NOVEL
Water Sprouts EP1‐1 砂漠のアメフラシ-Sea Hare- 前編 ダンベルギアの街を目指して四日目。 あたしはオアシスを転々としながら砂漠を渡っていた。 そのはずだったんだけど……。 「あっちゃ〜。道に迷ったかなぁ?」 そもそもこの砂漠しかない世界に道なんてない。 右を見ても左を見ても砂の海。空と砂の地平線には陽炎が揺れに揺れている。 どこを見ても同じような景色が広がっているだけだ。 あたしが居たウインドミルという村から、次の目的地であるダンベルギアの街まで、およそ三日で着くとのこと。 もちろん。砂漠を徒歩で超えることを前提とした日数だ。この世界のほとんどが砂漠なんだからそれは当然のこと。 問題は歩き続けて四日目に突入してしまったことだ。 ウインドミルからダンベルギアまでは四つのオアシスが確認されている。村を出て一日に一回以上立ち寄れるはずなのに、あたしが立ち寄ったオアシスは一日目の一回のみ。残り三つのオアシスに出会えぬまま、四日目に突入してしまったのだ。 砂漠は歩行を妨げ、方向感覚も狂わせる。それにこの暑さは体力を奪い、頭の回転も鈍くさせる。 つまりは道に迷ったのも仕方が無いということになるのかな。 しかしこのあたし、シノ=カズヒは『砂漠のアメフラシ』と呼ばれるほどの女だ。砂漠の旅は慣れたもの。 道に迷ったくらいどうということはないはずだ! この前も道に迷ったけどなんとかなったしね! 「ルルルルルゥ〜」 腰のベルトにはバッグがある。その中からルルが喉を鳴らす声が聞こえる。 バッグのボタンを外すと、ルルは勢いよく飛び出してあたしの肩に飛び乗った。 「ルッ!」 ルルは砂漠に生息する砂竜(さりゅう)アルファルファの子どもだ。黄土色の肌にエメラルドグリーンの瞳がすっごくキュート。鳴き声も「ルルルル」とカワイイから、ルルという名前をあたしが付けてあげたんだ。 ホントに可愛い。思わず頬ずりしたくなるほどに。 「イタタタッ! 噛むな噛むな!」 「ルルゥ?」 頬ずりするとホッペを噛んできた。もちろん甘噛みなんだけど、ザラリとした舌の感触がチクチクする。 これだけ人間に懐くアルファルファも珍しい。 砂竜アルファルファは群れで生活する砂漠のドラゴン。 その子どもであるルルは自分のいた群れからはぐれてしまったらしい。言わば迷子だ。 他のアルファルファを見つけても群れに加わろうともしないし……お母さんを探してるのかなぁ? 砂竜アルファルファは知能が高いと言われている。 ここは一つ、ルルに道を聞いてみよう。 「ねぇ、ルル。ダンベルギアの街がどこにあるか分からない?」 「ル〜?」 「あはは。道わかんなくなっちゃったんだ」 「ルゥーッ!」 べこちんっ! 「ばふっ!」 ルルの尻尾があたしの額にめり込んだ。 その尻尾は鉄球のように硬い。ルルはたまにこんな強烈なツッコミを入れてくることがある。 ……あ、コブができてる。 「いたたたたぁ〜。わかったわかった! あたしが悪かったよ。謝るからその砂竜パワーでダンベルギアの道を教えてよぉ」 「ルル、ル……」 「なによその『あるかそんなもん!』って目は?」 「ルルルゥ!」 あたしの言葉に反感の声を上げつつ、尻尾を振り回して二発目のツッコミを脅迫するルル。さすがに次は額が陥没しかねないぞ。 「ごめん。尻尾は勘弁して! 尻尾は!」 「ルゥ〜、ルルル……ルッ!」 ルルはブンブン回していた尻尾の回転を止めると、あたしの首に尻尾を巻きつけてきた。種族は違うけど仲がいいんだ。あたしとルルは。 しかしこういったやり取りができる砂竜アルファルファはホントに知能が高い。まさか尻尾をツッコミ用にぶん回すなんて思いもしなかったけど。 「ルルゥー!」 耳元でいきなり声を上げるルル。 よーし分かった。分かったから首は絞めないで首は。 「ケホッ。なになに?」 「ルーッ!」 ルルの視線の先を見ると、ルルの同族、アルファルファの群れがその大きな翼を広げて砂漠の上を飛んでいた。 全長およそ3メートルの成体だ。ルルはこんなに小さいのに。成体ともなるとドラゴンって感じがするなぁ。 「お仲間だね、ルル」 「ルッ!」 「キミのお母さんはあそこにいるのかな?」 「ルー、ルルゥ」 ぷるぷると首を振ってそれを否定するルル。やっぱりあたしの言うこと分かってるみたい。まだこんな小さいのに、ルルはすごいなぁ。 「っとぉ! ちょっと待ってよ? アルファルファは人間と同じ環境を好むんだよね。オアシスでもよく確認されているし。……ってことは! あの群れについていけば人のいるところに行けるかも!」 「ルルゥー!」 「そっかぁ。ルルはそれが言いたかったんだね」 「ルッ!」 「よしよし愛いやつじゃ。褒めて遣わすぞ」 指でルルの頭をコリコリと撫でてあげる。 嬉しいのか気持ちいいのか、ルルは目を閉じて喉を鳴らす。 「ルルン♪」 「可愛いのう。よしよし♪」 あたしはルルに限らず砂漠のドラゴンたちが好きだ。もちろんルルは格別に好き。愛嬌があってお利口だしね。 「さぁ、そうと決まればさっそく行くよ!」 「ルッ!」 四日も砂漠を歩いていてほとほと疲れていたけど、元気が出てきた。 幸いにもあのアルファルファの群れはゆっくり飛んでいる。散歩中なのかな? いや、歩いてないから散空中かな? とにかく、このままアルファルファの後を付いて行けばなんとかなりそうだ。 「行こう、ルル!」 「ルーッ!」 アルファルファを追って砂漠の上をひたすら走った。 歩きづらいということは、走りづらいということでもあるんだけど……。なぜだろう、ちっとも苦じゃないや。 世界はこんな砂漠だらけだけど、それでもあたしの知らない世界があるんだ。 世界を知ること。それはとても楽しいものだとある人に教えてもらったことがある。その影響かもしれない。 この先にダンベルギアの街があるかもしれない。 あたしの知らない何かがきっとある。そう思うと楽しみでウキウキが止まらなかった。 「あっ! 街だ! きっとダンベルギアだよ!」 陽炎が舞う地平線の向こうにそれらしい建物が見えてきた。アルファルファもおおよそその方角に向かっている。 「さすがルルだね!」 「ルーッ!」 「でも蜃気楼じゃないよね?」 ごちぃん! とルルの尻尾があたしの後頭部に直撃した。 うん、とりあえず夢や幻じゃ無さそうだ。代わりに目がチカチカして星が回りそうだけど。 「この確認方法は止めてくれる?」 「ルゥ?」 蜃気楼は追っても追っても追いつけないものだけど、目の前の街は次第に大きく近くなっていく。 それでもさっきまで地平線だった所だ。かなり遠いのは間違いない。けれど砂漠の旅にとってこれほど嬉しいものはない。 もうすぐ街に着くというところで、あたしはルルをベルトのバッグに戻した。さすがに街の中でルルを見られるのは好ましくないから。 あたしはくるりと後ろを振り返った。 そこにはこの街まで導いてくれたアルファルファの群れが空を舞っていた。 「ありがとー! アルファルファー!」 手を振ってそう叫ぶと、少しの間を置いてアルファルファの鳴き声を耳にした…………ような気がする! 砂竜アルファルファ。人間のあたしとは種族が違うけど、仲良くやっていけそうだね! ▽△ ダンベルギアの街は他の街と同様にオアシスを中心として人や街が栄えていた。 この街の中にあるオアシスは三つ。そのうち一つが街の中心に大きく構えている。なかなか大きな街だ。 まだ街の人と話もしていないのに、この街がダンベルギアだと分かったのは単純。店の名前が全部ダンベルギアだからだ。 フルーツダンベルギア。ダンベルギアバー。雑貨ダンベルギア店。もしかしたら地主の名前がダンベルギアでそこから取っているのかもしれない。 ダンベルギアの街についてすぐに、あたしは笛の音色を耳にしていた。 「これはどこから聞こえてくるんだろう?」 「ルルルルルゥ〜♪」 「ルルにも聞こえるんだね」 途中で見つけた酒場で足を休めたかったけれど、この笛の音も気になる。宿屋の場所もまだ分からないし、探しがてら笛の音色を辿っていくことにした。 それにしても、さすがはダンベルギアだ。噂どおりの巨大な規模の街だ。 街の中は人で溢れかえっている。市場の通りなんかは人とすれ違うのも大変なくらいだ。 溢れんばかりの人ごみに揉みに揉まれてしまった。 腰に提げている刀が人にぶつからないようにしっかりと手にし、もう片方の手はルルが潰されないようにバッグを庇っている。 「ふぅ、これは大変だ。ルル、大丈夫?」 「ル〜ルルゥ〜」 この世界では人が住める場所が限られている。こういうオアシスを抱えている街にはたくさんの人がいるのも当然だ。 この街もインフィニットが管理しているんだろうか。 砂漠の世界を統治する組織、インフィニット。 人類の救済を掲げて活動しているけれど、あたしから見ればあの組織は――――。 「ル〜♪」 「うわっ、びっくりした!」 「ルルゥ〜♪」 ベルトのバッグから聞こえるのはルルの鳴き声――というよりも歌のようだ。こんなことは初めてだ。砂竜アルファルファは歌まで歌えるのだろうか。 「ねぇルル。歌うのって初めてじゃない?」 「ルルルゥ〜♪」 ルルの声と一緒に笛の音色も聞こえてきた。 「あ。あそこだ!」 街の大きな広場を前にして、あたしはやっと笛の音色がそこから聞こえてくるのが分かった。 広場のほとんどがオアシスでできていて、所々に緑が生い茂っている。 居心地がいいのだろう、ここにもたくさんの人がいる。 その広場の中心付近の盛り上がった丘の上で、少女が目を閉じて笛を吹いていた。 耳を澄ませて聞くと上機嫌に歌うルルの気持ちが分かる。 心がやすらぐ。穏やかに満たされていく。癒されていく。嬉しい気持ちになる。いつまでも聞いていたくなる。そんなプラスな感情が後から後から溢れてくるんだ。 広場に集まっている人たちの顔を見てもそうだと思う。この音色に心を癒しに来ているんだ。 「ルルーッ!」 「あっ、ルル! コラぁ!」 ごそごそとバッグの中で動いていたルルはとうとう外へ飛び出してしまった。 ルルが向かうのは丘の上で笛を吹く少女。 あたしも急いでルルを追った。 「ルッ、ルルゥ〜♪」 丘の上にいる少女を前に歌うルル。 この光景を見ると別の世界に来てしまったと思ってしまう。 笛を吹く少女はとても可愛く、ルルと一緒にいる様はまるで妖精のようだ。 「……るるる?」 少女はルルの歌に気づいたらしく、笛を吹くのを止めて目を開けて辺りを見回した。 が、見つけられない様子だ。 ルルはすぐそこにいるのだけど、小さくて見えないのかもしれない。 あたしはいそいそと少女に近づくと声をかけた。 「こんにちは。いい音だね」 「えっ……?」 あたしの声に顔を上げる少女。うん、やっぱり可愛い子だ。 「初めて聞いたんだけど、感動しちゃったよ」 「あ、ありがとう」 「街のみんなもキミの笛の音色を聞きに来てるんだね」 「ふぇ? そうなの?」 自覚が無いのか、首を傾げてげいる。 辺りを見ると演奏を中止したことでこの子に視線が集まっていた。それも次第に無くなると、笛を鳴らしていた時と変わらぬ振る舞いでそれぞれの用事に戻っていた。 「わたし、人よりあまり目が見えないの」 確かに女の子の顔はあたしに向けられているけど目はあたしを探しているみたいだった。 「そ、そうなんだ。ごめんね」 「なんで謝るの〜?」 「そりゃあ、だって……ね」 これはまずいことしちゃったかな? しかし、気まずそうに頭を掻くあたしに対し、彼女はきょとんとした顔をしていた。 目が不自由なことがもう当たり前になっているのかもしれない。それなのにこれだけの音色を奏でることができるなんて、やっぱりすごいことだ。 「あたし、シノって言うんだ。シノ=カズヒ」 「わたしはロメリア=アルストロです」 「おっ。いい名前だねぇ」 「ふぇ? ほんとぉ?」 本当に嬉しそうな顔で笑うロメリア。 この裏表のない笑顔は素敵だなぁ。この砂漠だけの世界では特にそう思える。 「そういえばさっき動物の声がしたんだけど。何だか歌ってるみたいだったような……」 「ああ。それ、ルルだよ」 「ルル?」 あたしはルルを持ち上げると、ロメリアの目の前に持ってきた。普通はそれだけで驚きそうだけど、目の不自由なロメリアは逆に目を細めて見ようと努力していた。 「トカゲ?」 「ルー!」 「あ、喋った!」 「ルルはアルファルファなんだよ。砂竜の」 トンッとロメリアの肩に飛び乗るルル。 なんだか今日のルルは遠慮がないなぁ。 「わっ! あはは、くすぐったい〜」 首の後ろを行ったり来たりするルルに、ロメリアは身じろぎながらくすぐったそうに笑った。 ルルもルルだ。あたし以外の人間にこんなにも懐くのは珍しい。なんだかちょっと、嫉妬しちゃうなぁ。 「ロメリアはどのくらい見えるの? あたしの顔はわかる?」 「うーん。その時によって違うかなぁ。お姉ちゃんの顔はこれくらい近づいたらわかるけど……」 そう言ってあたしに顔を近づけるロメリア。 かなりの近眼みたいだ。他の男の人にやったら誤解されてしまいそうなくらいに。 「普段は声と雰囲気でなんとなく分かるよ〜」 「ロメリアは砂漠を旅したことある? 日の光で目をやられることもあるみたいだよ?」 「ううん。あたしは旅なんてしたことないよ〜」 「そっかぁ。ロメリアは目が不自由なこと、なんともないみたいだね」 「うん。もう慣れちゃったからね」 ロメリアは元気に頷いてみせると、またあの裏表の無い笑顔を見せてくれた。 ロメリアにとって目が見え難いのは当たり前のこと。それに悲観しないのがロメリアのいいところなんだなぁ。 場所によっては水や食料を奪い合うこともあるこの世界。 そんなことすらも忘れてしまうくらい、ロメリアの笑顔はとても素敵だった。 どんな世界でも、そこで幸せだと思える人が本当に幸せになれるって、あたしの知る人は言っていたっけ。ロメリアを見ているとホントにそうだと思う。 「ルル?」 ロメリアの腕を辿って手にある笛をカプリと咥えるルル。 「コラッ。ダメでしょルル!」 ルルをロメリアから離してみるものの、尚も口から笛を離そうとしない。 アルファルファが歌うなんて聞いたことないけど、笛を吹くなんて尚更聞いたことが無い。 「えいっ!」 「ギュルル〜!」 ルルの口をこじ開け、ロメリアの笛を取り返す。よく見るとこの笛、変な形をしてるかも。 「ごめんね。はい、ロメリア」 「あ、ありがとう」 しっかりとあたしから笛を受け取るロメリア。 その自然な振る舞いを見ていると目が不自由だとは思えないくらいだ。 「それにしても変わった笛だね。あたしは筒状の笛くらいしか見たことないや」 「そう? これはね。オカリナって言うんだよ。この先に口を当てて、穴を指で塞ぎながら吹くの」 そう言ってオカリナを吹くロメリア。 ピィーッという音を鳴らした後、さっきのように色んな音を奏でてみせる。 やっぱり不思議。笛の音色がこんなにも心地よいなんて。 「ルンルゥ〜♪」 砂竜アルファルファの子であるルルもあたしと同じ気持ちなのかなぁ。 ロメリアの笛の音色には種族も人種も飛び越えて聞き入ってしまうのかもしれない。 もしかしてルルも吹いてみたかったのかな? 「ふぃ〜。ちょっと疲れちゃった」 額の汗を拭うロメリア。それでも後から後から汗が浮かんでくる。いくら水のあるオアシスのそばに居るといっても、この日差しと高い気温は変わらない。 特にロメリアは小さい女の子だ。疲れもするよね。 「よし。あたしに任せて」 「お姉ちゃん?」 後に回してある愛刀を取り出し、ロメリアから少し離れた。 刀の名前は水御華(すみか)。鞘の名前は沙華月(さかづき)。実はちょっと特殊な刀なのだ、これは。 「水御華。その名の如く、水を散らして華と成れ!」 鞘から刀を抜くと、独特の抜刀音と共に刀から水が噴き出す。 そのまま空を薙いで、ロメリアの周りに水を散らした。 次第に空気が冷えていくと、あたしたちの周りに涼しげな風が吹いてきた。 「すごーい!」 「どう? 涼しくなったかな?」 水を生みだす刀。それがこの水御華の力だ。あたしの父さんが作ってくれたこの世に二つと無い一振り。 ひとしきり水を振り撒いた後、水に濡れた水御華を拭いて鞘に納めた。 「お姉ちゃん。もしかして――」 「うん?」 「水の妖精さん?」 「あははは。そんな風に言われたのは初めてだよ」 砂漠のアメフラシとなら言われたことあるけど、水の妖精なんて例えられるなんて思わなかった。 そんな上等な生き物じゃないよ、あたしは。顔も普通だし。ロメリアの方が可愛いもん。 「あたしはロメリアの方が妖精に見えるよ。可愛いし、笛の音色に心を奪われちゃうし。風の妖精かと思った」 「そんなことないよぉ。でもどうやって水を降らせたの? バケツに水を汲んでおいたの?」 「……それ、なんて罰ゲーム? それだと水浸しになるよ」 そっか。これくらい離れただけでもうロメリアにはよく見えていないんだ。 「じゃあ、どうやったのぉ?」 あたしの刀、水御華は水を出すことができる……なんて言って信じてもらえるかな。 水の妖精だと言ってくれるロメリアなら信じてもらえそうだけど。 「あのね。実はこの刀――」 「ゲヒヒッ! 見たぞ見たぞぉ〜! お前、剣から水を出しやがったな!」 言おうとしていたセリフを取られ、あたしは口をパクパク動かした。 後を振り返ると眼帯をした男があたしを指差しながらこっちに向かって来ていた。 あっちゃあ。あれはどう見ても野盗だ。 水を出せると知って見世物小屋にでも売りつけようとか思ってるのかなぁ。 火とか雷が扱えるなら魔法のように神秘的に見えるのに、水だとどう見ても水芸だもんなぁ。この世界じゃ貴重だけど。 「ゲヒヒ。オイ、今よ。剣から水を出したろ?!」 あたしの前に立つと、また同じ言葉を繰り返す野盗のおじさん。さて、どうしたもんか。 「え〜っと。水なんか出してないよ?」 「ゲヒヒ。鳥がションベンでもしたってかあ?」 「あ、じゃあそれで!」 「じゃあそれで、じゃねえ! 誤魔化せると思うなあ!」 顔を真赤にして声を荒げる野盗のおじさん。この手の輩は短気だから困る。もう少し融通を利かしてくれてもいいのになぁ。 「あたしをどうするつもりなのさ?」 「ゲヒヒッ。丁重にもてなしてやるさあ」 「へぇ。腰でも揉んでくれるの?」 「揉むかあ! 賞金付きの異能者ならインフィニットに引き渡してやるのよう!」 「ただの水芸人だったら?」 「見世物小屋に売り飛ばす!」 ――やっぱりそうなるのか! たまには女の子らしい扱いを受けてみたいものだ。刀なんて振り回してるから無理なのかなぁ、やっぱり……。 「お姉ちゃん……」 ロメリアはあたしの裾を引っ張ると不安そうな顔で見上げていた。 そうだった。こんなことにこの子を巻き込むわけにはいかないんだ。 「大丈夫だよ。悪いヤツは倒されるものなんだから。ねぇ?」 「テメェ……俺に聞くたあ、いい度胸だな」 「度胸なんて関係ないよ。ただ、悪を許しちゃいけないってのはあたしの師匠の口癖だからね!」 師匠というより……いや、今はそんなことはどうでもいいか。 あたしは刀の柄を握ってロメリアから離れた。 それに威圧を感じたのか、数歩下がる野盗のおじさん。慌てて腰の剣を引き抜き、切っ先をこちらに向けてきた。 構えは普通。剣の心得は無さそうだけど、容赦なく人を斬ってきたのはなんとなく分かる。 それでも強そうに見えないのはその実力が大したことないという表れかもしれない。それでも油断はしないようにしよう。 「ゲヒヒ。八つ裂きにされなきゃ分からねえらしいなあ!」 広場にいる街の人たちもざわめき始める。 女の子が野盗に襲われているというのに誰も加勢しようとしない。何だかシャクだけど、今の世の中じゃ当たり前か。 自分の身は自分で守る。それができなければ死ぬだけ。 そう、死ぬんだ。あたしの両親はそうやって殺されたんだ。 「ゲヒヒッ! 死ねえぇ!」 「誰が死んでなんかやるもんか!」 野盗はあたしの心臓に向かって剣を突き出してきた。容赦というものを知らない野盗らしい一撃。 その一突きを右へ避けると、それに反応して横へと薙いでくる。思ったよりはできるようだ。 刀を抜いてそれを受け止める。が、手応えが薄い。 今のはフェイントだったらしい。野盗はすぐに剣を引き、突きの構えを取っていた。 「殺(と)ったあ!」 得意げな顔であたしの首元へ剣を伸ばす野盗。 「取ったのは――」 キィンッ! 「こっちだぁ!」 刀を振り上げて野盗の剣を弾き飛ばした。 宙を舞った野盗の剣はクルクルと回転しながら野盗の後へ弧を描いて飛んでいった。 しきりに両手を交互に眺める野盗のおじさん。 事の顛末が飲み込めた時には驚愕の声を上げていた。 「し、ししし信じられねえ! なんだこの強さは?!」 あたしとしてはまだぜんぜん本気じゃなかったんだけど……。 あっちはどれだけ悪事を働いてきたか分からないけど、実戦という場数ならこっちだって負けていない。 異能者という狙われる側の人間だからね。 「まず自分の弱さを信じたら?」 「んだとお!」 よくいるんだ。弱い相手とばかり戦って自分が一番強いと信じて疑わない人間が。 あたしは自分より強い人を知っているけど。 井の中の蛙だと知らないでゲロゲロ喚いてるだけじゃ強くはなれないのさ。 「あたしは殺そうなんて思わないから。とっとと逃げてよね」 「お、俺を馬鹿にするのか?!」 「負けたら命を奪われても文句は言えないんだよ? 殺されるより逃げる方が利口だと思うけど?」 「ゲヒヒ。俺は弱くなんかねえぞ。ここいらで一番の野盗だと評判なんだ」 野盗から野盗の評判を聞くことになるとは思わなかった。 この辺りで一番ってなんだろう。減らず口とかかな? 「自慢することじゃないと思うけどなぁ」 「それが誇りってもんだ。だから逃げるくらいなら……」 野盗は懐から黒くて丸い爆弾を取り出してきた。 紐の先端を引っこ抜くと火花が散り、紐に火が点いた。 「全部ぶっ飛ばす!」 「ちょ、ちょっと! そんなことしたら自分も死ぬんだよ?! 街の人たちも、大事なオアシスも!」 その目は本気だ。本気と言うより半ばヤケになっている。 あたしは急いで刀を納めた。 これはとんでもないことになってしまったぞ。 「構うかあ! みんなおしめえよお!」 「ちっ! この分からず屋め!」 「ゲヒヒ。無駄だあ! あと5秒で爆発すんぞお!」 水御華の柄を強く握ると、あたしの力が刀へ移っていくのが分かる。急激な力の移動に頭がクラッと揺れたけれど、今はそんなことを気にしていられない! ロメリアの住むこの街を壊されてたまるもんか! 「水よ、地を走れっ!」 鞘からの抜刀と共に水御華で地面を斬る。 するとそこから地面を裂いて水が駆け抜けた。 「な、なんだぁ?!」 水が野盗の足元まで来ると上に大きく噴出し、爆弾の火を鎮火させると共に野盗の体を大きく吹き飛ばした。 「げげぇええっ!」 ずぶ濡れになって地面を転がる野盗のおじさん。鎮火した爆弾もゴトンッと地面に埋まった。 一瞬のことで何が起こったのか分かっていないのか、野盗のおじさんはそのまま目を瞬いてあたしをボーっと見つめていた。 「…………」 「…………」 しばらく見つめ合うあたしたち。 異様な雰囲気に顔をしかめて見せると、野盗のおじさんはニヤリと顔を歪ませた。 そういうつもりで見つめてたんじゃないんだけどなぁ。 「み、みみみ見たぞぉ! やっぱり水を出しやがった!」 あたしと水御華を交互に指差し、次に自分の剣を探して立ち上がる野盗のおじさん。 「覚えていろよ。お、俺の百人の仲間が黙っちゃいないぞ!」 「黙ってたらいいのに」 「ゲヒヒッ……」 不気味な笑いを残して、野盗は自分の剣を拾って行ってしまった。 百人の仲間がいると言ったけど、信じられない話だ。そんな大人数の野盗がこの街のそばに潜んでいるなんて思えない。 そう普通に考えればわかること。 そうだというのにこの街の人たちは野盗の言うことを間に受けてしまっていた。 「あ、あんた。異能者だったのか?!」 「余所者が、余計なことをしやがって!」 「俺たちは関係ない! 関係ないぞ!」 ぞろぞろと広場から人が消えていく。 あたしから逃げるように。侮蔑を含んだ目を向けながら。 水を操る異能者。それが砂漠のアメフラシと呼ばれるあたし。シノ=カズヒの正体だ。 「ふぅ。ま、仕方ないか……」 水御華を鞘の沙華月に納刀し、ギュッと握り締めた。 ――こんなこと慣れてるはずなのに、やっぱり胸が痛いや。どんな悪いヤツを倒しても、あたしが異能者であることに変わりはないんだ。 「……お姉ちゃん?」 その声に振り返るとロメリアがあたしを見ていた。さっきと変わらぬ笑顔のままで……。 「何があったの?」 そっか。目の不自由なロメリアにはあたしのしたことがその目には映らなかったんだ。でも、街のみんなの声は聞こえていたはずだ。 「聞いた通りだよ。あたしは異能者なんだ。刀から水を出すことができるんだ」 世界のほとんどが砂漠化して百数年。砂竜アルファルファのような異形の生物が生まれた。そして人間も特殊な力を持つ異能者が生まれるようになった。 異能者はインフィニットから追われ、人々の差別の対象となった。あたしもその異能者の一人だ。 それで苦労することもあるけど、今は何とも思わないや。 「わたし、見たんだよ」 「……なにを?」 キラキラした目をあたしに向けるロメリア。 そこには差別も侮蔑もない。 会ったころと変わらないままのロメリアの笑顔だ。 「お姉ちゃんが何かしてる時にね、水が飛んできたの」 「あ、ごめん。冷たかった?」 「ううん、そうじゃないの」 水御華の力を開放すると、抜刀の鞘走りで水が吹き出ることがよくある。 そのしぶきがロメリアにまで届いていたのかもしれない。 「目の前にね。キラキラした光が見えたのぉ。青や赤や……いっぱい色があったんだよ?」 「ロメリア。それはきっと虹だよ」 「虹ぃ〜?」 雨上がりに見られるという多彩な色が一本のアーチになって空に掛かる現象。こんな世界じゃまず見られることのない貴重なものだ。 空気中に水をかけてやればたまに見ることもできるけど、この世界において水は貴重なもの。そんな機会は少ない。 ……そっか。ロメリアは本物の虹を見ることができないんだ。それこそ今のような間近でない限りは。 「虹が見えた時、お姉ちゃんが光って見えたよ。お姉ちゃんはやっぱり水の妖精かもしれないね!」 ロメリアの笑顔と言葉が、あたしを嬉しくさせた。 さっきまで悩んでいたのが嘘みたいだ。 たった一人でもあたしのことをそんな風に思ってくれる人がいるのなら、それだけで充分だと思える。 「いつか、ロメリアの目が治ったら虹を見に行こうよ。本物の虹をさ」 「治るかなぁ?」 「世界は広いから。いいお医者さんが見つかるかもしれないよ」 「うん! 見てみたいね!」 それを可能とする異能者も……あたしの中ではこの意味合いの方が強かった。 インフィニットはこの世界に異能者は邪魔なものだとして淘汰しているけど、それを逃れて身を隠している異能者も大勢いる。中にはロメリアの目を治せる能力を持つ人もいるかもしれない。心当たりも無くは無いし。 それに本物の虹だってきっとどこかで見ることができるはずだ。こんな砂漠だけの世界だけど、ロメリアの願いくらいは叶えてあげたいなぁ。 ぐぐぅ〜、ぎゅるるるる…… 「あっ、ルルが鳴いてるよ!」 「いやぁ〜、今のはお腹の音だよ」 空腹なのをすっかり忘れていた。 体を動かしたせいか、猛烈な空腹感が押し寄せてきた。 「そうか、しまった! ルルの鳴き声だって誤魔化せばよかったんだ」 「ルーッ!」 ごっちぃんっ! ルルの丸い尻尾があたしの額にブチ当たった。 人のせいに……いや、竜のせいにするなと怒っているのかもしれない。 それにしてもいつの間に人の肩に乗ったんだろう。 「妖精でもお腹減るの?」 「妖精じゃないって」 きゅるるるる〜…… 今度はロメリアの方から空腹音が聞こえた。 あたしたちはもう少し女の子らしさってやつを学んだ方がいいのだろうか。 「ロメリアもお腹が空いたみたいだね?」 「に、人間だもの!」 ちょっと恥ずかしそうに訴えるロメリア。 それがなんだか可愛い。 「人間だものね〜。じゃあどこかに食べに行こうか。……あ、でもさっきの騒ぎで食べ物にありつけるかなぁ」 異能者と知って態度が変わるなんてよくあることだけど、物を売ってくれなくなったりするから不便なのだ。 「わたしがお世話になってる宿屋があるんだけど。お姉ちゃんそこに来ない?」 「お、営業してるねぇロメリア。異能者だって知られてなきゃいいけどさ」 「大丈夫だよ。おじさんはとぉーっても優しいんだよぉ?」 優しいおじさんと言われると、丸いメガネを付けてて常にニコニコしているイメージが浮かんでくる。 そんな優しいおじさんなら大丈夫かも。 「ロメリアがそこまで言うなら……」 「わぁい! こっちだよー!」 ロメリアは嬉しそうに笑うとあたしの手を引いて宿屋に案内してくれた。目が不自由とは思えないほど軽快な足取りだ。 ロメリアの言うとおり、きっといい人が経営している宿屋に違いない。 あたしも気分よくロメリアの後を着いて行くことにした。 ▽△ それは開口一番に飛び込んできた。 「異能者なんざお断りだっ!」 ギラリとした鋭い目つきであたしに言い放つ宿屋のおじさん。 店に入った瞬間にこれだ。あたしの噂、どこまで広がってるんだろう。 おじさんには聞こえない声でそっとロメリアに耳打ちする。 「ロメリアさん。話が違うんじゃないですか?」 「おじさんは優しいよぅ」 「いや、そっちの話じゃなくてね?」 ロメリアの言う優しいおじさんが最初から異能者お断りを掲げてくるとは思わなかった。 これで本当に優しいおじさんなんだろうか。 「なにをごちゃごちゃ言ってやがる!」 「い、いえ。こっちの話です。はい……」 このおじさん。宿屋じゃなくて兵隊か自警団にでもいる方が似合うんじゃないだろうか。そう思うくらい体格がいい。 服の下に見える傷だらけの体や、左腕にデカデカと付けられた斬り傷を見てもそう思う。 ロメリアは見えてないだろうけど……。ひょっとして騙されてるんじゃないかな?
カウンターの前の席でやっと足を休めることができたあたしは、意地でもここを動きたくなかった。 「あ、あたしは異能者じゃないよ! 人違いだと思うなぁ」 「今日来た余所者はみんな異能者だと思うことにした。今決めたんだ。第一、ロメリアと一緒に居たって情報だぞ」 うっ……それを言われたら弁解のしようがないじゃないか。 今日ダンベルギアを訪れる旅人さんたちには悪いことをしたなぁ。 「ブレンおじさぁんっ! お姉ちゃんは水の妖精さんかもしれないんだよ!」 ブンブンと腕を振って講義するロメリア。 なんでロメリアはこんな頑固なおっさんといるんだろう。 「水の妖精がこんな汚い格好してるわけねぇだろ」 「うう〜っ」 砂漠を渡ってきたばかりだから仕方がない。 よく見えていないロメリアにはあたしがどれだけ汚れているか分からないんだろう。四日も砂漠を歩いたもんだから、頭から砂を被っているに等しい。 「とにかくお断りだ。さあ、帰った帰った。ロメリアは仕込みの手伝いをしてくれよな」 「ぶぅ〜。お〜じ〜さ〜ぁ〜ん〜!」 頬を膨らませて抗議するロメリア。 この可愛らしい素振りにあたしも宿屋のおじさんも萌えざるを得ない。 「し、仕方ねぇだろう。こっちは商売なんだ。妙な噂を立てられちゃなんねぇ。宿屋は旅人が安心して立ち寄れる憩いの場なんだからよぅ」 「でも、お姉ちゃんは……」 「だからそんな顔するなよなぁ。俺は別に、その、なんだ……」 しゅんとなるロメリアに言葉を詰まらせるブレンのおじさん。さすがの頑固親父もロメリアには弱いと見える。 でも、このおじさんの言うことは理に適っている。 それにロメリアが慕っているのも分かるし。決して悪い人じゃないんだと思う。 「それに今、すげぇ美人を泊めてるしな。お前さんと違って」 ――口は悪いけど。 くそぉ〜! あたしは別に自分が可愛いとか美人だなんて思い上がったことなんてないけど! 面と向かってそう言われるのはムカッとくるなぁ! 「いいよ、ロメリア。おじさんの言うことは正しいから」 あたしはなるべく笑顔でロメリアにそう語った。多少引きつっていたかもしれないけど。 「お姉ちゃん……」 不安そうな顔をするロメリアに笑ってみせるあたし。 この顔がどこまで見えているのかは分からないけど。ロメリアにそんな顔は似合わない。 「じゃあ他を当たるね」 それに異能者だと知って態度を変える人は今まで幾らでも見てきているし。慣れたものだ。 「――待てっ!」 「えっ?」 席を立つあたしを止めたのはおじさんだった。 腕組みをしていた太い腕はいつの間にか離れ、気まずそうな顔で頭の後ろを掻いていた。 「お前さん、腹ぁ減ってんだろう?」 「……なぜそれを? もしかしておじさんも異能者?」 「さっきからグーグー鳴ってんじゃねぇか」 その言葉を肯定するようにグッと短い音を鳴らすあたしの胃袋。ここまで女の子らしさがないのか、あたしは……。 「泊められないが、飯くらい食っていけ」 「ええーっ!」 「なんだぁ? 俺の飯が食えねぇってのかあ?!」 「い、いえ。頂きます」 驚きのままロメリアを見ると、嬉しそうに笑っていた。 ああ、そうなんだ。納得してしまった。 確かにロメリアの言うとおり優しいおじさんなんだ。多少、素直じゃなくて口は悪いけど。 「ヘッ。ロメリアも手伝ってくれよ」 「はーい!」 嬉しそうに返事をすると、ロメリアはおじさんの後を着いてカウンターの向こう側へ回った。 この二人。なんだかんだで、上手くやってるみたいだなぁ。 しばらくすると、おじさんが巨大な骨付き肉の乗った皿を持ってきた。芳しい香りと滴る肉汁があたしの食欲をこれでもかというくらいに刺激する。 コトンと皿が置かれた瞬間、あたしの中のスイッチが餓えた狼へと切り替わった。 「いただきまぁああすっ!」 「まぁて!」 肉にかぶりつこうとするあたしの頭を鷲掴みにして抑えるおじさん。やっと食事にありつけるのに待てるわけがない! 「うぅ〜! ワウッワウッ!」 「犬かお前は! 食う前に話があんだよ!」 「クゥ〜ンクゥ〜ン……」 こんなにお腹空いてるのに、待てというのは残酷過ぎるんじゃないだろうか。 「……で、話ってなんですか?」 肉から目が離せないまま、半ば涙目になっておじさんに聞く。 「お前さん、異能者なんだろ? 類友にロメリアの目を治せるやつはいないか?」 「類友って……あっ! おじさんも同じこと考えてたんだ!」 あたしの指摘で照れたようにおじさんの顔が少し赤くなる。 「お、俺は別にっ!」 なんでこういう頑固親父は素直になれないかなぁ。 ロメリアのこと考えてあげられるなんて、いいおじさんだと思うのに。 「照れない照れない。残念だけど、今の所そういう異能者には会ったことないんだ。でも、いる可能性は高いと思ってるよ」 あたしは以前、物を直せる異能者に会ったことがある。その人は頑なに「これは錬金術だ!」って言い張ったけど。 ああいうことができるのなら、人間の体も治せる異能者がいるって信じられる。異能者自体、こちらが考えもしない能力を持っていることが多いから。 「他にも心当たりがあるんだけど……これ、言ってもいいのかなぁ?」 「なんだよ?」 「おじさん、インフィニットのこと好き?」 あたしは声を小さくしておじさんに問う。 「何の関係があるんだ?」 「いいから答えてよ」 この砂漠だけの世界において人類の救済を掲げる組織、インフィニット。 その裏で秩序を守るためという名目で異能者狩りを行い、罪の無い異能者を殺している。あたしの両親もそれで殺された。 おじさんがインフィニット側の人間なら、これから話すことは口にできない。 おじさんはじっとあたしを見つめると、ボソッと小さな声で呟いた。 「俺はかつてインフィニットと戦争をしたことがある。とある国の兵士だった」 「おじさんが?!」 宿屋の主人をやらせるには勿体無い体格をしていると思った。顔も厳ついし。 「悪夢を見ているようだった。殺したはずの敵がまた立ち上がるんだからな。あいつらがおかしいのか、俺がおかしくなっちまったのか。よく分からねえが、あのおぞましい光景は今でもまだ覚えている」 おじさんはグッと拳を握り締めながら語った。余程のことだったんだとあたしにも分かる。 「インフィニットの兵隊の中に異能者がいたんだね」 おじさんの言うように敵がおかしかったのか、おじさんがおかしくされたのかは判断できないけれど。その裏にはインフィニットに属する異能者が関わっているはずだ。 「ヤツ等は狂ってやがる。人類救済を謳っておきながら交渉も無く逆らう国や街を滅ぼし、異能者狩りなんてしておきながら自分たちも異能者を抱えてやがる」 「インフィニットに敵対する元兵士の目線でない限り気づかないことだよね。でも、異能者を抱えるっていうのは初めて聞いたな」 インフィニットに対する疑問。インフィニットの敵国にいて戦ったからこそ、おじさんはそれに気づくことができたんだ。 「おかしいのはそれだけじゃないよ。さっきの心当たりがあるって言ったことにも関係あるかもしれないんだけど……」 「何がどうした?」 あたしは念のため辺りを見回し、誰もいないことを確認してから話し始めた。 「インフィニットを束ねる人物はね。何代にも渡ってその役目自分たちの子どもへと引き継いできたって話なんだけど……」 「有名な話じゃねぇか」 「そうじゃないんだ。あたし、とあるおじいさんに会ったんだ。もう百歳を超える高齢のおじいさんなんだけどね」 ここで一旦言葉を切った。 まだおじさんに話していいか迷っている。 この話はまだ誰にもしたことがなかったんだ。なんだか話をするのが怖くなってしまった。 「続けろよ。ロメリアに関わることなら人事じゃねえ」 「あ。……うんっ!」 そうだった。おじさんはロメリアのことをちゃんと考えてくれている。こんなおじさんが敵になるわけないよね。 それに、あたしみたいな人間の言葉なんて信じる人も少ないだろう。あたしは話を続けることにした。 「そのおじいさんがね。その人物を見て先代、先々代とまったく変わらない容姿をしているって言うの。まるで同じ光景を見ているみたいだって。おかしいと思わない?」 先代、先々代を見てきたおじいさんが現インフィニットを束ねる人物を見た時、その仕草や振る舞いまでまったく同じだったと語っていた。 あたしはその話を聞いて、インフィニットを束ねる人物は代々受け継がれてきたのではなく、もともと一人の人間がしてきたんじゃないかと考えるようになった。 そう、異能者の力を使って若返っているんだ。さもその子どもであるという顔をしながら……。 「インフィニットの長は不老不死ってことか?」 「おじさんの話を聞いてからだと信憑性が少し出てくるね。たぶん、異能者が関わってるんだと思うよ」 「確かにな。こんな話、誰も信じやしねぇ。だがそんな異能者が本当にいるとしたら……ロメリアの目を治せるかもしれないってことになるな」 「その異能者の力が人体に作用するものなら或いはね。不老不死なんてやってのけるのなら視力の回復もできるかもしれないんじゃないかと思うんだ」 ここまではあくまでも憶測。全部あたしの憶測なんだ。 それなのにおじさんたら、本当に嬉しそうな目であたしを見ている。本当にロメリアのことを思っているんだね。 「よしっ! 望みが見えてきたぜ!」 「必死だね、おじさん。可能性はそんなに高くないのに」 「そうだな。だが必死にもなるさ。ロメリアのことだがな……」 おじさんは頼んでもいないのにジュースをあたしの前に置くと、肘を付いて話を始めた。 あたしのような異能者に、それも今日会ったばかりの相手なのに、だ。よほどロメリアのことを考えているのだろう。 あたしもうんうんと二度頷いて耳を傾けた。 「うちには食用サボテンを材料にしたオリジナルのスパイスが二種類ある。それを同じ形の容器に入れてあるんだが……ロメリアのやつ、これをちゃんと区別してやがるんだ」 「そんなの蓋を開ければ匂いで分かっちゃうんじゃない?」 「最初はそうしていた。だが、今はもう匂いをかいじゃいない」 「どういうこと? おじさんはどうやって判断してるの? 同じ容器なんだよね?」 おじさんはカウンターの下から話しているのと同じものであろう石製の容器を二つ、カウンターの上に並べた。 その容器はまったく同じ形をしているものの、微妙に柄が異なっていた。材料となる石の模様だろう。それがむしろ持ち味になっていて、匠の拘りを感じる。 「これはお高いものだね」 「まぁな」 死んだ父さんが刀匠なんてものをしていたから、見る目にはちょっと自信があるんだ。 「ロメリアの目に柄は映らない。これっくらい近づけば見えるんだろうが、そんな素振りは無かった」 「じゃあロメリアはどうやって判断してるの?」 木製の容器なら軽いから中身の量でも分かるのかもしれないけど、これは石製。これだけ重いとどれだけ入っているのか分からない。 「俺は気づいたんだ。ロメリアは触れただけで分かるんだってな。片方のスパイスはもう片方よりも使わねぇから、容器に触れる頻度も変わってくる」 「まさか。それを触れただけで判別してるってこと?」 容器のすり減りやそこから生まれる手触りの違い。ロメリアはそれを手で感じ取っているのかもしれない。 「目が不自由な人間はその分、他の感覚が研ぎ澄まされるって聞いたことがある。つまり、そういうことなんだろ?」 足が不自由な人は杖を持つ腕の筋肉が発達するって聞いたことがある。 ロメリアは目が不自由だから、それに代わるものが発達しているのかもしれない。笛の音色が綺麗なのも、耳が人よりいいからなのかも。 「もしもだ。もし、ロメリアが望むのなら……一緒に連れて行ってやってくんねぇか?」 おじさんは真剣な表情であたしを見ると、とうとうその言葉を口にしてしまった。 さっきから話を聞いているとそんなことを考えているんじゃないかと思っていた。 その目はどこか焦りのようなものも伺える。 「ロメリアに何かあったの?」 「今年のいつだったか、ある日を境にガクッと視力が落ちたんだ。前はもっと見えていた。間違いなくな。あの若さで光を失うなんて考えられねぇだろ? なんとかしてやりたいが、俺にはどうすることもできやしねぇ。俺はただの宿屋の親父でしかねぇんだ」 だから異能者であるあたしを頼ったということか。旅をしているし、他の人よりも異能者と会っているし。 それよりも気になるのはロメリアの視力だ。徐々にではなくある日を境にというのが気にかかる。 その日、ロメリアに何かあったんじゃないだろうか。例えば異能者との接触とか……。これはおじさんには言えないや。今となっては過ぎたことだし、憶測でしかない。 「でもいいの? 余所者で異能者で、会ったばかりのあたしで」 「ロメリアはお前さんに懐いているからな。それに、俺は俺で人を見る目には自信があるんでよ」 「おじさん……」 頭の後ろを掻きながらあたしから視線を外すおじさん。 今ならロメリアが慕う気持ちもよく分かるなぁ。 「おじさんはただの宿屋の親父でしかないって言うけどさ」 「なんだよ?」 「ロメリアはそんなおじさんが大好きだと思うよ?」 「なっ! かか、からかうなっ!!」 ドンッ! とカウンターを殴りつけるおじさん。 怖い顔してるけど耳まで真赤ですよ? でも、あたしが言ったことは嘘じゃないと思うなぁ。それはロメリアを見ていたら分かることだから。 「お姉ちゃん、お待たせ〜! ……あれ? ブレンおじさんここに居たのぉ?」 ロメリアは両手と頭の上にお盆を乗せて大量の料理を運んできてくれた。それは慣れたものなのかな? 見ていられなくなったあたしはすかさず頭の上のお盆を手に取った。 「うん。お姉ちゃんと恋のお話してたんだ」 「してねえだろっ!」 おじさんはまたもやカウンターを殴りつけ、さっさと奥へ行ってしまった。う〜ん。これでよかったのだろうか。 「あっ、ルルは何を食べるのかなぁ?」 「アルファルファは何でも食べるよ。たぶん」 「ルルゥ〜」 バッグのボタンを外すとルルが勢いよく飛び出してきた。 カウンターの上に乗るとロメリアの料理をこれでもかと口を開けてかぶりつくルル。体の体積に似合わない食いっぷりだ。 「ちょっとルル! それあたしも食べたかったのにぃ!」 「ルンルン、ルーッ!」 今度はあたしが持っていた皿に飛びついてきた。 ルルめ、ロメリアの料理を独り占めするつもりだなぁ! あたしもルルに負けじと並べられた料理にがっついた。 空腹と食欲が相まって女の子らしさという言葉はもうどこかへ飛んでいってしまった。 |