刀を抜くと高らかに掲げた。

 ベゼルは双剣を握ったままピクリとも動かない。

 あたしの技を繰り出した後でも充分に反応できると思っているんだ。

「水よ唸れ! 奥偽・水刃の太刀!」

 上から下へ、水御華の剣閃が空を斬り裂く。

 ベゼルの目は確かに刀の切っ先を追い、それに対して僅かに体を強張らせた。

 あたしは異能者として力を失ったままだ。水御華からは当然、水など出やしない。だからこそ奥()ではなく奥()なんだ

 しかしベゼルには水が出るかどうかなんて分かるはずがない。

 これまで、ここぞという時に水を使っていたことにベゼルだって気づいているはず。

 だからこそ、迷いが生まれる。

 水御華の切っ先から水は出なかったという、その何も起こらないことにかえって警戒が強まる。

 ベゼルの両腕がわずかにビクつき、動きに迷いが生じた。

 刀剣マニアであることがヤツの死角。そこが勝機だ!

「メル!」

「砂渡波舞(サンド・ウェイブ)!」

 水御華から水は生まれなかった。その結果と同時にメルの放つ砂の波がベゼルへ追い討ちをかける。

 わずかに判断を見誤った結果、頭から大きく砂を浴びるベゼル。

 両方の剣で砂の波を斬ろうとするも、押し寄せる砂の質量を前に、完全に動きを鈍らせていた。

 この隙を逃すあたしたちじゃない!

「覚悟! ベゼル=マージェスタ!」

 身を低くして刀を突き出すあたし。

 これなら長身のベゼルが剣を薙ぎ払っても避けられる。

 間合いに入ったら水御華を斬り上げればよしだ。

 あのベゼル=マージェスタに対し、勝ちを得ることができた。

 あたしたちの勝利だ!

 そう確信していたのも束の間。

「あっ! シノちゃん!」

 メルは両足をあたしの肘に絡めると、体をひねってあたしの体を地面に落としてしまった。

「うわあぁっ?!」

 まっすぐベゼルに向かって突撃していたのに、メルによってあっさり動きを止められるあたし。

 メルの行動が理解できないあたしは混乱していた。

「どうして?! 何が――」

 メルに向かって叫んだと同時に、ベゼルの足元から巨大な何かが飛び出してきた。

 

 ゴバァアアアアア!

 

「クチ? 巨大なクチだ!」

 砂漠ごとベゼルを飲み込もうとする巨大なクチが砂漠の下から飛び出してきた。

 ベゼルはというと、後ろへ数歩下がってそれを難なく回避していた。

 大きな口はそれだけで2メートルはありそうだ。あんなものに噛み付かれたら無事じゃ済まない。

 メルが止めてくれて本当によかった。

「ありがとうメル。なんで分かったの?」

「砂漠がね。何か来るって教えてくれたのね」

「そっか。じゃあこの変なのは砂漠にとってもイレギュラーなんだね」

 その巨大なクチはガチガチと歯を噛み合わせて獲物の味を確かめているようだった。

 しかし、そのクチから溢れ出るのは砂漠だけ。

 あたしもベゼルも食べられていないのだから当然だ。

 クチの先端にある岩のようなものから二本の空気が吹き出る。

 見る限りあれが鼻のようだ。鼻をヒクヒクと動かし、獲物を探しているみたいだった。

「あれは何だろう? ガンマルマっていう岩竜(がんりゅう)にも似ているけど……」

 暗がりで体の色がハッキリしないけれど、あの形態は砂漠で何度か見たことがある。

 砂竜アルファルファが空を飛ぶ竜なら、岩竜ガンマルマは砂漠という海を泳ぐ竜だ。

 普段のガンマルマは砂漠の中から鼻先を出すことで岩に擬態化して獲物を狩っているけど、こんな風に狙って飛び出してくることはありえない。

「シノちゃん。あれはガンマルマの魔種ね」

「魔種? もしかして魔獣のこと?」

 世界が完全に砂漠へと変わった時、突然変異で生まれたといわれるドラゴンたち。その中には人間を襲う種族もいた。

 見た目が他のドラゴンと変わらないのに性格がかなり凶暴なため、亜種ではなく魔種と呼ばれている。

 近年では魔獣という言い方で統一されつつある存在だ。

 他のドラゴンたちは人間に対してとても友好的なのに、魔獣たちは人間のことを敵視している。

 魔獣に殺された人間も少なくは無い。

「ガンマルマの魔種か。初めて見るよ」

「岩竜の魔種、磐竜(ばんりゅう)デルタルタと言われているね。あいつは好戦的で誰彼構わず噛み付いてくるね」

 ガンマルマは人を襲わない。砂漠に潜って狩りをする常態にない限りは。

 それに比べてこのデルタルタはどうか。明らかにベゼルの足元に忍び寄ってきていた。

 魔獣がなぜ人を襲うのかは解明されていない。

 しかも成獣の竜たちの鱗は並の剣士じゃ歯が立たないくらいの強度を持っている。体も大きいだけにやっかいな相手だ。

 剣が通じないという点ではベゼルも同じはずだけど……やはり興味のない目で目の前のデルタルタを見ている。

 どうせ『俺の方が強い』と敵にも見ていないんだろう。どこまでも自尊心が強いやつだ。

「……忌々しい魔獣どもめ」

 目の前のデルタルタではなく、視線を上に向けてそう呟くベゼル。その視線の先には何かが翼を広げて飛んでいた。

 空を旋回する黒い影。あれは砂竜アルファルファだろうか。それにしては尻尾の形状が違うような……?

「……シノ=カズヒ」

「あっ、えっ?」

 急に名前を呼ばれたもんだから驚いてしまった。

 ベゼルを見ると恨めしそうな目であたしを見ていた。

 こうなったのはあたしのせいじゃないんだけどなぁ。

 ベゼルが標的としてではなく人間としてあたしを見ることは稀だ。だから普通に見つめられるとなんだか変な気分になる。

「次こそ、その水御華の力、見せてもらうぞ……」

 言うや否やあたしに背中を見せるベゼル

「え、ちょっと!」

 ――あのベゼルが退く?

 そう思う頃にはベゼルの姿は無い。

 珍しいこともあったもんだ。あのベゼルが退くなんて……。

 そこにはビクビクと体を揺するデルタルタのみが残る。

「ガッガッ! ガァアアアアアアゥ!!」

 咆えるデルタルタ。その巨大な口は×の字に斬り裂かれ、残った体は血を噴き出しながら砂漠の中に沈んでいった。

「き、気持ち悪い!」

 おそらくベゼルが斬ったのだろう。デルタルタが死角になっていたせいかその瞬間は見えなかった。

 いや、もしかしたらあたしたちが攻撃しようとした時を狙ったものだったのかもしれない。そう思うとゾッとしてしまう。

 けれど、今となってはそれを確かめる術は無い。

 こんな簡単にデルタルタを倒せたなら、なぜベゼルは身を引いたのだろうか。

 そのままあたしに斬りかかって来ればいいだけなのに。

 そしてドラゴンの硬い鱗を斬り裂くことができるということは、ベゼルは並みの剣士ではないという証になる。

 やっぱり、油断できない相手だ。

「シノちゃん。なんだか様子が変ね」

 メルが暗い空を指差すと、そこにはさっき見た黒い影が咆えていた。

「グゥ〜ルルルルル……」

 そのままゆっくりとこちらに近づいてくる。

 あれはアルファルファじゃない。アルファルファはもっと優しい顔をしているもん。

 あたしは思い出した。

 砂竜アルファルファの魔種の存在を。他の魔獣とは一線を画す身体能力と知能に長けている魔獣。

 その名は、邪竜(じゃりゅう)ベータルタ。

 人間と同じ環境を好むアルファルファを天敵としているため遭遇率はかなり低かったけど、ここはオアシスから見捨てられた廃村。ベータルタにとってここはかっこうの場所なんだ。

 ベータルタがいたからベゼルが退いたのだとしたら、ベータルタとの戦いはかなり厳しいものになるのだろう。

 邪竜ベータルタ。いったいどんな魔獣でどんな攻撃を仕掛けてくるんだろう……。

「気をつけるね!」

 メルの声でベータルタの変化に気が付く。

 大きな口で息を吸い込み、頬を膨らませている。その口から何か出るのは間違いない。

「ゴッバアァ!」

 ベータルタの口から大きな炎の息吹(フレイム・ブレス)が放たれた。息吹と言うには炎が大きすぎるくらいだ。

 あたしとメルはそれぞれ別の方向へ避けるも、炎の息吹(フレイム・ブレス)は容赦なくメルの方へ伸びていった。

 息が続く限り放たれるのだとしたらかなり厄介だ。

 そっか。剣が届かなきゃいくらベゼルでも戦いようがないのか。

 こういう時こそ一時休戦して共闘しようって考えには……ならないんだろうなぁ、やっぱり。

「アチチッ! 鬱陶しいね!」

 ひたすら逃げるメルと炎を吐き続けるベータルタ。

 このままにはしていられない。相手が火ならこっちは水だ!

「水御華!」

 遥か上空のベータルタに向かって刀を仰ぐ。――が、やはり水御華からは一滴の水すら出てくれなかった。

 こんなに水御華が自由にならないのは初めてだ。

 こういう時だけ異能者としての力を求めてしまう。あたしはなんて都合のいい人間なんだろう。

「ああもう! まだあたしの力が足りないの?!」

 あたしは水御華を鞘に納めると、その辺りに転がっている石を掴んでベータルタに向けて投げつけた。

 カコンッ!

 石は見事に命中! しかし、石はまるで硬い岩にあたったかのような跳ね返りを見せただけだった。

 ベータルタの意識はまだメルの方へ向けられている。

「メル!」

「来ちゃダメね!」

 メルは更に速度を上げて走りだし、ベータルタとの距離を離す。この砂漠の地面であの速度は凄い。

 しかしベータルタも翼を羽ばたかせると更に速度を上げ、あっという間にメルを追い越してしまった。

 メルがそれに気づく前にベータルタは口を大きく開け放つ。

 ――まずい! メルが!!

「ルゥ!」

「えっ、ルル?!」

 いつの間にかルルが腰のバッグから飛び出してきていた。

 ルルはあたしの肩へよじ登り、そこから頭のてっぺんへ飛び乗った。

 いつもにも増して竜らしく声を上げるルル。

「ウゥ〜、ルルルルルルルーッ!」

 ルルはあたしの頭の上でベータルタを威嚇した。

 その鳴き声はそばにいるあたしの耳をキーンと響かせるくらい大きいものだった。

「ルルルルルーッ!」

「ちょっと、ルルってば!」

 頭の上のルルを捕まえるとルルはあっさり鳴き止んでしまった。ぷへっと疲れたように咳を払うルル。

 ルルがこんな行動をしたのは初めてだ。

 ベータルタの方を見ると、その顔はメルにではなくあたしに向けられていた。

 アルファルファであるルルの声に反応したからだろうか。

 かなり嫌な予感がするあたしはルルをバッグの中に仕舞いこんだ。

 すると次の瞬間、ベータルタの眼が妖しく輝いた。

 甘ったるくて酔いそうな感覚があたしの中に飛び込んできた。

「えっ! あれっ?! から、だ、が……?」

 ――動かない。首から下の感覚が一切ない。

 まるで動かし方を忘れたように身動き一つ取れなくなってしまった。

 これもベータルタの力なのか? これってまるで異能者じゃないか!

 ベータルタの口から炎が漏れる。

「シノちゃん!」

 まずいっ! この状態で炎を吐かれたらどうすることもできない。動け! 動け! あたしの体!

「ゴッバァアア!」

 ベータルタはあたしに向かって炎の息吹(フレイム・ブレス)を放った。

 巨大な炎を前に、あたしは成す術が無い。

 このままではこの身が焼かれる。

 焼け死んでしまう。

 そんなの嫌だ。

 あたしにもっと力があれば。もっと、もっともっと……!

「水御華ぁ!」

 

 リィイイイイイイイン……

 

 水御華から何か音を聞いた気がする。

 その音はあたしの耳から頭の中へ木霊すると、ピリピリした緊張感がモヤモヤとした感覚へと移り変わる。

 あたしは降りかかるベータルタの炎の息吹(フレイム・ブレス)を虚ろに見つめていた。

 成す術なんて無いはずなのに。あたしは無意識のうちに刀を握っていた。そうすることがまるで自然なように。

 モヤモヤした意識の中、降りかかる炎の波に嘲笑していた。

 心の底からくだらないものだと思えてくる。

「そんな炎なんか――」

 鞘から水御華を引き抜く。

 鞘を持つ左手がぐっしょり濡れてしまうくらいに水が溢れ出てきた。

「この水の前に通用するもんかぁあああ!」

 振りかかる炎の息吹(フレイム・ブレス)に水御華を振り下ろし、炎の塊を両断した。

 じっという焼ける音が頭の上でする。

 その刹那。水御華の刀身から膨大な水が噴射する。

「いっけぇえええ!」

 放出された水は太い滝のように荒く飛沫をあげて炎を消し去ていく。

 そして水はそのままベータルタに向かって駆け上っていく。

「ガァルルゥ!」

 膨大な水の勢いに押されたベータルタは空中でバランスを崩し、一時的に飛行を阻んだ。

 ぐらりと体を傾けるベータルタ。

 驚きよりも怒りを露にしている。

「メル! あたしの後ろに!」

「う、うん!」

 メルとあたしは互いに駆け寄り合流する。

 これでメルの方まで気にする必要が無くなる。

 これで足手まといを気にしなくて済む。

 これで邪魔者はいなくなる。

「シノちゃん。それ……」

「うるさいっ!」

 あたしは知らずメルに怒鳴っていた。

「う、うん……」

 ベータルタの炎の息吹(フレイム・ブレス)は封じた。

 さあ、今度はこの刀の斬れ味を味あわせてあげるよ。

「ガァ〜ルルルルルゥ!」

 ベータルタは翼を羽ばたかせて空中で停滞すると怒りの咆哮をあげた。

 アルファルファの亜種に位置する生物なら知能も高いはず。

 どうするか考えているんだ。

 考えた上で接近戦しかないことを知れ!

 そして斬られてしまえ! このあたしに!

 ――こい! こい! こいこいコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイコイッ!

 しかし、ベータルタは動かない。

 これ以上、何がある? さっさと斬られにこればいいのに!

「シノちゃん。砂漠が……」

「うるさいっ! 邪魔をするな!」

 またメルに怒鳴りつけていた。

 なぜだろう。イライラする。イライラが止まらない。

 

 リィイイイイイイイン……

 

 水御華から聞こえる音がずっと頭の中で木霊している。

 水御華は斬りたくてたまらないみたいだ。

 なら、それに応えてあげなくっちゃ。

 だってあたし自身も斬りたくてたまらないから。

「ギアッ! ギルァアアア!」

 その時、ベータルタの赤色の眼が妖しく輝いた。

「グゥ〜、ゲルルルルルル!」

 ベータルタの咆哮が辺りに響き渡る。

 砂漠が波打ち、ベータルタに向かって動き始めた。

 地面からボコボコと現われる三体の磐竜デルタルタ。

 その巨大な口を地面から覗かせてベータルタの周りに集った。

 魔獣が群れるなんて聞いたことがない。

 他の種族すら従えてしまう。それがベータルタの力なのか。

 メルが言おうとしていたのはこのことだったのかもしれない。

「斬り足りないと思ってたんだ。これなら退屈しないね」

「シノちゃん……」

「さっきからうるさいなぁ。そこで見てなよ」

「う、うん……」

 デルタルタたちが砂漠に身を潜め、地面を波打ちながらこちらに向かってきた。

 その波が消えた瞬間。あたしの足元が大きく膨れ上がった。

「芸が無い。それでも魔獣なの?」

 やっぱり地面から噛み付くくらいしかできやしないのか。

 メルは既にその場から離脱している。

 あたしは盛り上がる地面を蹴って真上に飛んだ。

「シノちゃん!」

 デルタルタの巨大な口があたしの体に食らい付こうと地面から飛び出してきた。

 それと同時に、もう一体のデルタルタが後ろから飛び出し、あたしの背後からかぶりつこうとする。

 下と後ろから、デルタルタの巨大な口が迫る。

「アハハハハッ!」

 ――もう、なんなの? こんなの、楽勝過ぎるよ。

 あたしは刀を振るいながら体をひねり、後ろから飛び掛るデルタルタの顎に向かって水御華を振り下ろした。

そのまま下から食らいつくデルタルタの鼻先から尻尾へ刀を走らせる。

 ドラゴンの中でもかなり堅い部類に入る岩竜の鱗。その魔種に当たるデルタルタも、あたしにしたらどうってことないや。

 水御華で斬りつけた二体のデルタルタ。

 その傷跡が大きく膨れ上がると、デルタルタの巨大な体は部分的に膨張を始めた。

 いびつに膨れ上がるデルタルタの傷口。

それもすぐに限界を迎えようとしている。

そして――

 

 ブチィイインッ!

 

 二体のデルタルタは同時に巨大な体内から爆発し、辺りには大量の水と血とその肉片をばら撒いた。

 斬りつけた体の中から水を爆発させる。あたしの新しい技だ。

 なぜこんなことができたのかよく分からないけど、考える暇も無くあたしは水御華を振るっていた。

 ベータルタの真下からもう一体。馬鹿の一つ覚えのようにデルタルタが口をあけて砂漠の海から飛び出してきた。

 どう料理してやろうか。そんなことを考えるくらい余裕があった。

「じゃあこんなのはどうかな?」

 砂漠の地面に水御華を突き刺し、水を放つ。

「ハァアアアアアアア!」

 水は飛沫を上げながら地面を走り抜け、飛び出したデルタルタの真下に来ると三本の水柱を上げた。

 水柱はデルタルタの口先、顎、喉の三箇所に食い込んだ。

 やがて水柱は脳に辿り着き、そのまま頭皮を貫通するとデルタルタの頭から勢いよく水と血を噴出した。

 デルタルタは勢いよく地面に転がると無様な顔で口をヒクヒクさせ、やがてその動きを止めた。

「あははっ。なんて顔だろう」

 

 リィイイイイイイイイイイイイイン……

 

 また水御華から音が聞こえる。

 その音がだんだんと心地の良いものに聞こえてくる。

 まるでもっともっとと言っているかのようだ。

「大丈夫だよ。まだ一匹残ってるからさ」

 あのベータルタがね。早く空から降りてきてくれないかな。

 刀が届かないよ。あいつは水じゃなくて刀で斬るって決めてあるんだから。

 仲間を失い、一頭だけになったベータルタを見ながらそんなことを考えていた。

「おーい! あんたを打ち落とすことなんて簡単にできるんだよ。こっちに降りてきなよ。魔獣なんでしょ? あたしを食べてごらんよぉー!」

 ベータルタの凶悪な顔が怒りで更に強張っているのがわかる。ルルのようにあたしの言っていることは理解しているみたいだ。

 水御華を鞘の沙華月に納めて腕を組むと、ベータルタに向かって余裕の笑みを見せ付けてやった。

「雑魚のクセに死ぬのが怖いの? 弱いクセにあたしに楯突くなんて馬鹿な魔獣だね!」

「ガァアアアア! グゥルルルルルルッ!」

 ベータルタが咆える。怒りを露に咆え猛る。

 翼を羽ばたかせ、物凄い速さでこちらに突っ込んできた。

 その口を開けて、涎まみれの鋭い牙を光らせながら。

 砂竜アルファルファの飛行は何度も見ているけど、あれに比べたら邪竜ベータルタの飛行速度は大したことはないな。

「ほら。食べられるもんなら食べてごらんよ!」

 ベータルタは瞬く間にあたしとの間合いを詰めると大きな口を更に大きく開けて食らい付いてきた。

 あたしは避けない。その場から一歩たりとも動くつもりはない。

「ギイィ、ガァアアアアアアア!」

 咆えるベータルタ。

 その咆哮がそのまま断末魔となった。

 ベータルタがあたしの間合いに入った瞬間。その体は真っ二つとなっていた。

 あたしが得意とする抜刀からの一撃。

 勢いのまま左右の肉片があたしの横を通り過ぎ、それ以上の断末魔を聞くこともなく砂漠の地面を滑っていった。

 あたしの両腕にはベータルタの血がびっしりとつけられていた。ねっとりとした感触が小気味よくあたしの手を濡らした。

「あーあ。やっぱりこんなもんか」

 水御華を夜空に掲げ、水を出して腕についた血を洗い流した。

 こんなに水御華を自由に操れたのは初めてだった。それがすごく気分がいいや。

 でも、もう敵がいない。もっと敵がいればいいのに。そうしたらもっと刀振るうことができる。

 水御華もそれを望んでいるはず。

 

 リィイイン……

 

 水御華から未だ微かに音が聞こえる。

 やっぱり水御華もまだ斬り足りないのかな。

「シノちゃん……」

 その声に振り返ると、怯えるような目であたしを見る女の子がいた。

「――シノ? 君は?」

 そっか。シノはあたしの名前だっけ。

 でも……この子の名前は思い出せないや。

「ウチはメルセレスね。忘れてしまったのね?」

「メル、セレス?」

 忘れるもなにも。最初から知らない名前だよ。そんなの。

 女の子は訴えるような目であたしを見た。

 それがなぜか面白おかしくて、つい笑ってしまう。

「ウチらは会ったばかりだけど、一緒に戦ったね!」

 何を言っているんだろう。あたしは一人で戦っていたじゃないか。邪竜ベータルタと、磐竜デルタルタ。

 全部あたしと水御華が倒したんじゃないか。

「シノちゃんは水を操る異能者だったのね。……ダメね。砂漠はそんなこと求めていないね!」

「キミが言っていることよく分かんないや」

「シノちゃん!」

「いいじゃない。砂漠はあたしを求めていないんでしょ? そしてキミは砂漠の味方みたいだし。だったら――」

 ――キミはあたしの敵だね。

 水御華を鞘に納めて柄に手をかけた。

「シノ、ちゃん……?」

「大丈夫。この水御華はよく斬れるから痛みも感じないと思うよ。今までで一番綺麗に斬ってあげるからね」

 ニコッと女の子に笑いかけるも、女の子はそんなあたしを見て怯えていた。それが可愛い。

 女の子の方へ歩み寄りながら、ゆっくりと水御華を構え直した。その時――

「ルルルルッ!」

 腰のバッグから何かが飛び出してきた。

 砂竜アルファルファの幼獣だ。

 不器用にも翼をバタつかせてあたしの眼前に浮かんでいる。

「邪魔をするな!」

「ルゥ〜ルルルルル!」

「もう! ルルってば!」

 あたしは咄嗟にそのアルファルファの名を口にしていた。

「ルーッ! ルルーッ!」

 バタバタと翼をバタつかせながら咆えるルル。

 ――そうだ。この子はルルじゃないか。なんで今まで忘れていたんだろう?

 

 リィン……

 

 水御華からまた音が聞こえる。弱々しく、消えてしまいそうな音だった。

 高揚していたあたしの気持ちが徐々に静まっていくのが分かる。

「あたし、……あたしは?!」

 今まであたしは何をしていたんだろう。

 なぜルルは怒ってるんだろう。

 メルはどうしてそんな顔をしているんだろう。

 なんだかわけが分からない。思い出せない。

「ルルーッ!」

 気が付くとルルはあたしの視界から消えていた。

 どこに行ったのかと首を振ると視界の右端にルルの黄土色の皮膚がチラリと見えた。その直後――

 

 ごっちぃいいいん!

 

 あたしの後頭部に何かがぶつかった。

 この痛みと鈍い音には覚えがある。

 ルルの鉄球のような硬くて丸い尻尾があたしの後頭部に直撃したんだ。

 それは今までで一番キツイ痛みだった。

 かつてない威力に意識が簡単に奪われていくのが分かった。

 

 

-後編へ-

 


 

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