NOVEL
Water Sprouts EP1‐1 砂漠のアメフラシ-Sea Hare- 後編 「あ〜。食べた食べたぁ〜」 「ルルゥー!」 あたしとルルはあれからずっと食べ続けていた。 あまりの美味しさに手が止まらず、デザートまで頼んでしまう始末。 ルルなんて食べ過ぎて体型が維持できていないくらい丸々として転がっている。 「ふぃ〜。おそまつさま」 ロメリアも疲れたらしい。あたしの隣の席につくとカウンターに身を預けてぐったりとしていた。 「お姉ちゃん。よく食べるねぇ〜」 「食べられる時に食べなくちゃ。旅なんてできないからね」 「ルッ!」 「いや、ルルは食べ過ぎだよ」 こつんっとルルを指で弾くと、その丸まったお腹でゴロゴロとカウンターの上を転がっていく。 これがあのアルファルファの子どもなのかと疑問に思ってしまうくらいの変貌ぶりだ。 「さて。お腹もいっぱいになったし、どこか宿を探さないとね」 おじさんの気持ちを考えたらここには泊まれない。 でも悲観はしていない。満腹で気分が良かったし。 「ごめんね、お姉ちゃん」 「いいのいいの。ロメリアが気にすることじゃないよ」 ロメリアの頭を撫でてあげようと手を伸ばす。 「――、なんだ?!」 その時、窓の向こうから強い視線を感じた。 さっきの野盗かとも考えたけれど段違いの敵意だ。それも体に寒気を覚えるほどに。 「お姉ちゃん?」 このままここに居て、店の中に入られたらロメリアとおじさんの迷惑になる。 あたしはロメリアの頭を撫でると、その手にルルを預けた。 「なんでもないよ。すぐ戻るからここで待ってて」 「ふぇ?」 「ルルルルル?」 水御華を手に取り、宿屋の外へ飛び出した。 そこには長身の男が立っていた。 腰には二本の細い剣。敵として見ているはずのあたしが飛び出してきたというのに微動だにしなかった。 その視線がゆっくりとあたしに向けられる。 目が合うと宿屋の中にいた時よりも寒気を感じた。 凍るような男の睨みに緊張と焦りが募っていく。 あたしの本能が悟っているのだろうか。その男の強さを。自身への危機感を。 ただ睨まれているだけなのに、寒気で体の震えが止まらない。 「だ、誰なの? あたしに何の用?」 振り絞るように叫ぶあたしに、男は睨んだまま両手を二本の剣に添えた。 「シノ=カズヒ、だな……?」 「えっ?!」 ――この男、あたしを知っているの? ただの異能者狩りなら名前なんて知るはずない。 それはつまり異能者ではなく、あたし本人を狙っているということだ。そんな敵は初めてだ。 男はあたしの顔色の変化を見て確信したのか、返事を待たずに二本の剣を抜いて構えた。 剣は二本とも片刃で同じ形状をしている。反りも波紋も無いけれど、どこか刀のような印象を与える。 「ベゼル=マージェスタ――」 素っ気無く名を名乗ると同時に、あたしに向かって剣を突き出してきた。 間合いを詰めてから剣を突き出すまでが物凄く速い! しゃがんでベゼルという男の剣を避けると、もう一本の剣があたしの眼前に伸びていた。 ガチンッ! 「――貴様を殺す者だ」 「あたしを、――殺す?」 なんて動きだ。刀を抜く暇が無いじゃないか! 鞘でその一撃を受け止めるのが精一杯だった。 「何であたしを殺すのさ?!」 あたしの問いを無視して剣を振り下ろしてくるベゼル。 鞘でもう一本の剣を受け止めたまま刀を抜き、頭上に下ろされるもう片方の剣を受け止めた。 刀と鞘で二本の剣を受け止める格好となる。 「……無駄だ」 グッと両方の剣に力を込めるベゼル。 圧倒的な腕力の差に押し潰されそうになる。 このままじゃ押し斬られてしまう! 「こうなったら! 水御華!」 刀の名を叫ぶと重なり合うあたしの刀とベゼルの剣の接点から水が噴き出した。 その水圧であたしたちの剣が弾き合う。 ベゼルは大きく後ろへ跳ぶと体勢を整え、その間にあたしは水御華を構え直した。 二本の剣に対応するため、鞘は左手で握ったままだ。一本の刀であの速い二本の剣を捌き切れる自信が無い。 その一太刀は片腕で振るっているとは感じさせないくらい重く、またこの上なく速いのだ。細身の剣の性能を完全に引き出している。 これまで出会った人間の中でも群を抜いて強いだろう。 ――ちょっと、ヤバイかも……。 「その刀……噂通り水を操るのか」 さっきまで黙りこくっていたベゼルが水御華を見つめて口を開いた。 「噂通りって?」 いったいどこまであたしの情報が知られているんだろう。 今度は鞘の方へ視線を移してきた。 「その鞘はなぜ斬れん?」 まるであたしよりも刀の方へ執着しているみたいだ。 あたしの命なんて簡単に殺れると思っているからか。 それよりも気になったのはこの水御華を一目見ただけで刀だと分かったことだ。 刀という形状と名称。ここいらでそれを知る者はほとんどいないはず。 「なんで刀だって分かるのさ?」 「………………」 水御華は遥か東の地に伝わる技法で作られた剣(つるぎ)。 独特な刀身の反りと波紋がその特徴を示している。 ここいらでこの刀という名称を知っている人間は刀の製法を知る父さんとその娘のあたしくらいのものなのに。 「あんた、父さんの知り合いなの?」 「水を生み出し操る刀――実に興味深い」 ベゼルはあたしの質問に答えることはなく、熱を帯びたようにギラついた目で水御華を見ていた。 そして小さく、微かな声で言った。「欲しい」と……。 「父さんが残してくれたこの刀。絶対に渡すもんか!」 「……その腕が無ければ振るえまい」 それからベゼルがあたしを見ることは無かった。 その目に映るのは刀である水御華、ただ一つだけ。 「――うくっ!」 次の瞬間。ベゼルの双剣があたしの右腕に伸びる。 まるでハサミで裁断するかのように、二本の剣が絡みついてきた。 「くうぅ〜っ!」 その動きに反応を鈍らせたあたしは腕を引いて避けるよりもむしろ刀の柄で交じり合う二本の剣を受け止めることにした。 ベゼルの双剣が水御華の柄に食い込み、あたしの右腕へ微かに二つの傷を付けた。 言葉にしたように本気であたしの腕を狙ってきている。 頭や首、体や心臓ではなく、右腕の両断にのみ集中して。 それほどまでに水御華を欲し、あたしという人間を軽んじているということか。そんなことさせるもんか! 「くっ! ま、け、る、もんかあっ!」 鞘を捨てて水御華を両手で握る。狙いが腕一本なら水御華一本で戦った方がいいと判断したからだ。 両手で握る水御華でベゼルの双剣を押し返す。柄の部分は刀身よりも力押しが利きやすい。 いかに大人の男であるベゼルでも、その双剣で押し返すことができないようだ。 「てぇいっ!」 ベゼルの双剣を一気に押し返し、そのまま水御華を振り下ろす。が、既にベゼルはいない。一足で刀が届かない所まで跳んでしまった。 ベゼルが地面に着地したと同時に、あたしは水御華を鞘の沙華月へ納めた。 「これならどうだ!」 駆け出すベゼルに合わせて抜刀する。 抜刀による鞘走りであたしの一太刀は最速の剣閃を生んだ。 「甘い」 ベゼルは容易く踏み止まり、あたしの一太刀は空を薙いだ。 納刀した段階で抜刀術を読んでいたらしい。 ――けど、手の内は完全に読まれたわけじゃない! 最速の一太刀から生まれる水は鋭さを増す。 「奥義・水刃の太刀!」 その切っ先から放たれるのは鋭く細い水の刃(ウォーターカッター)。 圧縮して放たれる水はそれだけで凶器となり得る。 鋭い水の刃はベゼルに向かって一直線に伸びる。 「フンッ!」 ベゼルはあろうことか二本の剣を振るい、一直線に伸びる水の刃に向かって振り下ろした。 「うぉおおおおおっ!」 バシュッ! 激しい音と共に×の字に斬り裂かれる水の刃。 わずかに残った水の刃がベゼルの両肩を濡らした。 「そんなっ!」 「我が剣は水をも断つ。否――」 間合いを一気に詰めるベゼル。 「立ち塞がる者は全て断つ!」 あたしはとっさに水御華を振り下ろした。 ベゼルは右の剣でそれを受け止めると、あたしの腕を目掛けて左の剣を薙いだ。 ――しまった! 狙いは未だあたしの腕か! ギンッ! 「あうっ!」 水御華が大きく宙を舞った。 そして自らの重さに身を委ねて落下を始める。 「痛うぅっ!」 右腕から滴り落ちる血。 剣を受けた衝撃から痺れを引き起こしている。 「浅かったか……」 あたしはとっさに手を放して難を逃れていた。 水御華は空へと打ち上げられ、あたしの右腕はわずかに剣をかすめたのみ。 あたしの腕はちゃんと付いている。そうだというのに、右腕から先の感覚が無くなっていた。 ベゼルがつけた斬り傷から異様な冷たさを感じる。 その冷たさから、あたしはさも腕を跳ね飛ばされたような錯覚に陥っていた。 ベゼルは素早く二本の剣を納めると、落ちてきた水御華を掴んだ。 そして一振りしたのち、その切っ先をあたしへと向ける。 ここでベゼルは初めてあたしと目を合わせた。 「この刀の持つ力、見せてもらった。名を、なんと言う?」 「……その子の、名前、は……水御華、だよ」 ベゼルに言葉を返すあたし。――嫌だ。声が震えている。 「その子、だと……?」 「なんだって、いいでしょ」 あたしは水御華をただの刀と思っていないだけ。 そんなことをベゼルに言ったって分かるはずがない。 その大事な水御華を、奪われてしまったんだ。それが悔しくてたまらないのに。今は怖くて動けない。 「確かに、どうでもいい。そうか、水御華か……」 水御華を舐め回すようにじっくりと眺めるベゼル。 それから水御華を横へ一薙ぎ、縦に一振り。腕に力を込めてもう一振り空を斬り裂いた。 初めて手にする刀とは思えないほど華麗な太刀筋だった。 しかし、ベゼルは動きを止めると再び水御華を眺めた。 「どういうことだ……?」 ひとしきり水御華を眺め、視線はまたあたしの方へ。 とことんあたしより刀の方に興味があるらしい。ひょっとして水を出そうとしているのだろうか? 「貴様、異能者か。だから、水が……」 「そうだよ。異能の力が無ければ水は出ない。でも、水なんか出なくったって、いい刀には代わりないでしょ!」 父さんが生涯をかけて作った刀なんだ。 あたしから見ても、水御華という刀があらゆる刀剣の中でもひときわ美しく感じる。 「……確かに、な……」 あたしの言葉に、ベゼルは以外にも素直に頷いていた。 刀剣マニアの疑いがあるベゼルをも唸らせるほどの刀だということだ。 それより、どうやって取り返すか……。 あたしは横に落ちている水御華の鞘、沙華月に目をやった。武器らしい武器はあの鞘くらいか。 ベゼルの言ったように剣を受けるだけの強度があるだなんて今まで知らなかった。 右手の感覚は失ったまま。こんな状態で戦えるのか……? 「貴様には、もはや用は無い……」 「ええっ?! ちょ、ちょっとっ!」 こっちが必死に勝機を探してるって時に! 「己の血で己の剣を濡らすがいい」 ベゼルは水御華を振り上げると、興味のないものを見るようにあたしを見下ろした。 水御華によって両断される光景が目に浮かぶ。 ――このままじゃやられてしまう。なんとかしなくちゃ! なんとか!! あたしはまだ死にたくない!
「死ね……」 ベゼルの手にある水御華が容赦なくあたしの体に振り下ろされる。 ――もう、ダメだ! あたしは自らの死を覚悟した。その時――。 キィイイイイイイインッ! 「シノよ。諦めるなっ!」 「あ、……ああっ!」 いつの間にか目の前に女の人が立っていた。 とてつもなく大きな剣でベゼルの一撃を受け止めている。 その登場に、その懐かしさに、あたしの胸が高鳴った。 「まったく。名乗るヒマも無いではないか」 「ご、ごめんなさい!」 「まぁ、おぬしも無事であったし、この登場にはいささか満足しておるし。良しとするかのう」 歳はあたしよりも少し上くらい。女のあたしでも見惚れてしまうような美しい顔立ち。足元まで伸びる青みのかかった黒のポニーテール。キモノと呼ばれる異国の服にスカートという不思議な格好。そして自身と同じくらいある巨大な剣。 ――あたしは……この人を知っている! 「イナさんっ!」 「うむ!」 その名を呼ぶとイナさんは親しい者にしか向けない無邪気な顔で微笑んでくれた。 あたしもこんな状況だというのにつられて笑ってしまった。 「相変わらずゴタゴタに首を突っ込むのが好きじゃのう」 「イナさんも相変わらず変わった喋り方しますね」 「ふむ。そうかのう?」 その巨大な剣でベゼルの一撃を受け止めたまま、片方の手でぽりぽりと頬をかくイナさん。馬鹿力も相変わらずだ。 イナさんはあたしにとって友であり師匠でもあり数少ない理解者の一人でもある。 一年ほど前、共に旅をしたこともある。頼りになる人だ。 「伏兵、か……?」 ベゼルは宿屋の二階を見てそう呟いた。 あたしからは死角になっていたけど、イナさんはあの窓から飛んで駆けつけてくれたんだ。 高いところが好きなのも相変わらず。しかしその巨大な剣を背負いながらここまで駆けつける身体能力の高さはずば抜けている。 なによりもあたしのためにそうしてくれたことが嬉しい。 異能者であるあたしの味方になってくれる人なんて、この世界では本当に少ないから……。 「おじさんの宿屋に泊まっていた美人ってイナさんのことだったんですね」 「うむ。他に客はいないようじゃったし、そのようじゃな。なかなかサービスの良い宿じゃぞ。飯も美味いしのう」 「うん。それには同感だね」 でもあたしは泊まれないんだよなぁ。イナさんと一緒でもやっぱり断られるかな? 「おっと!」 ベゼルに押され、両手で大剣を持ち直すイナさん。 「感動の再会に水を差すとは空気の読めぬ者じゃな」 「…………」 「まぁよい。それよりその不慣れな剣で私に勝てると思うておるのなら、そのまま倒させてもらうぞ?」 イナさんはそう言うと、あっさりベゼルの体を剣で押し飛ばしてしまった。 いや、今のはベゼルの方から飛んで避けたようにも見える。 ベゼルは水御華を地面に突き刺すと腰の双剣を手にした。 執着していた水御華をあっさり手放すとは予想外だ。 イナさんを自分の獲物でないと倒せない相手だと見抜いたのだろうか。 それでも、イナさんが倒される所なんて、ぜんぜん想像できないや。 「おぬしは相手の力量をしっかりと測ることができるようじゃな。双剣使いが一本の剣で私に勝てるはずもない」 「…………」 「だんまりが好きなヤツじゃのう」 ぐるんっと巨大な剣を振り回し、構え直すイナさん。 イナさんが構えを取るのも珍しいことだ。それだけの相手なんだベゼルは……。 「貴様は誰だ。なぜ邪魔をする」 イナさんの目がキュピーンと光る。 あ。あれをやるつもりだな。 「フッ、悪党に名乗る名は無い! ……と言いたいところじゃが、今回は特別に教えてやろう」 ――イナさん。本当は名乗りたかったんだろうなぁ。あたしに加勢してくれたからそのタイミングが無かったし。 イナさんは名乗りを上げるのが趣味みたいな名乗り好きだ。相変わらず変わった人だ。 「黙して聞けい!」 「…………」 「さっきから黙ってますけどね」 あたしの言葉を無視して、イナさんは巨大な剣を高らかに掲げる。 太陽の光でその剣を照らし、煌びやかな光を纏った。 「我が名はイナ!」 そのままぐるんと剣を一回転させる。 「イナ=シルバチオ=ボルダーン!」 剣を更にもう一回転させ、ベゼルを見据えた。 「すべての悪を断つ、正義の剣(つるぎ)……」 それに対し、ベゼルは当然無反応だ。相変わらず興味のない目つきで見据えているだけ。 「この鬼神斬巌刀の煌きを恐れぬならかかってこぉい!」 イナさんは首を振ってその長い髪を風にたなびかせた。 ここまで全部計算通りなんだろう。なんとも絵になる光景だった。 鬼神斬巌刀。そう、イナさんの持つ巨大な剣の名前。名前のように、鬼神の如く何でも斬り裂いてしまうイナさんに相応しい大剣だ。 「……フッ。キマった」 目を輝かせて喜びを露にするイナさん。自分の名乗りに心酔してるのがよく分かる。 敵を前にしてこの余裕。ホントにさすがだ。 対するベゼルは変わらず興味のない目つきで見据えているのみだった。 「……邪魔をするなら殺してやる」 イナさんの名乗りに何の感慨も持たない様子。 それがイナさんには面白くないのは当然。ムッと少し頬を膨らませている。 「なら、こちらもバッサリいかせてもらおうかのう!」 鬼神斬巌刀を振りかざし、ベゼルのもとへ駆け込むイナさん。 ベゼルの右の剣がイナさんの顔面へ突き出される。 が、既にイナさんの姿はそこには無い。あたしの体に冷やりとした緊張が走った。 「そこかっ!」 突き出した右の剣。その右横の死角に向かって無反動に左の剣を払うベゼル。 キィンという刃と刃の交わる音はするものの、そこにイナさんの姿は無い。 「遅いっ! 私はここじゃ! ここにおる!」 ベゼルの右後方、その上空にイナさんの姿があった。 最初の一撃目を避け、二撃目を弾いてからそこに現われるまで、ほんの一瞬のことだった。 「チェストォオオオオ!」 イナさんの鬼神斬巌刀が唸りを上げてベゼルの右肩へ振り下ろされる。 その太刀筋は巨大な剣に似つかわしくない程の速さだ。 キィイイイイインッ! 二本の剣を持ってイナさんの一撃を受け止めるベゼル。 まただ。なぜあの二本の剣にあれだけの強度があるのだろう。見た目は水御華と変わりないのに……。 しかし、そこはあたしとイナさんの実力の差なのか。ベゼルはその重みから膝を地に着けて堪えていた。 「断てぬ物無しの一太刀、よくも受け止めおったなぁ!」 「……なら、我が剣を持って、その命を絶ってやろう」 「それは無理じゃな。ヒーローというものは無敵なのじゃ」 「下らんことを……」 イナさんもベゼルも、血走った眼で互いを見つめていた。 強い相手を見つけた喜び。というものなんだろうか。そのギラギラした視線から垣間見えるようだ。 拮抗する二人を前に、あたしはただ見つめるほか無かった。 なんて人たちなんだろう。次の瞬間には自らの首が飛ぶかもしれないというのに。 己の剣に対し、絶対の自信を置いているんだ。 それに比べてあたしはどうだ。水御華を持ってあの中に入ることができるだろうか。 それはきっと適わない。あの領域に踏み入ることはこの先もきっと……。 「むっ、何じゃ?!」 イナさんの声に続いて、ヒュンッという音を聞いた。 その次の瞬間、街のいたるところから爆発音が鳴り響いた。 煙と粉塵を撒き散らし、そこら中に火の手が上がる。 幸いにもロメリアのいる宿屋は無事だ。 「おぬしにも仲間がいたのか?!」 ベゼルを見るとその表情は険しかった。 どうやらこれはベゼルも予期しないことだったらしい。 街中でこんなことをするとしたらさっきの野盗しか考えられない。 「ゲヒヒッ。見つけたぜえ!」 案の定。さっきの野盗のおじさんがあたしたちの前に姿を現した。ぞろぞろと仲間まで引き連れて。 「チッ」 隙を見てイナさんから離れるベゼル。 イナさんもベゼルを追わず、地面に突き立てられた水御華のそばへ立った。 さっきあたしが相手をした野盗のおじさん。 そのおじさんを筆頭にベゼルに群がる野盗たち。 こうして見るとベゼルが野盗のボスに見えるけど、どうもそういう雰囲気ではない。 ベゼルは野盗のおじさんを一瞥した後に目を伏せた。 「これは、どういうことだ……?」 「へえ。あの女も仲間が居たみたいだったんで助太刀に来やした。これだけの人数なら造作もねぇ」 「………………」 あたしの仲間というとイナさんのことか。 するとベゼルを雇ったのは野盗ということになるのかな? とても野盗の言うことを聞くようには見えないけど。 「シノ=カズヒの居場所さえ分かればお前たちに用は無い」 そうだ。野盗のおじさんはあたしの名前を知らないはず。 なのにベゼルはあたしを標的としてここに来た。 それはつまり、ベゼルは最初からあたしを狙っていて、居合わせた野盗のおじさんから情報を得たということになる。 あたしが狙われる理由なんてますます分からないぞ。 「……退け。助太刀など無用」 「へい。でもこれだけの人数がいれば楽勝――」 ズンッ――。 「ゲヒッ?!」 ベゼルの双剣が野盗のおじさんの喉と心臓を貫いた。何の躊躇いもなく。味方であったはずの二人が……。 「んなあ?!」 「お、お、親分!」 その光景に他の野盗たちも驚きが隠せない。 ベゼルが剣を引き抜くと、野盗のおじさんはそのまま後に倒れて動かなくなった。 完全な即死だ。有無を言わせる暇も与えない。 ベゼルの表情はさっきと変わらない。返り血を気にする素振りも無く、どこともつかない方を見ている。 「興が削がれた。シノ=カズヒ、次は殺す……」 「シノを殺させはせぬ。この私がいる限りはのう!」 「……フンッ!」 鬼神斬巌刀をベゼル向けるイナさん。 しかしベゼルはそれ以上何も言うことは無い。 あっけにとられる野盗たちの間をすり抜け、立ちこめる煙の中へ姿を眩ましてしまった。 ベゼル=マージェスタ。その強さは本物だった。 この場にイナさんが居なかったらどうなっていたか。容易に想像できてしまう。 「シノよ、恐怖にのまれるな。再戦は遠くないのかもしれぬぞ」 「は、はい!」 それでも恐怖で体が震えていた。 このままじゃダメだと知りつつも、あたしにとってベゼル=マージェスタの存在はそれだけ大きなものになっていた。 異能者だからとあたしの命を狙う者は何人も居た。 けれど、ベゼルはあたしの名前を知っていた。異能者としてではなく、シノ=カズヒという人間の命を狙っているんだ。 その理由は分からないまま……。 「気を引き締めよ。誰か来るぞ」 そう言って水御華を地面から引き抜くイナさん。 たしかにこちらに駆けてくる足音がする。 「お、親分っ?!」 呆然とおじさんの死体を見る野盗たちのところに、もう一人の野盗が駆けつけてきた。 見た目が殺された野盗のおじさんにかなり似ている。兄弟か何かかな? 「こっちだ野郎ども! 親分がやられた!」 その声に街中にはびこっていた野盗たちがぞろぞろとあたしたちの前に姿を現した。 ぐるっとあたしたちを囲う形をとられる。 数はおよそ百人ほどだろうか。これで全部かは分からないけど。死んだ野盗のおじさんが言った通りになってしまった。 「テメェら何呆けてんだあ! あ、兄貴が! 俺たちの親分が殺されたんだぞっ!!」 死んだ野盗のおじさんを兄と呼ぶこの男の声は確かによく似ている。本当に血を分けた兄弟なのかもしれない。 「あ……すいやせん」 「一瞬のことだったもんで……」 男の声にそこにいた野盗たちが我に返る。 どうやらこの男も野盗の中では上の立場らしい。それでも野盗には違いないけど。 「絶対に、絶対に許さねえぞ!」 「ちょっと待ってよ。おじさんを殺したのはベゼルだよ!」 この男はベゼルがおじさんを殺したところを見ていない。だからそばにいるあたしたちを仇だと思っているんだ。 「関係ねえ! 元はと言えばお前が元凶だろうが!」 ズキンッと胸が痛んだ。野盗にまでそう言われるなんて思いもしなかったから。 「それはそう、だけど……」 家が破壊され、街に火の手が上がっているこの状況も、元はと言えばあたしがここに来たのが原因なんだ。 あたしが野盗のおじさんに目を付けられなければ、ベゼルに殺されることもなかったし、街は無事だったのかもしれない。 「ふむ。確かに関係ないのう」 「イナさん?!」 鬼神斬巌刀を片手に、堂々と前へ踏み出すイナさん。 「そう、おぬしらが街に火を放った悪党であることに変わりはない。数の暴力とはよく言ったものじゃ」 「なんだとぅ?!」 「自分たちの悪行を棚に上げて物を言うなっ! 私の友を侮辱する者は、誰であろうと許さぬぞ!」 イナさんはこれでもかというほどに大きな声を上げ、野盗たちを睨み付けた。 その眼光の鋭さに、野盗たちもたじたじだ。 「悪党めが。ただで済むと思うでないぞ!」 「うっ!」 イナさんの言葉に圧倒される野盗たち。 味方であるあたしですら圧倒されてしまいそうだ。女だてらにこの迫力。さすがはイナさんだ。 それにあたしを庇ってくれたことも嬉しいんだ。 「シノ。おぬしもしっかりせい!」 「は、はいっ!」 イナさんはゆっくりとした足取りであたしの所にやってくると、水御華を手渡してくれた。 ベゼルによってあたしの手から離れた水御華を、イナさんが取り返してくれたんだ。 「おぬしの愛刀。もう離すでないぞ?」 「あ、ありがとう。イナさん……」 「うむっ。それで自分の身を守るのじゃ。水御華が力を貸してくれるはずじゃ」 そう言ってあたしの前に立ち、野盗の群れに剣を向けるイナさん。 百人近い野盗たちを相手に、一人で立ち向かおうとしているのが分かる。 そんなの無謀だって誰が見ても分かるのに。 「俺たちを敵にするのか? 誰かやられたら残りのやつらがどこまででもお前を追いかける。お前の家族も、仲間も、すべて皆殺しにしてやるぞ!」 「それで脅しているつもりか? 片腹痛いわ」 「脅しじゃねえ! 俺たちは本気だ!」 「ならばそのすべてを斬り伏せるのみ! 私の身内に手をかける者は容赦なくバッサリいかせてもらうぞ!」 そう言い放つイナさんに、野盗の何人かはその迫力の前に後ずさりしていた。 それがイナさんの強さ。どんな相手だろうとも、何人いようとも、戦うことを止めない。 自分の正義のために剣を振るい続け、たくさんの人を守ることができる強さを持っている。 それに比べてあたしはどうだ。何を守れる? 何ができる? それすらも分からないまま水御華を振るっている。 きっとイナさんのように戦うことなんてできない。 「野郎ども! やっちまえ!」 『おおおおおおおおっ!』 男の合図に、無数の野盗たちが一斉に剣を振りかざしてイナさんへ駆け出した。 それに対し、イナさんは剣を振りかざして咆える。 「我が名はイナ! イナ=シルバチオ=ボルダーン! 我こそは悪を断つ正義の剣(つるぎ)なり!」 イナさんは本気だ。本気でこの数を相手に戦おうとしている。 百人近いこの数を相手に戦うなんて無謀すぎる。 ――それなのに、それなのにあたしはっ!! 『うわぁっ!』 野盗の何人かが水しぶきによって吹き飛んだ。 あたしはいつの間にかイナさんの前に立ち、水御華を振るっていた。 「ハァ、ハァ……」 考える前に体が動いていた。 こんな人数を相手にするなんて、自分でもびっくりしている。 ――でも、これで良かったんだ。 イナさん一人を戦わせるよりはずっといいから……。 「シノ。おぬし……よいのか?」 「いいんです! どんな相手だろうとも、何人いようとも、あたしは戦う! イナさんと戦う!」 父さんと母さんを殺されたその日からそう決めたんだ。 この水御華と共に戦い続ける。それがあたしの選んだ道だ。そしてイナさんを、大切な人を失いたくない! 「イナさん! 余計なことかもしれませんけど……」 今になって呼吸が荒くなっていることに気づいた。だいぶ気張っているらしい。能天気なあたしらしくもない。 でも、この気持ちの昂ぶりは抑えられそうにないんだ! 「フッ。みなまで言うな。おぬしが戦うこと、その信念を止めることなど誰にもできはせぬ。私の背中、預けたぞ?」 「はいっ!」 あたしとイナさんは背中を合わせると、頭上で剣を交わした。 キィイイインッ! それを戦いの合図として、あたしたちは野盗の群れに向かって駆け出した。 「あたしはシノ=カズヒ! 砂漠のアメフラシだ!」 「たかが女二人だ! 何もできやしねえ!」 「そのたかが女二人でも、あたしたちは戦う!」 剣を振り上げる野盗に対し、あたしはその剣が振り下ろされる前に間合いを詰めた。 すれ違いざま背中に一撃を浴びせ、そしてそのまま次の野盗の所へ向かう。 剣の振り方を忘れたのではないかと思うほどに、ほとんどの野盗が攻撃する間も無く地に伏していった。 「な、なんだこいつ? ただの女じゃねぇぞ!」 「こっちの女もやべぇ! まるで見えねぇ!」 あたしの動きにたじろぐ野盗たち。 イナさんの方を見ると、周りの野盗たちのほとんどを薙ぎ倒していた。 ――やっぱり、まだまだイナさんにはほど遠いや。 その勇姿に感化されたあたしは更に速く水御華を振るい、野盗たちを捻じ伏せる。 騒ぎに駆けつけたのか、街の中から野盗の仲間がぞろぞろと顔を並べて出てきた。 それでも不思議と心の中は穏やかだった。 振り返るといつもそこにイナさんの背中があったから。 「水よ! 荒れ狂う龍と成りて敵を飲み込め!」 水御華を構え、その切っ先から膨大な水を放つ。 まさに暴れる龍の如く野盗たちを一気に蹴散らしていった。 「咆えろ斬巌刀! 鬼神の如く!」 イナさんは身の丈ほどの巨大な剣、鬼神斬巌刀を振り回し、瞬く間に野盗たちを斬り伏せていった。 あれだけの超重量武器を振り回しているというのに、まったく隙がない。 それでいて、見惚れてしまうくらい戦う姿は美しかった。 ――おっと! 見惚れている場合じゃない。あたしも負けていられないぞ。 あたしたちは次々に野盗たちを打ち倒していった。 気が付くと百人近くいたはずの野盗もほんの数分で半分も立っていなかった。 中には戦う前に逃げ出す輩もいたけれど、それでもイナさんが倒した数の方が圧倒的に多い。 残った野盗たちから戦いそのものに躊躇が見えている。 数が多い方が有利だとか、相手が女だからだとか、そんな余裕を持っていたのがそもそも間違いなんだ。 ここであたしとイナさんの背中が合わさり、激しく動き回っていたあたしたちの足がやっと止まった。 「シノ。強くなったのう」 「いいえ。まだまだ足りません!」 イナさんのように強くなりたい。その想いだけがあたしをこれだけ動かしている。 それは今も変わらない。水御華もそうであるかのように、あたしと共に戦ってくれている。 「うむ! その心意気や良し。では続きと行くかのう?」 「はいっ!」 あたしとイナさんは舞い踊るように再び戦場を駆け抜けた。 幾度と無く剣を振るい、水を走らせ、野盗の数はとうとう十人を割った。 そんな中、野盗たちの何人かが宿屋の中へ入っていくのを目撃した。 「しまったっ! イナさん!」 「人質を取るつもりか!」 目の前の野盗を押し退け、あたしとイナさんは急いで宿屋の方へ向かった。 宿屋の中にはロメリアがいる。それにおじさんや他のお客さんもいるかもしれない。 そんな人たちを傷つけさせるわけにはいかない! あたしは祈るような想いで宿屋へ向かった。 その時――――。 『うぎょぇえええっ!』 宿屋の扉を破壊しながら野盗が二人、盛大にふっ飛んできた。 「な、なんじゃ?!」 その異様な光景に足を止めるあたしとイナさん。飛んできた野盗の顔は見るも無残に腫れ上がっていた。 そしてまた宿屋の中から野盗が飛んできて、横たわる野盗の上に折り重なった。 「この双拳(ダブル・パンチャー)のブレンを舐めんなあ!」 宿屋のおじさんの声が響く。 それから数秒後、おじさんは両肩に二人の野盗を抱えて出てきた。 地面で積み重なった野盗の上に、おじさんは更に二人の野盗を放り投げた。 まるでゴミを捨てるかのように。 ここまで。野盗たちが宿屋に押し入ってから数秒のできごとだった。 「ここはブレン殿に任せよう」 「へっ。チンピラ如き屁でもねえぜ!」 「おじさん。ロメリアは大丈夫?」 「おうよっ! ちゃんと厨房の方に隠れてるぜ」 おじさんがクイッと親指で宿屋の奥を指すと同時に、宿屋の裏の方から乱暴に扉を開ける音が響いた。 その足音はあたしたちの方へ向かってくる。 「ハァッ、ハッ……そこを動くなあ!」 野盗の男が息を切らして出てきた。 それは野盗の親分だったおじさんを兄と呼んだあの男だった。 その太い腕にはロメリアが抱えられている。男は腰からショートソードを抜くとロメリアの首にあてがった。 「おじさん! 大丈夫じゃないよ!」 「チクショウ! こんなはずじゃあ!」 悔しさと怒りに足で地面を叩くおじさん。 ロメリアのことを一番心配しているのはおじさんなんだ。その気持ちはよく分かる。 「一歩でも動いてみろ。このガキが――って、女ぁ! 動くなって言ってるのが聞こえないのかあっ!」 野盗の男があたしの後を見ながら声を荒げた。 振り返るとイナさんが残りの野盗をバッサリやっているところだった。 これでもう野盗はこの男だけになってしまった。 「む? 動くなと言われる前じゃ。問題無かろう?」 イナさんはそう言ってあたしの横に立つと、あたしに向かってイタズラっ子のような笑みを浮かべてぺろっと舌を出した。 「この野郎! う、動くな! もう動くな! 少しでも動いたら分かってるんだろうなっ?!」 男はロメリアを盾にするように自分の前に持ってきた。 さすがのロメリアも自分がどういう状況にいるのか分かっているらしく、今にも泣き出しそうな顔をしている。 「ひっぐッ……シノお姉ぇちゃあん!」 「泣くな! 泣くと殺す!」 「うぅ〜……ひっぐッ!」 ロメリアは声を殺して涙を流していた。 あんなに笑顔の似合うロメリアを泣かせるなんて! すぐにでも駆けつけてやりたい。けど、それだとロメリアを危険に晒すことになる。 「ロメリア!」 「くっそぉ! あの野郎、ただじゃおかねえ!」 ロメリアの身を案じるあたしとおじさん。 歯がゆさと焦りが募っていく。 ただ、イナさんだけは静かに野盗を見ていた。 「殺したら人質にはならぬぞ?」 「う、うるせえ!」 じわりとすり足で歩みを進ませるイナさん。 そうか。イナさんは男の隙を捜しているんだ。それが今できる最善のことだから。 「お前ぇら動くんじゃねえぞ!」 じりじりと後退りする野盗の男。 あたしたちとの距離をだんだんと離していく。 このままじゃ助け出すこともできなくなってしまう。 「イナさん……」 あたしは野盗に聞こえない小さな声でイナさんに話しかけた。 イナさんもそれを察しているのだろう。 頷きもせず視線は野盗に向けたままだ。 「イナさんのスピードならなんとかなるはずですよね? ロメリアに危害が及ぶ前に……」 「あやつが私たちから目を切って背中を見せたら……それも可能じゃろうな」 「よかった……」 「しかし、私は動かぬ」 「えっ?!」 イナさんのものとは思えないセリフに、あたしは言葉を失ってしまった。 何よりも正義感の強いイナさんがそんなことを言うなんて、まったく思いもしなかったから。 「あの子が助けを求めている相手は……シノ、おぬしじゃ」 ロメリアを見ると泣くのを必死に堪えながらこっちを見ていた。 いや、正確にはきっと見えていない。でも、その視線の先は間違いなくあたしに向けられていた。どこまで見えているか分からないけど、確かにあたしを見ている! ロメリアを助けてあげたい。でも、あたしの実力じゃ…… 「それでロメリアにもしものことがあったら……」 「愚か者。それでは何も守れぬ。何も成せぬぞ」 ロメリアに何かあって欲しくない。 あたしの足じゃ間に合わないし、正面から水御華を使って水を出すにも間があってバレバレだ。 だからイナさんが助けるのが一番確実な方法だと思った。 それじゃいけないんだろうか……。 「でも、あたしじゃ――」 「成せるものを成せぬものと考えていては何も成せぬ。さっきもベゼルには到底敵わぬなどと考えておったのであろう? そして今度はロメリアを助けられるのは私しかいないと考えておる。自分にはできぬと決め付けて、な?」 イナさんはすごい。本当にすごい。あたしが思っていることをピタリと当てていた。 でも、あたしの実力がその程度のものなのも、あたし自身がよく知っているんだ。 「おぬしは何のためにその刀を振るう? おぬしが守りたいと思う心。それを叶えられるのはおぬしだけじゃぞ?」 「あたしが守りたいもの……」 「さっきは私を守ろうとしてくれたのであろう?」 あの時はイナさんを一人にしたくないと思ったんだ。 絶対に失いたくないから。絶対に守りたいって。 無茶で無謀だって分かっていたのに。考える前に体が飛び出していったんだ。 「そろそろ誰かの剣(つるぎ)と成る時なのかもしれぬのう。私の前に飛び出し、野盗どもを薙ぎ払った時のシノは……今までで一番じゃと思ったぞ?」 イナさんはそう言ってあたしに笑いかけた。 その笑顔がどこかあたしを安心させてくれる。イナさんが言うように思うことができる。 でも、失敗は許されない。絶対に、だ。 「そろそろじゃな……」 野盗の男はかなり距離を取ったことを良しとしたのか。 イナさんの言うようにあたしたちから目を切り、背中を見せて走り出した。 「イナさん。あたし、ロメリアを助けたい!」 「ならばその剣と成りて今この時、そのためにのみ生きよ! それこそが剣と成ることじゃ!」 「はいっ!」 あたしは水御華をギュッと握り締めて野盗の所へ駆け出した。 ――水御華。あたしに力を貸して! 数十メートルの距離を一気に駆け抜け、野盗との距離を詰める。 その差、あと十メートル前後で野盗はあたしに気づき、ロメリアに向かってショートソードを突きつけた。 「動くなっ!」 その警告を無視して更に間合いを詰める。 あたしが振る水御華はいつもより速く、新しく感じた。 野盗が今にもロメリアを刺し殺そうというのに。 あたしは何も恐れず水御華に身を委ねるように、刀を振るうことだけに集中していた。 「ぶっ殺してやるぞ!」 「そんなこと、させるもんかぁああああ!!」 切っ先から放たれる水が一条の矢へと姿を変える。 水の矢は野盗のショートソードを砕き、そのまま野盗の胸に突き刺さる。 更に間合いを詰めて刀を振り下ろし、野盗の腕を切断。ロメリアを解放した。 腕を斬られた野盗は悲鳴一つ上げなかった。 驚きの顔のまま、既に事切れていた。水の矢が胸を貫き、あたしが腕を両断した頃にはもう意識はなかたのかもしれない。 奇しくも殺された野盗のおじさんと同じような顔をしていた。 「うむ。よくやったぞ、シノ」 「うわわっ! びっくりした!」 いつの間にか、あたしのすぐそばでイナさんが微笑んでいた。 何もしないと言っておきながら、いざという時のためにあたしと同時に駆け出してくれたんだろう。 やっぱり、敵わないなぁ。 でも、あたしはそんなイナさんが好きだと思った。 「シノお姉ぇちゃーん!」 ロメリアはあたしの胸に飛び込んできた。 すぐそばにはイナさんもいるのに、ロメリアにはちゃんとあたしだって分かってくれたんだ。 「ロメリア。大丈夫だった? なんともない?」 あたしはロメリアを抱き締めた後、どこも傷つけられていないか体中を見回した。 「ふぇ? なんともないよぉ?」 さっきまで泣いていたのに、ロメリアはけろっとした顔であたしを見つめていた。 あたしが助けるって信じてくれていたんだ。 そしてロメリアは笑った。あたしが大好きなあの笑顔で。 「ごめんね。危険な目に合わせて」 「ううん。お姉ちゃんは悪くないよ。だって水の妖精さんだもんね!」 そうじゃないんだけどなぁ。 でも、ちゃんと守ることができて本当によかった。 「ルルゥー!」 「あれ? ルル?! そんなところに居たの?」 ロメリアの服の中からルルが顔を出した。 女の子の服の中に潜り込むだなんて、とんだエロファルファだ。……あ、ルルの性別知らないや。 「そっか。ルルはルルでロメリアを守っていたんだね」 「ルルッ!」 「ありがとー。ルルー♪」 「ルルルル〜♪」 嬉しそうにルルに頬ずりするロメリア。 ルルも嬉しそうにロメリアの肩の上で動き回った。 くそぅ、なんかラブラブじゃないか。ルルのやつ、あたしにはあんな態度とったことないクセに! 「……さて、これで一件落着じゃな」 イナさんの言葉にハッとなった。 街を見渡すと、未だ火の手が上がっていた。 このままにはしておけない。こうなったのもあたしに責任があるんだし。 「まだです。この街はまだ火の手が上がっている所があります。このままにはしていられません!」 「ふむ。アレをやるのか?」 「はいっ!」 イナさんはあたしが何をやるのか、分かってくれているようだ。 それでも止めないのはあたしの気持ちを汲んでくれているからだろう。 あたしは戻って刀の鞘である沙華月を探した。 地面に転がる野盗たちの中からそれを見つけると、それに刀を納めておもむろに地面へ突き刺した。 そして力を込めて沙華月から水御華を抜き放つ。 「水御華よ。ここに雨を降らせて!」 普通の抜刀音だけが辺りに響き渡った。 その音からしていつもと違う。いつもなら水を含んだような抜刀音がするはずなのにそれがない。 いつもなら力を込めて抜刀した瞬間に、鞘の中から水御華の力が空へと飛び出して雨を降らせるはずなのに……。 抜ききった水御華からは水一滴すら出てこなかった。 そもそもあたしから水御華への力の流れがまったく感じられない。 「ふぅむ。力の使いすぎか。肉体的疲労か。今日は少し頑張りすぎたからのう」 「そんなっ! 今が一番必要な時なのに!」 ダンベルギアへ来るまでの砂漠の旅。 野盗のおじさんとの対決。 ベゼルとの息も詰まるような戦い。 そして大勢の野盗たちとの戦い。それらで水御華の力を使ってきた。 異能者として力を限界まで使ったから、水御華水の力を引き出せないのかもしれない。 あたしは再び水御華を沙華月に納めると、力を込めて柄を握った。それだけでぐらりと視界が揺れる。 「シノ……」 心配そうにあたしの肩に手を置くイナさん。 それに対し、あたしは笑顔で応えた。 「大丈夫です。これはあたしが決めたことだから」 「……うむ。ならば何も言うまい」 ロメリアはクイクイッとあたしの裾を引っ張った。 「お姉ちゃん。大丈夫?」 「うん。雨が降るように水の妖精にお願いしてるところなんだ」 「すごーい!」 「だから少し離れていてね?」 「うんっ!」 イナさんと共にあたしから離れるロメリア。 ロメリアの肩に乗るルルのほうを見ると、物を言わずにあたしを見つめていた。 「よく分からねえが。頑張れよ」 「おじさん……」 ポンッとあたしの頭に手を置くおじさん。 こんなに人から応援されたのは初めてかもしれない。 この街の人たちはあたしを拒絶した。 でも、野盗と騒ぎを起こしたのはあたしだ。ちゃんとやり遂げてこそ、イナさんのような剣に成れるんだとあたしは思う。 ――だから頑張らなくっちゃ! ここにいるのみんなのためにも! 「お願い水御華。力を貸して!」 再び水御華の柄を握った。 あたしの中にある力、異能の力が柄を通して刀の中に吸収されていく。 ぐらりと視界が歪む。力の流れと共にあたしの意識も遠くなっていくみたいだ。 まるで体の中の力という力が水御華の中に吸い込まれていくみたい。 はらりと落ちたあたしの髪の毛も、生気を失ったように色が抜け落ちていた。 それでも、この手を放すことだけは絶対にしたくなかった。 あたしはどうしてもこの地に雨を降らしたいんだ! 「水御華、水御華、水御華ぁああ! 応えてっ。あたしに!」 何度もその名を叫んだ。 その瞬間、水御華と沙華月からまばゆい光が放たれる。 あたしはここぞとばかりに水御華を沙華月から一気に引き抜いた。 ゴッバァッという音と共に、鞘から水がこれまでに無いほど溢れ出した。 「この地に雨を降らして!」 鞘の沙華月から『力のある光』が勢いよくが飛び出した。 それは空へと翔上っていき、パァーンという激しい音と共に弾け飛んだ。 強く陽の射す青い空に、キラキラとした光が散りばめられる。 「……ふぇ?」 ロメリアは両手を広げて空を仰いだ。 ポツポツと空から雫が落ちてくるのが分かる。 「雨だ! 雨だよ! 雨が降ってきたよ!」 嬉しそうなロメリアの笑顔を見て、あたしは膝を付いた。 いつの間にそこにいたのか、イナさんがあたしの背中を支えてくれていた。 「よくやったぞシノ」 「えへへ……ちょっと、疲れ、ましたけど、ね……」 イナさんは誇らしげにあたしを見てくれた。 雨は次第に強さを増し、あたしたちを濡らしてくれた。 街を覆っていた煙も次第に薄れていくのが分かる そしてこの雨がこの地の恵みとなってくれるだろう。 ――ありがとう、水御華。また助けてくれたね。 あたしは水御華を納めると、キュッと抱くように握り締めた。 「さあ、このままでは風邪をひいてしまうぞ。宿に入ろう」 「そうですね。――あ、でも……あたしは宿屋には入れないんですよ。異能者だから――って、えぇっ?!」 宿屋のおじさんはあたしを肩に担ぐと、すたすたと歩き出してしまった。 向かう先は宿屋の入り口だ。 「お、おじさん?!」 「暴れんじゃねえ!」 「でも、あたしは異能者で、この街にも迷惑をかけたんだよ?」 後から付いて来るイナさんに額をペチンと指で弾かれた。 「いったぁ! 何ですかイナさん?」 ヒリヒリする額を押さえながらイナさんに抗議すると、イナさんは楽しそうに笑った。 「おぬしが何者であろうと関係なかろう。のうブレン殿?」 「あ、ああ。お前は宿屋ダンベルギアの客じゃない。ロメリアの客だ。文句があるヤツは全員、俺がブン殴ってやる!」 フンーッ! と、大きな鼻息を吐くおじさん。 その顔は見えないけれど、耳が真赤になっているのは後から見てもわかる。 「お姉ちゃん!」 「ルルル〜ッ!」 嬉しそうにあたしを見るロメリアとルル。 ――そうか。あたしのことを見てくれている人がいるってこんなに嬉しいことだったんだ。 チリチリと日差しの強い空。 そこに降り続ける雨のように、あたしの中で何かが潤いに満たされていくのを感じた。 ▽△ あれからあたしはおじさんの宿屋に泊まった。 次に目を覚ました時、既に昼を過ぎてしまっていた。 体の疲れはほとんど残っていない。むしろ長旅で溜まった疲労がどこかへ飛んでいった気分だった。 あたしはなんとなく部屋のベッドの上でだらだらと過ごしていた。 外は相変わらずの青空。 いつもの強い日差しも、振り続ける雨によって遮られていた。 今では降り始めた時よりも穏やかな雨が続いている。 あれだけ力を酷使した後に雨を降らしたのは初めてだった。 いつもなら三日ほど振り続けるけれど、この雨はどれだけ続くのかな? 「ありがとう。水御華」 立て掛けてある水御華を手にすると、ぎゅっと抱き締める。 水御華は何度も何度もあたしに力を貸してくれた。これからも、きっとそうだよね。 あたしはベッドから降りると水御華の柄に手をかけた。 「スゥ……」 鞘である沙華月から水御華をゆっくりと引き抜く。 すると、いつものような独特な抜刀音は鳴らなかった。 ただの刀と同じ音を響かせていた。 そして水御華からは一滴の水すら零れなかった。 「ちょっと無理させ過ぎたかなぁ?」 ぽりぽりと頭をかきながら誰に言うでもなくそう呟いた。 異能者としてのあたしの力。それがカラッポになっているからだろうか。 今は水御華から水を引き出すことができないでいる。 それとも水御華の方が水不足なんだろうか? 実をいうとその辺りの構造がよく分かっていないんだ。 刀から水が生まれる原理。それは父さんだけが知っているのかもしれない。 水御華を沙華月に納めて後のベルトに提げた。 いつまでもこうしてはいられない。何よりもお腹が空いた。 ぐるるるるる〜。 ホラ。お腹空いたなんて考えたらこれだ。この音はルル顔負け。いや、あたしの方が大きいかな? そんなことを考えながら部屋を出た。 すぐそばの階段を下りて一階のラウンジへやってきた。 カウンターにはイナさんとロメリアが並んで座っていた。 カウンターの向こうには宿屋のおじさん。イナさん相手に鼻の下が伸びているのが分かる。 「おはよう、シノ。よく眠れたかのう?」 イナさんの言葉にロメリアはハッとなってあたしの方を見た。たぶんこの距離だと人影程度にしか見えていないんだろう。 それでも、ロメリアはあたしと知るととびきりの笑顔を向けてくれた。 「シノお姉ちゃん!」 「おはよう。みんな」 あたしはイナさんの隣に座るとその頭を撫でた。そして再び窓の外に目をやった。 陽の射す空に振り続ける雨。そこに架かる大きな七色の虹。 あの虹はロメリアの目に映っていないんだろうな。さすがに本物の虹を近くで見ることはできないし……。 「お姉ちゃん。外に虹が出てるの?」 「あ、……うん。ロメリアも知ってたんだ?」 ロメリアの言葉にどう反応していいのか分からなかった。 へたなことを言えばロメリアが傷つくと思ったから。 「ふぇ? みんな言ってるよぉ。お姉ちゃんが見せてくれたみたいに、綺麗なんだろうね〜」 あたしは腰の水御華を掴んだ。けど、すぐにその手を放した。 今のあたしには水を出すことができない。 そもそも今の環境で虹が出る保障もないんだ。 それにきっと、ロメリアが見たがっているのは空に架かる大きくて美しい虹のはずだから。 「虹って凄いね。どうしてあんなにキラキラしてて綺麗なのかなぁ〜?」 「ロメリア……」 「もしかしたら世界で一番綺麗なものなのかもしれないね!」 無邪気に話すロメリア。救いなのはその言葉に悲しみや妬みがないことだ。 ロメリアはその目で虹を見たいと思っている。 ここにいてはそれも叶わない。けど、あたしと一緒に旅をすれば目が治る可能性も出てくる。 あたしはおじさんを見た。おじさんはじっとロメリアを見つめて動かない。 おじさんはロメリアと一緒に旅に出ることをあたしに頼んでくれた。あたしもそうしたいと思っている。 ……でも、ロメリアは? 当人であるロメリア自身はどう思っているんだろう。 おじさんはあたしの視線に気づくと大きく咳払いをしてみせた。 「ロメリア。そのお姉ちゃんと旅に出てみないか? お前の目を治せる異能者――いや、人間がいるかもしれねぇぞ」 「え、なんでぇ? わたし、今のままでも幸せだよ?」 「でもよお」 「どうしたのおじさん?」 「いや、俺は……」 目の不自由なロメリアがどうしてこんなにも気持ちのよい笑顔ができるのかと思っていた。 それはロメリア自身がちっとも不幸だなんて思っていないからなんだ。 普通に目の見えるあたしにはロメリアのような笑顔はきっとできないだろう。 ロメリアも自分の視力が確実に失われていることを気づいているはず。 それでも幸せでいられるのは今の生活を大事にしているからだ。だからロメリアは不幸だなんて思わないんだろう。 ただ、それは今よりも目が不自由にならなければの話だ。 考えたくないけど、ロメリアなら失明してもきっと元気だと思う。けれど、それでも今の笑顔はきっともうできない。 今よりもできることが確実に失われたロメリアが、今のような笑顔ができるはずがないんだ。 ロメリアの失明。それはロメリアの本当の笑顔を失うことにも繋がってしまう。 一緒に住んでいるからこそ、おじさんも気が気じゃないんだろうな……。 やっぱりロメリアのことをちゃんと考えている。ロメリアの言うとおり、優しいおじさんだよ。 「のうロメリア。おぬし、虹を見たくはないか?」 イナさんは空のコップをロメリアの頭の上に乗せた。 すると、ロメリアは楽しそうに頭の上のコップを掴んだ。 「うんっ! 見てみたい!」 「こら、コップで遊ぶな」 おじさんはロメリアの頭の上からコップを取ろうと手を伸ばした。 「おぬしのおじさんもそうじゃ」 「えっ?」 おじさんが取ろうとするコップを、イナさんは人差し指で奪い取る。自然とおじさんの手がロメリアの頭の上に乗った。 イナさんはその手の上にそっと自らの手を置いた。 「ブレンおじさんも見えないの?」 「そうではない。ブレン殿はロメリアと一緒に虹が見たいだけなのじゃ。一人よりも二人の方が楽しそうじゃろう?」 「うん! おじさんと一緒に見たいなぁ」 「……ロメリア……」 ロメリアは頭の上に乗っているおじさんとイナさんの手を楽しそうに触れていた。 その手の上に、あたしも手を置いた。 「あたしも一緒に見たいな。ロメリアと虹を……」 虹を見たロメリアはどんな笑顔を見せてくれるだろう。どんなに喜んでくれるだろう。 おじさんもきっと同じ気持ちに違いない。 「行ってこい。俺も付いていってやりたいが、宿屋をやめるわけにはいかねぇ。なぁに、お前が居なくてもなんとかやっていけるさ」 「ブレンおじさん?」 「見たいんだろ、虹を。こんな世界だ。虹なんて滅多に拝めやしねぇ。ろくでもない世界だが、虹くらいは見れたっていいじゃねぇか。そうだろ?」 「おじさんの言うことはムツカシイよぉ」 ぷぅ〜と頬を膨らませるロメリア。おじさんは困ったように頭をかく。 それを見てイナさんは笑っていた。 「あっはっはっはっ! 確かに、ブレン殿の話はロメリアにとってはムツカシイものよのう」 「……悪かったな」 「単純なことじゃ、ロメリア。シノと共に旅をして、新しい世界を見てくるということじゃ。その中で、自らの目を治すキッカケも見つけるじゃろう。目が見えるようになったらここに戻ってきて、ブレン殿と虹を――」 「イナお姉ちゃんもムツカシイよぉ〜!」 「なぬ?」 またもやぷぅ〜と頬を膨らませて抗議するロメリア。 そんなやりとりにあたしは笑ってしまった。 「あははは。さすがのイナさんもロメリアには形無しかぁ」 「こりゃ、シノ。笑うでない! おぬしにも関わることじゃろうに!」 「ごめんなさい。じゃあねぇ、ロメリア」 「うん?」 あたしはロメリアの手をとった。ロメリアはきょとんとした顔であたしを見つめている。 「あたしと一緒に虹を見に行こうよ!」 「虹を見に行くの?」 「そう。ロメリアの目を治す方法を探しながらね」 「……見つかるかなぁ」 フッとロメリアの顔に陰りが差す。 ロメリア自身も目に対する苦悩は持っている。こんなに小さいんだもん。普段は見せないけど、思うところはあるよね……。 「ルルルルルッ!」 いつの間にかルルがロメリアの頭の上に乗っかった。 「あっ、ルルだぁ!」 「ほらね。ルルも一緒に行こうって言ってるよ」 「そうなの? お姉ちゃん、ルルの言葉分かるの?!」 「うっ……わ、分かるよ!」 ごべちんっ! ルルの尻尾があたしの顔面をぶち叩いた。 「いたたたたたぁ! コラッ! ルルッ!」 「ルーッ!」 「適当なこと言うなって? いいじゃん! ここはそういうことにしておいてくれればさあ!」 「ルルルルッ! ルルッ!」 ぐるんぐるんと尻尾を振り回して威嚇するルル。一つ補足するならば、砂竜アルファルファにあんな威嚇の仕方は無い。 「わかったわかった! あたしが悪ぅございました!」 「ルルルーッ!」 フンッと鼻息を出しながらふんぞり返るルル。これがアルファルファの行動じゃないと補足するまでもないな。 「すごーいっ! お姉ちゃん、ルルとお話してるー!」 「ほへ?」 どうしてそう思ったのかよく分からないんだけど……。 「あの、イナさん……?」 「プフゥーッ!」 イナさんはと言うとあたしと目があった瞬間に吹き出していた。どこにそんなウケる要素が……。 「くふふふふ。これじゃから天然は怖いのう」 「どういう意味ですか?!」 「まあまあ。とにかくルルもああ言っておるのじゃ。ロメリアも一緒に旅をするといい。きっと楽しい旅になるぞ?」 「うん! 楽しそう! お姉ちゃんに付いていく!」 いやぁ〜。楽しいばかりとも限らないんだけど……。旅ってそういうものだってイナさんも分かってるはずなんだけどなぁ。 「待ってて、準備してくるから!」 イスから飛び降りると、ルルを頭に乗せたまま、ロメリアは楽しそうに走っていった。 「ロメリア……」 その後姿をおじさんはずっと眺めていた。 しばらく会えなくなるもんなぁ。 「これでいいんだよな。奪い奪われ、盗人ばかりのこんな世界を。本当にロメリアに見せてもいいんだろうか。そう考える時もある」 廊下を見つめながらそう呟くおじさん。 気持ちは分かるけど、それは誰もが目にしているものだ。ホント保護者してるなぁ。 「ロメリアならきっと大丈夫であろう。幼いのにしっかりしておる。この世界に悲観することはあっても、絶望など決してしないであろう。ブレン殿はロメリアの帰る場所を守ってあげればよい。それだけで心強いものじゃからな」 「そうか……。そうだな。あんたに言われるとそんな気がする」 おじさんは安心したような顔でイナさんに笑いかけると、イナさんの空になったコップに飲み物を注いだ。 「帰る場所、かぁ……」 あたしはそう、何気なく呟いていた。 「シノ?」 「……あたしにはないんだっけ。帰る場所が」 あたしは両親を失っている。住んでいた所も今じゃどこにあるのか、どうなっているのかすら知らない。 帰る場所が心を強くさせるというのなら、あたしの心はどうなっていくんだろう。 「ここの名産だ。お前も飲め!」 おじさんはあたしの前にドカッと乱暴にコップを置くと、イナさんに注いだのと同じ飲み物を振舞ってくれた。甘い香りが鼻を通っていく。 「うちのは格別だ。飲みたくなったらダンベルギアに寄りな」 「おじさん……ひょっとして励まそうとしてくれてる?」 「フンッ! 次は金を取るからなっ!」 おじさんはさっさとと厨房の方へ行ってしまった。 あれだけ分かりやすい照れ隠しも無い。おじさんらしいと言えばらしいけど。 「帰る場所は無くともこれから行く場所は多かろう。まだ見ぬ知らぬ世界がきっとあるはず。旅とはそういうものじゃ。旅を楽しめシノ。楽しみは向こうからやっては来ぬ。ロメリアは楽しみのようじゃぞ」 「えっ?」 「聞こえてこぬか?」 あたしは目を閉じて耳を澄ませた。 聞こえてくるのは柔らかで優しい笛の音色。 このダンベルギアの街に来た時あたしを迎えてくれたロメリアのオカリナの音色だ。 「どうじゃ?」 「うんっ!」 笛の音色はロメリアの心情を表しているのだろう。 期待と希望、嬉しさに楽しさ……そういう感情がほの見えてくる。でもなぜだろう。聞いているあたしまでそんな気にさせてくれる気がする。 「あ。ルルの歌ってる声も聞こえる」 「それだけシノとの旅を楽しみにしておるということじゃ。もちろん私も含めてな?」 「――あっ! また一緒に旅をしてくれるんですか?」 イナさんはコップを持ち上げるとあたしにもそうするよう目で促がした。それに習ってあたしもコップを手にした。 「しばらく付き合ってやろう。おぬしは放っておくと何をしでかすか分からぬからのう。剣の腕もみっちり稽古してくれるわ」 「お、お手柔らかに……」 「うむ。では再会を祝して――」 『カンパーイッ!』 コップとコップを交わし、あたしたちは盛大に乾杯をした。 まだ見ぬ世界。たくさんの出会いがあたしを待っている。 あたしはこれからの旅を、どう楽しむかウキウキしながら考えていた。 楽しげなロメリアの笛の音に、心を弾ませながら……。 「ぶっはぁ! お酒だコレ?!」 「うむ。お酒じゃソレ! この店の酒は格別じゃのう」 グビグビッとコップの中のお酒を一気に飲み干すイナさん。 そんなペースで飲んでいるというのに、ぜんぜん酔った素振りをみせていない。 「くふぅ〜! 美味い! もう一杯っ!」 あたしのコップにまで手を伸ばすイナさん。 ……そこも見習うべきなんだろーか……。 イナさんによって一瞬で空になるコップを見ながら、あたしはそんなことを考えていた。 EP1‐1 砂漠のアメフラシ-Sea Hare-・完 |